タルト・タタンの茎は飴色02
一旦気を落ち着けて見れば、この封筒、煮えてきた林檎とそっくりじゃない? やっぱりドゥドゥは良い色を選ぶわ。流行りの言葉には合わなくっても、優しいドゥドゥと同じ色。
「ふふ、」
自然と笑みが溢れる。甘い香りの優しい気持ちは、苦味をスパイスにしても、甘い味でいられる。そっと手紙を取り出せば、二つに折られた紙が二枚。どちらも記入済みのようだ。
たとえ一枚ぶんの内容であっても……というか、何枚になろうと、手紙では「一枚白紙の便箋を入れる」というのが決まりのひとつになっている。返事を書いてくださいね、というメッセージらしい。
装飾を加えた文章は倍かもう少し長くなるものだから、便箋は六枚くらいあればいいだろうか。全く同じ意匠のもの、続き絵のような意匠のもの、相手はどちらを好むだろう。
つとめて嗅覚を意識して、ゆっくり呼吸していれば、涙腺も胸の奥も気付かないふりをしてくれる。煮えるりんごが、わたしに幸せの包み方を教えてくれるのだ。
一度行儀悪く手汗を腰のあたりで拭って、指先でそっと垂れた頭を持ち上げる。便箋は、無地の白に染められている。こんなの高かったんじゃないの、ドゥドゥ。二丁目のコリンなんてバゲットの包み紙に下書きしてきたのに、まじめなんだから。
からかう気持ちと同時、下書きさえ真摯に綴られる気持ちの先を羨ましく思う。
それからやっと、文面に目を走らせた。宛名はふつう最後にあるから、まだ、わたしは姿を紡がなくていい。
”
初めてこのような手紙を書くので、多く見てきたあなたには物足りないものになるかもしれません。
けれど、面と向かってあなたにすべて気持ちを打ち明けるのは気恥ずかしく、また、うまくまとめることはできないだろうと思いますから、こういった形をとらせてもらいました。
初めて会った日、私はきっとあなたのことをただの友人のひとりとして見ていたでしょう。手紙映えするような運命的な出会いも、衝撃的な感情も、ちっとも記憶にありません。けれど、気付けばあなたのことばかり考えるようになっていました。
いつか、花を渡したことを覚えていますか。
本で読んだのだと、あなたが頬を赤らめて花を渡す男を素敵だなんて褒めたから、私は本の男より素敵だと言われたくて精いっぱい野花を集めました。
けれど素朴な野花の花束なんて、豪勢なそれには及ばないものです。
本の男に勝手に負けを認め、私はあなたにその花束を渡しました。
そうしたら、あなたは驚いて、それから控えめにはにかんで、本の男へ向けるよりずっと可愛い顔をしたのです。
その笑顔が私だけに向けられるよう、私はずっと願ってきました。
”
そこまで読んで、一旦息を吐いた。悔しいのか悲しいのか羨ましいのか、目と目の間が熱くなってきたのだ。上を向いて、大袈裟に鼻をすする。いいなあ、なんでなの、知らなかったなあ、いろんな言葉が浮かんでは絡まって、複雑すぎて混乱する。胸はまだ痛まず、目頭のあたりで感情がぐちゃぐちゃに詰まっていた。
わたしの花は、「あなた」のついでだったんだろう。初めてもらったそれは、花束なんて言えないような、手のひらに乗る小さな花がふたつだったから。もしかしたら、「あなた」への花束を入れたかごの角に残っていただけだったりして。
それを後生大事にした押し花も、この仕事の終わりに捨ててしまおう。それとも、先に捨ててしまったほうがまっすぐ仕事に取り組める?
