27.見過ぎ令嬢は揺るがない
押し黙るようにうつむいてしまったクラウディアの様子から、キャロラインは勝ち誇るような笑みを浮かべる。
「やはりご存知なかったのね。ですが、今ならまだ――――」
「……っております」
「えっ?」
「フロリス様が複雑な事情を抱え、わたくしに婚約を申し込まれたことは全部知っております!」
真っ直ぐに目を見据えて言い放つと、キャロラインが一瞬たじろぐ。
彼女の反応から、かなり感情的な対応をしてしまったことに気づいたクラウディアは、慌てて謝罪した。
「も、申し訳ございません……。その、お気遣いいただいたのに反論するような返答をしてしまって……」
いつものオドオドした様子に戻ったクラウディアに気を取り直したキャロラインが、改めて圧をかけてきた。
「構いませんわ。このような受け入れがたい事実を知ってしまったら動揺してしまいますものね……。ですが、このまま婚約関係を続けられることは、クラウディア様の経歴に傷がついてしまいます。現状はフロリス様からの好意と勘違いされて舞い上がっていらっしゃるかと思いますが、これが現実なのです。これ以上、あなたが深手を追わないためにも早急に婚約は辞退されたほうが――――」
「それは退団を希望されているフロリス様の邪魔をしろという意味でしょうか?」
またしても真っ直ぐな目を向けながらクラウディアは反論する。
本人にはまったく自覚がないのだが、彼女はフロリスのことになると、いつものオドオドした様子が一瞬で消し飛び、過度に集中した状態になってしまうのだ。
そんな何を考えているか分からない瞳でジッと見つめられたキャロラインが一瞬だけ怯む。
「そ、そういう意味ではなくてですね。このままではクラウディア様の経歴に傷が――――」
「キャロライン様は、フロリス様のことをお慕いしているのではないのですか?」
「えっ!? も、もちろんフロリス様は素敵な方なので、お慕いしているに決まってます!」
「ではなぜ、わたくしに婚約を辞退するようにご助言をなさるのですか?」
「だ、だって! このままだと婚約破棄されたという経歴が、あなたについてしまうでしょう!」
「ですが、フロリス様は無事に第二騎士団を退団できます」
そのクラウディアの揺るぎない返答にキャロラインが訝しげな表情を浮かべる。
「あなた……一体なにがおっしゃりたいの?」
「わたくしが婚約を受け入れればフロリス様は無事に退団できて、お兄様のオルフィス様も第二王女殿下と結ばれます。ですが、わたくしが婚約を辞退してしまったら、フロリス様の願いは何一つ叶いません」
人が変わったように堂々とした様子で言いのけたクラウディアに、キャロラインが苛立つような反応を見せる。
「そんなことを言って……本当はフロリス様と婚約を続けたいだけなのでしょう!?」
「はい! できれば続けたいです!」
即答するクラウディアにキャロラインたちは唖然とした表情で言葉を失う。
「あ、あなたにはプライドというものがないの!? フロリス様は退団するために、あなたを一時的な婚約者として利用されているのよ!」
「ではキャロライン様は、フロリス様の希望が通らず、退団できなくてもよろしいと?」
「そういうことを言っているのでないの!! わたくしが言いたのは、たまたまお相手に選ばれただけのあなたが、婚約者の座に居座ろうとしていることに恥じらいはないのかと聞いているのよ!!」
業を煮やすようにまくしたててきたキャロラインにクラウディアは、訝しげな表情を向ける。
「ですが……この婚約は解消される可能性が高いのですよ?」
「だから尚更なんじゃない!! あなたは自分の経歴に傷をつけてまで、フロリス様の婚約者で居続けようとしている卑しい自身の行動を恥ずかしいとは思わないの!?」
「ではキャロライン様が、わたくしの立場であったら恥じらいを感じ、フロリス様の婚約者を辞退されるということですか?」
フロリスのこととなると、なぜか我を忘れて行動的になってしまうクラウディアに正論で問われ、キャロラインが口ごもる。
「そ、それは……状況にもよるわ! もしわたくしなら、まずフロリス様の置かれている状況を確認し、無事に退団されたら辺境貴族を騙らせて、フロリス様の評判を守るために、わたくしとの婚約の解消しなくても済むように動くつもりよ!」
「フロリス様の評判を守るため?」
「だって自分から婚約を申し込んだのにすぐに解消などしたら、フロリス様の評判が落ちてしまうでしょう!?」
その瞬間、クラウディアは落胆するような表情を浮かべた。
