タルト・タタンの茎は飴色03
「花束渡したあたりだよな? ……ここか、ええと」
自分の手紙を読むだなんて何を言い出すのか、あっけにとられてとうとう振り向く。ドゥドゥは表彰を読む町長みたいにまっすぐ紙を掲げ持ち、赤い顔をして眉を寄せていた。
照れてるんだろうけど、たぶんしかめ面は文字が読めないからだ。ドゥドゥは字がへたくそだし、へたくそな字を読むのはもっと苦手なのだ。
咄嗟になんて言って止めればいいのかわからなくて、中途半端に持ち上げた手を握ったり開いたりする。そんなに、聞いてほしいの?
「──“それから、事あるごとにあなたの好きなものを見つけては働きアリみたいに運び、いまではきっとこの国の誰よりあなたの笑顔を見た男だと思います。細工師として身を立てられるようになったのも、あなたの笑顔を見たくて、あなたに素敵なものを贈りたくて、必死に練習した成果じゃないでしょうか。ほんとは本にあるように騎士を目指そうかと思ったこともあったのですが、あなたは泣くし、才能もありませんでした”」
ああ、よく覚えてる。騎士と令嬢の恋物語が流行って、女の子たちみんなが騎士に憧れて、さらにその年に領主様の息子が騎士になって挨拶をしたものだから、男の子たちまで流行が波及したのだ。ドゥドゥもみんなと同じように剣を習い始めて、練習でいつも怪我をしていた。
木剣であってもぶつかる音は鈍く響き、わたしはいつも怯えて目を閉じていたけれど、運動神経の良いドゥドゥに才能がないなんてことはなかったと思う。でも、出したままのペーパーナイフを見れば、細工の才能はもっとあったのだとわかる。
こんなに、あるいはもっと素敵なものを作りたいと思わせるような“あなた”にわたしが敵うわけがない。
その気持ちをきちんと包装し、素敵な贈り物にするのがわたしの役目なんだ、と思うと同時に、リボンや野花をくれたときのように、剥き出しのドゥドゥがやっぱりいちばん魅力的だとも思う。ただ気が進まないからなんて理由じゃなくて、宝石だって原石のままのほうがうつくしいことがあるのだ。だれかの、まだらに焦げた手料理に心動かされることが。
今までそう思ったときはあった。ただ、そういうときはお客さんの希望を聞いて、装飾の多いわたしにするか、ありのまま代筆してくれるひとを紹介するかと尋ねていた。こんなふうに口を出すのは幼なじみだからというだけじゃなくて、ありのままのドゥドゥを喜んでくれるひとであってほしいなんて願いが……ううん、わがままがあるからだ。
目を伏せて、ドゥドゥが聞けと言うならそうしようと思った。聞いて、覚悟を決めて、今度はきちんと話そう。口だけじゃなくて、ほんとうにそのままが良いと思うんだよ、って。
意に添わないわたしの考えが伝わったわけではないだろうけど、正面からがさりと音がして、続けて大きなため息。顔をあげたら手紙は机上で握られ、ドゥドゥは頭を抱えてる。
「ドゥドゥ?」
「ああ、うん。……おれはさ、ほんとは手紙書くつもりなんてなかったんだよ。食ってけるようになったら、フツーに口で言うつもりで。ウィマが代筆屋なんてやってなきゃ、手紙はいいもんだって言ってなきゃあ書かなかったと思う」
書いてて恥ずかしかったし。うまく書けないし、どうしたらいいのかもよくわかんねえし、と羞恥に塗れた声がする。
「気持ちがこもったものなら、いくらでも渡してきたつもりなんだ。形に残るものも、たくさん。でも、気持ちを伝えるものは渡してなくて」
うぐぐ、と唸りながら髪が掻き毟られる。
手紙は、伝えたい気持ちを形に残すものなんだよ、っていつか言ったわたしの言葉が、この二枚の紙を生んだんだ。手紙に込められた「伝えたい気持ち」は、伝わるために手紙になって、確かに相手に届く。送りたいから送るってだけじゃなくて、受け取ってほしいと願って。
もう一度ため息が聞こえる。ため息っていうより、深呼吸かもしれない。それからドゥドゥははっきり意思の込められた目でわたしを見たから。
「ウィマ。手紙の宛名は見ただろ」
「え、ううん。まだ途中までしか、」
「ウィマ・ソローニュ」
「うん?」
薄青が、深くに熱を孕んでいる。
「封筒にあっただろ? ウィマ・ソローニュ様。勘違いしてたみたいだけどその手紙は仕事じゃない。お前の言った通り、そのまま渡したんだよ。へたくそな字で綺麗な言葉も知らないけど、だからなんも素晴らしい出来じゃないけど、おまえに気持ちを伝えるためだけに書いたんだ。豪勢なのにはもちろん及ばないってわかってて」
椅子が押されて、ドゥドゥが立ち上がる。回り込まれ、しわのついた手紙が差し出された。
「ちゃんと読んで。で、返事だ。書くのが仕事のウィマには悪いけど書いてるのも待てないから、白いのなんて入れずに聞きに来た。」
