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日記  作者: 白基慶
3/4

四月中旬

 四月十日


 たった今儀式を終えた。其の内容について此処に事細かに書き残す義務が私にはある。が、疲弊し切った頭脳では何処迄詳細に書けるか非常に怪しい。万一にも書き洩らしがあってはいけないから、今晩の記事は明日に任せたい。


 四月十一日


 峰岸と有希子の儀式について書き始める。何分、内容が長くなるので、今晩中に書き終えるかは判らない。が、兎に角、書けるところ迄書き、書き切れなければ日を跨いででも書き続ける事にする。

 儀式の日、私は峰岸と有希子に、夕方迄自室に二人切りで静かに過ごすよう、(あらかじ)め言い付けておいた。其れから、食事は一切摂らず、水だけを口にするようにとも。

 春の日が昇り、傾き、窓から差し入る西日がスッカリ赤くなる頃、私は二人の待つ部屋へ赴いた。準備が済んだ事を知らせる為だ。私一人、彼らの部屋の戸を開けると、峰岸も有希子も緊張した面持ちを此方へ向けた。

「迎えに来ましたよ。儀式を受ける前に、此方も準備を済ませましょう。二人共、心の準備は大丈夫ですか?お腹は空いていませんか?」

 私がそう言うと、二人はやっと少しだけ笑った。

 峰岸と有希子を引き連れ、私は屋敷の地下へ向かった。

 屋敷の階段は大概木製なのだが、地下に繋がるこれだけは石造りだ。灰褐色の冷たい壁を支えに湿った階段を下りる。先頭の私は、手に持った燭台の蝋燭に火を点け、足下を照らした。暗がりの底にドアの姿が浮かぶ。長い階段ではないのに、此処を下る時はいつも長く感じる。

 階段の終点に着き、私は扉を押し開けた。

 此の部屋は普段、人の出入りを禁じている。入室を許可されているのは、私と狼と白豹、其れから若林夫妻のみ。だから峰岸も有希子も、此の部屋の存在は知りつつも、実際に中に入るのはこれが初めての事だったろう。

 此処は儀式前の支度をする為の部屋。

 温度と湿度を一定に保った室内は蒸していた。温められた水蒸気が首元に纏い付く。自然と汗の滲む様な部屋は、本来は三十畳近くある筈だが、其の広さは四方を埋め尽くす植物の群生に因って閉塞している。

 地下庭園。私はそう呼んでいる。

 花は相変わらず開いていた。此処は一年中、花が咲いている。若林夫妻の工夫のお陰だ。肥料に、ある毒物を混ぜたら、絶えず花が咲くようになった。

 大輪の花々に埋もれた温室は、種々の香水を掻き混ぜた様な匂いが充満していた。辺りは深緑の葉、葉、葉だらけ。熱帯深くはきっとこんな感じだろう。熱帯夜にはこんな夢の風景をよく見るものだ。

 蘭、薔薇、花の種類は多岐に渡る。ヴィルジナル、マダム・マス、ボスフォラス、北極光、アルバヌ等の珍種も揃っている。折り重なる緑葉の下に紛れ、食虫植物の多肉的な姿が覗く。芥子の丸い頭も垣間見える。

 最も目に付くは葉の緑。部屋の壁紙は(はなだ)色と金の縦模様(ストライプ)。此の三色紋様は下地、あらゆる色の咲き乱れるサマは、あの油絵を彷彿とさせる。当然だ。部屋の造りを意図的に似せているのだから。これから執り行う準備の大部分は、其の油絵の題名に(あやか)っている。

 ひしめく植物達を掻き分け、私は部屋の最奥に据えられた机の前に立った。机上にはある装置が。此の装置は、三つの小さな煙突を繋げた様な機械で、上部の筒は全て金で作られ、表面には細かな模様が彫ってある。連結した三つの筒の下には、それぞれに硝子のフラスコが附属している。三つのフラスコの中はどれも紫色の液体で満ちている。此の溶液は狼と白豹が用意したものだ。フラスコの更に下には点火台がある。これも表面は金で造られ、猶且つ精緻な植物柄が彫ってある。

