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日記  作者: 白基慶
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三月下旬

 曲者と己を呼ぶ正直者の書として記す。


 三月十八日


 私の身体が空くのは大概夜半だから、これに向かう今、窓外は夜の森に塞がれている。深々と、濃緑の葉が幾億と折り重なるのに加え、闇夜が全ての木の上からトロリと流れ込み、其の幾億の葉に溶ける。そうして出来た重厚な緞帳(どんちょう)が景色に下り、星は見えず、洋燈の姿が窓の表面にクッキリ浮かんでいる。

 今日の昼間に此の記録を綴ろうと思い付いた際、先ず頭に浮かんだ説教は「人生と大海について」だった。即ち、人の世とは、潮流の複雑な大海であり、人生とは、そんな海の波を割って行く、貧弱な(いかだ)の、永遠に疲れ続ける孤独な船頭になる事である。

 暗い群青を湛える海の先に何かあると信じ、昼夜の区別なく水平線をひたすら目指す我々は、星の丸い事を知らない。知らない儘(かい)を漕いでいる。又、悟りとは、星の丸い事を知りつつ櫂を漕ぎ、そうしながら、其の愚かしさを許容する心にこそ芽生える全体への自己愛に相違ない。

 次に脳裏を過ぎった事柄は「結婚」についてだった。結婚の利点とは、何より、ダンスの相手に困らない事、これに尽きると、ふと思い付き、直ぐ皆に説いた。

 すると、珍しくも大人しく長椅子に並び座していた狼と白豹(はくひょう)が、順番に口を開いた。

「なら私が神父様と結婚します」

 狼が普段の真剣な瞳を真っ直ぐ私へ向けつつ言った。

「私が神父様と結婚すれば、おんなじ筏に乗れます。寂しくないよう、一緒に乗ります」

「駄目よ」

 真剣な狼の言葉を、白豹は常々浮かべている嘲笑を浮かべ、唇の端から茶化した。

「『人間は孤独に居るしかない』と神父様は仰言(おっしゃ)っているの。寂しさもきっと大切なんだわ。其れに、神父様は私と結婚するんだもの」

 畢竟(ひっきょう)、私がこれを書こうと決心したのも、此の二人の会話があったからかも知れない。


 三月十九日


 食糧は母より(たまわ)り、住居は父より贈られた。が、感謝はない。全て、此の活動への報償として至極当然と考える。

 活動とは「生」である。私は一個の贅沢品だ。存在其の物に値打ちがあり、元来、私は実際的な世界と乖離している。()いて言えば、人心を和ませる程度の効能はある。が、社会やら世間やらには貢献出来ない。そう言った機械的な仕事の役には立たない。立ちたいと思った事もない。

 しかし、こんな思想に至る人格を幼少期の苦難より育み、終に開き直った点を悪いとは思っていない。死のう、死のう、と、呟きつつ生きる人生にも存外学びは多く、其の点だけは両親に感謝の念を寄せている。

 本を読み、音楽を聴き、空想に(ふけ)る。時折は美食も(たしな)む。狼と白豹を始め、慕ってくれる人々がある。これらの趣味から得られる幸福は、私の脆い胸中を充分に温める。

 今日、狼と白豹は互いに口を利かなかった。昨日の「結婚」の件を引きずって喧嘩をしているらしい。二人は常々年の近い姉妹の様に振る舞っているから、仲良くしても喧嘩をしても、大人達をよく困らせる。今日は誰が仲裁に入ろうが二人共無視を決め込み、意固地に不機嫌を貫き通していた。これで、朝になったらスッカリ仲直りしていたりするのだから、全く手に負えない。

 ところで、狼と白豹、どちらが姉でどちらが妹だろう?


