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タルト・タタンの茎は飴色01




 伸ばしたパート・ブリゼの生地を棚の上に追いやって、かごから真っ赤なりんごを3つ。包丁で皮を剥いてからざっくり4等分にして、芯を取る。

 自分のためのものだから、すこしくらい皮が残ってても芯が残ってても気にしない。とにかく手癖で、無心にできる範囲で。

 砥いだばかりの包丁は、素直に動いて心に優しい。

 それから焦げの取れない使い込んだ鍋を竃の上に、バターと砂糖を目分量。

 お菓子はちゃんと計ったほうがおいしいっていうけど、この適量はりんごに聞かなきゃわからない。たぶん今日のりんごはきっと、いつもより少し甘くない。

 種火壺から火を熾して、あとはしばらく煮ていくだけ、というところになって吐いた息は、「ひといき」と呼ぶにはいくらか重すぎた。

 お母さんから教わったりんごタルトの作り方は既に身に付いていて、こういう「絶対にできること」は自分のやっていることに悩んだときに気を落ち着かせてくれる。

 とはいえ、今回はほんの少しも気を紛らわせられなかったみたい、とかまどにも火を入れ、振り向きざま卓上の封筒に目をやった。

 やらなきゃいけない、やりたくないこと。

 封筒の差出人はドゥドゥ、正しくはエドワール・タタンという名のわたしの幼なじみである。




 さて、この手紙の話をする前に、わたしの仕事について話したほうが良いと思う。


 わたしの仕事は、代筆屋である。それも、恋文専門の。

 昔は紙もインクも高かったし、文字を読めるひとも少なくて、こんな仕事は成り立たなかった。

 けれどひと昔前に王都の方で子どもへの教育に力を入れ始め、それから文字を読めるひとがとても増えて、また最近安くてきれいな紙がたくさん売られ出してこんな地方まで流通し出した。

 そんな折、流行りだしたのが恋文だった。

 聞くところによればどっかの商家の戦略だとか、洒落た先生が生徒に書かせて文字を覚えさせようとしたとか。なんにせよ、便箋選びのセンスはもちろん、「流麗な文字」と「知的な言い回し」を兼ね備えた恋文が書けることはもはや一種のステータスに。

 でもそんなにみんながちゃんとした文章もきれいな文字も得意なわけじゃない。

 だから、わたしみたいなそれなりの恋文代筆屋だって食べていけるのだ。

 だいたい仕事はお客さんに自分と相手の名前、あとは手紙の下書きを書いてもらう。下書きといっても、相手の好きなところを書いてもらうだけ。書けなければどこが好きか、わたしが聞き取ることもある。

 たとえばこう、「彼女の声が朝から煩くて目が醒める、でも彼女の声を聞くと元気が出る」。それを書き変えて、「朝告鳥は貴女の声に聴き惚れ、太陽さえ微睡を忘れ駆け抜けてくるでしょう。貴女に運ばれた幸運な朝は、私の元に輝きを伴いやってくるのです。」なんて。

 都会にならもっと素敵な言葉を紡げる作家がいるだろうけど、わたしにはこれが限界。例える女神にも詳しくないしね。



 で。


 ちらり机の上、渡されたまま未開封の封筒をまた見て見ぬ振り。

 火にかけたりんごを軽く混ぜて、未整理の白紙便箋の整理でもしようかなんて考える。便箋と封筒は基本は用意してもらうけど、有料でわたしの手持ちから選んで買うこともできる。

 なんて、こんなはなし、現実逃避だってことはわかってるけどさあ。だってドゥドゥの恋文なんてできれば作りたくないんだもの。


 さっきはただ幼なじみって言った彼、幼なじみの手紙もあんまり見たくないけど、それだけじゃない。

 ドゥドゥは昔から格好いいやつだった。


 昔わたしの体が弱くて、家の中にばっかり居て本を読んでたときのはなし。活発な子が多くて爪弾きにされがちなわたしに森のお土産として山のように花を摘んできてくれたり、お祭りのときはいちばんに誘ってくれたり。

