第1話「生徒会長と俺」
桜の花びらが風に乗って舞い落ちる。私立将門高校は、誰もが分け隔てなく尊重されることを理念とし、公平な教育を旨とする校風で知られていた。その評判に惹かれ、今年も多くの新入生が春の光に包まれた門をくぐる。
「すごい数の生徒だな……」
宅谷光国は真新しい制服の人波を眺めて早くもため息をついた。
「お~い、光国!」
「お、清じゃん!」
鐘江清は、鳶色の髪で爽やかな長身。お調子者で軽そうに見えるが、妙に世話焼きな部分もある光圀の幼馴染だ。
「なぁ光国、今年から男女共学って聞いていたけど、女子の数多くないか?」
「言われてみればそうだな。なんか俺達、目立ってるような」
「ということはオレらモテちゃう? 光国ちゃん誰かに取られちゃう??」
「やめろ清! くっつくな! 離れろ!」
微笑ましくもふざけ合う彼らだったが――このあと、とんでもないことに巻き込まれる。いやほんとに。なんかごめん。
体育館で入学式が始まった。整然と並ぶ新入生たちの前に立つ校長が学校の理念について滔々と語り始める。独特のリズムと低い声で語られるあまり興味深くない話に、新入生のみならず教職員も瞼をしわしわさせている。
「みつくに……おい、光国! 起きろよ」
清は小声で、隣の光国の肩をそっと揺する。眠りを堪える周りの生徒も若干迷惑そうな顔になる。
「あ、すまね。昨日あんま寝てないんだ」
「なにしてたんだよ」
「夜中に走りたくなってマラソンしてたら、家に帰ってから腹減って腹減って……」
「ほんと光国は無駄に元気溢れてんな」
「……というわけで、これからの学校生活を満喫して欲しい。以上!!」
校長の最後だけ気合の入った「以上!!」の声に二人はビクンとなる。
「続いて生徒会長の挨拶です」
一瞬で目覚めた二人の視界に、さらりと流れる黒髪とともに、一人の人物が壇上に登って来るのが見えた。思わず無言になる。まっすぐな姿勢。艶やかなロングヘア。涼しく整った顔立ち。スカートから覗かせるすらりとした足。いわゆる“完璧”というやつだ。光国は思わず呟く。
「すっげー美人」
「新入生の皆さん、入学おめでとうございます。皆さんの中には慣れない環境に戸惑っている人もいるかも知れません」
生徒会長は滑らかな声で切り出した。怜悧な表情の中に、新入生を見る暖かい眼差しに、新入生たちは瞬く間に魅了された。
「あれが噂の生徒会長か……」
「清、知っているのか?」
「私立将門高校生徒会長、滝又沙夜。去年、1年生で生徒会長に立候補し、2年の先輩を破って当選したって噂だ」
「1年で!? すご……」
またもやこそこそ話し出した二人を壇上から確認した生徒会長が、銘刀のような視線と喝を飛ばす。
「おい、そこのお前! さっきから私語が多いぞ!」
(え!? 俺だけ?)
横を向くと、清は瞬時に背筋を伸ばして関係ないふりをしていた。
(こいつ……裏切りやがった)
その後、新入生勧誘のクラブ紹介も終わり、教室で担任の挨拶がはじまった。
「皆さん、朝からお疲れ様でしたね。疲れてませんか? 私ちょっと疲れちゃいました。あまだ何もしていませんけどね。あでも貧血気味とかそんなんじゃなくて。貧血には朝からバナナを食べるのが良いとか言いますけど、あれって鉄分補給というより造血を助ける葉酸……あそんな話は別にいいですね。えっと今日からこのクラスの担任をします八百美邦子です。皆さん、どんどん私に頼って下さいね」
この挨拶を聞いて、生徒たちは逆に少し不安げな顔になる。
「もうお腹も空いた頃だと思いますし、バナナ……じゃなかったお昼ごはんの時間です。午後から授業について話しますね」
将門高校の入学式は朝が遅めなので、入学式の後はクラス交流を早く深めるために昼食を挟んで授業説明を行うのが通例だった。待ってましたとばかりに清が新品の弁当袋をぶら下げて光国の所へやって来る。
「お~し、メシだ、メシ。光国、お前弁当は?」
「うちの母親は夜勤だ。作らせるわけにはいかねーからパン買ってきた」
「そっか。じゃ俺の弁当わけてやろうか?」
「マジか! お前の弁当うまいからな」
清は中学校の頃から自分で弁当を作っている。その腕前はまあまあ味にうるさい光国も納得のレベルになっていた。和気あいあいと昼食を楽しんでいた二人だったが、突如、窓の外から挑発的な男の大声が聞こえてきたために会話を止めた。窓が面しているのは後者の裏手だ。
「勝負できないんだったら、俺達の勝ちだよな。おお!?」
「待って!部員が怪我したの!もう少し待って!」
「いいや待てねえ。俺達水球部が温水プールの使用権を貰う!」
「なんだなんだ?」
エビフライの尻尾を口から覗かせて光国が教室の窓から外の様子を見る。上半身に筋肉が集中した厳つい男子生徒が、気弱そうな生徒を大声で怒鳴りつけている。眼鏡と後ろで二つに纏められた三つ編みの大人しそうな娘だ。
「なんだ? 喧嘩か? どんな状況だ?」
「んーなんだろうね(モグモグ)」
一方的な雰囲気を受け取りつつ、入ったばかりの学校で起こったトラブル?に状況を測り兼ねている二人の耳に、覚えのある凛とした制止の声が届いた。
「待て! お前達!」
(げっ、あれは生徒会長!!)
