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クッサンドリヨンとシンデレラの空き家02




 エイトケン子爵家は愚かで無知だったが、加減や外聞のことはよく知っていた。領民が逃げ出さない最大の税金、反旗を掲げられない程度の横暴。ひとつの重罪を除けば、国が手間を惜しむ程度の悪徳。

 首が回らなくなるほどの借金はみっともないので、削れるところを削り、裏金なんてものも受け取った。メアリーの居た地方まで、詳しいことは届かない。ただ貴族がこういうときに何を削るのか知っている。

 まず悪くなるのは使用人の待遇、それに耐えられる人間が居なくなれば逃げられない存在を拾ってくることになる。常識のあるこの国の貴族であれば、使用人の居ない屋敷に住むようなことはありえないのだ。どんなにわずらわしくとも、貧しくとも。

 そんなときに、見た目だけでも取り繕えるのが、孤児である。とくに力のない孤児だ。最低限の衣食住を賄えば、人前に出ない下働きの全てをやらせることができる。この家も、おそらく家令や執事あたりはまともな者──人間的にはどうかとしても──を使っていたのだろうが、他は孤児で賄っていただろう。

 帰る場所も、逃げる金も、何もない。貴族社会ではそういった孤児らを人とも認めず、女性ならば小鳥、男性ならば鼠と呼んだ。どちらも役に立たず、小さく弱い、害にさえなる生き物たち。

 メアリーはゆっくりと息を吸うことで、固まった男に六度目のため息を投げつけないよう気をつける。「とりあえず」強く吐いた息は意気込みなので、数字には変動なし。締め付けのないドレスの腰に手を当てて薄い胸を張った。


「とりあえず、生活用品は足りてるの?」


 家はまるごと空っぽだけど。はしばみ色の瞳を向けるとハイラムははっとしてまた床を見つめる。メアリーのはしばみ色は中心から放射に黄色ばんでいる。

 鼠や小鳥が人間様と視線を合わせるなんて、という貴族も居ることには居るが、現状使用人の長がそれほど縮こまった様子では問題もあるだろう。この家の使用人は、今は彼らしか居ないのだ。日傘を持ち歩くべきかもしれない、まるで鞭のように使うために。

 気を落ち着かせるために天鵞絨のクッションへ手を伸ばし、上を向いた金糸の刺繍が右下に来るよう直した。貴族でなくとも国民ならこの紋章の正しい向きくらいは覚えていてほしい。使用人長なら尚更だ、おそれおおい。

 ハイラムは木箱をちらり見た。そしてベッドと、クローゼットと、カーテンと。最後に自分の靴に戻る。


「オルブライト様にご満足いただけるとは思いませんが、最低限は」


「そんなことはどうでもいいのよ」


 不満足な返答に思わず叱責の声音が出た。

 メアリーの声は高くないが、よく通るそれはすぐにきつい色になる。今度は自分に向けて、六度目を数えた。意図して口調を和らげる。


「私が満足するかどうかは、どうでもいい。足りてるのかっていうのは、あなたたちのよ」


 一度言葉を切って、部屋をぐるりと見回した。そこらの宿屋のほうが、きっと内装は豪華だろう。貴族の常識からすると「ありえない」部屋。しかしベッドにはシーツがかかり、枕がある。甘やかされて育った裕福な貴族の子供でも、ここを寝泊りする場所だと認識可能なほどに整えられている。

 それは、どう考えてもおかしなことだった。

 メアリーは鼠や小鳥(孤児ら)を人間としか思えない。身分の差は確かにあるが、同じような見た目をして、通じ合う言葉を操るのだ。遠く遠くの国の、知らない言葉を話して肌の色の違うどこかの王子なんてのも同じ人間に数えるなら、ここまで似通った相手がどうして違うだろう?

