クッサンドリヨンとシンデレラの空き家03
集まったのは十三人、ハイラムと女主人を合わせてこの屋敷には十五人が住むことになる。内七人が女、八人が男。
全員が肌着同然のボロを着て、まともなのは横の一人だけ。つまりこの、おそらく家令あたりの服をひとつ残して、一銭のために売りつくしたのだろう。逃げ出したとして咎めるものも居ないのに、なんとも見上げた忠誠心だこと。皮肉とともに七度目のため息を心の内に吐き出して、階段下の男女に近づくべく足をかけた。
むきだしの手足は細く、荒れている。彼らは近づくほど身体に力を込め震えた。エイトケンの扱いが知れるというものだ。ざっと見たが、痣はなさそうで安心する。手配の早いエイトケン抱えの医者では彼らを診やしないだろう。ただでさえ使える手駒のないメアリー、これ以上失われては困ってしまう。
予定していた後始末といえば、ほとんどが書類仕事だったけれども、それより急ぎ邸を廃墟から空き家に直さねばならない。書類仕事に使えない使用人であれ、窓を嵌めるくらいできるはずだ。
同じ床に立つと、ほとんどがメアリーより低い位置に頭があり、もともと下がる視線はさっと伏せられた顔と猫背のせいでさらに下げなくてはならなくなる。それぞれの顔を把握するのは早々に諦めて、持ってきたマジパンをそれぞれ三つずつ手渡していった。大きさによって、二つや四つにしたりもする。
「これは食べ物だから、食べなさい。今すぐ。あと私はメアリー・オルブライト」
それぞれに手渡しながら名乗る。怯え、驚き、戸惑うが、メアリーの声は命令口調と相性が良い。今すぐと言われればその通りに、慌ただしく口に含んで飲み込んだ。
アーモンドパウダーと糖蜜で出来たマジパンは甘い。
食べ慣れない味と食感に妙な表情をするのは男が多く、孤児院時代にたまに口にできた甘味を思い出すのは女だった。二つ目を味わうことは止めない。食べさえすれば良い。
残り全てをハイラムに渡せば、律儀にアーモンドを抱えていた彼はよろめいて両手が塞がった。これからやらねばいけないことを考える。まずは全員を身綺麗にさせて、邸を整えて。きっと町の立て直しまで手は回らない、任命された次期領主様に任せることにする。
若く、どこにも嫁げないようなこんな娘に、もともと大した期待が寄せられていようもない。中央だって仕事を始めるより、次期領主がすぐに生活できるよう整えることを期待していたはずだ。まさかこれほど荒れ果てているとは思いもよらなかっただろうが。
となると、必要なのは元手。髪飾りなんかを売っても二束三文、であれば、商売でも始めようか?八度目の溜息を数えて考える。オルブライトに借りようにも返すアテがない、家族だから無期限無利子など馬小屋行きの考えだ。
名代であれ領主だから、税の取り立てはできる。が、つなぎの彼女が大々的に披露目されることはない。最低限、そうか、最低限の顔合わせもせねば……。
貴族娘らしく他家に嫁げないとわかったときから、オルブライト領のどこかで文官仕事をするべく学んできたけれど、詰め込んだ知識と今では勝手が違う。心の内とはいえ少し控えよう、と思ったそばから九つ目の溜息を吐くことになった。
そのあたりは、もう少しあとになってから考えよう。メアリーは首を振って思考を奥に投げ、早急必要なことだけを浮かべる。まずは。取り急ぎ必要なのは、食料ね。
アーモンドにどれだけの栄養があろうと、粗食にさえならない。かといってアーモンドと何かを交換するとしても、物珍しさが良く作用するかどうか。とりあえずのところ、確実に換金できるものを持って交渉だけをしに行くことにした。
街中で、アーモンドを買い取る人間はいなかった。菓子店が多く、売主の身元がはっきりしているにも関わらず。これだから北はいけない、ただしく頭が固くて閉鎖的だ。加えてエイトケン家のせいで貴族の信用が落ちていることもあるだろう、彼の愚かな罪を取り入れた戯曲が作られるともどこかで聞いた。
路銀の余りで、いちばん安い小麦粉と糖蜜を買い込んで、すべてハイラムに持たせた。古い糖蜜がどこでも安く手に入った、りんごや卵を買うよりも。町を右往左往、ぐるぐる歩き回って買い物をさせると、もともと青白かった彼の顔が病人さながらにぐったりして、へたな貴族ならこの顔を見ただけでぶつわね、とメアリーは思った。だからといって荷物を分け合うことはない。せいぜい休憩をいれてやり、労いがてら例のマジパンを与えるくらい。目の前で子供が転んで泣いたので、しゃがんで助け起こしてやってから、それにもひとつ。母親がきっと縫った仕立ての清潔な服に、ふっくらまろい頬、固まらない髪の毛の土を払ってやる。
この地の生まれなら甘いものは食べ慣れているだろうに、頬を緩ませ微笑んだ。
「これ、なぁに?どこで買ったの?」
「私が作ったのよ」
