12.四人の駆け引き
「ハァハァ……急がないと、イリスが危ない!」
光る湖面──。あれは、鏡面魔法と呼ばれる空間と空間をつなぐ転移魔法の一種だ。かつて魔族たちが自分たちの分身体を使って人間たちの国に出入りしていたものだ。けれども、あの魔族の男が分身体なのか本物なのかまでは分からなかった。それに、アメルが倒したはずのキルスも居る。
「見たところ、どっちも本物っぽいわね? けれど、魔力制限が掛けられてる。相変わらずキルスの方は魔力を感じさせないし」
魔力制限──、つまりあの魔族の男にも魔力拘束具が使用されているのかも知れない。僕はアメルの手を引いて走った。もしかしたら、また、戦闘になるのかも知れない。けど、今度はマグリットの人間もジグムントの人間も沢山いる。屍人形たちまで居る。状況によっては、サリバドールの地がキルスとあの魔族の男によって、ジグムント側に制圧されてしまうのかも知れない。イリスの身が心配だった。
「んー。これは、逃げ出せるチャンスかも知れないけれど。イリスのお姉ちゃんとの契約が勿体ないしなぁ……。お姉ちゃんに死なれちゃ、勿体ないよね? 王都で美味しいものを沢山食べさせてもらって贅沢三昧しなきゃだよね? フカフカのベッドで寝なきゃだよね? お兄ちゃん?」
「あぁ、そうだよ、アメル? イリスに死なれちゃ、勿体ない! 逃げるのは、いつだって出来る!」
僕とアメルは走って、鏡面魔法が設置されている湖面の近くまで、なんとか辿り着いた。息が切れる。それから、ジグムントなのかマグリットなのか大勢の兵士たちの中を掻き分けて、キルスと魔族の男とイリスが居る近くまでやって来た。イリスの傍には、王国騎士団の副団長を務める大男のヘイダルが居た。
「こ、これは! レオル殿にアメル殿っ!! ど、どうしたのでありますかなっ?!」
「あ、貴方たち……どうして、こんな場所に? 村長さんのお宅でアキハと居たんじゃなかったのかしら?」
驚いたイリスとヘイダルの声に、キルスと魔族の男が、僕とアメルを見た。とても視線が恐ろしく感じられた。特に、魔族の男を目の前にしたマグリットの兵士たちの緊張感が凄まじく、僕にまで伝わるほどだった。
「おおっ! これはこれは。レオル様にアメル様ですね? つい先日はもう一人の私が、大変失礼なことを致してしまいましたね。なにとぞ、ご容赦に……」
そう言うと、キルスは頭の髪を後ろにやり深々と頭を下げた。今度のキルスは、丸眼鏡を掛けていた。やけに落ち着いた様子が、かえって不気味だった。
キルスの後ろに居た魔族の男が僕とアメルへと片膝をつき、額の角と頭を垂れて拳を地面に静かについた。
「お久しゅう御座います。レオル様にアメル様がご存命とは知らず。このシュナラザ、今はジグムント国の捕虜となっております。国を守れず真に申し訳ありませんでした……」
僕は、目の前の魔族の男がジグムントの捕虜だと聞いて驚いた。それに、名前を聞いても思い出せない。人間ほどじゃないけれど、魔族の者たちは沢山居た。
「皆、レオル様とアメル様の偉大なる母君であられる魔王アステラ様をお慕いしておりました。しかし、国は崩壊し離散。今となっては他の者たちが何処に居て、生存しているのかさえ見当もつきません」
僕は返事に困った。捕虜になったとは言え、今目の前にいる魔族の男──シュナラザを助けてあげることが出来なかった。けれど、魔族は人間を食べる習性がある。それは、母さんの持つ魔力でしか抑え込めなかった。
「いや、あの……その。ぼ、僕とアメルも捕虜っていうか、そのマグリットの人間たちと今は一緒に居て……」
僕は狼狽えながら足もとを見つめた。その時、隣に居たアメルが一歩前に出た。驚いた僕の目の前でアメルは、頭を垂れていたシュナラザの顔を覗き込むようにして屈んだ。
「シュナラザ? 顔を上げて? 今の私には、お母様ほどの魔力は無いわ? 助けてあげられない。けれども、見たところジグムントから酷い扱いは受けていないようね?」
「はい。契約にて魔力が限りなく抑え込まれております。なんら、普通の人間たちと変わりありません」
「そうね。もし、世界が平和になったなら自由に生きなさい。本来なら私たち魔族を縛るものなんて、何も無いんだから……と、言いたいところなんだけど」
アメルが、シュナラザにそこまで話すと、顔を上げて立ち上がった。フーッと息を吐いて辺りを見渡してから、アメルは空を見上げた。
「シュナラザ? 茶番じみたお芝居は、やめにしない? お母さんの魔力から解放された貴方たちは、とっくに自由を謳歌しているんでしょ? 貴方はジグムント側だけれども、私はマグリットと手を組むことにしたわ?」
アメルの言葉の後、顔を上げずに片膝と拳をついているシュナラザの後ろで、今まで黙っていたキルスが突然、笑い声を上げた。
「ハハ!! これはこれは、ご明察。流石はアメル様ですね? 我々の意図を容易く、いとも簡単に見抜くとは?」
「笑い声まで前のキルスと同じなのね?」
