Footloose Life 第10話 「小さなダンシングクイーン(1) 園長の思い」
Footloose Life、第10話です。今回から、ユキちゃんのダンスの物語が始まります。運動会で見せた、あの笑顔のダンスが、大きなステージにつながっていきます。この物語は、私の相棒でAI編集者のクロちゃんと一緒に作っています。
ダイナー「Footloose」の隣にあるロボット研究所では、美咲がいつものように研究データを確認していた。
新しいロボットの開発計画。部品の調達状況。実験スケジュール。
見慣れた情報をひとつずつ確認していた彼女の手が、ふと止まった。
画面の片隅に、地域イベントの案内が表示されていたのだ。
『第十二回ベイサイドダンスコンテスト』
年齢や経験を問わず、幅広い参加者を募集しているらしい。華やかなステージの写真とともに、応募方法や開催日程が掲載されていた。
「へえ……ダンスコンテストか」
美咲は何気なく画面をスクロールした。
そのとき、彼女の頭に、ひとりの少女の顔が浮かんだ。
施設の運動会で、ユキが見事なダンスを披露していたことを思い出したのだ。
「……ユキちゃん、どうかしら?」
思わず口に出していた。
あのときのユキは、音楽に合わせて楽しそうに踊っていた。走ることは少し苦手でも、ダンスになると表情が変わる。小さな身体いっぱいにリズムを感じているようだった。
もちろん、コンテストとなれば運動会とは違う。大勢の観客が見守るステージで踊るのだから、簡単なことではないだろう。
それでも、美咲は思った。
ユキが自分でも気づいていない才能を持っているのなら、伸ばしてあげたい。
美咲は少し考えたあと、端末を手に取った。
「まずは、園長先生に相談してみよう」
そう決めると、彼女は研究所を出た。
海から吹く風が、白衣の裾を揺らしていた。
* * *
施設の園長室は、以前と変わらず穏やかな空気に包まれていた。
窓辺には花が飾られ、壁には子どもたちが描いた絵が並んでいる。
「美咲さん、いらっしゃい。どうしたの?」
園長先生は、訪ねてきた美咲を笑顔で迎えた。
「実は、ちょっと相談があって」
美咲は端末を差し出した。
「こんなコンテストを見つけたんです。ユキちゃんに、どうかなと思って」
園長先生は画面に目を落とした。
そして、しばらく黙って案内を読んでいたが、やがて顔を上げた。
「……ユキに?」
「はい。施設の運動会で、ユキちゃんが踊っていたのを思い出したんです。とても楽しそうでしたし、動きもきれいでした。本人が出たいと思うかどうかが一番ですけど、何かに挑戦するきっかけになればいいなって」
園長先生は、画面をもう一度見つめた。
「そうね……あの子はダンスが大好きだから、チャレンジするのもいいと思うわ」
その声には、懐かしさと、ほんの少しの感慨がにじんでいた。
「でも、コンテストとなると、きちんとしたコーチが必要ですよね」
美咲が言うと、園長先生は小さく笑った。
「そうね。実は、あの子のために力を貸してくれそうな人を知っているの」
「力を貸してくれそうな人?」
「ええ。ただし、少しばかり厄介な話もついてくるわ」
園長先生は椅子に深く腰を下ろした。
「ジェミニとジャック。この二人のことは、知っているでしょう?」
美咲はうなずいた。
「二人とも、ここの卒業生ですよね」
ふと、美咲は壁に飾られた一枚の写真に目を留めた。
「壁のあの写真……もしかして、ジェミニとジャックですか?」
園長先生は写真を見上げ、懐かしそうに目を細めた。
「そうよ。二人とも、とても可愛かったんだから」
写真には、まだ幼い二人が並んで写っていた。肩を組んで笑っているジェミニと、その隣で少し照れくさそうな顔をしているジャック。
今の二人からは、なかなか想像できない姿だった。
ジェミニは、Footloose創業の立役者であり投資家、店の常連客でもある。そして、美咲を大学の研究所から引き抜いたのも彼だった。
口が達者で、底抜けに明るく、自分の頭のよさを隠そうともしない。金融街で成功を収めた、誰もが認める実力者である。
一方、ジャックについては、名前以外、詳しいことをあまり知らなかった。
「実はね……あの二人、昔は一緒にダンスをしていたのよ」
「えっ? ジェミニが?」
美咲は思わず聞き返した。
あのジェミニが、ステージで踊っていた?