 三月二十日


 矢張り朝には二人の仲直りは済んでいた。其れは厳粛ながら極々自然に執り行われ、言葉すら交わさず、唯、朝食を()る際の、目玉焼きを割るフォークの柔らかな動きだけで以て示唆(しさ)された。

 其れでも、仲直り直後の気恥ずかしさからか、二人は一日を静かに過ごしていた。狼は兎も角、物静かな白豹は非常に珍しく、体調でも悪いのかと、白豹は何度も訊かれていた。

 狼と白豹は今日、午前中に簡単な算術、午後には語学の授業を受けた。意外にも、実直な狼は算術が苦手で、三浦さんの授業をズット上の空で過ごしていた。反対に、口達者な白豹は語学が不得手で、藤田さんの解説より食後の眠気にこそ意識を傾け、うつらうつら、始終船を漕いでいた。

 授業は他に私の受け持つ歴史だけ。其れも冷戦終結(まで)で止めようと思っている。(これ)以上の学問は心の毒になる。算術は自然美を理解するのに必須であり、語学はあらゆる詩を享受するのに必要である。此の二つは本質的には同一物だ。歴史は、便宜上授業と称したが、どちらかと言えば夢物語や創作物を読み聞かせる様に教えている。

 他は一切教えていない。殊に、経済や現代社会といった科目は避けている。倫理などは問題外だ。これらを知る必要はまるでない。

「自殺をしても、社会の所為にしないでくれ」

 と、教本の裏側から囁く様な科目は、教育上宜しくない。唯でさえ生き難い浮世を、(いたずら)に複雑煩雑にしておきながら、よくもこんな無責任が言えたものだと感心する。


 三月二十一日


 三、二、一と揃った好い日だ。完全数たる六を想起させる点も面白い。ロクデナシとは、恐らく、今の私の感覚を()す人間の手に因って作られた単語だろう。

 夕方、語学の授業を終えた狼にこう訊かれた。

「小説家は、何故、小説を書くのでしょう?」

 卵が先か、鶏が先か。幼い狼の純な疑問は明確な解答を要求していた。此処こそ教育の分水嶺、取り分け狼の持つ清廉無垢を穢しては勿体ない。私は慎重に言葉を選び、次の様に応えた。

 魚が泳ぐみたく小説家は書く。より良い空気を求め、又水面の餌を求め、身を躍らせるのです。其れだけが魚の歓喜なんですから。

 狼は暫しキョトンとしたが、其れ以上の疑問は口にしなかった。賢い子だ。其の隣では気怠そうな白豹が昼寝(シエスタ)後の欠伸(あくび)を一つ吐いていた。


 三月二十二日


 今日は白豹から質問された。

「男の人は、何故、女に恋するのでしょう?」

 高慢にそう言い放った白豹の瞳……あの大きな瞳は、無言の内に「女は男に恋しないのに」と訴えていた。悪戯(イタズラ)の積もりらしい。道理に合わない事を言外に述べ私を困らせようという魂胆が見え透いていた。

 私は束の間悩む素振りを見せてから、徐にこう応えた。

 男が理性の生き物だからでしょう。

 白豹は細い眉根を寄せつつ再び質問した。

「どういう事でしょう?問題が変わってしまった様ですけれど」

 いいえ、変わっていませんよ、

 私がそう応えれば、白豹は透かさず反論し掛けた。が、私は其れを制し、言い継いだ。

 男が女性に恋するのは、其れだけ男が理性的だという証左です。恋という、精神の緻密な結晶で以て、好いた相手を閉じ込めてしまうのです。反対に、女性は男に恋をしません。男に狂うのです。好いた相手を目の前に正気でいられないのです。これは女性が本能の生き物だからでしょう。

「でも、女に狂う男の人だっているでしょう?」

 どうでしょう?極稀(ごくまれ)な者は特異点ですから、無視して構わないでしょう。大概の男は自ら恋を定義し、法則を作り、其れが故に義務感を背負い、時には恋愛を面倒に思うくらい、理性に溢れています。そうしないと男には恋が扱えないのです。因数分解した後でないと、訳が判らないんですよ。

「神父様の仰言る事の方が判りません。男の人だって狂います。よく狂っています。稀なんかじゃありません」

 そうなのですか?ではお互い様ですね。とすると、男に恋する理性的な女性も稀ではない、と?