ウィマ、読んで、なんて言うくせにドゥドゥの手はわたしの前から通り過ぎて、背中に回る。手紙だって背中に行ってしまった。わたしよりずっと、原石の価値も手料理の価値も知っていたひと。
手紙の宛名はウィマ・ソローニュで、だれか別のひとに宛てたものじゃなくって、だから、ドゥドゥは。
ふっと息を吐くと同時にぽろんと涙が落ちた。胸に詰まっていた重石が溶けて、温かくのぼってくる。突然のことをきちんと理解なんてしてない、ただ、ドゥドゥの恋文がわたしに伝えた気持ちを受け取って、彼の服を濡らした。
しばらく頭に寄せられた頬を感じて、ようやく落ち着いた。そっと鼻を啜って身体を離す。目の前には情けない顔、わたしも。
ふたり同時に噴き出して、にっこり笑って、包み紙のない贈り物を受け取った。
しわを伸ばしながらドゥドゥが読んだところを探す。無作法に床に座り込んで、背中は大きな身体に凭れた。揃わない文字を追いながら、冷静になった頭で不満を覚えて唇を尖らせる。
「花束だけど」
「ん?」
「初めてもらったの、二輪だった。しかも小さい花ふたつ。花束じゃなかったわ。」
「ああ、それたぶん違う。もっとあとのことだ」
それは贈り物じゃなくておみやげだったから、特別な気持ちはなかったという。じゃあ花束っていつのことかしら、と思えば、察しよく「覚えてないのかよ」と苦情が入った。
「まあ、みやげとして渡してた時もなんか見るたびにウィマが好きそうかどうか考えてたし。おれが意識したのがその花束の時ってだけで」
「んんん、そう言われるといつの話なのか知りたくなる……」
「いつでも良いだろ、いつだっておれはウィマばっかりだったんだから」
「その言い方はずるい」
いつか絶対に聞き出してやる、なんて手紙を読みながらしばらく雑談していると、ふわりと香ばしく甘い香りが漂う。いつも通りに戻ろうとするためとはいえ、あんな気も漫ろに作って、タルトには悪いことをした。
ちゃんとりんごも煮たし、ため息は振りかけちゃったけど、パート・ブリゼの生地も……ん?
なんだかひっかかるような気がして首を傾げる。そういえば、生地ってどう、……あれ? ええと?
作って、それからどうしたのか全く記憶にない。ドゥドゥのことに気を取られてたから無意識にやってる、と、思うんだけど。家を出るときに火を消したっけ、ていうのに似た杞憂、の、はず。「ウィマ?」と呼びかけるドゥドゥに返事もできないで、無言で立ち上がった。寝かせたはずの棚の上を、見る。
「っああああああぁ…………」
居ました。
背後に寄り添うひとも気にせず打ちひしがれる。全く手つかずのきれいな小麦色が、控えめな顔をして鎮座していらっしゃる……。なんてこと、と思って、じゃあ本来この子が居るべきところは、とはっとした。急いで鍋掴みを持って、まだ火の盛るかまどを開けた。
「うわ、あちち」
「ウィマ、ばか! 火傷する!」
ぐっと腕を引かれて後ろに倒れる。顔に、ぶわりと熱気が届いた。かまどの中には、じゅわじゅわ美味しそうな香りを放つ、ただの焼いた煮りんごが。呆然としていたら代わりにドゥドゥが取り出してくれた。
ようく焼けて、つやつや光るやわらかいりんご。
いくら見つめてもそこにあるのはそれだけで、しっとりサクサクの食感を生み出すはずのタルトはない。どこが「いつも通り」だったの。こんな、こんなミスをして……!
思わず顔を覆ったところで、ドゥドゥも事情を察したらしい。「あちゃあ」と笑み声がつらい。これはこれでうまそうだけど、って、そういう問題じゃないのよ。残されたパート・ブリゼの気持ちはどうなるのよ。うぐぐぐ、と唸ったら、大きな手が顔を晒させる。
「じゃあさ」
「うう」
「被せて焼こうぜ」
うん?
「そのタルト生地を上に乗っけてさ。パイ包みみたいに、そんでもっかい焼くんだ。ど?」
「でも」
「幸せを包み込むぞーって気でやったらいけんじゃね? やってみようぜ。おれが全部食うし。ウィマのタルト、まずかったことないだろ」
ううう、とか、でも、とかいう間もなくドゥドゥは寂しげに佇んでいたパート・ブリゼの生地を取って薄くのばし、煮えたりんごに被せてしまった。かくして、出たばかりのりんごは再びかまどに舞い戻ることになったのだった。
そして。
結論だけを言うと、ドゥドゥの発案で逆さまに焼かれたタルトは、それでもなんと、とてもおいしかった。
その事実に喜んだドゥドゥは「これはタタン夫妻のタルト、タルト・タタンだな!」なんて言ったけど、その名前はまだ受け入れていない。
野花にかわいいリボンを結んだ花束がなければ、タタン夫妻は生まれないからだ。
Tarte Tatin
鍋でりんごを煮ているときに焦がしてしまい、タルト生地で覆い隠したという話も。酸味の効いたクリームがしばしば添えられる。フランス、ソローニュ地方が発祥。
茎
「水茎」からタイトルに。水茎は手紙のこと。