5.見過ぎ令嬢は兄に指摘される
翌日、早々にフロリスからクラウディアのもとに手紙が届いた。
開封するとフロリスの勤務表が同封されており、添えられた便箋には、この休暇日でクラウディアの予定が空いている日を全て教えてほしいと書かれていた。
その手紙を何度も読み返しながら、クラウディアはあることを思う。
『フロリス様は、書かれる文字も美しい……』
我ながら見当違いな部分に注目していると思いつつも、それでも憧れの人が自分宛に書き綴ってくれた手紙の文字を鑑賞することが嬉しすぎて、やめられない。
そんな妹に兄クレストが白い目を向けてきた。
「手紙を眺めながらニヤニヤするな! 気持ち悪い!」
「このような家宝に値する貴重な品を入手すれば誰でも眺めたくなります!」
「お前のフロリス病は、もう手の施しようがないほど重度だな……」
「お兄様だって、ソフィアお義姉様からのお手紙を未だに大切にされているくせに……」
「当たり前だ! ソフィーが生み出した物には全てに価値がある!」
そう言い切った兄に今度はクラウディアが白い目を向けた。
兄クレストは、二年前に妻となったソフィアのことを溺愛している。
正反対な性格をしているが、この兄妹の愛着を抱く存在の愛で方は大変よく似ているのだ。
だが、互いにそのことには気づいていない。
そんな二人は、再び本題に戻る。
「それでフロリスとは、どのくらいの頻度で面会するつもりなんだ?」
「ご提示いただいた日程は、全て空いているとお伝えしようかと思います」
「お前……つい最近、奴に交際を申し込まれただけで気絶したことを忘れたのか?」
「で、ですが、このような奇跡的な状況は、もう二度とないではありませんか!」
多少の不安があるようだが、全力でこの好機を逃すまいと意気込んている妹にクレストが盛大にため息をつく。
「お前はフロリスと顔を合わせる度に気絶するつもりか?」
「流石に三回ほど顔合わせをすれば、わたくしでも気絶はしないと思います!」
「なるほど。では最低でも二回は気絶するつもりなんだな?」
「も、もしかしたら五回くらいかも……」
「増えているではないか!」
「フロリス様の神々しきお姿に間近であやかれるのです! 本来であれば十回は気絶してしまう事案です!」
「ならば面会回数を減らせ!」
「このような素晴らしき機会を減らすことなどできません!」
人前では内向的なクラウディアだが、家族に対してはかなり自己主張ができたりする。
しかも絶対に譲れないものに関しては、かなり頑固になるのだ。
そこが妹の面倒で小憎たらしい部分だと、毎回クレストは感じている。
「先に言っておくが、私はもしお前が気絶した場合、引き取りに行くのはごめんだからな」
「できるだけそのような事態にならぬよう気をつけます」
「そこは心配ないと言い切るところだろう! それぐらいの気概を見せろ!」
「無理です! 神々しいフロリス様のお姿を間近で拝見できる事だけでも倒れそうなのに……。今後はお食事や外出の誘いまで……って、この状況、もしや庶民の間で流行している『デート』と呼ばれる男女の交流では!? ど、どうしましょう! こんな奇跡的な状況ばかり続くのであれば、わたくし、いつ昇天しても悔いはありません!」
一人で勝手に盛り上がって興奮しはじめた妹を兄が一喝する。
「人の部下を勝手に神格化するな! しかもまだ交流前だろう! 今、昇天したら後悔しかないぞ!」
「はっ! 確かに……」
「お前は浮かれすぎて、今まで以上に頭がおかしくなっているのではないか?」
「その言い方では、まるでわたくしが普段から頭のおかしかしい人間のように聞こえます」
「事実だろう」
「くぅ……!」
兄の的確過ぎる辛辣な返しにラウディアが、小さく呻く。
すると、急にクレストが真面目な表情を浮かべた。
「冗談はさておき。お前は今後フロリスと交流する際、どのような心構えでいるか考えたほうがいいのではないか? そもそも三年間も穴が開くほど眺めていたのであれば、今のような状況が訪れる可能性を少しは考えなかったのか?」