「勿論です。女だって……」

 と、ようやく私の意図に気付いたらしい白豹が悔し気に瞳を伏せた。

「女だって……男の人に恋します」

 部品を組み立て機械を造るが如く、己の思惑が見事成就し、私は喜んだ。と同時に、白豹を言い負かした己が酷く大人気なく思えた。甘やかし過ぎてはいけないけれど、三時のオヤツには白豹の好物たるアップルパイを出した。


 三月二十三日


 今日は特にこれといった出来事もなかった為、常日頃(たの)しんでいる風景を事細かに記してみる。

 此処、私の部屋は二階の南向きにあり、今こそ窓外は夜に満ちているが、昼間には敷地の最奥に控えた日当たりの好い庭が見下ろせる。今時分、春の陽光は半透明の黄金色に染まり、辺り一面金粉を(まぶ)した様に(ぬる)く色付いて人の眠気を誘う。そんな風に、金紗幕を被った庭園の彼方此方(あちこち)に、冬を越した花々が色付いていた。

 フランス式みたく幾何学模様を強いるのでなく、英国式の、成る丈自然の儘に植物を配し、色彩を調和させた庭園は、植物学者の若林さんと彼の奥さんの作品だ。

 若林夫妻は、其の卓越した色彩感覚と植物学の知識を存分に発揮し、広い庭をキャンバスに、季節毎に印象派芸術を描き切ってみせる。

 植物達は花壇の中で思い思いに茂り、隣同士との境界も曖昧に、しかし(やぶ)という程鬱蒼(うっそう)と息苦しくはなく、並ぶ墓石も葉で隠し切らないよう分を弁えながら、伸び伸びと日光を受けていた。敷地と森とを区切る高い生け垣を最後尾にして背の順に並んだ草花には水彩の淡い花が綻び、葉の黄緑を生地に、桃色、水色、薄紫の細やかな筆致が入り乱れる様子、即ち田舎風の、飾り気のない自然美を溢れる程に目で味わう。

 そんな庭園の中で狼と白豹は遊んでいた。

 朽ち木を材料にしたアーチには蔓が絡み、大輪の薔薇が開いている。其の下を二人は駈け抜け、素焼きの鉢が並ぶ横を走って行った。追い掛けっこでもしていたのか。植木に水をやっていた若林夫妻も、走る二人を微笑ましく眺めていた。

 贔屓目もあるだろうが、庭園にいる狼と白豹は美しかった。健康的でありながら華奢でもあった。あの光景は妖精に(たと)えるか、いや、ウィリアム・モリスの連続模様を背景にした人形劇に譬えた方が近い。

 追い掛け合う二人の笑い声が遠くに聞こえた。


 三月二十四日


 天気の好い温かい日が続く。若し明日も此の調子だったら離宮へ出掛ける提案が出た。昼食も、食後のデザートも自作して、全員でピクニックへ行くらしい。此の思い付きに異を唱える者はなく、誰も彼も明日の晴れる事を当然の運命と信じ、早くも至る所から微笑が漏れていた。

 こんな場合は決まって、皆、明日の朝は早くから起き出し、全員が昼食作りに参加する。早速、今日の内から料理の相談を始める面々。其の中で、若林夫人は狼と白豹に声を掛けていた。

「お二人はどんなお料理をなさるのかしら?」

 温和な笑みを刻んだ夫人。

 先ず狼が応えた。

「甘いお星様を持って行きます」

「星型のクッキーを焼かれるの?」

「いいえ。今夜、夜空に浮かんでいるのを幾つか捕まえるんです」

「まぁ、其れは大仕事。でも無茶はいけませんよ。怪我だけはしないように」

「はい。神父様を心配させてはいけませんから」

 そう言いながら狼は私の顔を窺った。

「白豹さんはどうするの?」

 夫人に訊かれた白豹は、暫く顎に人差し指を当てつつ斜め上を見やり、たっぷりと勿体振ってから口を開いた。

「私は……きっと……サンドウィッチでも作ると思う」

「手作りなさるの?」

「其の積もり」

「あらあら、素敵ですね。其れで具は?何を挟むのでしょう?」

「神父様に食べて頂きたいから、特別な物を。海月(くらげ)のゼリーに、ユーラシア大陸の地図に、其れから赤い毛糸も。そうそう、亀の引き裂きチーズも忘れずに」

 そう言いながら白豹は私の顔を窺った。


 三月二十五日


 決めた通り皆で離宮へ出掛ける。細かい雲の千切れた青い空にふっくら浮かんだ太陽が今日も金粉を地上に降らし森は黄金に輝き、シャツの袖を捲る程空気を温めた。陽気は人の胸中にも沁み込み、離宮へ向かう道すがら歓談絶え間なく、何人かは葉のざわめきを伴奏に明るい歌を合唱していた。

