14.モレイラ街道
「気をつけてなぁ! 達者でなぁ! また、サリバドールに遊びに来るんじゃぞ! いつでも待っとるでなぁ!」
クムリのお爺さんとの別れは、少しだけ辛かった。久々に泣いた気がした。馬車に乗り込むと、クムリのお爺さんがいつまでも手を振っていた。僕もお爺さんの姿が見えなくなるまで手を振り続けた。サリバドールから馬車が遠ざかり、車輪が揺れる。その振動を感じながら村に置いて来たアキハのことを想った。
「また、会えるのかな……」
僕は馬車に揺られながらそう呟いて、サリバドールの村とアキハとクムリのお爺さんが見えなくなった空を見上げた。空は晴れていて森の小鳥たちの鳴き声が聴こえた。静かだった。
「なぁに、感傷に浸ってるの? お兄ちゃん?」
アメルの声が僕の後ろで聞こえた。振り返ると、澄んだ冷たい空気の中、アメルが傍で馬車の荷台に揺られながら毛布にくるまっていた。手をグーパーさせてから、何かを確認するように見つめていた。
イリスは馬車の荷台の奥でこの辺りの地図を眺めていた。それから、マグリットの精鋭たちが三人。イリスを囲むように座って黙っている。副団長のヘイダルと僧侶のテフェル、そして、魔法使いのメネト。僧侶のテフェルはアキハのお見舞いの時に会った気がする。女だ。黒服に顔のベールと胸の十字架にと苦手なものばかりだ。一昨日の女僧侶の嫌な記憶を思い出す。
「どうかなさいましたか? レオル様?」
僧侶のテフェルが、神様の本とか言うのを開けたまま僕を見て首をかしげた。可愛らしい声に似合わず、強い力を感じる。あんまり傍に近寄りたくない。
「レオル様は疲れておられる。回復の魔法で癒して差し上げてはどうだ?」
魔法使いのメネトが余計なことを言った。回復魔法のあの光は苦手だ。ムズムズして痒くなるし、くしゃみが出る。嫌だ。
メネトは、僕とアメルとイリスの契約の儀式を執り行った魔法使いだ。女だ。黒いフードをかぶり、口もとが仮面のように白い包帯で覆われていた。胸には銀のペンダントがぶら下げられ、星の形をかたどった真ん中には黒い魔石がはめ込まれてある。それに、気になる長い木の棒を持っている。先端には玩具の様な飾りが取り付けられていた。
「では、少々ジッとしていてくださいね? レオル様に回復の光を……」
「だ、大丈夫ですから!!」
「遠慮なさらずとも……」
「いや! いいですから!!」
アメルがクスクスと毛布にくるまりながら笑っていた。僧侶のテフェルが、また不思議そうに首をかしげていた。魔法使いのメネトは気にする素振りもなく、イリスが広げていた地図の上に手をかざした。すると、明るい光が射した後、光がしぼんで暗くなった。
「おおっ! メネト殿っ! 天候魔法ですかな? 初めて目にする!」
「ヘイダル……そんな、たいそうなものじゃない。イリス様、しばらくは晴れますが、日が沈む頃には雪が降るかと」
思わず兜を脱いだヘイダルが、巨体に似合わない小さな目を丸くして驚いていた。アメルが「占いみたいなものね?」と言うと「はい」とメネトは言い、かぶっていた黒いフードから顔を出した。やっぱり女だ。耳には青色に輝く小さな魔石をつけていた。
「雪か……あまり積もらなければ良いのだけれど」
イリスが心配そうに言って、顔からベールを外した。人間だけれど、アキハのようにイリスも綺麗な顔をしていた。
「お兄ちゃん? なに、イリスに見惚れてるの?」
アメルが毛布の隙間から横目で僕を見ると、その場にいた皆の笑い声が聞こえた。
「レオル君なら考えてあげても良いかな?」
「お兄ちゃんが王様になるなんて、向いてないよ? 私と居る方が幸せだよ、きっと」
イリスが髪を掻き上げてクスクスと笑った。アメルが毛布の中で、ぷぅっと、むくれて居るのが分かる。そんなアメルの様子を見て、また皆が笑った。
「ぼ、ぼ、僕は……あの、その」
父さんと母さんを思い出す。人間の勇者と魔族の女王──。身体が、カァッとなって熱くなる。寒いはずなのに、耳まで真っ赤なのが自分でも分かった。
さっきまで愛想のなかった魔法使いのメネトまで僕を見て笑っていた。笑った目が意外と可愛くて少しだけ安心感を覚える。すると、僧侶のテフェルもイリスのように顔のベールを外した。
「イリス様がお素顔を見せてくれたんですもの。私も素顔を見せますね。バレンテの街までこの六人だけですから」
真っ直ぐな視線がいかにも神様に仕える者、と言った感じだった。笑うとそれなりに可愛いのかも知れないけれど、やっぱり苦手だ。見てたら、鼻がムズムズして、くしゃみをしそうになる。だんだんと冷たい森の空気に寒さを覚えて、僕はブルッと身体を震わせた。
