8.見過ぎ令嬢は憧れの令息の苦労を垣間見る
席に着いたクラウディアはモジモジしながら、まず先日の夜会で気絶してしまったことへの謝罪を口にする。
「フ、フロリス様。先日の夜会では突然意識を失い、大変ご迷惑をおかけしてしまって、誠に申し訳ございませんでした……」
「気にしないで。少々、驚きはしたけれど……君を抱き運ぶことができたから、むしろ役得だったかな」
「……っ! で、ですが、運ぶ際にその……お、重かったのでは?」
「いいや? むしろ羽のように軽かったよ」
ニッコリと王子様スマイルを向けられたクラウディアが耳まで顔を真っ赤になり、深くうつむく。
その反応にフロリスが楽しげに目を細めた。
「これでも一応、騎士として体は鍛えているからね。ましてや、クラウディア嬢のように華奢で小柄な女性であれば、余裕で抱き上げることができるよ?」
「きゃ、華奢だなんて……」
リップサービスであることは、もちろんクラウディアも理解はしている。
それでも嬉しさと恥ずかしさで顔が真っ赤になり、うつむいてしまう。
そんな会話が途切れそうな状況を察したラウールが、絶妙なタイミングで二人の前にお茶を出した。
「本日は、リグルス産の茶葉をご用意させていただきました」
「久しぶりだから懐かしいな……」
そう言ってフロリスがカップを手に取る。
辺境領の傘下である彼のシエル家は、隣国リグルスとの国境付近に領地を持つ。
今回クラウディアは、幼少期に彼が口にする機会が多かったリグルス産の物でもてなそうと準備したのだ。
お茶を口にしたフロリスが、昔を懐かしむように小さく息を吐く。
その優美な様子にクラウディアの目が釘づけになる。
「うん。この深みのある味わい……懐かしい。最近、実家に帰っていないから、とてもホッとするよ。クラウディア嬢は、普段からリグルス産のお茶を飲まれるのかな?」
しかし優雅なフロリスの仕草に見入って意識を飛ばしていたクラウディアは、ジッと彼を見つめたまま無言状態となっていた。
そんな彼女に苦笑しながら、フロリスが眼前で手を振って呼びかける。
「クラウディア嬢~、戻ってきて~」
その呼びかけで再びクラウディアが我に返る。
「も、申し訳ございません!」
「うーん、まさかここまでとは予想外だったのだけれど……」
困惑気味なフロリスの呟きに居たたまれなくなったクラウディアは不甲斐なさから、またしても深くうつむく。
すると、フロリスが下から顔を覗き込んできた。
「クラウディア嬢は、そんなに僕の顔が好き?」
あざとく首をかしげる彼の貴重な仕草にクラウディアは、歓喜で何かが出そうになって慌てて口元を押さえた。
その反応を面白がるようにフロリスが、にっこりと笑みを浮かべる。
「そんなに気に入ってくれてるんだ。ならば僕は両親に感謝しないといけないね」
「あ、あの、その……」
「でも、これからは顔だけでなく、僕の内面も好きになってほしいかな。そのために僕は君との交流を頻繁に望んでしまうけれど……いいかな?」
「是非よろしくお願いいたします!」
夢のような提案にクライディアが、被せ気味で返答する。
見事な即答ぶりにフロリスの目が丸くなる。
すると、飛びつくように返事をしてしまったクラウディアの顔が一気に赤くなる。
「も、申し訳ございません! その……あ、あまりにも喜ばしい申し出をされてしまったので、つい即答してしま……」
焦っていたからか、思わず本心が漏れ出ててしまったクラウディアが固まる。
かと思えば急に涙目になり、羞恥心をこらえるように口もとをキュッと引き結んだ。
その反応にフロリスはプッと噴き出したあと、満面の笑みを浮かべる。
「快諾してくれてありがとう!」
「~~~~~~っ」
あまりの恥ずかしさにクラウディアは、両手で顔を覆った。
そんな彼女をフォローするように再びフロリスが、甘い言葉をかける。
「そんなに恥ずかしがらなくてもいいのに……。僕としては、そういう可愛い反応は大歓迎だから、たくさんしてほしいな」
「かわっ……か、可愛くなんてないです! こ、これは淑女としてあるまじき反応で……」
「そうかな? 好きな人に『もっと一緒に過ごしたい』とお願いしたら、食い気味で即答されたら大抵の男は喜ぶよ? 相手を喜ばす会話術ということで問題ないんじゃないかな」
「す、好きな人ぉ!?」
「うん。そうでなければ、婚約を前提に交流を深めたいなんて申し入れはしないよ?」
テーブルに頬杖を突き、ニッコリ笑みを向けてくる彼はまたしても王子様オーラを放ってくる。
「あ、あの……そのことなのですが……」
「うん」
「本当に……婚約前提で?」
「もちろん」
「その、相手がわたくしなんかで……よろしいのですか?」
すると、ほんの一瞬だけフロリスが片眉をピクリとさせた。
その反応から不適切な質問をしてしまったと察したクラウディアが、慌てて補足する。