三つのフラスコは丁度、上下を金の煙突と金の台に挟まれた恰好になっている。

 装置のスイッチを捻れば、点火台が作動し、青い火が点く。細長い火の先端がフラスコの底をチロチロと撫でる。と、段々溶液が温められていく。紫の液がキチンと煮えているのを確かめてから、私は峰岸と有希子の所へ戻った。

 背後では三つの煙突から、紫色の煙が三本、立ち上っている。

 立ち込める湿気に紫煙が溶け、充分に混じるのを待つ間、峰岸と有希子を、部屋の中央へ導く。

 其処は植物の枝も届かない、熱帯雨林にポッカリ空いた広場の様な所で、周囲の花々の全てが中央を向いていた。

 花園の視線を一身に集める舞台中央には二人。煙も好い具合に水蒸気に溶けている。

「では深呼吸を」

 指示を出す。と、峰岸も有希子もゆっくり息を吸った。

「もう一度。もう一度……そう、ゆっくり……緊張や不安は、無理に打ち消そうとしなくとも大丈夫。深呼吸……時間は充分ありますから、焦らず……」

 私は穏やかな声を心掛けた。真実、急ぐ必要など何処にもない。此の部屋の空気で肺を満たす事、今は何より其れが重要だ。

 私は注意深く二人の様子を見守った。始めは巧く深呼吸出来ず、胸の運動が小刻みだった様だが、峰岸も有希子も少しずつ落ち着きを会得し、五分程経った頃だろうか、筋肉の弛緩が見受けられた。

 二人の両手が脱力し切った頃、私は三つの事柄を口にした。

「君達は今、此の瞬間に生まれて来た」

「君達は、唯、漠然と君達だ」

「君達はひたすらに淡い場所へ向かっている」

 此の三つの文言(フレーズ)を何度も何度も繰り返す。

 人間は、自然界の中に身を置くと、つい、己の起源について考えを巡らせるもの。人工物の乏しい場所では、世間から隔離されたと思い込み、不安が募り易くなるのか、或いは森の深い気配が、遠い祖先の記憶を蘇らせるからなのか、己の立ち位置が、ふと、あやふやになるらしい。

 其の「あやふや」が彼らの生命を滲ませないよう、肉体と意志とが薄弱ながら確立している事を諭すべく、私は三つの文言を繰り返した。

 哲学には明快な解答がないから、存在を完全に肯定する事は出来ない。が、仮令輪郭は曖昧であっても、白い霧の中心は確実に霧であるのと同様に……多くの人がそうである様に……唯、何と無く自分が此処にいるのだという意識を、第三者たる私が肯定する。

 私は次に、二人に衣服の全てを脱ぐよう指示した。峰岸も有希子も、宛も雲を掴む様な緩慢な手付きで以て、身に纏うものをゆっくり取り払っていった。

 そうして二人が裸になるのを待ってから、私は再び口を開いた。

「では、今の内に、言いたい事を言葉にしておいて下さい。何でも構いません。私に伝えたい事があれば、是非聞かして頂きたい」

 私は出来るだけ明るい口調で言った。気軽さを演出したかったのだが、二人は未だ躊躇し、口をモゴモゴと動かすばかり。

 短い沈黙が下りた。遠く煙の噴くか細い音がする。植物は口を利かず、静かに成り行きを見守っている。

 私はもう一度口を開いた。

「何を告白しても好いんです。何も隠さなくて好いんです。君達は既に裸なのだから、是以上(これいじょう)、何を隠すものがあるでしょう?」

 こう言ってやっと、峰岸が青い唇を震わせ、途切れる勝ちに、

「これからの出来事は……儀式は……其の……痛かったり、辛かったりは……」

 珍しく歯切れが悪い。初体験を前に緊張しているのが判る。

 私は声色を柔和に調整した。

「決してそんな事はありません。苦痛や恐怖を与える為の儀式ではありませんから。其れに、君達の身体から、もう既に痛覚を取り除いてあるのですから」

 真実を告げる。其れが相手への礼儀と考える。此の言葉を信じるかどうかは相手次第だが、一先ず峰岸の唇には血の気が戻った様だった。

 続けて、私は有希子を見やった。彼女は峰岸より一層沈痛だった。告白すべき事があるに相違ない。私はじっと待ち続けた。

 やがて固い蕾が開く様に、有希子は苦悶の唇を開いた。

(ゆる)されるのでしょうか……」

「……何が、でしょう?」

 一拍間を置き、私が反問する。

有希子は涙を溜めた瞳で私を見上げた。

「今迄の出来事から逃げ出していいのでしょうか?私を産んでくれた母や、父を、こうも簡単に切り捨てていいのでしょうか?やらなきゃいけない事を、やらずにいてもいいのでしょうか?そんな事が、本当に赦されるのでしょうか?」

