風化
* * * 風化 * * *
そのうち福寿妹が手を振って去ってく。気温のせいもあってか、俺には蜃気楼が周りの殺風景な景色に溶け込んで消えたようにも見えた。
「急ぐ。速くしろ。」
茫然とながめていると、渉が俺の腕を引いた。
「お、おう。」
応じて駆け出そうとしたが、なにかが俺の動きを束縛する。
うざったそうに振り返ると、ゆらだった。ゆらが俺の裾を遠慮するような顔でつかんでた。
「ゆら、」
何してんだろ、と問いそうになった俺を見て渉が一指し指を立てて制し、目を見張りながらも冷静に俺達をトイレに押し込んだ。(ちなみに、多数決からすると、男子トイレ。)
「ここで何とやってる。」
腹の底から押し出したドスの効いた声で問うた。息を殺してはいるものの、眉間のしわは当社比四割り増しで十分に怖い。
「時の流れに身を任せ~♪ 辿り着いたのはNASA~♪」
古い、ゆら、古すぎる。化石の年齢ほど古いぞこりゃあ。
「とでも気楽に歌いたいんやけどな。往送ってからついてきたん。渉くん、病毒ちゃんとある?」
今までにない真剣な表情を浮かべ、渉と見すえた。
「福寿、どこまで知ってんだよお前は。」
第六感のような警鐘が鳴る。
渉が一歩引いた。もう一歩行こうとしたところ、個室の壁にぶつかった。
「なに、あなたに関係ないんとちゃう?」
邪悪な空気がせまい個室と満たしていく。さっきかいた汗がようやく引いてるのに、クーラーの寒さでは決してない冷や汗が背をつたう。
こんなふいんきは一生かけても克服できない。それなら進んで俺がKYにろうと思った頃、ゆらが口を開いた。
「で、渉くん。病毒持ってきたん?」
いつもの笑顔でゆらが聞いた。悪魔の尻尾を角を生やした姿として俺の視覚がとらえる。否、悪魔のような生ぬるいものではない。魔王だ。
「トロイなら、ここに...」
「ほな、落ちてた。」
ゆらがメモリを差し出した。
「落とした?」
怪訝そうに渉がつぶやく。
「ちゃうのか?この先行き不透明な宇宙であなただけのメモリがなくならん、なんて確信あるん?それにしても渉くん、珍しいの持ってるね。トロイなんて大昔の病毒なのに。」
「分かるか、ゆら君!」
瞬時に回復した渉が感動に顔をほころばせながら訴えた。
「あいさ、渉くん!確か二千年頃ので、名前はトロイの木馬のように知らずの内に侵入してるところがよう似とるんでついたらしいよ。」
ビシッと敬礼するゆら。ところでゆらは雑学知識が豊富、という設定を書いただろうか。まぁ、俺は物覚えが悪いから書いたかどうか忘れたし、今更また確かめるのは面倒だから、ここでもう一度言っとく。ゆらの脳は渉同様、(これからの人生で使えるとはとうてい思えない)知識が山積みになっている。
「さすが、よく知ってるな。どこぞの馬鹿はこんなこと説明しても理解できないからしゃべりがいがないんだよ。」
と蔑むような目でどこぞの馬鹿をチラッと見る渉。
悪かったすね、馬鹿で。というか俺もう、こいつらの話しについていく自信ない。こう考えた瞬間、渉が頭の中にヒョッコリと現れて、「お前は最初からついていけてないだろ。」と言った。
「どころで福寿君。」
メモリを指でクルクル回しながら渉が話題を変えた。
「あんたは何故僕達についてくる。」
眉間のしわ当社比二割増し。でも口元が若干緩んでる。
「単なる好奇心と...往のため、かな?」
「妹の?」
「約束したの。」
ゆらが、すごくきれいな標準語を話してる。
「やく、そく?」
「ううん、なにもあらへんわ。気にせんでええ。」
俺達が知るのを恐れて拒むようにゆらが変が方言に戻り、無理して笑顔を作った。
「トロイがバグったら、ここのシステム全部壊れて爆発する、なんてこともある。」
「いい、大丈夫。」
巻き込みたくない、とは口に出せなかった。渉も言ってはくれない。
「そうか。」
大きく息をついた渉が言った。
「行くぞ。」
「まぁ、三人集まれば文殊の知恵って言うしな。」
と俺が付け加える。
ああ、とこの時俺は気づいた。幼なじみのはずなのに、やっと気づいた。俺達は、特に俺は渉の「そうか。」という一言で救われてきたのだと思う。わがままも、悲しみも、嬉しさも、あらゆる感情をぶつけても渉はその一言で受け止め、包容する。関係ない気もするが、やっぱり渉は波乱の中を『渡る舟人』だ。
ゆらは由良の瀬戸のように広く、強い。往は文字通り行方も分からない。これからどうなるかなど誰にも分からない。こんな奴らを書く曽祖父好爺なんて、俺には無理だ。なにもできなくて、なにも言えない俺は、舵だ。舵としての役目も果たせず、絶えたかじだ。
「俺は舵かよ。」
渉が正に扉を引こうとした時、俺が言った。
「なにが。」
手を止める。
「いや、」
中は薄暗かった。青白い証明がただ点滅する。
「舵でもいいんじゃないの?」
「え?」
「舵は確かに舟人よりは重要じゃないかもしれない。でも、渡る舟人にとってはなくてはならない大切な相棒だ。」
「そういうもんか?」
「そういうもんだよ。」
渉がキーボードになにかを打ち込む。機械独特の発動音が部屋を振るわせた。
ゆらが時々提案する。渉が無言でうなずいたりする。
「メモリと差し込んだら以上が発覚する。発射まで後十五分だ。暴れろ。」
大きくうなずき、俺が敬礼した。どう暴れるのかなんて考えてない。でも背筋を伸ばして敬礼した。
「結局彼女も出来なかったな...」
何気なく不穏な言葉がこぼれる。
「それ遺言?」
「んなわけねぇだろ。俺は百五十までは生きるつもりだ。」
「そうか。」
それを聞いて、何故か安心する。
「行くよ。」
見えるのは、点滅する文字の羅列だけ。
記憶が一気に脳内で流れる。それらは白罌粟の純白の花弁のように一枚一枚風に、晩春の温い風に乗って散っていき、闇に紛れる。それに身震いして、全身鳥肌が立った。こいつらと夕焼け空を見る縁はあるのだろうか。帽子の影からのぞいたりするのだろうか。もし俺が百五十年生きるなら、死ぬ時、この記憶は風化する石のように霞むのだろうか、忘れるのだろうか。
渉がメモリを押した。
西暦三〇〇〇年、世界の人口は百五十億人を突破する。
人類は外界への移住を試みた。一年後、失敗したことが確認される。しかし報道はされなかった。そして残酷にも、再び外界へと人を送り続けた。
人間はやっぱり残酷で、最低で、頂点に立つとやがて自らの手で自分を突き落とす。でもそれを阻止するのもやはり自分で、その感情はなによりも大切でもある。
阻止する手がもし俺達でいれるなら、例えそれが風化しようと、俺らはそれで満足だ。




