31.見過ぎ令嬢は褒美をもらう
第二王子の叙勲式から三週間後。
クラウディアは、自宅のサロンの長椅子に仰向けで寝転がり、虚ろな瞳でクッションを抱きしめていた。
結局、第二王子の叙勲祝賀会は第三騎士団員の違法ハーブの使用が発覚したことで、ちょっとした騒ぎとなり、開始から僅か二時間ほどでお開きになってしまった。
なぜなら今回の主役であるグランツが突然、退場したからだ。
ガイルズから第三騎士団員の違法ハーブ使用の報告を受けたグランツは、すぐさま数名の団員を引きつれ、総責任者であるシュクリス侯爵邸に責任追及の名目で乗り込んでいった。
同時にガイルズも同じように第三騎士団長のマッカールの邸に向かい、甥のアロガンが騎士団内で違法ハーブを持ち込んでいたことを理由に、彼が使用している部屋を強制的に捜査した。
結果、アロガンの部屋から大量の違法ハーブが発見され、マッカ―ル自身も違法ハーブの取引を行っていたことが、たまたまその日に訪れていた商人の所持品から発覚した。
その報告を受けたグランツは、マッカール邸に出入りしている商人がシュクリス侯爵邸と同じであるという理由で家宅捜査を行った。第三騎士団に所属している若者の多くは、侯爵邸を出入りしている商家の出身であることは、すでに調べがついていたのだ。
その際、クレストが補充の捜査団員と共に宮廷医師も向かわせた。
すると団長ガイルズの予想通り、療養中と言われていた侯爵が重度の薬物中毒であることも判明。
その間、クレストは別行動でウィリアーナ庭園で違法ハーブの売買を行っていた商家出身の第三騎士団員を片っ端から捕縛していたらしい。
ようするにこの日の第二騎士団は、総出で三カ所の違法ハーブ取引の疑いがある場所に一斉に踏み込んだのだ。
そして踏み込まれた側は、総責任者であるグランツの叙勲式で第二騎士団員は全員出払っていると油断していたらしい。
見事に取引現場を押さえられ、一網打尽に捕縛された。
ちなみに叙勲祝賀会の中止の理由について、来場者たちには『問題が発生したため』としか説明がされていない。
しかしクラウディアが第三騎士団員に追い回されている姿と、奥まったゲストルームから第三騎士団員二名が連行されていく様子を多くの来場者たちが目にしていたため、彼らの不祥事はあっという間に広まり、第三騎士団はすぐさま解散となった。
団員たちのその後だが、半数以上が違法ハーブ関連で捕縛され、残りの半数は怠惰な勤務態度で解雇。
残りの三分の一の真面目な団員たちは第二騎士団に引き取られ、引き続き第三騎士団所属時と同じ建物警備の任務に就いている。
今後、第二騎士団は新編成で第一小隊と第二小隊に分けられ、第三騎士団が担っていた業務は第二小隊に引き継がれるらしい。
第一小隊は、今の第二騎士団のメンバーで編成され、引き続き団長のガイルズがメインで指揮をとるそうだ。
そして新しく編成された第二小隊は、第三騎士団が担当していた業務が引き継がれるのだが、こちらの指揮は残留となった第三騎士団員たちの希望で、前任の第三騎士団長だったオルグリオを副団長として迎え入れることになっている。
ちなみに現在の副団長は、新たに追加された『第一小隊長』と『第二小隊長』という役職名に変わり、兄クレストとセヴァンが就くそうだ。
早い話が、今後は名称が変わった第二騎士団と第三騎士団の総責任者を第二王子のグランツ一人に任せるということだ。
今回の件で王家は、王族以外の人間が騎士団の指揮権を持つことは、できるだけ避けたいという考えに至ったらしい。
その元凶でもあるシュクリス侯爵だが、彼は物流関係で盗品や密輸品などの不正取引は行っていたが、違法ハーブ売買には手を出していなかった。
だがその息子がアロガンと出会ったことで、違法ハーブの闇取引市場に興味を持ったらしい。