 過去を捨てていいのか、と、有希子は言いたいらしかった。私は大きく頷いてみせた。

「当然です。又、無理に捨てなくともいいのです。捨てたいものだけ捨てなさい。束縛されずにいる状態が堪らず、本当の自由が怖ろしいなら、私を頼りにして下さい。私が(いかり)になりましょう。又、必要なくなったら、いつでも此の錨は断ち切ってくれて構いません」

 そう言って私が微笑めば、有希子は涙を落とした。有り難うと、小さく呟いてもいた。

 これで二人の告白は全て終わった。

 私は部屋の最奥に据えられた机へと向かった。装置のスイッチを切り、火を落とす。と、紫色の煙はふっつり途絶えた。

 私は二人に「此方へ」と声を掛けた。峰岸も有希子も大人しく其れに従った。

 密林の奥深く分け入り、部屋の隅にある扉を開ける。

 と、暗い地下通路が現れた。

 蝋燭の灯りが連なる細い通路を、私が先頭になって進む。

 ようやく準備が済んだ。

 後は此の道の先で待つ狼と白豹の許へ向かうばかりだ。


 四月十二日


 薄暗い通路をひたひたと歩きながら、私は一体何を考えていただろうか。確か、今夜の星を気にしていたと思う。占星術師でもないのに。地下庭園にて私も紫の煙を吸ったから、意識が少しぼんやりとしていたのだろう。

 私の後に従う峰岸と有希子の気配を感じながら、私は道の先にいる狼と白豹の事を考えた。乱暴に言えば、私の役目は、此の段階で既に終わっている。これより先、儀式の進行の殆どは、狼と白豹が担っていた。

 そう長い廊下ではないけれど、充分以上にゆっくり歩いた所為で実際より距離がある様に錯覚する。そうして直線の果て、上がり階段が眼前に現れる。

「暗いですから、足下には気を付けて」

 私は肩越しに声を掛けた際、背後の二人を見た。峰岸と有希子は手を繋いでいた。固く、しっかりと。不安や緊張?其れもあるだろう。しかし其れ以上に、二人の確固たる感情の結び目を見た思いがした。

 階段を上がる。私は靴を履いているが、裸の二人は、石段の冷たい感触を踏み締める事になる。人間斯くあるべし。しかし私は靴を履いていた。

 階段の終点は行き止まり、眼前には石の壁がそびえるばかり。其の代わり、天井に蓋が取り付けてある。私は右手を挙げ、蓋を押し上げた。

 途端、頭上に硝子に嵌まった星空が開けた。

 教会だ。

 此処に誰かいたのなら、私と、続いて裸の男女とが、床に空いた四角い穴の中から突如現れた様に見えただろう。

 天窓に透ける夜空を見上げ、天井を支える柱に刻まれた筋を辿って視線を下げる。幾百の縦線が周囲を覆う内装はゴシック様式。掲げられた燭台の弱々しい灯りが、石材の灰白色をぼんやり浮かび上がらせる。太い柱と柱の間に、縦長の窓硝子が嵌めてあるサマは、堅牢と華奢とが隙間なく連続している事を私に教える。奇数と偶数、或いは有理数と無理数みたく。

 硝子の向こうには夜の森。しかし、外の景色は少しも見通せず、宛も黒布を被せた様。其の布は、波となり、最奥の祭壇に被さる。

 祭壇に造り付けられた巨大なパイプオルガンは壊れている。

 其のオルガンの手前に狼と白豹は立っていた。

 狼と白豹は特別なドレスを着込んでいる。そんな二人は私を見、其れから私の背後にいる裸の二人を見た。私が頷いて合図すれば、先ず狼が有希子の許へ駆け寄り、

「お母さん、これを」

 と、手に持った物を示した。

「これは?」

 有希子は其れをマジマジ見ながら、不思議そうに訊いた。

 其れは半透明の、所々に花の刺繍の入ったベールだった。

「お母さんに被って欲しくて」

 狼が微笑む。

「今夜のお母さんは花嫁だから」

 そう言って狼は背伸びした。有希子にベールを被せようとしたのだ。が、狼の低い背では幾ら手を伸ばしても有希子の頭上に届かず、色々と頑張ってはみたけれど、最後には有希子に屈んでくれるよう頼んでいた。事態に追い着けていない有希子は、言われるが儘、膝を曲げ、己が頭を狼に差し出す。