人だかりがしていたせいか、様子を見に来たらしい生徒会長が風のように現れた。光国は思わず大事なエビフライを下に落っことしそうになる。
「なんだ生徒会長、邪魔立てするなよ。この学校のルールはアンタが一番よくわかってんだろう」
(ルール?)
「欲しいものを手に入れるため、学校許可の下、勝負する。勝てばそれを得る。ちゃんとお前たち生徒会の許諾書も持っているんだぜ」
そう、私立将門高校には「学園決闘統括制度」というルールがある。
生徒同士で揉め事が起きた場合、話し合いではなく“試合”で決着をつける。この制度はまず生徒が両者の言い分を書面に認め(メールも可)、生徒会に提出する。生徒会はその後許諾書を発行し、正式に勝負で決着をつけることを認めるのである。試合形式は自由。この試合に負けた者は必ず勝者に従わなけれればならない。そしてこのルールを守れないものは即退学となるのだ。
「わかっている。その許諾書にある通り、勝負してお前たちが勝てば、お前たちの希望どおり温水プールは好きに使っていい。しかし勝負が『無効』の場合は今まで通り隔日かプールの半分を使用してもらうぞ」
「いいや、こいつらは試合できるだけの人数を揃えられない。試合できる条件が揃わないのに書面を出しても勝負は『無効』だが、生徒会から許諾書が発行されてからの試合放棄の場合は、不戦勝で俺達の勝ちだ」
「な、何を言ってるの? 部員に怪我をさせたのはあなた達でしょ? 生徒会長……なんとかならないの?」
「試合の形式は、水泳部と水球部が100M×3人のリレーで競うものだったな。よし、雲野若菜。怪我をしたやつの代わりに私が出てやろう」
(たしかこの生徒会長、中学の水泳で全国大会まで行ったって清が言ってたな……)
滝又沙夜。成績優秀、運動能力抜群。学内wikiで功績が長々とリストになっていることを昼食前に清から聞いていた。
「え? 会長が出てくれるの? でも、試合をするためにはもう一人足りない……」
救い主の出現に喜ぶ間もなく、眼鏡娘、雲野若菜の声が曇る。
「なに、そうなのか。ふむ」
生徒会長はあたりにいる野次馬を見渡しながら、ある一点でふっと目を細めた。
「よし、お前、試合にでろ」
生徒会長が指した先にいたのは光国だ。
「え!!! なんで俺なんだよ~~~!」
「お前、今朝の入学式で目立って不真面目だったな。私の権限で退学にされたくなければ、大人しく言うことを聞け」
「なんだそれ! 生徒会長にそんな権限あるわけあるかい!!」
将門高校の生徒手帳には、その旨が当たり前のように記載されていた。
「あんのかよ……権限」
放課後、光国は借りた海パンに着替え、何故かプールサイドに正座で待たされていた。完全に野次馬な清が応援を飛ばしている。
「光国! 頑張れ! なんかしらんけど!」
「お、おう、清、俺頑張るわ!」
そのとき、水着の上に薄手のパーカーを羽織った二人が現れた。
場にいた全員の視線が集まる。パーカー越しにうっすら透ける体のラインが、やけに現実感を帯びていて――光国は妙に目のやり場に困る。頭の先から足の先まで、隙がない。
「……マジか。なにあれ、反則だろ」
気づけば、そんな感想が口から漏れていた。
綺麗なんて一言じゃ足りない。
むしろ――見てはいけないものを見ているような、そんな錯覚すら覚えるほどだった。
(う、間近でみるとすげーな……生徒会長、滝又さんだっけ。体の線とか髪とか、すんげー綺麗だな。水泳部の先輩、雲野さんだっけ? 小柄で可愛いなぁ。)
「よう、お前ら、準備はできたか? いいか、お前らが負けたらここの温水プールは俺達水球部のものだ」
水泳部の部長と部員二人は、既に勝ちを確信したかのように余裕綽々だ。
光国は多方面に若干気遅れしながらも生徒会長に尋ねることにした。
「ちょ、ちょっといいですか?」
「どうした、入学式おしゃべり男」
「(一緒に戦う仲間にこの態度……)気になっていたんだけど、水球部が負けたらどうなるんですか?」
「これをみろ」
生徒会長がずいと出してきた許諾書に光国は目を落とす。
『負けた水球部はその日からスカートで通学』
「俺達水球部が負けるわけがない。だからこの試合承諾したんだ。ははははは」
「あれ、ちょっと、その許諾書、よく見せて……」
僅かな違和感に、光国が言いかけたところで、黒縁眼鏡のかっちりした雰囲気の生徒が腕時計を見ながら宣言する。
「それでは試合を始めます! 試合を見届ける風紀委員です」
「もう時間だ。許諾書は後で見ろ。リレーの1人目はお前だ」
「って1人目かよ……先に言っておくけど、俺、そんなに水泳得意じゃないですからね!」
そう言いながらスターティングブロックに立とうとした。水泳経験も問わずに引き込んだからには、生徒会長も雲野もリレーに自信はあるのだろう。要するに人数合わせだ。
「お前、新入生らしいな? 相手が俺で運がなかったな。中学の時俺は県大会で優勝している。何処の馬の骨かしらないが、俺にはぜったい勝てないね」
隣のレーンで一人目の部員が格好をつけながら言った。ちょっとムッとした光国は思わず言い返す。
「やってみないとわかんねーぜ」
「それでははじめます!」
ピッ、と開始の笛を風紀委員が鳴らした。
(それ!)
