7.見過ぎ令嬢は憧れの令息を招待する
リリィによる入念なドレス選びが行われてから二日後。
クラウディアは、エインフィート邸の中庭にある四阿でフロリスをもてなす準備をしていた。
「ねぇ、リリィ。このドレス、かなり子供っぽくないかしら……」
「はい。今回はその印象が強いコーディネートを敢えて組ませていただきました」
「どうして!?」
本日のクラウディアは、リリィが候補に挙げていたローズピンクのドレスワンピースに小さな赤い薔薇の造花が施されたカチューシャを身につけている。
その様子は、まさに社交界デビューを果たしたばかりの令嬢のようで、来年成人する淑女とは程遠い。
だが、リリィは敢えてそれを狙ったと主張する。
「よろしいですか、お嬢様。殿方というものは、女性の意外な一面に高確率で興味を引かれます」
「意外な一面?」
「恐らくフロリス様は、お嬢様に純情そうな印象を抱かれているかと思われます。今回はその印象をさらに強調するコーディネートにいたしました。ですが、次回は水色のドレスで落ち着いた雰囲気を演出する予定です。このように意外性のある印象を見せつけ、お嬢様に対するフロリス様の興味をさらに引くのです!」
「な、なるほど。でもわたくしで落ち着いた印象は、かなり難しいのでは?」
すると、リリィが心得ていると言わんばかりの笑みを浮かべる。
「ご安心を。落ち着いた印象は見た目のみでございます。内面部分では期待しておりません」
「リリィ、酷い!」
両手で握りこぶしを作り抗議してくる主にリリィがため息をつく。
小柄で童顔な彼女の幼さを感じさせる動きは、愛らしいとしか言いようがない。
世間では『あざとい仕草』と言われやすい動きを彼女は無自覚でおこなっている。
小言が多いが過干渉な兄、愛くるしい義妹をつい甘やかしてしまう兄嫁。
そして生まれた頃から娘にデレデレな両親という家庭環境だったクラウディアは、かなり伸び伸びと育てられ、あまり貴族らしくない令嬢に成長した。
爵位が高い家に生まれていたら問題視されるかもしれないが、幸いなことにエインフィート伯爵家は、そこまで格式は高くない。
何よりも男性受けのよい動きではあるので、縁談がきやすいという利点もある。
ただ現状、彼女の『無自覚なあざとさ』はフロリスにしか活用できない状態だ。
そんな主の状況にリリィが、残念な子をみるような目を向けた。
すると、クラウディアがしきりに前髪を気にするように触っていることに気づく。
「お嬢様。折角、整えたのですから、あまり前髪に触れないでいただけませんか?」
「だって……。いつもは下ろしているのに今日は横に流されているから……。それにこれではフロリス様と、すぐに目が合ってしまうから恥ずかしいわ……。どうしてこんな前髪にしたの?」
「お嬢様の淡くパッチリとした水色の瞳は大変美しいです。それを前髪で隠されていては勿体ないではありませんか」
「でも……これでは、あからさまにフロリス様を見つめることが出来ないわ」
「見つめるどころか、交流できるようになったのですから、その癖はいい加減に直しましょうね~」
「小さな子に言い聞かすような言い方をするのは、やめて! ただでさえ今日は少女のような服装なのに……」
不満そうに小言をこぼす主にリリィが真面目な表情であることを主張する。
「今回は『奇行が多い令嬢』というお嬢様の印象を少しでも『庇護よくをそそる小動物のような令嬢』に修正することが一番の目的です。このコーディネートであれば、お嬢様の奇行もフロリス様には、愛らしい動きとして映りますので」
「昨日からわたくしの扱いが本当に酷すぎる!」
「三年間も意中の相手を過剰に見つめ続けていただけでは、立派な奇行ではございませんか?」
「うぅ……何も言い返せない……」
クラウディアがいじけた様子を見せると、リリィは深く息を吐く。
「まぁ、奇行が多いとはいえ、お嬢様の内向的な部分に庇護欲をそそられる殿方は多いと思います」
「わ、わたくし、そんなに普段からオドオドしている?」
「はい。よく生まれたての子牛のようにブルブルと震えておりますね」
「せめて可愛らしい子鹿と言って!」
「子牛も可愛いですよ?」