少しばかり想像しにくい。
園長先生は、そんな美咲の反応に微笑みながら、ゆっくりと話し始めた。
「二人とも、とても素晴らしいダンサーだったわ。息もぴったりでね。あの頃の二人を見ていると、いつまでも踊り続けるんじゃないかと思ったものよ」
「それなのに、どうして……?」
「ジェミニは、ダンスだけでは生活していけないと考えたの。彼には、ほかにも才能があった。金融工学を学び、その能力を生かして金融街で成功を収めたのよ」
園長先生の表情が、少しだけ曇った。
「でもね、ジャックは違った。ダンスは、彼の人生そのものだったのよ」
やがて二人は意見がぶつかり、離れてしまった。それから何年も、顔を合わせていない。
美咲は、思わず息をのんだ。
「……そんなことがあったんですね」
「ええ。だから、簡単にはいかないかもしれないわ」
園長先生は窓の外に目を向けた。
その向こうには、子どもたちの声が聞こえる庭があった。
「でもね、美咲さん。私は、ジャックのことをずっと気にかけていたの。あの子が、もう一度心から笑うところを見たいと、ずっと願っていたわ」
そこまで話したときだった。
園長先生の瞳から、涙がこぼれ落ちた。
美咲は何も言わず、静かにその姿を見つめていた。
ジャックが今、どんな暮らしをしているのか。どれほどの思いを胸に抱えているのか。美咲にはまだ分からない。
けれど、長い年月を経てもなお、園長先生が彼を心配し続けてきたことだけは、痛いほど伝わってきた。
「ごめんなさいね。年を取ると、涙もろくなってしまって」
園長先生はハンカチで目元を押さえ、少し照れたように笑った。
「そんな……謝らないでください」
美咲は優しく答えた。
園長先生は、もう一度コンテストの画面を見つめた。
「ユキがきっかけになって、何かが変わるのなら……それは、とても素敵なことかもしれないわね」
そして、いつもの穏やかな笑顔を取り戻した。
「まずは、ユキに聞いてみましょう。あの子が本当に踊りたいと思うのなら、私たちにできることを考えましょう」
美咲は、うれしそうにうなずいた。
「はい!」
二人の胸には、まだ小さな希望が芽生えたばかりだった。
その希望が、かつて輝いていたダンサーたちの人生を再び動かすことになるとは、まだ誰も知らなかった。
* * *
その日の午後。
Footlooseの店内には、いつものように穏やかな時間が流れていた。
カウンターでは康児がグラスを磨き、シロはその足元で気持ちよさそうに寝そべっている。
ユキは店を手伝いに来ていた。テーブルを拭きながら、窓の向こうに広がる海を眺めている。
「ユキちゃん」
美咲が声をかけた。
「はい?」
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかしら?」
「もちろんです。どうしたんですか?」
美咲は端末を取り出し、ダンスコンテストの案内を見せた。
「実はね、こんな大会があるの。ユキちゃん、出てみる気はない?」
ユキは目を丸くした。
「えっ……私が、ですか?」
「うん。運動会のとき、あなたが踊っていた姿を思い出したの。とても素敵だったから」
「そ、そんな……あれは、みんなと一緒だったから……」
ユキは画面を見つめた。
きらびやかなステージ。照明。観客席。そして、たくさんの人々の視線。
想像しただけで、胸がどきどきする。
「私なんかが、あんなところで踊れるわけありません……」
「最初から上手にできなくてもいいのよ。大切なのは、ユキちゃんがどうしたいかだから」
美咲は、無理に勧めることはしなかった。
ユキはしばらく黙っていた。
本当は、踊ることが大好きだった。
音楽が流れると、身体が自然に動き出す。楽しい曲なら心まで弾むし、少し寂しい曲なら、胸の奥がきゅっとなる。
けれど、それを誰かに見てもらいたいと思ったことはなかった。
「……少し、考えさせてください」
やがてユキは、小さな声でそう答えた。
「もちろんよ」
美咲は微笑んだ。
「ゆっくり考えてね」
* * *
その夜、Footlooseの営業が終わるころになっても、ユキの心は決まらなかった。
ダンスコンテスト。
大きなステージで、ひとりで踊る自分。
考えるだけで怖くなる。でも、心のどこかでは、あのステージに立ってみたいという気持ちもあった。
「ユキちゃん、さっきから難しい顔をしているな」
カウンターの向こうで、ジェミニが声をかけた。
「あっ、ジェミニさん……」
「さては、人生最大の難問でも抱えているな? それとも、俺のような天才にしか解けない問題かな?」
いつもの調子に、ユキは思わず小さく笑った。
「実は……ダンスコンテストに出てみないかって、美咲さんに勧められたんです」
「ほう。ダンスコンテストか」
ジェミニの手が、ほんの一瞬止まった。
「でも、私、ひとりで踊ったことがないんです。ちゃんとした練習もしたことがないし……」
「なるほど。それで悩んでいるわけか」
ジェミニは腕を組み、少しだけ考え込んだ。
「ユキ。ひとつ聞いてもいいか?」
「はい」
「君は、踊るのが好きなのか?」