「さ、寒い……」
僕はガタガタと震えながら、アメルと一緒に毛布にくるまった。
「お兄ちゃん……温かいね?」
「うん。温かいね、アメル……」
森の道を馬車に揺られていると気持ちが良くて、アメルの体温を感じながらウトウトと眠りそうになった。
──あれから、どれくらいの時間が経ったのだろう。
僕は、馬車が急停車した振動を感じてハッとして目を覚ました。アメルも目を覚ましていて、馬車の外の森の様子を伺っていた。辺りには、雨あがりでもないのに濃い霧が漂っていた。
「滑昇霧──。バレンテの街から吹く風が、モレイラ山脈の斜面を這い上がって冷やされて出来た霧よ? 遠くから見ると雲が掛かっているように見えるわ? サリバドールの村から、かなり時間が経ったけど、まだまだ私たちは山の上に居るのよ」
「ハッ! 左様でありますか。イリス様は博識でありますな?」
「王宮に偉い学者さんたちが来て、毎日お勉強させられるんですもの。嫌でも覚えるわ?」
異様な空気──。ただの霧じゃなかった。瘴気とも違う。霧の中に紛れて得体の知れない空気が漂う。
イリスが僕らとヘイダルに話し終えると、イリスは胸から金の装飾が施された大きな十字架を取り出して、静かに目を瞑り両手で握った。中央には赤い大きな魔石がはめ込まれていた。魔力の増幅装置だろうか。神様のとか、そう言うのじゃない。
ヘイダルも脱いでいた兜を再びかぶり直し、座ったままロングソード──いや、大剣を盾のように突き立てていた。恐らくマグリットに伝わる、王国でも限られた名剣に違いない。剣気をビリビリと感じた。
僧侶のテフェルが神様の本を閉じて祈り、魔法使いのメネトは手に持っていた怪しげな杖を額に寄せた。
〝来るぞ──、マグリットの者たちよ……。我らが主君たちを討ち取りに……〟
何処かから聞き覚えのない不思議な声が聞こえた。森の奥からでもない……馬車の近くからだ。人間や魔族の出す声とは明らかに違った。
「スレイプニル──、魔物にしてマグリットの誉れ高き軍馬よ……。その大いなる魔力で、私たちと私たちの馬車を守り給え……」
イリスが手にしていた金色の十字架に魔力をこめて、何かと対話しているようだった。
〝……心得た──〟
──馬? 馬が喋った? いや、明らかに魔物の声だ。力の強い魔物は言葉を話す。知性もある。ただ、サリバドールの村を出る時に僕らの馬車を引いていた馬は、ただの馬だったはずだ。見間違うはずがない。そう言えば最初から騎手が居なかった。僕らだけだった。マグリット王国の軍馬ってことは、イリスと契約を交わした魔物なんだろうか。
(ピイィロロロロ……)
冷たい濃い霧が森の空気に漂う中……張り詰めたように美しい笛の音のような音が、鳥の鳴き声のように辺りに響き渡った。
「メネト殿。人では、なさそうですな?」
「ヘイダル……気を抜くな。命取りになるぞ」
イリスの隣で座っていたヘイダルが、大剣を突き立てたまま目を閉じてメネトに声を掛けた。魔法使いのメネトが棒のような杖の先端に魔力を込めているのが分かる。静かに目を閉じてヘイダルに答えたメネトの額には、十字の様な痣が浮かび上がった。
「面白そうな御方が来られたようですね?」
僧侶のテフェルが目を閉じて祈りながら笑みを浮かべた。テフェルの魔力が研ぎ澄まされて、身体が僕の苦手な神様の光に包まれている。僕は一瞬、くしゃみをした。そっと毛布の中で震える身体を抑えながらアメルの手を握りしめた。
「あ、アメル? だ、大丈夫なのかな? これって、魔物に襲われてるんじゃ……」
「お兄ちゃん、ワクワクするよね? 魔物って久しぶりだよね?」
ヒソヒソと……毛布の中でアメルと顔を見合わせると、アメルが嬉しそうに笑っていた。魔物は魔族の眷属で、イリスの様に契約で従わせる者も居る。けれども、魔物だって最初から魔族に従う訳でもない。誰かの使い魔なら尚更だ。ドラゴンの様に魔力の強い魔物なら、例え相手が魔族でも従わせるには骨が折れる。僕はアメルを守らなきゃいけない。それに、イリスたちも居る。キルスの時のことを思い出す。死なせちゃいけない。
その時──、深い霧の漂う森の冷たい空気の中で、鋭い魔物の甲高い声が響き渡った。人間の女の声よりも透明な歌声のように、それは聴こえた。
〝スレイプニル──、可哀想な魔物。こちら側においでなさい……〟
僕は、その魔物の声を聴いた瞬間、恐怖で身体が凍りついた。震えが止まらなかった。アメルの手を離さずに必死で耐えるのに精一杯だった。