 離宮に到着すると、二から五人の集団に分かれ、銘々が好きな場所に腰を下ろした。回廊のベンチ、蓮の浮かぶ人工池の(ほとり)、菜の花畑の傍の芝生の上、東屋の中、等々。

 敷地はキチンと整備されていた。此処によく散歩に来る面子の手に因って管理されているらしい。彼らは、しかし、謙遜して、若林夫妻の庭には及ばない、と、言い訳していた。が、当の若林夫妻は其れを否定し、園芸は知識より好きにやるのが肝腎で、何より飽きずにやる事が一番大切なのだ、此処はちゃんと手入れされている、と、彼らを褒めていた。

 昼食時には、朝から勢揃いで作り持って来た昼食を野の上に広げ、又歓談が始まった。小集団の話し合いは、いつしか個々人の専門分野を語る青空講義に発展し、誰か一人が発言している間、他の物は黙って熱心に耳を傾けていた。

 白い西洋屋根の東屋の中では、語学の授業を担当している藤田さんの話が一等面白かった。藤田さんはユイスマンの「さかしま」の中に紹介されている様な古い書物について熱弁した後、己の読書論を展開した。曰く、今より科学が世界を照らしていなかった(いにしえ)には、神秘という黒幕が広く世間を覆っていた。其の幕に星の点を打ち、点と点とを結び合わせ、一つの物語を紡ぐ事に、今以上の神性が宿っていた。創作と真実の(さかい)は曖昧だった。そう言って、藤田さんは寂しそうに微笑んだ。

「つまりね、僕は昔の人間が羨ましいんだ。当時の知識しか持ち得ずに、一途に物語を読んでみたい。少年の様に、本の中の事を本当だと信じ込んでみたい。其の為には、其の当時の空気や慣習、使われている言語を、当然の事として享受しなければならない。著者が死んだ後世の、評価が動かざるものになってからではなく、生きた著者の吐いた息を吸いながら作品を読んでみたいんだ。まぁ、こんな我が儘が言えるのも、僕が科学世紀の現代人だからこそなんだけれど」

 藤田さんの隣には狼が座っていて、(いつく)しむ様に彼の顔を仰いでいた。

 打って変わって、片割れの白豹はと言えば、騒ぎながら池の周りを駈けていた。いつの間にか畔に三つの小集団が寄り集まって、人の規模はかなりのものになっていた。彼らの談笑の背景では、ヴァイオリンの滑らかな音が張り詰めたり弛んだりを繰り返していた。即興曲であろう朗らかな弦楽器の音色の籠の中で、ぐるぐると、白豹は芝生に座る人々の間を駆け回っていた。

 やがてヴァイオリンの音が止み、ささやかな拍手が湧いた。演奏していた峰岸は軽やかな御辞儀で以て其れに応えていた。峰岸は腰を下ろし、ヴァイオリンをケースに仕舞いながら、音色同様朗らかに語り始めた。其の言葉は、調子は違えども先の藤田さんの講話と内容は一致していた。

「音楽は愉しいねぇ。観客がいると張り合いも出るし。けれどそんな事、本当は関係ないんだ。僕はこいつを弾いている時はいつも周りが見えてないんだから。無上の喜びですよ。しかしね、これは僕が演奏家だからこそ味わえる喜びですよ。僕は常々こんな風に思うんだ。楽器をやる時は演奏家に限る。其れと一緒で、巧い演技をする時は役者でありたい。判り難いかな?もっと簡単に言うとね、苺を食べる時は敏感な子供の舌で以て其の酸味を感じ、珈琲を嗜む時は鈍感な大人の舌で以て(まろ)やかな苦味を味わいたいんだ。甘味を食す際には、辛い物を忌み嫌うくらい甘党でありたい。又、辛い物を食すなら其の逆だ。何かを感じる時、僕は常に最高の状態で感じたい。肉を前にしたら大食漢に、野菜を前にしたら菜食主義者にといった具合にね。乙女に恋する少年でありながら、娼婦を虜にする色男でもありたい。こんな不条理をもうズット抱えているんです。えぇ、何故なら勿論、僕が欲張りだからです」

 此の異口同音の欲求が今でも私の脳裏に色濃く残っている。離宮の昼下がりには、他にも面白い主張や講義が沢山語られたにも関わらず。

 本能と理性は、本来、相反する筈だが、こんな時は互助関係にあるのではと疑ってしまう。さて、其れで、どちらが隠し味なのか、研究してみたいのだが、これを書く今は既に夜深く、加えて身体も疲れているので、今夜は此処で筆を置く事にする。