キルスが笑いながら拍手をすると、アメルが不敵な笑みを浮かべた。すると、一部始終を見守っていたイリスが僕とアメルの肩に手をそっと置いて、キルスへと口を開いた。
「奇遇ね? ジグムントは魔法科学のために魔力開発を推し進めているって言うじゃない? 黒幕が誰かは知らないけれど、あまりマグリットを舐めないで欲しいわね? レオル君とアメルちゃん──元魔王国の王子様と王女様は私の手中にあるわ?」
イリスが胸にかかる長い髪を背中に掻き上げて、キルスを見下ろすようにして話した。周りに居た人間たちが、ざわついている。顔に掛かるイリスのベールが風に揺れていた。特に、僕らを取り囲むように立っていたマグリット王国の兵士たちが騒然となった。口々に「……魔王。魔族の子……」と言い、呟いたその声とともに不穏な空気が漂った。
「おや? 私はジグムント国の天帝の命により、勅使として王子と王女を持て成すよう仰せつけられているのですが?」
すると、今度はキルスが丸眼鏡の中央をくいっと指先で押しやり、僕とアメルの方を向いて静かに笑みを浮かべた。
「あら? 取り引きは先行して成約させた方に権利があるわ? それに、この子たちの想いも尊重されるべきじゃないかしら? 数日後には王都マグリットに帰還して、丁重に私たちがお持て成しさせて頂くわ?」
僕は身を隠すようにイリスの背中の後ろ側へと下がった。イリスの背中には、自然と気品と勇気が溢れ、凛として感じられた。アメルはイリスの隣に並び、まるで妹のように胸を張って立っていた。
「ジグムントとマグリットの国家間における平和協定の条約を、取り消しになさるおつもりですか?」
「いいえ。私に、そんな権利は無いわ? 今までどおりよ? マグリットはジグムントと争わない。これは、私に先を越された貴方の責任じゃないかしら?」
イリスが腕組みをしながら、そこまで言うと──、アメルがクスクスと口もとに手を当てて笑い始めた。僕は、そんな状況が流石に怖くなってキルスの顔色を伺った。キルスは、魔族の男──地面に片膝をついたシュナラザの背に触れ、シュナラザの横顔を静かに見ていた。
「良いでしょう。私にも考えがあります。しかし、レオル様もアメル様もいずれ分かることでしょう。マグリットには居場所が無い。ジグムントは、いつでも貴方たちを受け容れる用意があります。このシュナラザさんの様にね?」
キルスに、そう言われると──、僕にも思い当たる節があった。
迫害……。さっきの石ころを投げて来た人間の子どもたちのことを思い出した。この場に居る兵士たちの様に、真実を他の人間たちも知ってしまったなら、マグリットには僕とアメルの居場所は無いのかも知れない。今のサリバドールのように。
僕が俯いたまま地面を見ると、沈默を貫いていた魔族のシュナラザが、そのまま静かに口を開いた。シュナラザの声に僕は顔を上げた。額に生えた二本の角と銀色に輝くシュナラザの瞳に、何故か恐怖を感じた。
「レオル王子、アメル王女。恐れながら、マグリット側に味方すればジグムントとの争いの火種になるかと思われます。ここは一つ我々とともに、ジグムントへ来てくださいませんか?」
シュナラザの纏う空気に、いびつな歪みを感じた。異様な違和感……。魔力制限が掛けられているはずなのに──。
「そう。埒が明かないわね? なら、私とお兄ちゃんはマグリットに連れ去られたことにするわ? 貴方たちも魔族の端くれなら、私とお兄ちゃんを奪ってみせなさい? 良いわね?」
「御意……。アメル様の御心のままに」
シュナラザが地面に片膝をついたまま、アメルを見つめながら話し終えると──。
「ぬあっ!!」
「え?」
(キイィィン──!!)
──イリスの隣に立っていた王国騎士団のヘイダルが、巨体の鎧から大剣を抜き……イリスの首もとに剣を突き刺していた。
「あ、あぁ……。い、イリス様、か、身体が勝手に」
大男のヘイダルの身体が硬直したように、ピクリとも動かない。しかし、それは振り抜かれた剣も同じだった。
「アメル様、お見事です。しかし、私は魔力制限下においても一日に一度程度でしたら、この様に魔力を……」
「奇遇ね? 私も同じだわ? 魔力拘束下においても少しくらいなら魔力を振るえるわ?」
イリスの足もとの影が、真上に針の様に伸びていた──。操られたヘイダルの大剣の切っ先が、イリスの喉元の下で……寸でのところで止められていた。
「おあいこかしら? けれど、先に痺れを切らせたのは貴方たちね? キルスさんって言ったかしら? 失態をこれ以上重ねては、貴方の国の偉い人たちに顔向け出来ないんじゃないかしら?」
イリスが、さらりと胸にかかった髪を耳もとに掻き上げ、微動だにせずにキルスを見て言い放った。
「もとより争わないつもりですよ? しかし、貴方はご自身とこの国の運命を変えてしまわれた。今日は、ほんの挨拶に来ただけです。飛空船の残骸回収の作業は、後任の者とイリス王女にお任せしますよ」
キルスがそう言と、シュナラザが立ち上がった。鏡面魔法が掛けられた湖面が光り、二人は湖の中へと消えてしまった。とてもじゃないけれど、生きた心地がしなかった。