 だから、は、と素っ頓狂に口を開けたハイラムの、乾いた髪を見つめる。きつい目付きは睨んでいるようでもあった。


「この部屋だけ家具が残っているだなんておかしいでしょう、どう考えても?」

「いえ、ええ、」

「誰だかが一切合切余すところなくいろんなものを持ち去ったあと、私が暮らすための諸々をどうにか手に入れたのね。いったい何をしたの?給料を払う人間も居ないのだもの、何かしらを売ったのでしょう?それであなたたちの生活用品はどうなったの。服は、食事は、上掛けはある?ここには何人が暮らしているの?」


 ぱち、ぱち、と男の目が瞬くのを見ていた。メアリーは確かに貴族の血が流れていて、エイトケン家とも遠縁だが、優美さのない父親は彼女を何度か馬小屋で寝かせた。そもそも、ただの貴族令嬢であれば一人で旅をすることもなく、名代の役を受けることもない。

 自分が変わっていると──特に好意的な意味をもってして──思いはしないが、言われたことならばある。それでなくても育った環境が違うのだ、ハイラムの知るエイトケン家(唯一の家)とは考え方も変わってくる。もっとも、彼が「貴族ならば」と一絡げにすると同様にメアリーもここの領民は頭が固くて閉鎖的と思っているので、そんな偏見もおあいこ。閉鎖的というのはメアリーの主観にすぎないけれど、だってそうでなければこの領地はいくらでも栄えることができたはずだ。王都の人気こそ白糖に押されているが、この町で腐るほど安く手に入る糖蜜シラップはまだまだ使い道がある。

 持ってきた旅行鞄は汚れているので、床に置いたまま中身を広げる。ぎゅうぎゅうの中から取り出したそこそこ価値のある細工物も、安く買い叩かれる覚悟でなら売れるだろう。メアリーは、他人の命より尊ぶ自分の持ち物をからだの内にしか持っていない。

 “一般的な貴族”は、小鳥や鼠を「他人の命」に勘定さえしないのかもしれないけれど。

 彼女の行動を手伝うでもなく、返答するでもなく立ち尽くすハイラムを放って、メアリーは道中着替えて汚れ仕舞った服を横に置き、大事に抱え込んだ急ぎの書状をこれまた床に積み上げて、ずっしり重い袋を取り出した。

 中身はアーモンドである。

 メアリーの生地、オルブライト領はアーモンドが特産だった。家族や領民からの餞別だ、故郷を懐かしむよすがではなく。おそらく木箱の中にも潜まされていることだろう。

 娘を厩で寝かせる父は、その種子が完全栄養食と信じている。メアリーも半分くらいは。だから、薄っぺらな横の男にそれをそのまま明け渡した。


「こ、れは?」

「食べ物よ。そのまま食べても炒ってもいいわ、とりあえずは。この家には今何人が住んでいるの?何羽何匹と聞いたほうがむしろ答えやすいかしら、つまり貴方以外の使用人の数よ。足りない必需品を揃えなくちゃならないんだから。」

「え、ええと」


 ハイラムはどうも鈍いところがある。教育によるものか、混乱か、はたまた青白い顔の空腹だろうか?

 なんでもいいが、とりあえず、メアリーはもうひとつ同じような探し物を見つけ出した。こちらは箱入り、アーモンドパウダーと糖蜜を混ぜたマジパンを、てきとうな形に丸められたものがぎっしり。ひとつ取り出して味が落ちてないことを確認すると、立ち上がってつまんだもうひとつを男の前にぶらさげた。


「口を開けて。食べなさい。」

「これは?」

「私が食べたのを見なかったの?」

「い、いえ。」


 そろりと手が伸びてきたが、そのまま口元に寄せるとハイラムは戸惑ったようにはしばみ色とそのかたまりを見比べ、それからぎゅっと目を閉じて口に含んだ。

 まずいわけがないために反応は見ない。箱は渡さず、横を抜けて廊下に立った。

 ふきぬけだらけのこの屋敷に、今彼女を遮れるものはない。あとからパタパタ大きさの合わない靴音がついてくるのに気を止めず、早足で中央階段まで戻った。歩幅はそう変わらないのに、ハイラムの倍は力強く早い歩みだ。

 そしてきりりと手を腰に、ため息でなく息を吐いて、へこませた肺を膨らませる。号令は父親仕込み。



「総員、玄関前広間に集合!身形は問わない!以上は命令とする!」






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