 そうして、やっと、狼は有希子に白いベールを授ける事が出来た。

「じゃあ、先ずは、結婚式を挙げましょうか」

 放心し、口の利けない有希子に代わり、白豹が提案する。

「丁度神父様もいらっしゃるし、此処で永遠の愛を誓ってしまってはどう?」

「良い考えですね。白豹の言う通りにしましょう」

 私が賛同すれば、狼も「そうしましょう。ね?御父様、御母様」と声を弾ませた。

「うん、是非お願いしたいな。これで僕らが結婚出来るなら、是非」

 峰岸が穏やかに応える。

 有希子はやっと事態を理解したのか、静かに泣き出し、返事どころではなかった。

 そうと決まれば、私にも神父の役目というものがある。狼と共に、白豹のいる教会最奥、象徴(シムボル)を掲げた前へ進み出る。

 私の左側には狼が、右側には白豹がいる。

「婚姻の意志のある者は前へ」

 私の言葉に、峰岸と有希子が前に出る。

「両者、二つに分かつ身と心を常に一つとし、愛に従い二度と分かつ事はないと、此方に御座(おわ)す神々に誓うか」

 左手で狼を、右手で白豹を差し示しながら問う。

「はい」

 峰岸と有希子が声を揃え応える。

「では、誓いの証拠を」

 証拠、即ちキスを。二人が向かい合い、峰岸が有希子のベールを開き、唇が近付き、触れ合う。やがて唇が離れ、目蓋を開き、二人は真っ直ぐ此方を見上げた。

 此処からは狼と白豹の仕事だ。

「其れでは、続けて、儀式を」

 私はそう言うと後ろへ下がった。反対に、狼と白豹は一歩前へ出て、

「御父様は此方の台座へ」

「御母様は此方の台座へ」

 と、己の傍に置かれた、ベッドの様な台座を指差した。黒い布を被せられた、人一人が横たわるのに充分な大きさの台が二つ、祭壇前には用意されていた。

 裸の峰岸と有希子が階段を上がる。二人は手を繋いでいた。そうして、手を繋いだ儘、並ぶ台座に横たわった。

 黒い布の上、男女の白い裸身が浮き上がる。

 峰岸と有希子が寝そべるのを見、狼と白豹は深く息を吸って、交互に祝詞(のりと)をあげ始める。

「努力は実りません」

「報われもしません」

「天命は人事に構わず」

「善悪もお構いなしに」

「納得も理解も必要とせず」

「弁明や理論の欠片もなく」

「人を生かし」

「人を死なす」

「個人の幸福は叶わず」

「全体の幸福は願わず」

「才能は埋もれ」

「凡庸が台頭し」

「生きれば生きるだけ無様を晒し」

「死のう死のうと悩んだところで」

「弱さを責められ」

「助ける気はない」

「けれど」

「けれど」

「あなたがあなたを救えないなら」

「あたしがあなたを救いましょう」

「不完全証明」

「非対称球体」

「機械、血潮」

「二項、多様」

「あなた達は何も悪くない」

「あたし達が食べてしまう」

「あなた達の罪は」

「あたし達の胃へ」

「消化され」

「無くなる」

 刹那、赤い飛沫が舞う。

 銀色のナイフが煌めく。

 返り血が、狼と白豹の手、顔、ドレスにたっぷり飛ぶ。

 筋肉や、血管や、濡れた臓器が、引き裂かれた腹から覗く。

 峰岸と有希子は恍惚と、狼と白豹に身を任している。

 其れから、狼と白豹は、慣れた手付きで作業を進めた。裂いた皮膚を開き、血も厭わず、臓器(ひし)めく体内へ手を差し入れ、時にはナイフを用いて邪魔な肉を切りながら、奥へ奥へ、目的のものを探す。