「じゃあ、どこで売ってるの、お姉さん?」
ふむ。
ではもうひとつあげるわ、なんて心優しい人間ではないので、少しの間を置いてにっこりと笑った。気の強そうな顔立ちは笑っても自信に満ちて見える。ハイラムはその笑みにあまりにも邪気がないこと、彼の思う貴族の見せないあどけなさがあることに目を瞬かせた。
メアリーはこのあたりで最も安くアーモンドを生産している地域を考える。エイトケン領は物珍しさを嫌うが、甘味には緩むのか、それとも子供が柔軟なだけか。なんにしろマジパンは見た目も味もそれほど奇抜でなく、貴重な品とするより買い手が付くに違いない。
はしばみの黄色を濃くして、視線の交わる子供を撫でた。
「今は売ってないけど、もう少ししたら売るわ。お母さんに言っておいて頂戴、マジパンは美味しいお菓子だって」
うん、と返事を得て、背中を押して立ち去らせる。ハイラムにも充分休息を与えた。無言の帰路に男を従え、とりあえずの荷物を持ち帰る。ただし、ただのマジパンでは商品として魅力が足りない。もっと工夫をしなくては、それも、できるだけ良い印象を持たれるような。エイトケンは去った、正義が訪れるのだ、と示唆できたならば繋ぎの名代としては立派すぎるほどだろう。
幸い、いま「正義」のモチーフはわかりやすい。王家を連想させる、目新しいなにか。しばらく考えて、よたよた歩くハイラムをぐるり振り返った。青灰色が丸くなり、すぐさま地面に落ちる。メアリーは気にも留めない。
「あなた、エイトケンが捕まったときのことを見ていた?町の様子を?」
「ええ、いえ、」
「どちら」
「屋敷におりました」
「屋敷のことは見ていたの?」
「おいでなさったお姿は、あと立ち去られる、それ以外は上でしたので」
「それは全員?」
「見ていないものもおります」
「そう、まあ充分」
スカートをもう一度翻す。地面の影が揺れて、ハイラムが付いてくることを横目に確認しながら続ける。
大通りを離れると、サイズの合わない靴がかぽかぽ音を鳴らす。きっと歩きづらいだろう、それでもそれは後回しにするしかない。
「貴方から見て、どうだった?なにが印象的だった?リヨ様だったかしら、その、一団は。」
「え、ええと」
「思いついたものを言いなさい。なんでもいいわ」
「緑のクッションを」
「緑の?天鵞絨の?」
「はい、あの、クッションを。行列の先頭に担ぎ上げて、リヨの、リヨ様の物をなんだったか乗せて、そうして置いていった」
ああ、と頷く。部屋に置かれていた不釣り合いな高貴のことだ。
メアリーの知る彼の罪は、端的に言えば、その『リヨ』という人物の身分を認めず小鳥たちと同じ扱いをしたことで、そのリヨは今や王子妃になったという。何かを運んできた天鵞絨を忘れて彼女を連れ帰ったのだ。腰壁さえ剥がしても、王家のクッションに手は出せない。
緑のクッションか、と考える。ハイラムだけの印象でなければ、良いモチーフかもしれない。リヨのクッションを、マジパンで再現するのだ。
果たして、それは成功した。
エイトケン領の人間は王の使者を「緑のクッションを掲げた行列」と覚えており、目新しさに加えて目出度い話題として浸透した。このときメアリーは領主代理とは名乗らず、次期領主の部下だと自称したため、賛美は全て次期領主のものとなった。
当初は果物で味と色を付けていたマジパンも、利益が出るようになってしばらくすると、町の人間がより好むよう外に糖衣を付けたり、中にジャムが挟まれたりするようになった。
もちろん、利益のほとんどは屋敷を整えることに使われ、王命で移住してきた新たな領主は褒美として町に家をひとつ、それから希望する孤児らを与えた。
彼女は生涯誰とも結婚することはなく、最期まで付き添ったのは鼠のひとりだったという。
後世、この町に菓子を広めたメアリーの名は、どこにも残らなかった。
ただ、リヨのクッションと名付けられた菓子が最も多く売られるのが王国の使者が現れた日と違っていることに、誰かは気付いたかもしれない。
今ではその菓子は、「クッサンドリヨン」と呼び名を変えて、菓子店では色とりどりのクッションを見ることができる。
Coussin de Lyon(クッサン ド リヨン)
もっちりしたマジパンの外側は砂糖でコーティングされており、中心にはガナッシュが詰められている。ホワイトチョコレートやジャムが使用されたものも。フランス、リヨンの郷土菓子。
シンデレラ
「クッサンドリヨン」には一切関係ない。リヨは異世界人であり、この世界では異世界人を丁重に扱わねば重罪になる法律があるのだが、エイトケンはリヨの言葉を信じず破滅した。クッションにはリヨが証拠として見せた日本の物が乗っていた。
書きたいのが「NAISEI」じゃなく「お菓子にまつわる逸話」なので、メアリーの領主譚はこの世界のどこにも詳しく残っていません。おしまい。