アロガンは、男爵領で暮らしていた頃から放蕩息子だったようで、領内で違法ハーブを常用しており、それが原因で父親から家を追い出されていた。
その後、伯父のマッカールを頼り、自身が繋がりを持っている違法ハーブを扱う商人たちを紹介することで、第三騎士団への入団と衣食住の保証をしてもらったそうだ。
そして伯父を通してシュクリス侯爵家の令息と出会い、違法ハーブ売買の話を持ちかけたところ、今回の第三騎士団を隠れ蓑にハーブの闇取引市場を構築することをマッカールにも一枚噛ませ、二人は画策したらしい。
だが第三騎士団を牛耳るには父親が邪魔だった息子は、実の父である侯爵を違法ハーブで廃人にし、総責任者の座を奪おうとしていた。
息子によって重度の薬物中毒患者となった侯爵は現在、国が管理する更生施設で隔離されながら治療を受けている。
その間のシュクリス侯爵家の財産や権限は全て王家が差し押さえ、侯爵が会話ができる状態まで回復したと同時に彼は侯爵位を剥奪され、更生施設で一生過ごすことになるだろう。
第三騎士団長のマッカールに関しては、すでに爵位は剥奪され、甥のアロガンとシュクリス侯爵家の令息と共に城の地下牢で身柄を拘束されている。
調査が終了次第、三人は国外に追放されるそうだ。
そんな彼らは、少し前に第二騎士団が功績をあげた隣国間での違法ハーブの闇取引市場を牛耳っていた組織の取引情報を匿名で騎士団に密告していた。
どうやらハーブの闇取引市場の独占を目論み、そのような行動をしたようだ。
そのため彼らが国外に出れば、すぐさまその組織の残党から報復を受けることになるだろう。
実質、彼らは王家から死刑宣告をされたも同然なのだ。
王家のこの対応にまだ年若いアロガンへの処罰が厳しすぎるという意見も出たそうだが、彼は違法ハーブを乱用し、馴染みの高級娼婦を何人も薬物依存にさせていた。
また今回はクラウディアが襲われかけたので、その余罪調査も行われた。
だが、幸いなことに被害にあった令嬢は一人もいなかったそうだ。
いくら調子にのっていたとはいえ、流石の彼も貴族令嬢が相手では足がつくと思ったのだろう。
しかし今回に関しては、レゾという青年は薬物使用で興奮状態になっており、アロガンはフロリスに対する逆恨みからクラウディアに無体な真似を働こうとしたらしい。
自身のせいでクラウディアが危険な目にあってしまったため、フロリスはかなり責任を感じているそうだ。
そのフロリスだが、実は二週間前からシエル子爵領に帰省している。
兄の話では、クラウディアが婚約の申し入れを受けたことで、一応は退団の許可は下りたそうだ。
だが今回の件で第三騎士団が解散となったので、新体制の第二騎士団が落ち着くまでは退団を先延ばしにしてほしいと、グランツとガイルズから引き止められているそうだ。
しかし彼の両親は、早々に家督を継がせる準備をさせたいらしい。
フロリスは一週間ほど今回の騒動の後始末で奔走したあと、退団日を三カ月は先延ばしにしたいと両親を説得するために帰省しているのだ。
辺境伯領に隣接しているシエル子爵領は、王都から馬を飛ばしても一週間ほどかかる。
それを差し引いても、すでにフロリスが出発してから二週間近くも経っているので、家族との話し合いは相当拗れているのだろう。
その原因の一つに中央貴族である自分をシエル家の嫁に迎え入れることに反対意見が出ているのではないかと、クラウディアは考えている。
自身がシエル子爵夫妻に望まれていないことと、フロリスが責任感から婚約を貫こうとしている状況が彼女を複雑な気持ちにさせる。
今回フロリスは帰省する直前に一瞬だけ、エインフィート邸に立ち寄ってくれた。
そしてクラウディアに「必ず婚約誓約書に両親のサインをもらってくるので待っていてほしい」と言い残し、すぐさま出発してしまったのだ。