 そうして二人は其の臓器を手にした。

 ナイフを器用に扱い切り取る。と、二人……狼と白豹……は殆ど同時に、峰岸と有希子の身体の中から、其れを引きずり出した。

 狼と白豹、二人の小さな手中には、ボタボタと血を落とす、未だ温かい臓物が、それぞれ一つずつ握られていた。

 其れは、普通一般のものとは形が異なっていた。表面に幾つもの突起がある。まるで金平糖の様にゴツゴツとしている。

 これは(かつ)て峰岸から聞いたのだが、此の臓器の異常は先天性の畸形で、(なお)且つ遺伝的なものだそうだ。

 やがて死に至る病。

 峰岸と有希子はそんなものに罹っていた。

 諸悪の根源。

 其れが今、狼と白豹の手中にある。

 狼と白豹は目配せし合うと、徐に二つの臓器をナイフで以て解体し始めた。

 充分に細切れが済んだら、次に互いの手を差し出し、肉片の幾つかを交換し合う。

 これで、どれが峰岸の肉で、どれが有希子の肉か、判別出来なくなる。

 そうして充分に混ざった肉を、狼と白豹は次々食していく。

 口の周りが血で濡れる。唇の端から血が(したた)る。そうやって、細かい肉片を全て平らげてしまうと、狼も白豹も、台座に横たわる峰岸と有希子を見やった。

「これで御父様の罪も、御母様の罪も、無くなりました」

「そう、か……味は、どう……だった?」

 息も切れ切れながら、しかし峰岸は普段の陽気な調子で訊く。

「不味かったわ」

 白豹がハッキリ応える。と、有希子が苦悶を眉間に刻んだ。

「ご免、ね……ご免、な、さい……二人に、押し付けちゃって……」

「平気よ。御母様はそんな心配しなくていいの。其れにね」

 白豹は照れた様に、しかし優しく有希子を見、言い継ぐ。

「今、御父様と御母様の一部は、私と狼の二人が分け合って取り込んだのだから、普段の儀式の二倍、二人は幸せなの。だってこれからは、私と狼の中で、二人は穏やかに暮らせるんだもの」

 有希子が涙ぐむ。

 白豹は慈愛の微笑を湛え、最後にこう結んだ。

「御父様も御母様も、たったこれだけの肉片の所為で、今迄大変だったのね。でも、其の不幸の全てが私達に巡り会う為の(いしずえ)だったのなら、私には此の運命が愛おしく思えるの」

 涙が有希子の頬を伝う。血の海と化した台座の上で流れた涙は、一縷、澄んだ川面の様に有希子の白い頬の表面で輝いた。

 ……ヒュー、ヒューと、か細い吐息だけが響く。無音の教会。束の間の沈黙は、しかし、狼の声で破れた。

「はい、判っています。御父様のヴァイオリンは、とても美しかったです」

 狼は峰岸に声を掛けていた。当の峰岸は、血を流し過ぎたのだろう、もう虫の息、辛うじて口をパクパク動かしているけれど、一言とて発音出来ていない。

 其れでも、狼は声を掛け続けていた。

「大丈夫です。嘘なんて吐いてません。そんな自信のない言葉、御父様らしくありません。私はいつだって御父様の弾く音が大好きでした。其れに、御父様や御母様と暮らすのも愉しかったんです。はい、幸せでした。私は、御父様と御母様と一緒にいられて、とっても幸せだったんです」

 狼が微笑む。峰岸は口を(とざ)し、唯一度、頷いた。

 峰岸と有希子の生命はそろそろ限界だった。開かれた腹から止め処なく溢れる血が祭壇の黒布をしとどに濡らし、私の足下を浸す。しかし、そんな状態でも、二人は結んだ手を決して離さず、最後には穏やかな笑みを浮かべ、目蓋を閉じた。

 笑って死ぬ。

 今回も無事、教義は全うされた。

 滞りなく儀式を終え、私は狼と白豹を労った。そうして、返り血で真っ赤に染まった二人を連れ、教会を出た。

 今夜一晩は、峰岸と有希子を彼処に寝かしておかなければならない。流れ出た血が赤黒く固まる迄は。

 外に出ると、四月の夜風は少し肌寒かった。

 ……念の為に記しておくが、十一日から十二日にかけて書き残した以上の内容は、四月十日、其の一夜に起きた出来事の詳細である。


 四月十四日


 既に峰岸と有希子の葬儀は終えている。

 私の部屋の窓の下から見える、若林夫妻の手に因って管理されている庭の片隅、花壇の陰に並ぶ墓石に新しいものが加わった。峰岸と有希子は其の墓の中で、二人一緒に眠っている。

