6.見過ぎ令嬢はもてなす準備に気合いを入れる
クラウディアが都合の良い日程を記した手紙を送ってから二日後、フロリスから返事が届く。
彼女が提案したエインフィート邸への招待を四日後に受けたいという内容だった。
初交流の場として上手くフロリスを自宅に招くことに成功したクラウディアは、これで安心して気絶することができると安堵した。
しかし自宅に招くということは、彼をもてなすための準備が必須となる。
その準備の手始めにクラウディアは、まず当日に着るドレス選びからはじめた。
「ねぇ、リリィ。この二着ならフロリス様は、どちらがお好みかしら?」
「申し訳ございませんが、私にはわかり兼ねます。そもそもお嬢様のほうがフロリス様のお好みに詳しいのでは?」
「わたくしだって、わからないわ。だって今まで見つめるだけで精一杯だったから、今回はじめてフロリス様とまともに言葉を交わしたという状態なのよ?」
「三年間も無駄に凝視されていたのですから、フロリス様の周囲の令嬢方への反応から、お好みを察することは出来ないのですか?」
「そ、それは……」
付き合いの長い侍女の鋭い指摘にクラウディアが口ごもる。
男爵家出身のリリィは、クラウディアが六歳の頃から仕えてくれている。
十四歳からずっと身の回りを世話してきた彼女にとって、クラウディアは妹のような存在でもあった。
そのせいか、主に対しては遠慮のない言葉を放ってくることが多い。
だが、変なところで内向的な主を心配しすぎて、自身も婚期を逃していた。
容赦のない物言いが多いリリィだが、実はクラウディアに対してかなり過保護なのだ。
だが、今回ばかりは主を甘やかすつもりはないらしい。
三年間も恋心を拗らせている状態に心配を通り越して、今では呆れ果てている。
「どうせフロリス様しか視界に入れておられなかったのでしょう?」
「うぅ……おっしゃる通りです……」
「使用人の私に敬語で返答されないでください!」
ピシャリと言い返されたクラウディアが、モゴモゴと言い訳をする。
「だって……この三年間、あまりにも時間を無駄にしていたと実感してしまって」
「さようでございますねー。お嬢様のこの三年間は、ひたすらフロリス様を見つめ続けていただけでしたものねー」
「うっ……」
「そのことで社交界で無駄に悪目立ちしているご自身の状況も深刻に捉えていらっしゃらないようですしー」
「リリィ……あまり意地悪な言い方をしないで?」
「三年間も初恋を拗らせウダウダされたら、流石の私も嫌味の一つは言いたくもなります!」
抗議するように叫んだリリィは、クラウディアが候補として挙げていたドレスを両手で全て抱え、押し込むようにクローゼットにしまった。
「待って! どうして候補にあげたドレスを全てしまってしまうの!? まだ当日着るドレスを決めていないのに!」
「恐れながら申し上げます。お嬢様のドレスセンスは壊滅的によろしくありません」
「リリィ、酷い!」
「ですので、今回は全て私にお嬢様のコーディネートを一任させていただきたく存じます!」
「そ、そんなに力強く言い切らなくても……。わたくしだってドレスを選ぶセンスくらい――――」
「嘆かわしいことに今のお嬢様には、そのセンスはございません」
「リリィ! あなた、先程から主のわたくしの扱いが本当に酷いと思うわ!」
あまりにもはっきりと断言してくる侍女にクラウディアが、涙目になる。
するとリリィは、先程しまい込んだドレスを取り出し、再び目の前に並べた。
その光景は、まさに緑一色。
一目でわかるほど、クラウディアの緑色に対する執念を感じさせるチョイスである。
「もちろん、お嬢様が選ばれたドレスのデザインは素敵な物ばかりでございます」
「だったら問題な――――」
「で・す・が! 何故、緑色のドレスばかりを選ばれるのですか!? しかもこの三年間のお嬢様は、公の場に出られる際、このお色のドレスしかお召しになられておられませんよね!?」
「だ、だって! 緑色はフロリス様の瞳の色だから……。お近づきになれないのであれば、せめて憧れの人の色だけでも身にまといたいと思って……」
「その影響でお嬢様を『新緑令嬢』と密やかに揶揄する輩がいることはご存知でしょうか!?」
リリィからの新情報にクラウディアが目を丸くする。
「ええ!? 『見過ぎ令嬢』以外でもわたくしの呼び名があったの!?」
「ご存じなかったのですか? ここ最近はその『新緑令嬢』が、最新のお嬢様を称する通り名となっております」
「そ、そんな……」
「『見過ぎ令嬢』と囁かれていることは一応、ご自覚されていたのですね……」
「そ、それは事実だから」
「でしたら、少しは改善なさろうと思わなかったのですか?」
「だって! どうしてもフロリス様を目で追ってしまうんですもの!」