 三月二十六日


 では、昨晩の続きを書いていく。即ち「理性と本能」について。

 しかし今更此の主題を取り上げる事自体、陳腐だ。古今東西、あらゆる思想家、芸術家が、心理学を研究してきた歴史は、万人の知るところだろう。今から私が此処に書き連ねる文言は、そんな誰かの著書の中に既に登場しているに相違ない。が、其れで良いと思う。唯、私は誰かの言葉、誰かの体系を、端的に述懐(じゅっかい)出来れば其れで良い。

 さて、本題だが、普段の手順通り二律背反を入口にする。

 理性と本能は相反する因子だろう。プラスとマイナス。人間は判り(やす)い構造を好むから、縦の上下に延びる単純な直線がよく使われる。が、多くの人は、物事が一直線上に並ぶ事の難しさをあまり理解していない。

 同一直線上に事象を並べる作業は難解を極める。これは創作の難しさに直結する。赤は黒に映え、チョコレートケーキにはラズベリーソースが似合う。しかし、此の場合、赤と黒の濃淡や画面の占める面積の比率、又はチョコレートとラズベリーの苦味と酸味の品質が同一でなければ、これらの関係は容易に破綻する。

 二点が決まれば一つの直線が決定する。此処迄は簡単だ。が、決定された直線の上に寸分違わず点を打っていく作業は繊細で、ぷつりと、集中力が切れれば其処迄だ。

 此の作用が最も表れるのは物語であろう。感動とは、つまり、心の落差であるから、本能の底から出発し、徐々に魂の階層を上がり、終に理性の天上を迎える作品は、大きな感動を生む。理性の頂点から出発し、本能の底に落ちる作品も又然り。

 此の時、決定した出発点と終着点を結ぶ直線は、よく見ると、点々の集合だと判る。良き作者とは、此の点々をキチンと真っ直ぐに打てる職人の事だろう。途中でズレたりせずに、真っ直ぐと。何しろ、人は簡単な構造を好むのだから。

 本能のみを取り扱った作品、或いは理性のみを論じた作品も存在する。此方はプラスからマイナスへの大きな差を用いていない分、感動を生み出すのがより難しい。故に純粋な理性や本能のみを切り取った芸術品は、私の好物であり、又私が目指すものでもある。

 閑話休題。

 此処で人間の欲望というものを紐解いてみる。と、面白い事に、誰の欲望にも必ず物語性の含まれている点に気が付く。そうして、とするなら、欲望の発露と結末の間にある点々を巧く打てる者こそ、真に幸福になる資格のある人間ではないだろうか?

 酸味は苦味を引き立て、悪魔は神の潔白を際立たせる。藤田さんの欲求はこれと似ている。煩雑な現代科学の世の中に立って、神秘主義の台頭していた過去の無垢に憧れる。時間線上に於いても、科学と神秘という二点間に於いても、線は綺麗に真っ直ぐ引かれている。だからこそ、藤田さんの言葉は抵抗なく頷ける。

 対して峰岸の欲求には色々な直線が出て来る。演奏家、役者、子供の舌、大人の舌。場合に応じた直線を持ち出し、其の上に己を立たせようとしている。人間はそんな器用には出来ていないから、畢竟、峰岸の欲求は(かな)わない。が、多くの直線、即ち数多の感動を我が物にしたいという我が儘は、人類の夢、贅沢の極致に相違ない。

 理性と本能の質を一致させつつ、此の間の点をブレずに動かせる者は、何をか為すか何をか創る際に違和感を覚えずに済むだけでなく、受け手に大きな感動を届ける事も出来る筈だ。


 三月二十七日


 久し振りの雨を、窓辺にもたれ眺めていた有希子が、檻の中みたいと評した。降り頻る縦模様(ストライプ)の景色を鉄柵に(なぞら)えた此の台詞には、曖昧な青色が溶け込んでいた。安易な憂鬱は、恐らく、己を言い含める為のものだったろう。

 森を揺らす雨粒が、枝葉の上に溜まって、葉脈に沿って流れ落ちる。葉が震える。沁み込む雨に濡れた地面の匂いが、開け放した窓から部屋に入る。閉めてくれませんか?と私が頼んでも、有希子は聞こえないフリを決め込み、雨音に満ちた森をひたすら眺めていた。