わたしはいつものこの仕事を、いつもの気持ちで終わらせたい。ごちゃごちゃしたものを、包み紙にしまってしまいたくない。深ぁく息を吐きながら机に額を預けた。
「幸せになってほしい」
いつもの気持ち、ただひとつ。瞼の裏に光が灯るよう、体の隅々に散らばる良いきもちがひとつにまとまって大きなものとなるよう、祈りにも似た気持ちで自分に聞かせる。
「幸せになってほしいんだよ……」
「誰に?」
囁くような声はもちろん誰に聞かせるためのものでもなかったから、驚きに任せて顔を上げようとして思い切り鼻をぶつけてしまう。
「っだ!」
「何やってんだよ、まぬけだなあ」
「ひどい……」
咄嗟に手紙を隠したことがなんの意味もなかったと気づいて、侵入者であり手紙の主である彼の名前を口にした。
「ドゥドゥ……」
ことのほか恨めし気になってしまったのは、まぬけだと言われたから、それだけだ。聞かれてもいない言い訳を用意して、じんじん痛む鼻を押さえる。戸口から半歩だけ身体を乗り出すドゥドゥは、ちらりと机を見、良い香りを放つ煮りんごに視線を留めて二歩目を進んだ。
「りんご?いいね、おれのぶんも?」
「今日のはあんまり、おいしくないかも」
「まずかったことないじゃん」
それはうれしいけど、なんてもにょもにょ言いながら、ドゥドゥがそのままいつもの席……つまりわたしの正面に腰掛けようとしたので、自然なふりして立ち上がる。
真正面から、なんて、さすがに話せる気がしなかった。
そのままりんごの様子を見に行くけれど、おいしくなるしかないはずなのに、いつものようにおいしくできたかどうかさっぱりわからない。
こんな香りをしてたっけ、こんな茶色だったっけ?
そろそろ煮るのは終わりだっけ、次の手順はどうだった?
タルトのことを考えようとするのに、そぞろな意識はドゥドゥにばかり向こうとする。おろそかになりそうな手元を必死に抑えつけると、小さく震えるのがわかった。声は、大丈夫。震えないで話せるはずだ。
「どうしたの、急に?」
「ああ、うん」
振り向かないままだけれど、かたん、と椅子の引く音で彼の動きがわかる。きっとあの薄青の瞳を木目に向けて、頬杖をついて顎を支えているのだ。つい一昨日に頬杖は顎に良くないって聞いたばかりなのにもう。
「これ、おれの?」
「そうだよ、そんないい便箋使っちゃうのなんてドゥドゥくらいだよ」
「そんなことないだろ、……で、読んだんだよな?」
紙が再び開かれる音を後ろに聞く。耳の奥がどくどく鳴って、吸った空気が乾いたまま肺を抜ける。言葉が頭を通らずに生まれてゆく。いつもの、いつものとおりに。それだけで勝手に手が動く。
「途中までね。花束渡したあたり」
「なんだよ、全然じゃん。そろそろ終わったかと思って来たのに」
「うん、でも、良かったらほかのひと紹介しようか? わたしじゃ役者不足かなって」
型を取り出して、りんごをそっと並べる。同じ向き、放射に円を描くように。それから煮汁も加えて、かまどを開けた。ああ、これはいい温度だわ。大丈夫。新しいことを考えなければ、身体は「いつも」を知っている。
泣いてるわけでもないのに、視界が震えてぼやけている。後ろでガタリと椅子が鳴った。
「はぁ!?」
厳しい声に震える肩はない。タルトをかまどに入れて、分厚い扉と共に耳を塞いでしまって笑う。
「あ、それか、そのまま渡したらどう? 封筒はあげるから好きなの選んでよ、その文章のほうがドゥドゥらしくて良いよ。やっぱり字はへたくそだけど」
「……。とりあえず、最後まで読め」
「読まなくてもドゥドゥだもん、変なこと書いてないって。便箋もいる? 書き直す?」
「いいから読めって!」
「心配しなくても、」
チッ、と舌打ちに言葉が切られた。頭の奥が痺れて、口だけが動いている。振り向くことも出来ず、ぱちぱち火の爆ぜる音だけがはっきりしていた。
「……じゃあおれが読むから、ちゃんと聞いてろよ!」
は?