自覚しているが、やめられないと堂々と言い切る主にリリィが盛大なため息をつく。
するとクラウディアは、近くにあった長椅子にヨロヨロと倒れ込む。
「でもまさか自分が陰で『新緑令嬢』と呼ばれていたなんて……とても困るわ! その呼び名だと、わたくしの奇行をご存じない方は、よい意味で捉えてしまう可能性があるもの。もし『新緑とは随分爽やかな呼び名をされているのですね』なんて言われてしまったら、わたくしはどう反応すればいいの?」
「心配なさるところはそこなのですか? むしろそちらの意味で捉えていただけた方が、社交界では、よろしいに決まっているではありませんか」
すると、クラウディアはキッとリリィに鋭い視線を向ける。
「『新緑』だなんて爽やかな呼び名、地味で未だに婚約者もいないわたくしとは、あまりにもかけ離れた印象の呼び名でしょう!?」
「ご自身を卑下しすぎです! 十七歳のうら若き乙女は世間一般では爽やかな若者という印象になります! そもそもお嬢様は今回、婚約を前提でフロリス様に交際を申し込まれたではありませんか! 行き遅れというのは二十五にもなって、未だに嫁いでいない私のような女のことを言うのです!」
「リリィ―……自分で言って悲しくならない?」
憐憫の眼差しを向けてくる主に呆れ、リリィがこめかみに手を当てながら深く息を吐く。
「とにかく! 今後フロリス様と面会される際の服装は、全て私が決めさせていただきます!」
「わ、わかったわ。でも……あまり華やかなデザインは選ばないでね?」
「それはお約束できません。今後はお嬢様の愛らしさを全力で引き出すようなドレスを率先して選ばせていただきますので」
「ダメよ! そんな気合いの入ったドレスを着ていたら、わたくしが浮かれすぎていることをフロリス様に気づかれてしまうわ!」
「実際に浮かれすぎて、いつも以上におかしな行動をなさっているではありませんか……」
「先程から本当に酷い!」
涙目で抗議してきた主の声を優秀な侍女は華麗に聞き流し、緑色のドレスを再びクローゼットに戻す。
そして今度は濃紺のリボンと白のレースが使われている淡い水色のドレスと、オールドローズのような落ちついた色合いのピンクのドレスを引っ張り出してきた。
「ま、まさか……その二着を候補にあげるつもりなの!?」
「はい。以前から感じておりましたが、小柄なお嬢様は落ち着いた色味よりも淡く愛らしいパステルカラーのほうが、お似合いです」
「わたくし、もう十七よ? もう少し大人びた色味がいいと思うのだけれど……」
「小動物的な愛らしさをお持ちのお嬢様が、大人っぽさを演出しても背伸びをしたデビュタント令嬢のようにしか見えませんよ? お嬢様の場合、大人の色香よりも愛らしさを前面に出されたほうが殿方は落としやすいです!」
「リリィ! 言い方!」
「使える武器は全力で活用するべきです。今回はお嬢様の無駄に庇護欲をそそるオドオドした様子を最大限に活かせる服装でコーディネートさせていただきます!」
「無駄って……」
傷ついた様子の主を尻目にリリィは、取り出した二着からローズピンクのドレスをクラウディアの体に当てがう。
「手始めに今回は、こちらの愛らしさを感じさせるドレスで攻めてみましょうか。お嬢様に好意を抱かれたということは、少なからずフロリス様は少女らしさがある女性を好む可能性が垣間見れますので」
「わたくしだけでなく、フロリス様に対する評価も酷い!」
「髪型は可憐さを感じさせる花飾りのついたカチューシャにいたしましょうね~」
「わたくし一応、来年成人するのだけれど!?」
「残念なことにお嬢様には色香や妖艶さが一切ございません……。ならば無駄にお持ちの少女らしい愛らしさをアピールし、背徳的な関係を演出して確実にフロリス様を篭絡するべきかと!」
「わたくしに対して酷い上に道徳的に問題のある発言!」
「お嬢様、これは三年目にしてやっと訪れた好機です! この機会を逃してしまったら、私にはお嬢様が一生独身を貫き通そうとなさる未来しか見えません」
「酷い上にやけに説得力がある考察!」
「そんな寂しすぎるお嬢様の未来を阻止すべく、私は全力でお嬢様を殿方の庇護欲を刺激する小動物系令嬢に仕立てさせていただきます!」
「くぅ……。言い返したくても、そのような未来を容易に想像できるから言い返せない……」
両手で拳を作り、悔しそうな反応を見せる主にリリィが苦笑する。
「冗談はさておき。お嬢様は本当に淡いお色のドレスがお似合いです。そこは自信を持って着こなしていただきたいというのが私の長年の願いでした」
「でも……わたくしの髪色だと、淡い色では全体的にぼやけてしまうと思うの……」