 彼女が何を憂鬱に考えているか、峰岸の事だろうと直ぐ見当は付いた。普段は大人らしく平静を装う有希子が、少女の様に物思いに耽っているのだから、恋人の事を考えている以外はない。

 近々、峰岸は儀式を受ける。本人がそろそろ自分の番だろうと願い出た。私は其れを承知した。峰岸は喜んでいた。屈託のない少年の笑顔を私に向けた。

 きっと同じ笑みを見せながら、彼は儀式の件を彼女に報告したのだ。

 私はそう思って窓辺に近付いた。そうして、共に雨を眺めながら、有希子に声を掛けた。

 檻の中、ですか。なら、我々は皆、同じ檻の中に居る徒刑囚(とけいしゅう)ですね。貴女はどんな罪で投獄されたのでしょう?

 彼女は相変わらず外を見た儘微笑んだらしかった。

「投獄はされてない。囚人じゃないから。けど繋がれてはいる。雨だけじゃなくて、此の屋敷だって檻だし、私自身の身体だって私を縛る。全部(おもり)よ。私は鎖に繋がれた奴隷なの。でも、そうじゃないと不安なの。人の心は本当は軽くて、錘に繋いでいないと、フワフワと飛び立ってしまうから」

 そう言って有希子は席を立ち、狼と白豹に宜しくと言い残して、私の部屋から出て行った。取り残された私は、彼女がいなくなった後も暫くは窓を開けた儘にした。


 三月二十八日


 鬼ごっこという児戯がある。私の知っているルールは、触れた指先から鬼が移る、というもの。穢れは他人に押し付ければ祓えるらしい。だから皆逃げる。移されては堪らない。これはまるで社会に蔓延(はびこ)る暗黙の了解に通じている。面白い。いつか此の主題を(いじ)くった推理小説でも書いてみたい。


 三月二十九日


 昼下がりの図書室にて、狼と白豹は読書に耽っていた。猫脚椅子に腰掛けた二人の姿は、午後の風に舞うカーテンに時折隠され、又現れた。吹き込む春風に髪を揺らされながらも、日射しの照らす白い(ページ)を縦に走る文字列を二人の瞳はじっと追い掛けていた。

 図書室には弦の音も同居していた。「G線上のアリア」の奏でられる部屋の窓辺に座り、狼と白豹は本に没頭していた。

 無論、奏者は峰岸だ。

 やがて曲が終わり、峰岸がヴァイオリンを肩から下ろす。と、狼は読んでいた本、「甘い蜜の部屋」から視線を上げ、表題(タイトル)と同じ甘美な吐息を漏らした。

「其の本は面白いの?」

 峰岸がいつもの笑顔で訊く。と、狼は酔った様な瞳を彼に向けた。

「面白いんじゃなくて、憧れるんです。私もこんな風に我が儘で居られたらなって」

「へぇ、それじゃあ、狼はどんな我が儘が言いたいの?」

 此の質問に、しかし、狼は静かに首を振った。

「我が儘を『言う』んじゃなくて、我が儘で『居る』んです。言葉じゃなくて、心身なんです」

 陶酔、決して真似出来ない人生を羨む狼の瞳は潤んでいた。酔い痴れる狼に峰岸は賢くも其れ以上の言葉を用いず、反対を向いて、白豹の読んでいた本の表紙を覗き込んだ。

 表題には「ヰタ・セクスアリス」とある。

「……私には訊かないの?」

 白い頁から顔を上げた白豹が峰岸に訊く。と、峰岸は目元を皺々にするいつもの笑顔を浮かべてから、要望通り、白豹に訊いた。

「では改めて……其の本は面白かったかい?」

 白豹は難しい顔を返した。

「面白いとは違う、と思う。男の人ってややこしいんだなって思ったわ」

「ややこしい、ってのは、新鮮な表現だね。女心もかなり複雑だと思うけど?」

 此の質問に、白豹は諭す様な口調になって、

「あのね、複雑とややこしいは違うの。男の人は、単純なものを、潔癖とか矜恃(プライド)とかで隠したり折り曲げたりして、態々グチャグチャにしちゃうの。簡単なものを、込み入ってもない理由で、繊細にしちゃうの。そういうのを『ややこしい』って言うのよ」

