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消えた靴と隣の世界  作者: 凪市有李
4/10

足音と白髪の子ども

 下駄箱の前で、道路を歩いたこの上靴で校内に入ってしまったらやっぱり土足だよね、などと悩んでいるわたしに、柿本くんが「そのままで平気だよ」と声をかけてくれた。

 靴を履きかえないまま廊下に上がってゆく柿本くんを見て、少しためらいながらもその後に続く。


 校舎の中はしんと静まり返っている。

 窓から射し込む橙色の光が、くすんだ灰色の壁に柿本くんの影を浮かび上がらせる。


 わたしは前をゆく柿本くんの背中を眺めながら歩いた。

 線が細くて、物静かな柿本くん。

 教室で言葉を交わした記憶はない。


 ぱたぱたと、後ろで足音が聞こえた。振り返っても、誰もいない。


 あれ? 気のせい?


「あとをついてくるだけだから、大丈夫。気にしないで」

「え? あ、うん……」


 ついてくるだけ? 

 

 気にしないでと言われても……と思いながらも、一応うなずいておく。

 真っ直ぐ廊下を歩いていた柿本くんは、調理室の前で立ち止まった。


「開けるよ」


 部屋の中に声をかける。声をかけるということは誰かが中にいるということだと思うのだけれど、柿本くんは返事を待たずにドアを開けてしまった。


「いいの?」

「うん、平気。さあどうぞ」


 促されて調理室の中に入る。

 部屋をぐるりと見回したけれど、いつも家庭科の時間に利用する調理室と何ひとつ変わらない。

 そして静まり返った調理室の中に、人の姿は見当たらなかった。


「この人は沢崎さん。僕の知り合いだよ。靴が見つからなくって困ってるんだ。みんなに、彼女の靴を知らないか訊いてきてくれないかな」


 無人の空間に話しかける柿本くんを訝しく思いながらもその視線を追うと、調理台の陰に白いものがちらりと見えた。誰かいる。


「あの、はじめまして、沢崎小夜(さよ)です」


 自己紹介をしてみる。

 と、ひょこりと顔がのぞいた。

 わたしは口を開けたまま、何度か瞬きをした。


 真っ白いおかっぱ頭の子が、わたしを凝視している。

 わたしも、じっと見返してしまう。 


 すごくきれいな白髪だ。

 女の子なのか男の子なのか、外見からは判別できない。


 その子は無言のままこくりとひとつうなずくと、調理台の陰から出てきた。

 山吹色の着物は膝上丈で、膝小僧がのぞいている。

 足は下駄履き。年は小学校の低学年くらいに見える。


「え、えーっと……」


 なんで着物を着た白髪の小学生が中学に? 


 と思ったけれど、こちら側では普通なのかもしれない。

 わたしは無反応なその子に笑いかけてみた。

 その子は一重瞼の目でまだわたしをじっと見ていたけれど、やがてすいと視線を柿本くんに移した。


「お願いしてもいい?」


 柿本くんに訊かれて、その子は頭を縦に振った。

 さらりと揺れる絹糸のような白髪に思わず見惚れてしまう。

 そんなわたしのことは全く気に留める風もなく、その子はカラカラと下駄を鳴らしながら調理室を出て行ってしまった。


「あっ……。ねぇ、わたしも一緒に探したほうが……」

「あとは任せておけば大丈夫だから、沢崎さんはここで待っていればいいよ」

「でも……」

「こちらの住人は悪い子たちじゃないけれど、人間の常識が通用しないから、近づきすぎないほうがいいんだよ。適度な距離を保つことが大事なんだ。でないと、帰れなくなるかもしれないからね」


 帰れなくなる、という言葉にわたしは息を呑んだ。


「柿本くんはそのせいで?」

「僕は別の理由」


 そう言ったきり、一番手前の調理台の下の棚を開けてごそごそやり始めた。  

 お鍋、ボウル、こし器、すりこぎなどが次々と現れる。


「なにしてるの?」

「おはぎを作ろうかと。きっと手がかりをみつけて帰ってきてくれるだろうから、お礼をしないとね」

「おはぎ?」

「あの子の好物なんだ。沢崎さん、手伝ってくれる?」


 柿本くんが笑顔をわたしに向ける。

 柿本くんの笑顔には、相手を幸せな気持ちにさせるパワーがあるんじゃないかと思う。

 さっきから笑顔の大安売りをしてくれている柿本くんは、実はもともとよく笑う人なのかもしれないと思った。

 あちらの世界では、笑顔を見せる機会がないだけで。


「もちろんだよ」


 わたしは柿本くんに負けないような笑顔を返して、腕まくりをした。

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