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クッサンドリヨンとシンデレラの空き家01

文章硬め。恋愛なし。異世界。


 メアリーは飾りのついた新緑の帽子を外すと、二つに分けて括った赤毛を崩さないよう控えめに頭を振り、代わりに大きな溜息を吐いた。目の前の屋敷にこれから住むことになるとは、信じたくなかったのである。

 玄関にはマットも、シャンデリアも、絵画のひとつも見当たらない。あるのは壁の四角い日焼けくらい。剥き出しの壁には腰壁も、それどころか正面の階段の手すりさえ削られた跡が見えた。この家の装飾らしい装飾は全て剥ぎ取られたかのようだ、いや、確かにそうなのだろう。

 片手を腰に当て、もう片手で頭を抑えたメアリーの態度は淑女としては不出来だが、この場には彼女の溜息に肩を揺らした従僕ひとりしか存在しない。彼の格好もどこか草臥れていた。

 おそらく。メアリーは思う。おそらく、きちんとしていた頃は綺麗な屋敷だったんだわ、ここも。しかし今では殺風景が過ぎて廃墟さながら。夜逃げした家だってせめて腰壁くらいは残っているに違いない。

 予想はしていたことだった。つまり、これ以上文句を言っても仕方がない。吹っ切るために肺の中から空気を一度追い出して、しゃんと背筋を伸ばすことにした。


「貴方が今この屋敷で最も責任ある立場なの?」

「左様でございます」


 従僕の男はハイラムと名乗った。責任ある立場と言うには、おそらく二十代だろうことが見て取れて、メアリーはもう一度頭を抱えたくなるのを我慢する。己も若いが彼も若い。

 目線が合わないように下に向けられた視線をそのままに、オリーブの髪に旅行鞄を指し示した。雇いの護衛はこれを玄関先まで運んで去った。メアリーは通常の令嬢ではないが、詰められるだけ詰め込んだその荷物を自分で運ぶつもりはない。

 ハイラムは素直に持ち上げたが、いささかひ弱な体躯はふらついた。落としたところでどうということもない、見なかったことにしてメアリーは案内のない不慣れな屋敷をとりあえず進む。

 こういった屋敷は、作りに大した差がつかないものだ。二階が主人の居住区だろう、装飾がなくなって不安定な手すりには触らず広い階段の中央に足をかける。廊下の窓にはカーテンのひとつもかかっていない。

 両手で荷物を持ったハイラムの足を横目で確認し、また吐きたくなった溜息を今度はきちんと飲み込んだ。




 メアリー・オルブライトは、この廃墟のような抜け殻の持ち主の、遠縁にあたる。本人にしてみれば縁などといっても短い糸を縒り合わせたような感覚だが、それでも糸は繋がってしまっていた。

 この家にはもともとエイトケン子爵という貴族が住んでいた。子爵は気の弱い男で、伯爵家から嫁いできた妻に逆らえず、また二人の娘にも同様で、稼ぎよりも荒い金遣いを許し、自らの領地に暮らす人々に次第に重い税金を納めさせるようになった。

 エイトケン領は、けして貧しい地域ではない。

 町ひとつふたつを有する程度の範囲ではあるものの、その町は王都への道すがらにあり、また糖蜜(シラップ)加工で名も知られている。税が重くなって貧富の差が広がろうとも、町自体が崩壊しなかった理由はそれだ。

 そのため不幸なことに、エイトケン子爵家が借金を重ねても国は興味も持たなかった。だが、エイトケン子爵がこの世から姿を消し、血縁のオルブライト家がこれからしばらくこの屋敷の主になることは国命である。法によれば、親戚に限って領主に相応しいか審議せずとも代理ができる、それが爵位なく貴族失格の娘であれど。

 エイトケンは、沢山の金と平民の命を無駄にするよりもっと単純で重い罪を犯していた。問答無用で極刑になるほどの罪だ。

 彼の罪についてここで詳細を語る理由はない。つまり重要なことは、正式に国から任命された領主がやってくるまで、メアリーが遠縁の代理に身辺整理を行わねばならないということ。


 階段を登りきると左右に廊下が広がるが、迷いなく右に。ハイラムはやはり一言も発さず、前を歩くよう教育された家令や執事と違って後ろを付いてくる。彼の靴は大きさが合っていないようで、荒らされた以上に老朽化した廊下がいやな音を立てていた。

 この国では主の部屋は上階の南東に置かれる。通りがかる部屋は扉まで無残に外され、部屋はすべて窓硝子が嵌っているだけましな有様。向かう部屋もどうなっていることやら。

 今度の溜息も飲み込んだところで、これから繰り返すだろうそれの数でも数えておこうかと考えた。とりあえず今は四回。人の姿が見えないが、がらんどうの部屋に積もる埃はないために使用人はまだ居るはずだ。

 姿のない彼らはどうしているのだろう。貴族の屋敷には使用人通路が張り巡らされて、きっとそこに居るに違いないが、後で尋ねなくては。メアリーが脳裏に書き記したところで廊下は突き当りを迎えた。最後の扉に主のための華美な装飾はないものの、扉らしい姿を保っている。ハイラムはやはり前に立たなかった。教育をすべきだろうか、メアリーは思いつつ自分でノブに手をかけた。白いレースの手袋が扉を押す。

 見渡した部屋には、貴族らしいところのひとつもない。

 安い麻のカーテン、四角に足がついただけのベッド。他と同様に絨毯も腰壁もなく、安宿の様相をしている。続き部屋の扉もあるはずだが、それはやはり外され、見栄えを気にしてか窓と同じカーテンがかけられている。

 運びこませた荷物は、指示どおり木箱のまま未開封で窓際奥に居座っていた。

 この部屋で、ただひとつ貴族らしいものといえば。メアリーはまつ毛の短い吊り目を眇めた。ただひとつ貴族らしいものといえば、ベッドの上で居心地悪げに佇む緑色の小さな天鵞絨ビロードクッションくらいだろう。

 そのうっとりする高級な四角のことはとりあえず気にしないことにして、頭の中の数字を五に書き換えた。


「さっぱり何もなくなったものだわ」


 まだ住人が居なくなって一箇月も経たない。

 髪をぐしゃぐしゃにするか、溜息を吐くか、それでなければ爪を齧りたいような気持ちを抱えながら、メアリーは平然とベッドに帽子を乗せた。旅行鞄はすぐ側に置かせた。ハイラムの爪は丸く短く、白い()と凹凸が目立つ。よく見ると袖の長さも違っている。

 彼は白い顔をずっと俯かせて、まだ眼の色もきちんと見せていない。しかし隣人の瞳の色を記帳する趣味のないメアリーにはどうでもよいことで、オリーブのつむじに向き合った。

 高さのある靴を履くと、メアリーは背の低い男性より視線が高くなる。ハイラムは華奢だったが、その点ではメアリーと同等の位置に頭を置いていた。


「家の中のものは根こそぎ、という感じね」

「申し訳もございません」

「持って行ったのは貴族でしょう。貴方達みたいな──貴方達みたいな、鼠や小鳥が反抗したら命に関わるわ」


 ハイラムの瞳が青灰色をしていることを、メアリーは早くも知ることができた。




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