 此処では必ず土葬にする。埋葬して日の浅い彼らの身体は未だ綺麗な儘だろう。が、いずれ其の肉は土に溶け、庭の植物の根に送られ、花となって開く筈だ。

 快晴の下、今日も狼と白豹は愉し気に庭を走り回っていた。二人の甲高い笑い声が開け放した窓から聞こえて来る。此の光景を、きっと峰岸と有希子も微笑みながら見ている事だろう。土の下から、そして、狼と白豹の内側から。


 四月十五日


 料理人である(いぬい)さんが厨房で料理哲学を大いに語っていた。聴衆は狼と白豹と私の三人。狼と白豹は彼の熱弁を黙って聞いていた。二人が大人しかったのは、彼の演説に聴き入っていたというより、彼お手製のブランフロマージュを舐めるのに忙しかったからだろう。

「俺は昔、高級と呼ばれる料理を作ってた。今だって、此処で高級な料理を振る舞っている積もりだ。だがな、『高級』と一口に言ったって、意味は色々ある。俺の場合、値段が高いという意味では使っていない。品が高いとか、そういう意味での『高級』だ。料理は芸術に近い。最初の皿から最後の皿迄、一貫性がないといけない。其の中の一皿だって気が抜けない。無駄があっちゃいけない。全てに意味がある。食材には相性があって、同じ食材だって産地に因って、合う、合わないが違う。懐かしい味が食べたいと言われりゃあ、俺ら料理人はそいつの故郷の食材を使う事を第一に考える。しかし、いざ料理を喰う奴には、こっちのそういう苦労なんか一切知らず、唯、出された料理を心から愉しんで貰いたい。そう思うんだがな、たまーに我が儘が言いたくなる。此の一皿にはこういう細工や努力があって、其れにはこういう理由があって、と、逐一説明したくなるし、もっと無理を言えば、俺が口で言わずとも、料理を食べたら直ぐ、客にはこっちの意図を汲んで貰いたい。そうは言っても相手は素人、味の善し悪しは判っても、味に籠めた意味迄ちゃんと察してくれ、なんて、酷な話だ。其れに、じゃあと相手も本気になって、産地がどうとか、科学的にこれは旨味成分がどうとか、其処迄詮索されたら今度はコッチが恥ずかしいんだよな。全く我が儘だが、時々、こういう事が言いたくなる……で、神父さんやお嬢ちゃん達は勿論、俺が料理に籠めてる心意気、判ってくれてるよな?」

 問われた私は「勿論」と応えた。狼と白豹も、口の端にクリームを付けた儘、コクコクと何度も頷いていた。


 四月十六日


 私は人間より人形の方が好きだ。

 昨日、乾さんの芸術論を聞かされ、私も己の哲学を改めて考える事にした。

 私が生身の人物より人の形をした物体を好むのは、有機物より無機物の方により美しさを感じるからだと決め付けていた。人間らしさとは(これ)即ち稚拙の同義語であり、何をするにしても雑念が入っては駄作に成り下がると考えていた。

 しかし、こうして改めて考えてみると、私が人間より人形を好むのは、もっと別の理由がある気がする。

 芸術活動は全て人間の活動だ。其の完成度が高まるにつれ、無駄は省かれ、型に嵌まっていく。茶道や華道等、「道」の附く分野は、洗練された型こそ尊ばれる。とすれば、極めていく内に、より機械的な正確さこそ求められていく筈だ。これは人間がどんどん無機的に傾いていくという事になる筈だ。

 しかし……しかし、人間には必ず「ムラ」があり、加えて其の「ムラ」にこそ真価の宿る事が往々にしてある。これは芸術内に()ける人間らしさの肯定に他ならない。

 考えてみれば、これは矛盾だ。

 絵画も、此の、私と似た様な悩みを抱えていた時代があった。印象派黎明期である。アカデミズムと真っ向から対決した印象派は、物体の輪郭の正確さを嫌い、己の見た風景を拡張して、視覚だけでなく触感や心象にも訴えっていった。これは機械には真似の出来ない人間の仕業だ。

 今一度問う。此の矛盾をどう扱うべきか。機械的正確さと美術の因果関係とは?人間らしさと美しさとを結ぶ等式は……。


 四月十七日


 若しかすると、芸術に於ける「ムラ」とは、ある種の神託なのではないか?