それから一週間経ったが、何の音沙汰もない。
手紙を出そうかとも考えたが、彼と入れ違いになることを懸念していたら、あっという間に一週間が過ぎてしまった。
現状クラウディアは、そのままフロリスを送り出してしまったことに罪悪感を抱いている。
なぜ自分はフロリスが立ち寄ってくれた時、婚約は解消してもいいと伝えられなかったのかと。
しかしクラウディアには、どうしてもその言葉を口にできなかった。
第三騎士団の不祥事の後始末に追われ、徹夜明けで目の下にクマを作りつつも、フロリスが力強く「必ず婚約誓約書にサインをもらってくる」と言い切ってくれたのが嬉しかったのだ。
たとえそれが婚約を申し込んでしまった責任と取るための言葉だったとしても、自分との未来を貫こうとしてくれるフロリスに『本当は結婚を望んでくれているのかもしれない』と期待をしてしまったのだ。
そんな彼女は「必ずお戻りをお待ちしております」と彼に返してしまった。
その瞬間、自分もキャロラインと同じ選択をしたことに気づいてしまう。
口ではどんなにフロリスの幸せを優先すると主張しても、結局は彼との結婚を心のどこかで強く望んでいるのだ。
『随分と……きれいごとをおっしゃるのね』
あの時、キャロラインに言われた言葉が何度も脳裏をよぎる。
フロリスの気持ちよりも自分の気持ちを優先する彼女に失望したクラウディアだが、今まさに同じ選択をしようとしている。
自分の中にそんな浅ましさがあることを知ったクラウディアは、自身を責めるように抱きしめていたクッションに顔を押しつけた。
すると、久しぶりに休暇がとれた兄がサロンへと入ってきて、長椅子で仰向けになっているクラウディアを一瞥してくる。
「お前……そんなだらけた状態でシエル家に行ったら返品されるぞ……?」
「ご心配なく。もし返品されても、女男爵として慎ましやかな独身生活を送ることができますので」
そう言ってクラウディアがプイっと長椅子の背もたれのほうと顔を背ける。
すると、クレストが長く深い溜め息をついた。
「なぜこんな奴に王家は軽々しく爵位を与えたんだ……。まったく理解できない」
兄の嫌味を聞き流そうと、クラウディアは抱きしめているクッションにさらに顔を埋めた。
実はクラウディアは、今回の件で第三騎士団の不祥事を暴いただけでなく、令嬢でありながら勇敢に立ち向かったと功績を称えられ、ちゃっかり王家から男爵位をもらっていたのだ。
なんでも第二王子たっての希望で叙爵に至ったらしい。
今回、彼女が男爵位を得たことで大きく状況が変わる部分がある。
もしフロリスから婚約を解消されても、クラウディアは一代限りの女男爵として自立して生きて行けるのだ。
叙爵と共に彼女が賜った小さな領地はエインフィート伯爵領と隣接しており、現在は父親が自領の一部として、まとめて管理をしてくれている。
嫁に出されることを前提として育てられたクラウディアには領地経営の才能はないのだが、エインフィート伯爵家から優秀な補佐役を数名つければ何とかやっていける状態である。
そのこともフロリスに伝えられなかった彼女は、自責の念に駆られていた。
誰かに話せば少しは気持ちが軽くなりそうだが、一番あてにしていたアゼリアはすでに隣国の留学先に戻ってしまっている。
イデアたちには親しくなってから日が浅いため、打ち明けることは難しい。
義姉のソフィアは、フロリスと婚約が決まったことを大喜びしてくれているので相談しづらい。
なによりも相談をして体調を崩されでもしたら兄に殺されそうだ。
そんな危機感から彼女は兄にチラリと視線を向けると、突然クッションを奪われそうになった。
「なにをなさるのですか!? 今このクッションだけが、わたくしの心の拠り所なのですよ!?」