「おっと、男で一括りにしちゃいけないぜ。僕は単純な男なんだから」

「うん、そうね、其れで好いと思う」

 白豹は優しく微笑んで、椅子から立ち、本を本棚に返していた。


 三月三十日


 次の儀式は峰岸の番である事を狼と白豹に告げた。狼に詳しい時期を訊かれたが、私は唯来月中と応えるだけに留めた。

 これで二人の峰岸への対応に変化があるかと危惧したが、まさか悪い方へ転がる心配はなし、精々、儀式迄の間、狼と白豹が峰岸を意識する程度であろう。であるなら、寧ろ二人にとっても峰岸にとっても喜ばしい事なのだから、何も口を挟む必要はない。

 天気は生憎の曇天だった。雨模様、外で遊ぶに適さず、狼と白豹は屋敷の中で隠れんぼに興じていた。

 鬼役は私と、峰岸と有希子と、若林夫妻、藤田さん、三浦さん、松浦さんの計八人。大の大人が八人掛かりで屋敷中を巡り、小さな二人を探し回った。他の者は愉快気に我々を見物していた。

 狼と白豹の隠れ方は稚拙だった。其の小さな身体をスッカリ隠し切る術を心得ていなかった。金で縁取られた白い衣装箪笥の扉から白い両足をぶら下げ、樫の木の食器棚の陰からスカートのフリルをはみ出し、階段下から肩を(あら)わし、テーブル下で(うずくま)っていた。

 其の為に二人は度々見付かるのだが、其の度にきゃあきゃあとはしゃぎ声を上げながら何処かへ逃げ出してしまう。そうして又稚拙に隠れ、又直ぐ見付かる。二人が飽きる迄、此の遊びは繰り返された。

 しかし、身体を隠す技術は稚拙ながら、狼も白豹も顔だけは最後迄隠し(おお)せた。顔さえ見られなかったら見付かった事にはならないと固く信じているらしかった。だからだろう、「飽きたからお終い」と二人が声を揃え宣言した時、狼も白豹も妙に勝ち誇った顔を浮かべていた。


 三月三十一日


 当の峰岸よりも、彼の恋人たる有希子の方が、儀式に対して過敏になっているらしい。此の兆候は宜しくない。儀式にはたった一つの憂いもあってはならない。有希子の緊張をどうにか弛め、(つつが)なく時を過ごし、其の日を迎えなくてはならない。必定、其れこそ峰岸と有希子の為になるのだから。

 そうして、儀式の準備を万端にする事こそ、私の役目である。

 しかし、こんな際に有希子に掛ける言葉を、私は持ち合わせていない。

 有希子は今日、得意のピアノを弾きながら、狼と白豹を相手に歌を教えていた。鍵盤から弾き出された音の粒が細かく連なって二重の音色を奏で、其れを下地に、三人の歌声が廊下を伝って屋敷内に広まった。曲目は次々移り、「きらきら星」、「グレゴリオ聖歌」、「オー・ソレ・ミオ」、「野薔薇」と脈絡なく続いた。彼女達の歌声は明朗と、春めく午後にささやかな色を足していた。

 が、ピアノを弾く有希子の顔は……確かに有希子は笑顔だった。心底から愉しそうに、狼と白豹と共に歌っていた。

 私は有希子のあんな笑顔を見た(ためし)がない。故に掛ける言葉を見失った。

 こんな際、人の口から出る言葉は無力だと熟々(つくづく)思う。胸に兆した悲哀を努めて無視しながら、其の上、儀式を執り行う狼と白豹に対して優しく、仲良くあろうと己を強いる有希子に、どんな言葉を掛けられる?慰みも励ましも、何も心配ないと説いたところで全て無意味。敏感になった心に、どんなに優しく触れたとしても、畢竟痛みを与えるだけだ。

 けれど儀式の日はやって来る。誰より峰岸が其れを望んでいる。

 実際、有希子が悲嘆する必要は全くない。が、理屈を言っても始まらない。幸い、日取りは未だ決まっていない。有希子の心が自然治癒するのを待つ時間的余裕は充分ある。今は唯、狼と白豹の歌声が、有希子の傷心を癒やしてくれる筈と信じる他にない。

 Röslein, Röslein, Röslein rot, Röslein auf der Heiden……

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