飛び込み台から勢いよく飛び込んだ光国は得意のクロールで勝負に挑む。
(悪くない出だしだ! 水泳はあんま得意じゃないけど、運動全般にそこそこ自信あんのよね)
余計なことを考えている光国に清の声援が飛ぶ。
「がんばれ光国!!」
(負けても俺に損も得もないんだけど……なんだかあの生徒会長にいい所をみせたいんだよな)
その生徒会長からはなんだか覚束ない声援が飛ぶ。
「よーし、がんばれ! あと少しだ! えっと……名前なんだっけ? えっと」
光国だよ、とツッコミたくなりながら隣のレーンを見ると、水泳部員より若干遅れ始めている。なんだかぶくぶく言っているのが隣のレーンから聞こえてきた。
「ぶぼぼぼぼ、ぶぶぶぶぶ!(この勝負、俺の勝ちだ!)(意訳)」
(駄目だ、先にあいつがゴールしちまう!やっぱ勝てないのか?)
最後に少しスピードを上げることができた光国だったが、相手よりやや遅れて到着した。
「くそ! 生徒会長! 仇を取ってくれ!」
「承知した!」
光国の頭上をしなやかな肢体が空を刺すよう真っ直ぐに水中へ消えた。
そのまましばらく、心配になるくらいの潜水の時間を置いて、となりのレーンの男よりも先んじて水面に頭が現れる。
「すげえ、早い! いいぞ生徒会長!」
夢中になっていた光国だったが、上空を過ぎた艶めかしい生徒会長のしなやかな体を思い出さずにはおれなかった。しかしなにか違和感を覚えた。ふっと記憶を振り返ってみる。
(……あれ?上半身裸?生徒会長の水着、俺と同じ海パンだったような……)
冷静に考えている間もなく、あっという間にゴールした滝又沙夜。
「よし!いけ!若菜!」
「はい!」
薄手のパーカーを脱いでプールに飛び込む雲野若菜。光国と同じ海パンだ。
「あれ?」
ピピー!
笛の音が温水プール中に響き渡った。
「この勝負! 男子水泳部! の勝ち!」
大きな声援が止まらなかった。光国のところに第一の水泳部員がやってきた。
「お前には勝ったけど、試合には負けたよ。でもお前、結構ガッツがあるな。気に入ったよ」
「ありがとよ。俺はおめーが嫌いなままだけどな!」
彼はアバヨとばかり手を上げて、そして何かを思い出したのか、落ち込んだ様子で静かに去っていった。
(あいつ、これからずっとスカートだな……いや、それよりさっきからなんか変だ)
光国が承諾書を見直してみると、やはり「男子水泳部」とあった。
(・・・・・・・・・・・・・)
「よく頑張ったな。これで退学は免れたぞ」
濡れた黒髪をバスタオルで拭きながら、裸の上半身を覗かせる生徒会長がやって来た。思わずその体のあちこちを確認する光国。
「ほんとだった……」
現実を再確認していると、生徒会長に礼を言いながら雲野若菜もやって来た。二人は男の娘、だったようだ。正直、目のやり場に困る光国だった。うらやましい。うらやましい?
光国は視線に気づかれないよう努めて目を逸らしながら
「あ、いや~その……久しぶりだったからあんまりスピード出なかったですけど、練習してたらもっと……」
「え! そうなの!? じゃ、水泳部に入ってよ!」
若菜が目を輝かせて光国の腕を引っ張る。最初に感じた可愛らしい印象は全く変わらない。顔を赤らめる光国。
遠くから清が手を降る。
「お~い、光国!光国! あ、駄目だ、全然聞こえてない」
光国はまだ知らない。去年まで男子校である私立将門高校、今年の女子の入学者数はゼロ。
その後男子水泳部は、全員男の娘で構成される。全国民が注目するなか、オリンピックを目指すことになろうとはこの頃の光国も予想していなかった……
そんなこととは知らずにモテモテの光国を見て生徒会長が笑いながらこう言った。
「お前、面白いな。私と勝負しろ」
「え?」




