20.決死の戦い
闇の中を這いずる様な音がして瓦礫を掻き分ける様に進む音がする。シュルシュルと舌先を動かす音が耳に響いて、目の前の暗闇の中で得体の知れない気配が止まった。
「囲まれたぞ。ヘイダル」
「その様であるな。メネト殿」
一寸先は闇──。テフェルの光の結界の明るさでも見透せない。ヘイダルが前方に剣を構え、背中合わせにメネトが立っている。僕は光の結界の中に居るテフェルとイリスとアメルの様子を見ながら、拾った瓦礫を握り締めて立ち尽くしていた。
「来る……」
テフェルが詠唱を続け、イリスが金の十字架に祈る中、アメルが闇の中を見据えて呟いた。肌を突き刺す冷たい空気に鼻を突くような生暖かい臭いが混じる。剣を構えて立つヘイダルと黒いローブの懐に手を入れたメネトの動きが完全に静止していた。
(ヌルッ……)
思い掛けなかった。闇から突如として現れたのは、剣の切っ先だった。
「でぃやあぁっ!!」
(ギン!──ザクッ!!)
一瞬の閃光が走り、振り降ろしたヘイダルの剣が魔物の身体を斬り裂いた。ブシュッと青色の液体が血液の様に瓦礫の地面に飛び散った。
「危ないっ!」
ドン──!と、僕に体当たりをしたメネトの足もとで闇から伸びたトゲだらけの植物の蔦のようなものが蠢いている。ブワッと更に伸びて来たトゲの触手をメネトが僕を庇うように、背中を仰け反らせて躱した。
「ハァハァ……」
一瞬の油断が命取りになる。戦闘経験の無い僕は、呼吸を乱して息を呑んだ。ゾクリとして冷や汗がツーッと背中を伝う。ヘイダルが捌いた、闇からの最初の敵の攻撃に完全に気を取られていた。
「お兄ちゃん!」
結界の中に居たアメルの声が闇に響いた。その瞬間、巨大なミミズの様な生きものが闇の中からヌルリと口を開き、体液の様なものを撒き散らしながら光の結界の中に居る……イリスとテフェルとアメルの三人を襲った。
「アメルッ!!」
決死だった。僕は得体の知れない生きものに激しく体当たりをした後、握り締めていた瓦礫の塊を何度も生きもののヌメッた身体に打ちつけた。
「うおぉぉっ!!」
(ジュルジュル……ジュウ……)
魔物から飛び散った体液が僕の身体と光の結界に触れて、まるで溶解するように煙を上げていた。得体の知れない魔物はミミズの様な身体をズルズルと引きずり、闇の中へと姿を隠した。
「まずいわね……。強化した結界を溶かす魔物が居るなんて」
「絶滅した古代種の魔物でしょうか、イリス様。現代の魔物には……」
「キルスよ。強力な個体を復活させてキメラ化させているわ?」
結界の中の不安気な三人の視線が僕に向けられていた。服を溶かして肌を焼く火傷の様な傷跡が自分の目に映った。今直ぐ腰にぶら下げた小さな鞄から、アキハにもらった薬を取り出したかったけれど……そんな余裕は無かった。暗闇の周囲を警戒しながら見渡す。ヘイダルとメネトが背中合わせに立ったまま、元の体勢へと戻り微動だにしない。
テフェルが光の結界に手をかざすと、辺り一帯の暗闇が少しずつ剥ぎ取られて明るくなった。イリスが闇の中を見つめて金の十字架を握り締めると、赤い大きな魔石が輝きを増した。アメルの瞳が闇を貫くように見据えて動かない。
「クックックッ。バヌレフ様……いや、今はケストナー伯爵。先日喰った本物の伯爵の人肉は美味かったなぁ」
次第に暗闇の周囲が明るくなって行く最中、不気味な声が辺り一帯に響く。魔物の声にしては人間のように明瞭だった。
「くっ! 我が斬撃を受けても身体の組織を回復させるとは!」
剥ぎ取られた暗闇の影から露わになった三体の魔物──。ヘイダルの目の前には、真っ二つにブランと身体を切り裂かれた魔物がブクブクと組織をつなぎ合わせて立っていた。蛇の様な頭部を持ち亀裂の入った巨大な甲羅を背負っている。剣を携えた手と全身には鱗がびっしりと生えていた。
「こっちも明らかに変だぞ、ヘイダル。突然変異した魔物か?」
懐に手を入れたメネトが立ち尽くしたまま見つめている。攻撃の指示を待つように動かない魔物は、トゲだらけの四肢を瓦礫の地面に根を張るようにして降ろしている。獣のような身体には赤い表皮の下で血管が脈打っているのが見えた。顔はさながら巨大な人喰い花の様に開口し花弁をつけていた。
「う、うわっ! ヌルヌルしてる? き、気味が悪い……」
僕の目の前には──、さっきの巨大ミミズの化け物が居た。開口した頭部の先端がウネウネしている。体表のブツブツとした突起物だらけの粘膜からは、溶解する体液が溢れ出ていた。瓦礫の地面が溶けている。見上げると、三本の首が絡まり合って癒着し、一つの胴体を形成していた。
「ククッ。神の子のお坊ちゃんとお嬢ちゃんのお姿が拝めるとは? 神の肉ともあれば、さぞ美味かろうて。いやいや、他の四体の人肉も旨し。僥倖、僥倖……」
まるで、人間の様に言葉を巧みに話す魔物。時間稼ぎのつもりだろうか。ミミズの様な化け物の体液に侵食された傷跡が次第に痛みを増して来ている。その内に、ヘイダルの目の前に居る蛇と甲羅の化け物が元の姿に戻り復活をした。
「……頃合いか? 美味い料理には時間が掛かる」
ゴキゴキッと首を鳴らした蛇と甲羅の魔物が再び剣を構える。一瞬だった。その姿が消え失せたかと思うと刀剣が大蛇の様にヘイダルに向かって伸びた。
「ぬおぉぉっ!!」
(ギィィン!!)