「このまま一生フロリス様を見続ける人生を送ろうと思っていたので、このような機会に恵まれるなど夢にも思っておりませんでした……」
「何故そんなくだらない理由で、潔く覚悟を決められる無駄な根性だけはあるんだ……」
「くだらなくなどございません! フロリス様を見つめることは、わたくしの生き甲斐です!」
「そんな調子だと、お前はまた気絶するぞ?」
呆れと同情が入り混じった視線を向けてくる兄に、クラウディアはある対策案を口にする。
「その件に関しては対策がございます!」
「ほう? 一応聞いてやる」
「わたくしが気絶してもいいように最初の面会は、我が家にフロリス様をお招きすればよいのです!」
自信満々な様子の妹にクレストが地を這うような深いため息をはく。
「初手から気絶することが前提ではないか! 守勢に立ってどうする!」
「ですが、外出中に気絶すれば、フロリス様のお手を煩わせてしまいます……」
「お前が自宅で気絶すれば、ソフィーと母上の心労になる!」
「では、お二人にはその日、お買い物にでも行っていただいて……」
「ソフィーは妊婦だ! 安定期にも入っていない状態で外出などさせたくない!」
「お兄様。少々、お義姉様に対して過保護すぎではございませんか?」
「彼女は納得してくれている!」
「愛が重すぎます!」
束縛が酷すぎる兄の言い分に今度はクラウディアのほうが呆れる。
二年前に挙式した兄夫妻だが、三カ月前に妻ソフィアの懐妊が確認された。
以降、クレストは愛妻に異常なまでの過保護ぶりを発揮している。
対するソフィアは、その過剰すぎる束縛愛は負担になっていないようで受け入れてくれている様子だ。
そもそも兄が義姉を見染めた経緯が、妹と同じ一目惚れである。
独身時代のクレストは、見た目だけでなく実力面でも令嬢たちの人気の的だった。
そんな彼女たちから熱烈なアプローチをされ、女性に対する嫌悪感が酷かった。
その状況に当時の両親は、かなり頭を痛めていた。
とりあえず顔合わせだけでもと見合いを勧めても、兄は徹底的に拒絶の姿勢を貫いていた。
そんな兄に両親は、ある策を講じる。
兄好みの令嬢に婚約を打診し、ある夜会で偶然を装い顔合わせをさせるという強硬手段に出たのだ。
その見合い相手が、現在兄嫁であるソフィアだった。
両親が兄好みであると判断したソフィアは、穏やかでおっとりした性格の女性だった。
見た目はクラウディアと同じく小柄な彼女だが、ゆっくりとした動作が目を引き、周囲は彼女に癒しと庇護欲をかきたれる。
すると両親の読み通り、守りたくなるような雰囲気の彼女に兄クレストは一瞬で恋に落ち、出会いから僅か一カ月目にして早々に婚約を結んだのだ。
もうこの時の兄は、妹のクラウディアでさえ別人ではないかと思ってしまうほどの豹変ぶりを見せ、当時まだ婚約者であったソフィアに対し、かなりの溺愛ぶりを発揮していたのだ。
そして二人は、ソフィアが成人したと同時に式を挙げる。
しかし子宝になかなか恵まれず、結婚二年目にしてやっと授かったという状況なのだ。
だが実際は、愛妻との甘い時間を欲した兄が子供を先送りにしていたようだ。
早く孫の顔が見たかった両親は嫁に『子供が欲しいと息子にねだってほしい』と泣きつき、三カ月前にやっと実現されたらしい。
そんな兄を愛が重すぎる人間だとクラウディアは思っている。
しかし彼女も三年間ひたすら想い人を見つめ続けいたので、十分愛が重い人間に該当する。
そのことに彼女自身は全く気づいていない。
そんな認識がおかしい妹に兄が釘を刺す。
「日程に関しては過剰に面会予定を組まれぬように、あくまでも調整が可能な日だとフロリスには補足しておく」
「そこまで警戒されなくてもよろしいのでは? フロリス様もお忙しいかと思いますので、すべての日程に面会予定を組まれることはないかと思うのですが……」
「その考えが甘い。奴は『一カ月間、婚約を前提に交流してほしい』と言ってきたのだろう? ようするにフロリスにとってお前と関係醸成に費やせる時間は、今から一カ月だけということだ。そうなれば残り少ない期間で可能な限り交流を図ってくるはずだ」