「あの、違うのです! フロリス様を疑っているわけではなく! あ、あまりにもわたくしにとって都合がよすぎるお話だったので、フロリス様が無理をされ――」
「クラウディア嬢」
「は、はい!」
先程までの笑顔をどこかに置き忘れたかのように真顔となったフロリスが、硬い声で続きを口にする。
「今、僕が気分を害した思って慌てているよね?」
「はい……。その、お気持ちを疑うような質問をしてしまい、申し訳――」
「違うよ。今、僕が不快に感じたのは気持ちを疑われたからじゃない。君が自分を卑下するような言い方をしたからだ」
「えっ……?」
「そんな言い方をされたら、君を好きになった僕はどうなるの?」
悲しげとも困惑ともとれる笑みを向けられたクラウディアは、思わず動きを止めた。
「君の自己肯定感が低いことは理解しているつもりだ。でも、あまりにもそれを前面にだされると、君を評価している人間は悲しい気持ちになる……」
「……っ!」
泣きだしそうな笑みで不快であることを訴えられ、クラウディアが体を強張らせる。
「きつい言い方をして、ごめんね……。でも僕は君に『自分なんか』という考え方はしてほしくない。少なくとも僕が君に好意を抱いていることに関しては、もっと自信を持ってほしいんだ」
「ご、ごめんなさい! で、ですが、本当にフロリス様の気持ちを疑ったわけでは……」
「うん。わかっているよ。でもあまりにも自分を卑下した言い方をされると、君を好意的に感じている人間が不快な気持ちになることは……理解してほしいかな」
「はい……」
兄クレストから散々「直せ!」と言われ続けてきた自己肯定感の低さだが、もう直しようがないと諦め、真剣には向き合おうとしなかった。
だが、フロリスからの言葉はクラウディアの心に深く刺さる。
過剰すぎる自己否定は、自分を好意的に思ってくれている人の気持ちも否定してしまう。
今まで何故そのことに気づかなかったのか。
それだけ自分の自己肯定感が低すぎることをクラウディアは、改めて痛感する。
そんな自分の不甲斐なさから涙目になり、思わずうつむいてしまう。
すると、フロリスが気まずそうにあることを確認してきた。
「失望……させてしまったかな」
「えっ?」
何のことを言われているのかわからなかったクラウディアが、ゆっくりと顔を上げる。
すると、切なそうな表情のフロリスと目が合った。
「今の訴えは『温厚で紳士的なフロリス・シエル』の言葉ではなかっただろう? でも本来の僕は、言いたいことはハッキリと言う人間なんだ……。特に自分のことをわかってほしいと感じる相手には。それ以外の人間には、どう思われてもいいから適当に笑みを浮かべてやり過ごすことが多いけれど」
フロリスのその言い分にクラウディアが首を傾げる。
「それ以外の人間……ですか?」
「例えば夜会などで僕に群がる令嬢たちとか。彼女たちは、僕のことを表面上でしか見ていないだろ? だから一方的に自分の理想的な男性像を僕に重ね合わせて、勝手に内面を決めつけてくる」
その令嬢の一人に自分も該当すると感じたクラウディアは、気まずそうに視線を落とす。
「でも一度だけ、あまりにもしつこくつきまとわれたことがあって。きつい物言いで令嬢を泣かせてしまったことがあるんだ。その時は騎士団長が令嬢宅まで謝罪する事態に発展してしまって……。以来、僕は彼女たちの理想像をなるべく崩さないよう振舞うことにしたんだ」
その話でフロリスに同情的な視線を向けたクラウディアは、先日の祝賀会で令嬢たちに囲まれていた彼の様子を思い出す。
絶え間ない笑みを浮かべてはいたが、どこか感情を置き忘れているような様子のフロリス。
同時に上司である兄が、率先して彼を令嬢たちから救い出していた経緯も察してしまう。
過去に責任者である騎士団長が謝罪しなければならない事態を招いた罪悪感から、フロリスは笑顔の仮面が外せなくなってしまったのだろう。
それがますます群がってくる令嬢たちを増長させ、悪循環に陥っている。
我が道を行く兄クレストが、珍しく部下に対して面倒見のよい動きをしていたのは、フロリスの過去にそんな出来事があったからだろう。
手厳しい兄でも、当時フロリスに起こった理不尽な状況は同情せずにはいられなかったようだ。
そんなクレストも婚約前は、多くの令嬢たちに群がられていた。
だが兄の場合、温厚そうな印象は持ち合わせていない。
令嬢たちも冷たくあしらわれることを前提に兄にアプローチをしていたはずだ。
だが、温厚な印象であるフロリスでは状況が変わってくる。
そっけない対応が予測できる兄と違い、穏やかな印象が強い彼が同じ動きをすれば、令嬢たちの心は深く傷ついてしまう。
彼女たちは『温厚で紳士的なフロリス・シエルは、けして女性を邪険にしない』という勝手なイメージを彼に抱いているからだ。
そのため彼に突き放されるような態度をされてしまうと、ショックが大きい。
そんな勝手な思い込みでフロリスの人格を決めつけている令嬢たち。