そんな会話をしていると、年若いメイドが足早に二人のもとへとやってくる。
「お嬢様。フロリス様がお見えになりました。現在は執事のラウールさんが対応しておりますが、今からこちらにお通ししてもよろしいでしょうか?」
その瞬間、クラウディアはピシリと固まった。
主の様子に呆れたリリィが、仕方なく代理で指示をだす。
「ええ、お願い。それとラウールさんにお嬢様には心の準備が必要なので、なるべくゆっくりフロリス様をご案内するように伝えて」
「かしこまりました!」
リリィの指示に若いメイドは気合いの入った返事をする。
実は今回、邸の使用人の殆どがフロリスをもてなすことに気合いをみなぎらせていた。
皆、三年間も初恋を拗らせ動かなかったクライディアにヤキモキしているのだ。
『そのお嬢様がやっと動き出した!』
フロリスの来訪予定を耳にした彼らは、今一丸となって主の恋を応援したい衝動に駆り立てられている。
つまりクラウディアの恋心は、使用人たちの間でも知れ渡っているのだ。
そんな彼らの意気込みが、クラウディアにプレッシャーを与えてくる。
「み、みんな! そんなに気合いを入れなくても……」
「気合いも入ります! それだけ三年間もお嬢様が行動を起こされなかったことに皆、焦ったさを感じていたのですよ!?」
「うぅ……。邸中にわたくしの気持ちが知れ渡っていて恥ずかしい……」
「何を今さら。そもそもフロリス様にもお嬢様のお気持ちは筒抜けではございませんか」
「それを言わないで!」
「あっ、ほら。お見えになられましたよ」
リリィに促され、その方向に視線を向けると執事のラウールに案内されながら、花束と小箱を抱えたフロリスの姿が目に入った。
「リ、リリィ! フロリス様が花束と箱のような物をお持ちよ!」
「まぁ、一般的な貴族男性であれば、婚約を申し込んだ女性宅に訪れる際に手土産の一つや二つ、お持ちになられますからねー」
「ど、どうしましょう! まずお花は押し花にするとして……包装紙と木箱は、どうやって保存すればいいと思う!?」
「お嬢様。その発想はとても変態じみているのでおやめください」
「今日もリリィが辛辣すぎる……」
そんなやり取りをしていると、フロリスが四阿に足を踏み入れていた。
だが、クラウディアの姿を目にした途端、驚くように動きを止める。
クラウディアのほうも貴重なフロリスの私服姿に目を奪われてしまい、二人は無言で見つめ合う。
その状況を取り繕うように執事のラウールが軽く咳払いをした。
すると先に我に返ったフロリスが、にっこりと笑みを浮かべて挨拶をはじめる。
「クラウディア嬢、お久しぶりです。本日はお招きいただきまして、ありがとうございます」
しかしクラウディアは、フロリス観察に夢中になりすぎて意識を飛ばしていた。
「あの……クラウディア嬢?」
「お嬢様! お戻りくださいませ!」
意識を飛ばし、無自覚に非礼な態度になってしまっている主にリリィが一喝するように声をかける。
すると、我に返ったクラウディアが慌てて歓迎の意を伝えようとした。
「こ、こちらこそ! 本日はお越ちいただき……」
その瞬間、クラウディア以外の全員が心の中で『あっ、噛んだ』と呟く。
そんな周囲の心の声を察してしまったクラウディアは一瞬で顔が赤らめ、羞恥に耐えるようにドレスワンピースの裾をギュッと握りしめる。
「お、お越しいただき、誠にありがとうございます!」
なんとか言い直すも、あまりの恥ずかしさに両目をギュッと瞑ってしまう。
その状況から、主の限界を感じ取ったリリィが仕方なくフォローに入った。
「フロリス様、大変申し訳ございません……。主はこの日を心待ちにしすぎたせいか、本日も奇行が目立つかと思います。ですが、寛大なお気持ちでご対応いただくようお願いできますでしょうか」
「リ、リリィ!」
主に対して容赦ない侍女の言葉にフロリスが噴き出す。
そんな彼の貴重な表情を目にしたクラウディアは、一瞬で羞恥心を忘れて凝視する。
この時の彼女の心境は『今、この瞬間を全て目に焼きつける!』であった。
そんな奇行に走り出した主を咎めるようにリリィと執事のラウールが再び咳ばらいをする。