自信なさげに呟くクラウディアは、毛質が細くペタンとなりがちな自身のこげ茶色の髪を一房手にとる。真っ直ぐでサラサラしたその髪は触り心地こそよいが、張りがありすぎて巻き癖などがつきにくい。
夜会時は、整髪料できっちり固めて結い上げなければ、すぐに後れ毛がポロポロと落ちてきてしまう髪質なのだ。
そのガチガチに結い上げなければならない大人びた髪型が、幼い印象のクラウディアの顔立ちと、とても相性が悪い。
だが逆に考えれば、髪型さえなんとかすれば淡いドレスをまとったクラウディアは妖精のような可憐で愛らしい見た目になるということだ。
だが、社交界では可憐な姿のクラウディアを快く思わない令嬢もいる。
「またそんなことを……。何度も申し上げますが、それは淡いお色が似合いすぎるお嬢様に対する嫉妬です! まったく! お嬢様にそのようなトラウマを植えつけたのは、どちらの令嬢ですか!?」
「………………」
プリプリと怒る侍女を横目にクラウディアは、幼い頃の悲しい記憶を思い出す。
はじめて参加した子供向けの昼食会で、彼女はリーダー格の令嬢グループに囲まれ服装のことで嫌味を言われたことがある。
その際に特に言われたのがドレスの色についてだった。
当時、淡いピンクのドレスワンピースを着て参加したクラウディアにその令嬢たちは、髪色に合わせて、もっと地味な色のドレスを着るべきだと責めたててきたのだ。
クラウディアの髪は落ち着いた色味の濃いこげ茶色で、この国ではもっとも多い髪色である。当時はその髪色に合わせて母が淡いピンクのドレスワンピースを用意してくれた。
しかし会場入りしてすぐに気の強そうな令嬢グループに全否定されてしまったのだ。その出来事がトラウマとなり、未だに公の場への参加に対して消極的になっている。
絡んできたリーダー格の令嬢の名前などは覚えていないが、黄色味の強い華やかな髪に鮮やかな青い瞳をした美少女だった。
また彼女を取り巻く令嬢たちもブロンドや銀髪など、美しく目を引く髪色であった。
しかし令嬢たちは、何故か赤や青といった濃い色味のドレスを着ていた。
今思うとその昼食会には、まだ婚約者が決まっていない第二王子が参加していたので、爵位が高い令嬢たちは敢えて目立つようにと親から派手な色味のドレスを着せられていたのだろう。
だが七歳前後の少女であれば、派手な色よりもピンクなどの可愛らしい色を好む。
親の意向で好きでもないドレスを着せられた彼女たちにとって、淡いピンクのドレスを着ていたクラウディアは妬ましい存在に見えたのだろう。
当時いいように八つ当たりの対象にされてしまったクラウディアは、今以上に内向的で常に兄の後ろに隠れているような子供だった。
そんな気の小さい少女が、派手なドレスの強そうな令嬢たちに敵意を向けられ囲まれたのだから、公の場にでることに消極的になってしまうのも仕方がない。
しかしその後、フロリスに出会ってからクラウディアの夜会に対する苦手意識は一変する。
一瞬で彼の虜となった彼女は、以降率先して第二騎士団が関わっている夜会やお茶会に参加するようになったのだ。
だが淡い色のドレスに対するトラウマは、そう簡単にはぬぐえなかった。
「フロリスの瞳の色だから」と緑色のドレスばかり着ている彼女だが、その行動心理には無意識に淡いドレスを着ることに抵抗を感じるようになった幼少期の心の傷が関係している。
そんな過去を知るリリィは、当時絡んできた令嬢たちに対する怒りと、いつまでもそのトラウマを乗り越えられない主にもどかしさを感じていた。
だが今回、偶然にも主が意中の男性と近づける好機がやってきたのだから、これを自己肯定力を上げるきっかけに利用する手はない。
引きこもりの改善と同じようにフロリスが服装を褒められば、彼のためにと主が淡いドレスを好んで着るようになるのではないかとリリィは考えていた。
三年前、フロリスに心奪われてからのクラウディアは確実に精神面が強くなっている。
その成長を目の当たりにしてきたリリィは、主が自信を取り戻せるこの好機を逃すまいと、気合いを入れる。
「まぁ、過去を振り返っても仕方がありません。とりあえず今回は、確実にフロリス様を骨抜きにすることに専念いたしましょう!」
「リリィ……あなた、獲物を狙い定めている猛禽類のような目をしているのだけれど……」
「仕留めていただくのはお嬢様です。私はあくまでも補佐として罠を張るだけです」
「この人、罠って言ったわ! 今日のリリィ、なんだか怖い!」
「さぁさぁ! お次は話題に困らぬよう会話のきっかけになりそうなお茶菓子やテーブルクロス選びをいたしましょうね~」
何故か自分のことのように張り切る侍女に後押しされながら、この後の二日間のクラウディアは、フロリスをもてなすための準備に心血を注いだ。