「まさか……」
「ならば試してみろ。そうすれば私の話が本当だと納得できるはずだ」
何故か勝ち誇った笑みを向けてくる兄にクラウディアが、訝しげな表情を返す。
「もしやお兄様は、フロリス様がわたくしに交際を申し込まれた経緯に心当たりがおありなのでは?」
「何故そう思う?」
「先程のお兄様の言い方では、まるでフロリス様が早急にわたくしと距離を縮めようと焦っているように聞こえましたので」
「仮にそうだとしても、フロリスがお前に交際を申し込んだ状況には、私は全く理解できない。三年間も自分を凝視してきた女など恐怖でしかないからな」
その言葉はクラウディアの心に深く突き刺さる。
自身でもフロリスの立場であったら、同じ恐怖を抱くと思ったからだ。
そしてこうもはっきりと現実を突きつけてくる兄は、本当に容赦がない。
「お兄様は、わたくしに対して意地悪すぎます……」
「お前も心のどこかで疑問に思っていたことだろう? 三年も凝視してきた気持ち悪い女になぜフロリスは、交際を申し込んできたのだろうかと」
「それは……」
「先程、ソフィーに対する私の愛が重いと言っていたが、私からすればお前のフロリスに対するその奇行も十分愛が重すぎると思うぞ。それはお前自身も自覚しているのではないか?」
あまりにも図星を刺されたクラウディアは押し黙った。
そんな妹の反応にクレストが珍しく苦笑を浮かべる。
「まずお前は、フロリスに対する気持ちが恋心なのか、ただの執着心なのか、それを見極めるべきじゃないのか?」
「恋心はともかく、執着心……ですか?」
「違うのか? 相手のことが気になって仕方がないのに関係を深めたいという思いはない。もし恋心なら少しでも相手に近づきたいという気持ちが生まれるだろう。それがはっきりしていない状態で、婚約を前提に交流などできるのか?」
思わぬ指摘内容にクラウディアが、唖然とした様子で固まる。
「なんであれ、今回はそれを見極めるいい機会にはなるだろう。もし上手くいかなかったとしても、お前は重度のフロリス病からは解放されるのだから」
「上手く……いきませんかね?」
「私に聞くな! それはお前次第だろうが!」
「お兄様……。助言をいただけるのであれば、もう少し優しい言葉でお願いいたします……」
「断る。お前に優しい言葉などかけたら甘えっきりになるのが目に見えている!」
「うぅ……。厳しい……」
「まぁ、この一カ月は三年間も『ただ見つめるだけ』という行為に甘んじていたツケだと思って、精々葛藤することだな」
そう言って今日一番の意地の悪い笑みを浮かべた兄は、愛妻のもとに向かうのか早々に退室していった。
一人部屋に残されたクライディアは、兄が残した中途半端な助言内容に引っ掛かりを覚える。
『フロリスに対する気持ちが恋心なのか、ただの執着心なのか、それを見極めるべきじゃないのか?』
この三年間、自分はどんな気持ちでフロリスを見つめていたのか。
つい先程まで、それは恋焦がれる気持ちだと思っていた。
しかし兄の指摘で、それは恋心ではなく執着心ではないかという可能性が出てきてしまった。
見つめることしかできなかったこの三年間を考えると、自身が抱くフロリスへの想いは執着心である可能性が高い。
だが、どちらであっても確実に断言できることがある。
それはクラウディアの中でフロリスが特別すぎる存在だということだ。
そんな特別な存在である彼と、婚約を前提として交流することができるこの夢のような状況。
その幸運を噛み締めるようにクラウディアは、フロリスからの手紙をそっと撫でる。
たとえ執着心であったとしても、自分はフロリスと交流できる幸運な機会に恵まれたのだ。
今は難しいことなど考えずに素直にその幸運にあやかろうと気持ちを切り替える。
美しい文字で綴られた手紙を胸に抱きしめたクラウディアは、気合いに満ちた表情で立ち上がる。
そして自室に戻り、心躍らせながら『全ての日程に応じることができます』と手紙の返事を書き綴った。