ユキは顔を上げた。
「……はい。大好きです」
その返事には、迷いがなかった。
ジェミニは、ふっと笑った。
「なら、挑戦してみる価値はあるんじゃないか?」
「でも……」
「怖いのは当然だ。初めてのことなんだからな。だが、やる前から諦めるのは、君らしくないと思うぞ」
ユキはしばらく考え、それから小さくうなずいた。
「……私、出てみたいです」
口に出した瞬間、胸の奥にあった不安が、ほんの少しだけ希望に変わった。
「よし、決まりだな!」
ジェミニは満足そうにうなずいた。
ところが、ユキはすぐに不安そうな顔に戻った。
「園長先生から聞きました。ジェミニさんも、昔はダンスがとても上手だったって」
「ジェミニさん……私にダンスを教えてもらえませんか?」
ジェミニの笑顔が、ぴたりと止まった。
店内に流れていた音楽だけが、静かに響いている。
「……俺に?」
「はい。ジェミニさんなら、きっと素晴らしい先生になれると思うんです」
ジェミニは頭をかき、珍しく困ったような顔をした。
「うーん……それは、ちょっと難しいな」
「そう……ですか……」
ユキの肩が、目に見えて落ちた。
ジェミニは慌てて手を振った。
「いやいや、君の頼みを断りたいわけじゃないんだ。俺よりも、ずっと適任の人物がいるんだよ」
「適任の人?」
「ああ。俺が知る限り、君にダンスを教えるなら、そいつ以上の人間はいない」
ジェミニの表情から、いつもの軽薄さが消えていた。
「ただし……少々、気難しい男でね」
「その人は、どこにいるんですか?」
ユキが尋ねると、ジェミニは窓の外へ目を向けた。
海岸沿いの道の向こう。街の明かりが、夜の海にぼんやりと映っていた。
「……ジャックだ」
その名前を口にするのに、ジェミニは少しだけ時間をかけた。
「ジャックさん……?」
「ああ。昔の俺の相棒だ」
ジェミニは、もう一度グラスに目を落とした。
「だが、俺とあいつは……長いこと会っていない」
* * *
翌日。
ジェミニは、ひとりで街へ向かっていた。
普段なら、どんな相手にも臆することはない。金融街の大物たちを相手に、軽口を叩きながら交渉をまとめることだってできる。
それなのに、今日ばかりは足取りが重かった。
目指すのは、街の外れにある小さなダンススタジオだった。
かつて、二人で何度も汗を流した場所。
扉を開けると、使い込まれたフローリングの匂いがした。
室内には大きな鏡が並び、隅には使い込まれた音響機器が置かれている。壁には、昔のダンス大会のポスターが色あせたまま残っていた。
そして、スタジオの奥にひとりの男がいた。
音楽を止めた男は、鏡越しにジェミニの姿を見た。
「……何の用だ」
低く、冷たい声だった。
ジェミニは、いつもの笑顔を浮かべようとした。しかし、うまくいかなかった。
「久しぶりだな、ジャック」
ジャックは振り返った。
昔と変わらぬ鋭い眼差し。しかし、その顔には、かつてのステージで見せていた輝きはなかった。
「何しに来た、ジェミニ」
「頼みがあってな」
「俺に頼みだと?」
ジャックは鼻で笑った。
「ずいぶんと都合がいいじゃないか。今さら、俺に何の用がある?」
ジェミニは、言い返さなかった。
ここへ来るまでに、何度も考えていた言葉がある。
けれど、いざジャックを前にすると、そのどれもが軽く思えた。
「ひとり、ダンスを教えてほしい子がいるんだ」
「断る」
即答だった。
「まだ名前も聞いていないぞ」
「誰だろうと同じだ。俺は、誰にもダンスを教えるつもりはない」
ジャックは背を向け、音響機器の電源を切った。
「話はそれだけか? なら、今すぐ帰ってくれ」
「ジャック……」
「ジェミニ」
ジャックの声が、わずかに低くなった。
「お前と話すことは何もない」
その言葉に、ジェミニは口を閉ざした。
ジャックは続けた。
「お前は、いいよな。他にも才能があってよ。今や金融街の成功者だ。一方、今の俺は、ピークを過ぎた冴えないバックダンサーだ」
ジャックの声が震えた。
怒りだけではない。悔しさも、悲しみも、そして長いあいだ誰にも見せなかった傷も、その声には込められていた。
ジェミニは、何も言い返せなかった。
自分にも言い分はある。あのときは、あれが最善だと信じていた。
だが、ジャックが何を失ったと感じているのか、今になってようやく分かり始めた気がした。
「……そうか」
ジェミニは、それだけを口にした。
ジャックは、再び背を向けた。
「帰ってくれ」
ジェミニはしばらくその場に立っていたが、やがて静かにスタジオを出ていった。
ユキの夢を叶えるためには、もう一度、あの二人を向き合わせなければならない。
そして、それは思っていた以上に難しいことだった。
つづく。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!
ダイナー『Footloose』で繰り広げられる賑やかな日常、いかがでしたでしょうか?
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