 色彩のブレ、音の揺らぎ。一見ミスタッチの様であっても、却って其の部分が全体を引き立たせる……そんな様なものは全て、人知を越えた何か、例えば神の意志がそうさせたのではないか?

 傑作とは、人間の手に神が宿って初めて作られるものではないだろうか。

 そう考えれば、私が人間より人形を好む理由も自ずと理解される。依り代だからだ。古来より、人の形をした物に神は降りると言い伝えられている。

 人は人の「ムラ」を見るのが好きなのでなく、宿命的に芸術に宿った神の御姿を眺め畏敬の念を抱いている訳だ。

 私は此の解答を得ると、直ぐ乾さんに話して聞かせた。

 すると、乾さんは苦い顔をして、

「どうだかなぁ……其の主張に因れば、なんだ、つまり俺の料理が美味いのは、俺の腕じゃなくて、全部神様のお陰みたいじゃねぇか」

 一瞬、其れの何が悪い事なのか、私には判らなかった。が、職人の矜恃だろう、乾さんが普段の仕事に対し言外の賛辞や形のない褒章を欲している事に気が付き、其れに応えるべく私は冗談めかした。

「そうかも知れません。何しろ、乾さんの料理はどれも神懸かりですから」


 四月十八日


 今夜は少し酔っている。つい先程迄、屋敷の住人達と共にささやかな酒宴に興じていたからだ。

 宴の場に誰がいたか……藤田さんはいた。三浦さんもいた。若林さん……夫の方だ……もいた。若い者も何人かいた気がする。乾さんは厨房で肴を作っていた。美味そうな匂いに釣られ、楚良(そら)真次(しんじ)も食堂にやって来た。他にも沢山いた筈だ。男ばかりだった。

 乾さんの調理した鮫の(ひれ)をつつきながら、私は彼らが談笑するサマをぼんやり眺めていた。知らず識らず酒も進んだ。悩みが酒を勧めた。私は悩んでいた。無論、次の儀式についてである。

 次に誰が儀式を受けるか、未だ決められずにいた。

 酒宴の席上に、峰岸と有希子の名前が時折現れた。彼らについての思い出話に花が咲いた。懐かしむ声に寂寥は薄く、誰しも朗らかに語っていた。峰岸のヴァイオリンと有希子のピアノは素晴らしかった。賛美の声が絶える事はなかった。

 そう、峰岸と有希子は幸福だった。皆も同じ想いで儀式を心待ちにしている。其れは私とて承知している。峰岸と有希子の儀式は前回から随分間が空いてしまった。次回はそうならないよう、早めに準備を始めたい……のだが、しかし肝腎の対象者が決まらない。

 次は誰にしようか?

 今、愉快に酒を酌み交わす誰かにするか。

 将又(はたまた)、自室で眠る誰かにするか。

 皆を待たせてはいけない。そう思って焦れば焦る程、思考は絡まっていくばかりだ。


 四月十九日


 人形の出る夢を見た。夢の中で人形が何をしていたかは覚えていないけれど、人形は最後死んでしまった。私は其れを見ていた。

 狼と白豹に私の悩みを打ち明けた。

 次に誰が儀式を受けるか、二人も考えていなかったらしく、狼も白豹は互いに耳打ちし合い、暫くヒソヒソと相談を続けた。

 そうして、話が纏まったのか、二人はやがて幼い瞳に冷徹な光を湛えて私を見上げ、

「死とは人生の終末でなく」

「死とは人生の完成である」

 と、ギャンブル狂いのロシア作家の言葉を引用し、二人は異なる笑みを浮かべた。

「神父様の目に完成間近と映る人間を選べばいいのよ」

「間近の方がいないのならば、待ってみたり、或いは神父様の御手で完成を助けて差し上げては如何でしょう?」

 嘲る白豹と、微笑む狼。これが二人の愛情表現であると知る私は、唯々二人の助言に感心するばかりだった。

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