 根暗だってばかにされたときも、ドゥドゥは代わりに怒ってくれた。

 風に飛ばされたお気に入りのリボンは代わりをプレゼントしてくれたし、雷に怯えたら手を握ってくれて、金継ぎ屋にいた犬のトビーが死んじゃったときも一緒に泣いた。

 昔だけじゃなくって、いまも、成長するに従ってきりりと上がった眉とか太い首とか、低くなってたまに掠れる声とか、晴れ晴れ笑う顔とか、外見も男らしくなってきて、かっこいいのだ。金物細工をしている彼の手はごつごつしていて、真剣な横顔はいつも汗を伝せている。


 そうだな、あの姿、手紙ならなんて言えるんだろ。


 なんて考えてるうちにふんわりバターの香りが風に乗る。立ち上がって、くるりとかき混ぜて火の調整。

 こんなわたしでもおいしくできるもの、おいしくなるしかないもの。いつでもちゃんとできること、って安心するよね。こんな、できるはずのことをやれないでいるときなんて、特に。

 とはいえ、慣れた作業にずっと気を回してもいられない。他の手紙もなければ、買い物に行かなきゃいけない用事もないし、「早めにやらなきゃいけないこと」はさっきからずっとドゥドゥの手紙ひとつだけ。

 甘くとろける香りに押されて、わたしを頼ってくれたドゥドゥの信頼を裏切りたくなんてないから、そろそろ決心することにした。


 さらりとした、薄茶色の封筒を手に取る。これはレイチェの雑貨屋の、ちょっと値の張るやつじゃないかしら。ドゥドゥってば、下書きにこんないいやつ使っちゃって。表にわたしの名前がなければそのまま使ってあげたのに。


 清書用の便箋は、どんなやつがいいんだろう?


 いつもは中身を見てから決めるのに、未練がましく想像でいくつか。

 きっと彼女は、すごく魅力的な女のコ。とびきり可愛い子、とびきり優しい子、とびきり元気な子、とびきり面白い子、とびきり頭の良い子、とびきり綺麗な子。

 どんな子が彼に似合うか、なんて、よくわからなくて、便箋コレクションからあれもこれも出しては首をひねる。どれも可愛いのに、ぜんぶ間違ってるように見えるのは、わたしがまだどんな女の子も嫌がってるせいなのかな。

 結局やっぱり手紙の中身を見ないと準備ができないってわかって、深呼吸。やると決めたらやる。

 躊躇う手を叱咤する。これは、「ドゥドゥの」じゃなくて、「お客さんの」手紙。気持ちを伝える手紙だ。

 勇気と気持ちをとびきりきれいな包装紙で包む、この仕事が好きだ。

 わたしのせいで、わたしの気持ちのせいで大事な贈り物が損なわれるなんてことがあっちゃいけない。深呼吸を続けられてるうちは、胸なんて痛くならない。

 いつものペーパーナイフは、わたしが初めてお客様の代筆をして、うまく恋が実ったときにドゥドゥがくれたもの。ドゥドゥがたくさんの花を彫って、ぴかぴかに磨いてくれたもの。

 それをそっと取り出して、そっけないくらいにさえ見える、彼らしい薄茶に慎重に刃を当てた。

 びり、び、び、と、ことさら丁寧に開いていく。刃のあたるほか、わたしのほかに傷つくことのないように。薄茶が余計に破かれてなんてしまわぬように。

 慣れた仕事は思った通りの直線で、右手の冷たさと左手のざらつきを共に机に戻す。気づかぬ間に止めていたらしい息を吐き出して、それから胸を膨らませると、とろり、甘い香りが充満していることに気がついた。

 一度立ち上がって、ことこと煮える茶色を優しく揺らす。こんな香りをため息にするなんてもったいない、全て飲み込んで口角を上げる。「いつもどおり」に、悩みなんて挟む余地はないんだもの。

 もう少し煮詰まったら、タルト用のパンを出して、それから。手順を考えながら吐いたのはため息なんかじゃない、吸ったから吐くだけだわ。こんなにおいしそうな香りと飴色を前にして、笑顔にならないひとがいる? ねえ、そうでしょウィマ、なんて自分に話しかけて笑う。

 憂鬱な気分を一瞬でも忘れる、この湯気にはその力がある。

 そんな力はいつだって、すぐ側にあるものなのだ。

 だから大丈夫、という言葉が今度はちゃんと芯を持つ。はりぼてだって、立ってられるなら充分上々。気を取り直して机に向かった。

 

 

 

 


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