「そんな物を拠り所にするな! そもそも今のだらけた状態をみっともないとは感じないのか!?」
「ここは自宅です! 周囲の目はございません!」
「私がいるのだから周囲の目はある!」
そういって再びクッションを奪おうとしてくる兄に必死で抗っていると、父親が呆れ気味な様子でサロンに入ってきた。
「お前たち……いい歳をしてなにをしているんだ……」
「お父様、助けてください! お兄様がわたくしの拠り所を奪おうとなさいます!」
「なにが拠り所だ! いい加減に体を起こせ! 長椅子の上でゴロゴロするな!」
そんな二人の様子に父親が頭痛を堪えるように片手で両目を覆う。
その間にも二人のクッション争奪戦は、ますます白熱していった。
すると父親は、その醜い争いを鎮めるために一通の手紙をクラウディアに差し出す。
そのことに気を取られた瞬間、兄にクッションを奪われた。
兄は奪ったクッションを枕代わりにして反対側の長椅子で横になる。
その様子に唖然としていると、父が早く受け取れと言わんばかりに手紙を押しつけてきた。
「フロリス殿からだぞ? すぐに確認したほうがいいんじゃないのか?」
フロリスの名前が出た途端、すぐに父親から手紙を受け取る。
だが、ペーパーナイフがなかったので手で破って開封しようとした。
その様子に呆れながらも用意のいい父は、娘にペーパーナイフも差し出す。
それを使って手紙を開封すると、いつもより少し荒い文字で書かれた便箋が出てきた。
いつの間にか隣にいた兄が横から覗き込んでくる。
咎めるように兄を睨みつけると、父親から信じられない言葉が飛び出してきた。
「実は私宛の手紙もあったのが、それには来週ご両親のサインが入ったお前との婚約誓約書を持参するので、是非婚約を許可してほしいと書いてあったぞ」
「ええっ!?」
急な展開にクラウディアが素っ頓狂な声を上げる。
逆に父親は、なぜかその状況をすんなりと受け入れている様子だ。
「お、お父様は、いきなり娘との婚約誓約書にサインをくれだなんて手紙を受け取って驚かなかったのですか!?」
「驚くもなにも……彼は一カ月前にお前と婚約を前提に交際することになったから許可してほしいと、丁寧に挨拶しにきてくれたぞ?」
「い、一カ月前にですか!?」
「ああ。その件は事前にクレストからも聞いていたし、お前たちの交際状況はソフィアが嬉々として話してくれるから、順調に交流を深めていると思っていたんだが」
「お、お義姉様が!? も、もしやお母様が最近やたらと新しいドレスを買わないかと勧めてくるのは……」
「クレイシアもソフィアからお前たちの話を聞いて、二人で盛り上がっていたからな」
「お母様まで!?」
どうやら自分の知らないところで、フロリスとの交際情報が家族間で共有されていたらしい。
すると、隣で手紙を覗き見ていた兄が、呆れ顔を向けてきた。
「いくら奇行が多いとはいえ、一応お前は年頃の令嬢なのだから、交際するにあたってフロリスがその親に挨拶と許可をもらうのは常識だろう。まさかお前……そのことを知らずに今まであいつと交際していたのか?」
「はい……。お兄様がご存じであれば問題ないかと思って……」
その返答に兄だけでなく父も呆れ果てる。
逆にクラウディアは、義姉に嬉々として語ってしまったフロリスとの交流内容が家族に知れ渡っていたことに複雑な心境を抱く。
すると、父がのん気な様子で盛大な爆弾をクラウディアに落としてきた。
「まぁ、上手くいっているのなら問題ないな。クレスト、フロリス殿が王都に戻られたら、すぐに我が家に招待しなさい」
「はい。わかりました」
父と兄のそのやりとりを耳にしたクラウディアは青い顔をしながら、ゆっくりと手元の便箋に視線を落とす。
するとそこには『王都に戻ったら、正式にクラウディアとの婚約手続きを行いたい』という趣旨の内容が書かれていた。





