表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
消えた靴と隣の世界  作者: 凪市有李
10/10

こちら側

 柿本くんに見送られてあちら側から戻ってきたわたしの前には、薄暮の世界が広がっていた。


 いつもの通学路。

 さっきと同じ場所。


 車道を、ライトをつけた自動車が通り過ぎてゆく。 


 手に持った携帯は、ここがしっかりと電波が入る場所であることを示している。

 なにもかもがあまりにもいつも通りで、まるであちら側でのことが夢だったかのように思える。


 時間を確認したら、まだ六時前だった。

 こちらの世界では三十分ほどしか経っていなかったらしい。


 とはいえ、いつもならもう家に帰っている時間だ。

 帰りが遅いと心配しているお母さんの顔が目に浮かぶ。


 早く帰らないと。


 靴はあちらの世界で履き替えてきている。

 わたしは上靴を手にぶらさげ、紺色の指定靴を履いた足を一歩、踏み出した。


    ※※※


 翌日は普段どおり学校に行った。


 いつもと変わらない日常。

 柿本くんの席は今日も空いたまま。

 誰とも言葉を交わすことなく自分の席に座って、なんとか一日を終えた。逃げるように教室を飛び出して昇降口へ向かう。


 下駄箱を見たら、またしても空っぽだった。

 わたしは深いため息をついた。


 今日はいったいどこにあるんだろう。


 どこから捜すべきかと悩んでいると「沢崎さん」と背後から声をかけられた。

 聞き慣れた声に、わたしは反射的に振り返った。


「柿本くん!」


 そこには、眼鏡をかけて、わたしの靴を手に持った柿本くんが立っていた。そっとわたしの足もとに靴

を置いてくれる。


「あ、ありがとう」

「どういたしまして。僕のほうこそ、ありがとう。沢崎さんのおかげで、こうして戻って来られたよ」

「よかった……」


 本当に良かった。柿本くんが、ここにいる。

 こちら側に、戻って来てくれた。


 ざわざわと下校する生徒たちの声がこちらに近づいてくる。学校は喧騒に満ちている。


 あちらとよく似た場所。

 でも、ここはわたしたちの場所なのだと、実感できる。


 そしてここに、柿本くんがいる。わたしの前にいる。

 ふいに、じわりと視界が歪んだ。


「沢崎さんはどうしているだろう、大丈夫だろうか、辛い思いをしていないだろうか、って考えていたら、驚くほどすんなりと戻って来られたよ」

「じゃあ、もうあちらに長期滞在しなくてもいいね」


 笑った拍子に涙が零れ落ちてしまって、わたしは慌てて頬をぬぐった。


「こちらの世界は大変だけれど、沢崎さんと一緒なら……沢崎さんのためにできることがある限り、僕はがんばろうと思う」

「柿本くん……」


「この靴は、ちょうど隠そうとしている彼女を見つけて、直談判して返してもらってきたんだ。時間がかかると思うけれど、これからもきちんと話していけば、こんなことはやめてくれると思う。やめてもらえるよう、やってみるよ。もし上手くいかなくて、どうにもならないくらい追い詰められても、僕には逃げられる場所があるしね」


 柿本くんが目を伏せて自嘲するように薄く笑った。

 簡単に、返してもらえたわけない。

 きっと、随分がんばってくれたんだろう。


「そんなこと言わないで。わたしも柿本くんと一緒にがんばるから!」


 わたしも変わる。そう決意する。


 それで、がんばって、がんばって、それでもどうしようもなくて、あちら側に逃げ込みたくなったら――。


 そのときは、どうするか、ふたりで考えよう。

 できるだけ、あちら側に踏み込まないで済む方法を。


 ふいに、真顔になった柿本くんが、じっとわたしを見る。

 わたしはその視線をしっかりと受け止めた。


 次の瞬間、わたしはふわりと柿本くんに抱き寄せられていた。


「かっ、柿本くんっ!?」

「本当にありがとう、沢崎さん」


 耳もとで、柿本くんの優しい声が聞こえた。柿本くんの髪が耳に触れて、くすぐったい。

 わたしを包んでくれるその腕は、とても優しい。

 柿本くんの腕の中は安心できて、居心地がよくて、ずっとこのままでいてほしいと思ってしまう。


 でも――。

 ざわめきがもうすぐ傍まで迫っている。


「人が来ちゃうよ!」   


 慌ててわたしから離れた柿本くんの頬が、僅かに紅潮している。きっとわたしの顔も、真っ赤なのに違いない。


 わたしは急いで靴を履くと、差し出された柿本くんの手に手を重ね、引かれるままに駆け出した。



                                    《了》

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