すると、クラウディアがハッと我に返る。
「お、お見苦しいところをお見せいたしました! そ、その……どうぞ、おきゃけくらさい!」
またしても噛んでしまった彼女は、羞恥心に耐えきれず両手で顔を覆った。
フロリスのほうも堪えきれなくなり、笑い崩れる。
「くっ……はっ! も、申し訳ない! あ、あまりにも意表を突かれたというか……ふっは! あはははははは! ダ、ダメだ! か、可愛すぎる!」
「か、可愛い!?」
前屈みになり、涙を浮かべて爆笑するフロリスの様子にリリィとラウールが苦笑する。
対してクラウディアは、先程フロリスの口からこぼれた衝撃的な一言でカッと顔を赤らめ、興奮気味にリリィの袖をグイグイと引っ張った。
しかし、優秀な侍女はそんな主の興奮を一瞬で鎮める一言を耳元に囁く。
「お嬢様。世間では『珍妙な』という意味合いでも『可愛い』と表現することがございます」
すると、冷静さを取り戻したクラウディアが一瞬で表情をなくし、迫力のない睨みをリリィに送る。
そのやり取りが、さらにフロリスの笑いを誘発させた。
そんな三人の様子を微笑まげに見守っていたラウールが、フロリスが手にしている物に目を向けながら遠慮がちに声をかける。
「フロリス様、そちらのお品物は……」
「おっと、これは失礼。本日はご招待にあずかりましたので、手土産をご用意いたしました。気に入っていただけると嬉しいのですが……」
そう言って高級そうな木箱をラウールに渡し、花束をクラウディアへと差し出す。
「よろしければ受け取っていただけますか?」
フロリスの甘い微笑みに見入ってしまい、またしても停止するクラウディアだが、リリィの咳払いですぐに意識を取り戻し、花束を受け取る。
「マーガレット……」
その花束は、クラウディアの好きな白とピンクのマーガレットで組まれていた。
するとフロリスが、きまり悪そうな表情を浮かべる。
「実はクレスト副団長より、クラウディア嬢の好きな花を事前に教えていただきまして……。ついでに言うと、その木箱の中身もある店の焼き菓子が入っております」
その話で木箱に視線を向けると、見覚えのある焼き印が目に入る。
「もしや……予約が殺到して、なかなか手に入らないルルーシェの?」
「はい。その店で大人気のマカロンです」
すると、クラウディアの表情がパァーっと輝きだす。
その反応に満足するようにフロリスが目を細める。
「クラウディア嬢は、この店のマカロンに目がないと副団長からご助言をいただいたので」
片目を閉じて悪戯めいた表情を向けてきたフロリスに、またしてもクラウディアの心臓が撃ち抜かれれしまい、花束を抱えたまま固まる。
そんな思考停止状態の主からリリィが手早く花束を回収し、花を活けるために下がった。
代わりに執事のラウールが主の意識を呼び戻す役を担う。
「お嬢様、お礼を申し上げたほうがよろしいのでは?」
「そ、そうよね! フ、フロリス様、素敵なお花と焼き菓子をいただき……ありがとうございます」
モジモジしながら礼を口にする彼女の様子にフロリスの表情が柔らかく崩れる。
その甘い笑みにまたしても目を奪われていると、有能な執事がさりげなく主を誘導する。
「お嬢様。立ち話も何ですので、フロリス様をお席にご案内してもよろしいでしょうか?」
その一言でハッと我に返ったクラウディアは、今度は青い顔で慌てはじめる。
「も、申し訳ございません! つい見入っ……ではなくて! ぼぉーっとしてしておりました!」
本心丸出しな主の言い訳に思わず執事が失笑しかける。
しかしフロリスは気分を害す様子もなく、ニコニコと笑みを深めた。
「お気になさらずに。クラウディア嬢に見つめられることには慣れておりますので!」
「うっ……」
その一言で自身の奇行を思い出したクラウディアが、心苦しそうに胸に添える。
すると、花瓶に花を活けて戻ってきたリリィに呆れ気味な表情を向けられた。
その間、フロリスを席に案内したラウールが、今度はクラウディアにも席に着くよう促す。
「さぁ、お嬢様もお席へどうぞ」
ラウールに言われるがまま席に着いたクラウディアだが、予想以上にフロリスとの距離が近かったため、またしても意識を飛ばしかけた。