しかし自分も彼女たちのように自分の理想像を彼に押しつけていないだろうか。
そんな考えに陥ってしまったクラウディアは、今回新たな一面を見せてきた彼を改めて見やる。
今どきの若者らしい砕けた口調で話す彼。
夜会時では、あざとい仕草や策士的面を見せてきた彼。
意外にもハッキリと自分の意見を口にする彼。
それが令嬢たちの抱く『理想的な男性像』から外れた要素なのか、クラウディアには判断がつかない。
彼女にとって、フロリスを形成する全てが好ましいものにしか映らないからだ。
理想と違う動きをされたとしても、彼の新たな一面を知れたという喜びとしか感じられない。
そう考えると、彼女は本来のフロリスの姿にしっかりと目を向けているほうだ。
しかし、自分の理想像を彼に追い求めてしまっている状況も否定はできない。
「ごめん……なさい……」
思わず口からこぼれた言葉にフロリスが不思議そうに首をかしげる。
「なぜクラディア嬢が謝るの?」
「わたくしもフロリス様に自身の理想を勝手に押しつけてしまっていたので……」
「君は、ただ僕を見つめていただけなのだから、そんなことはないと思うけれど」
「ですが……自分の理想的な男性像としてフロリス様を見ておりました……」
「でも君は、さっき僕が厳しめなことを口にしても受けとめてくれたよね?」
「えっ?」
「僕が不快だと訴えたら、まず自分の発言内容を見直してくれただろう?」
「それは……実際にわたくしが口にした内容で不快にさせてしまったと感じたから……」
「でもね、大半の令嬢は『お優しいフロリス様に冷たくされた。悲しい』という反応をするんだ……。僕が優しく接しなければ彼女たちは、すぐに自分は被害者だと訴えてくる」
そう口にしたフロリスは、何かを諦めきったとうな笑みを浮かべる。
その様子から『紳士的なフロリス・シエル』は、彼がやむを得ず演じなければならなかったことが、痛いほど伝わってきた。
「でも君は違う。確かに僕を過剰に見つめていたとは思うけれど……。君は僕と目が合うと、申し訳なさそうにすぐに視線を外し、その日はなるべく僕の視界に入らないように徹してくれていただろう? それはジッと見つめては僕が不快な思いをすると思ったから、そういう動きをしてくれたんだよね?」
「た、確かにそうですが……不躾な視線を過剰にフロリス様に送り続けていたことは事実です……」
居たたまれない様子でうつむくクラウディアに、フロリスが柔らかい笑みを向ける。
「でもね、僕は君のその気遣いをとても好意的に感じたんだ」
「好意的……?」
「うん。だって殆どの令嬢が、僕の気持ちなどお構いなしに親密になりたいという自分の欲求を一方的に押しつけてくる中、君だけは違ったから……。控えめに好意を示してくる君の様子に僕はとても惹かれた。そして途中から、君に視線を向けられている時は、敢えて気づかないふりをすることにした」
そう言ってフロリスは悪戯めいた笑みを浮かべる。
「だってそうしないと君は目が合った瞬間、すぐに僕の視界から消えてしまうから。もっと自分を見つめてもらうには、気づかないふりをするしかないなかったんだよね」
「なっ……!」
茶目っ気たっぷりな様子でそう告げられたクラウディアが、またしても耳まで真っ赤になる。
そんな反応を見せる彼女に苦笑しながら、フロリスがゆっくりと口を開く。
「ごめんね、初の交流日にこんな重い話をしてしまって。でも、今話したことは、早い段階で君に伝えたかったことなんだ……」
どこか含みのある言い方をしてきたフロリスにクラウディアが、そっと目を合わせる。
「どうして僕が君を好きになったのか……それを伝えることはとても大切なことだと思ったから」
そのフロリスの言葉にクラウディアの心臓がドキリと跳ね上がる。
「でもかなり重苦しい空気になってしまったね……。次回は、楽しい雰囲気で過ごしやすいように外で会おうか?」
「外……ですか?」
「うん。一緒に買い物をしたり、美味しい物を食べたりして君との交流を深めたい。今回は一方的に僕のことについての話になってしまったから……今度はクラウディア嬢のことを教えてほしいな。例えば好みの食べ物やアクセサリーについてとか」
その瞬間、クラウディアの頭の中が『憧れのデート』という言葉で埋め尽くされる。
「どうかな? でもまだ外で会うことに抵抗があるなら、もう少し交流を深めてからでも――――」
「問題ございません! 是非、お願いいたします!」
またしても食い気味で返答してしまったクラウディアだが、嬉しさのあまり恥じらうことを忘れ、瞳をキラキラさせた。
その様子に驚くもフロリスは、すぐに破顔する。
「良かった! それじゃ、今からどこを回るか話し合おうか」
「はい!」
嬉々とした様子でクラウディアが、元気いっぱいな返答をする。
この時のクラウディアは、自分がいつの間にかフロリスと普通に会話ができていることに全く気づいていなかった。