地面から突如として伸びて来たトゲだらけの植物が、僕とヘイダルとメネトの足首に絡まり巻き付いて離れない。鋭く固いトゲが革のブーツを貫いて突き刺さった。足が痺れ始めて動かせない。
地面に倒れた僕の視界の中で、ヘイダルが化け物の刀剣を大剣で受け止めていた。その瞬間、足首に巻き付いたトゲの植物がヘイダルの片足を瓦礫の地面へと引きずり込んだ。……ヘイダルが片膝をついたまま地面へと倒れ伏してしまった。間髪入れずに次の斬撃が化け物からヘイダルに向かって振り下ろされようとしていた。
「ヘイダルっ! ぐっ!!」
ヘイダルのように瓦礫の地面へと片足を引っ張られたメネトが、仰向けになって倒れて叫んだ。瓦礫に背中を強打したメネトが身動き出来ずに居る──。
巨大なミミズの化け物が三本の首と口を上から降り注ぐ様に降ろして、身体をウネらせながら僕らめがけて襲い掛かって来た。
「レオル君!」
「お兄ちゃん!」
「メネトさん!」
「くっ! 喰われるっ!!」
──結界の中に居る三人の声を聞いた。僕は叫びながら、僅かに痺れ始めていた片手を全力で……手にしていた瓦礫の塊をミミズの化け物の口の中へと無我夢中で放り投げた。
(ボッ!!)
投げ入れた瓦礫の石が音を立て、ミミズの化け物の頭部を貫通した。損壊した頭部がダランと力を失くして口からは溶解の体液を垂れ流していた。けれど、頭部を破壊されたせいか、蛇の化け物のように復元されることは無かった。まだ残り二本の頭と首が苦しみに藻掻くように蠢いている。
「ヘイダル!!」
「ぐぐっ! メ、メネト殿。し、心配御無用である……。自分は鎧に身を包んでいるゆえ、化け物の歯牙は通らないのである!」
メネトの叫び声の直後、倒れ伏しながらも蛇の化け物の斬撃を受け止め振り払うヘイダルの姿を見た。足首に巻き付いた植物の化け物の触手を瞬時に断ち切り、ヘイダルが素早く地面から立ち上がった。そして、前方で剣を構えた蛇の化け物の胴体を──刀剣ごと振り払うようにして背中の甲羅ごと一刀両断。真一文字に横に斬り裂いた。
「ぐ、ぐぁっ!! ふ、復元が間に合わない……」
蛇の化け物の分断された二つの半身が瓦礫の地面に転がる。手にしていた刀剣がヘイダルの凄まじい剣圧に押されて何処かへと弾き飛ばされていた。
痺れて意識が朦朧とし始めた視界の中──、メネトが足首に絡まった化け物の触手を懐から取り出した小刀で切り離していた。けれども、僕の足首に巻きついたトゲの触手は身体全体を這い回って全身をグルグルと縛るように巻きついていた。……鋭く固いトゲが、溶解の体液で焼けただれ落ちた僕の皮膚に食い込んで行く。
「ぐあぁっ!!」
「レオル様っ!!」
駆けつけたヘイダルが僕に巻きついたトゲの植物を切り離した。メネトが僕とヘイダルの様子を見届けると、フラフラとしながらも……ゆっくりと立ち上がった。
「同じ麻痺毒を仕込んでいるとは。ハァハァ……やはり、敵も考えることは同じだな?」
メネトがローブの中に震える手を入れ、腰にぶら下げた小さな鞄から薬の小瓶を取り出してゴクリと飲み込んだ。
「くっ! ハァハァ……解毒の薬。やはり苦いが即効性がある。レオル様……今しばらくの辛抱です。このメネトが三体の魔物にトドメを刺します。その後になりますが、解毒の薬を……申し訳ありません」
フードから僕を見下ろして話すメネトが珍しく、眉をひそめて申し訳なさそうな表情をしていた。メネトの気持ちを受け取った僕は、残された力で何とかコクリと小さく頷いた。
次の瞬間──、残りの植物の魔物とミミズの化け物が僕とメネトとヘイダルをめがけて──、降り注ぐ雨のように触手と首を振り乱して上方から襲い掛かって来た。
「これだけ標的物が大きいと外すことはないな? 魔物ども! 地に伏すが良い!!」
……二体同時だった。前方へと振り向いたメネトが放った小刀のような飛び道具が二本──。魔物の身体の真ん中にズブリと勢い良く深く突き刺さった。仕込まれた麻痺性の強力な毒が瞬時に体内を巡ったのか、途端に勢いを失くした魔物の身体がその場に崩れ落ちた。
「ぬぅん!! レオル様っ!! メネト殿っ!!」
魔物の最期の足掻きなのか、開口した二体の化け物の牙が僕らへと降り掛かる。その瞬間、ヘイダルの大剣が稲妻の如く、魔物の頭部と胴体を斬り裂いた。
(ズズーン……)
切断された魔物の体液が降り注ぐ中、全身を金属の鎧に身を包んだヘイダルが僕とメネトを抱き締めるように覆いかぶさり──、溶解の体液の雨から守ってくれた。
(ジュジュ……ジュウ……)
瓦礫の石に覆われた地面が溶けていく。ヘイダルの鎧からも煙が上がっていた。全身が麻痺して行く感覚に覆われて僕の視界が暗闇に閉ざされて行く。酷い眠気に襲われた僕は、そのまま意識と感覚を失うようにして何も話せなくなっていった。それから、しばらくの間、僕の記憶は途切れた……。