「な、なによ! その顔……。言いたいことがあるならはっきりおっしゃたらどうなの!?」
「大変な失礼なことを伺いますが……キャロライン様は、本当にフロリス様のことをお慕いしているのですか……?」
「はぁ!?」
「今のお話では、フロリス様のお立場を考慮されているというよりも、ご自身の恋心を優先されるように聞こえたのですが……」
「あ、あなたがそれを言うの!?」
「ですが……今キャロライン様は、フロリス様の評判が下らないように婚約を継続させるとおっしゃいましたよね?」
「ええ、言ったわよ! わたくしは全て円満に解決する方法を……」
「フロリス様は、退団するために早急に中央貴族の女性と婚約しなくてはならない状況です。相手に選ぶなら、すぐに婚約を受け入れ、万が一婚約を解消することになっても受け入れてくれる令嬢が理想的なのです」
なぜそのようなことを言われているのか理解できないキャロラインが、さらに苛立つ。
「だ、だから、それを全部円満に解決できるように立ち回ると――――っ」
「つまりフロリス様は、お兄様のために条件に合う令嬢であれば誰でもいいという自己犠牲精神で、早急に婚約をなさろうとしているのです」
その瞬間、あることに気づいたキャロラインが言葉を失う。
「それなのに……キャロライン様は、わたくしと同じ立場であれば、フロリス様との婚約が継続できるように尽力なさるのですか? それはフロリス様のお気持ちを蔑ろにされていませんか?」
なにを言われているのか、やっと気づいたキャロラインは一瞬、押し黙る。
クラウディアが訴えているのは、『フロリスは兄のために好きでもない女性を伴侶として選ぼうとしている』という部分だ。
そこにフロリスの気持ちは一切なく、この婚約を継続させれば彼は、その場しのぎで選んだ相手と生涯を共にしなければならない。
だが、キャロラインは『フロリスのために』と理由づけ、婚約を継続させると言い切ったのだ。
その言葉から、彼女が自分の恋心を最優先させようとしていることは明白だった。
己の欲求を暴かれたキャロラインが言葉を失っていると、クラウディアが静かに追い打ちをかける。
「いつも積極的にフロリス様に話しかけられている皆様は、きっとわたくし以上に想いが深いと思っていたのですが……」
すると、キャロラインはビクリと肩を震わせた。
「どうやら、わたくしの思い違いだったようですね……」
「ち、違うわ! わたくしは本当にフロリス様のためを思って――――!」
「でも、ご自身が婚約者でいられるように尽力されるのですよね?」
「あ、あなただってそうなのでしょう!?」
「いいえ」
キャロラインの指摘をクラウディアは、すぐに否定した。
「わたくしは、たとえフロリス様が辺境領の方々を説得してくださったとしても、無事に退団できれば婚約を辞退しようと考えております」
「随分と……きれいごとをおっしゃるのね」
皮肉るように言われたクラウディアは、心外だと言わんばかりの驚きの表情を浮かべる。
「きれいごと……? 好きな方には幸せな結婚をしていただきたいと思うことは、普通の感覚ではないのですか?」
「そ、それは……!」
「ですから、先ほど確認させていただいたのです。『キャロライン様は、本当にフロリス様をお慕いしているのですか?』と」
「~~~~~っ!」
真っ直ぐな瞳で再度問いかけられたキャロラインは、唸るように声を押し殺す。
「……わかりました。クラウディア様がそこまで覚悟を決められているのであれば、わたくしはもうなにも言いません! どうぞ、ご自身の経歴に『婚約解消』という勲章をおつけください!」
そう言ってキャロラインは、先ほどから手が白くなるほど握りしめていた扇子をバッと開く。
「わたくし、不愉快なのでここで失礼させていただきます!」
そして肩を怒らせながら令嬢二人と共に去っていった。
その姿が見えなくなった途端、クラウディアは近くの壁にもたれかかる。
「こ、怖かった……」
むしろ謎の気迫を発していたクラウディアのほうが怖がられていたのだが、本人はそのことにまったく気づいていない。
だが徐々に落ち着きを取り戻すと、かなりキャロラインを怒らせてしまったという状況に気づく。
「ど、どうしましょう! わたくし、とても生意気なことを口走ってしまったわ……。キャロライン様も去り際に『不愉快』とおっしゃっていたから、かなりお怒りだったのかも……」
不安から大きな独り言を漏らすクラウディアは、フロリス関係で起こる謎の過度な集中状態が切れた途端、いつもの気弱な状態となる。
とりあえずイデアに相談したほうがいいと思った彼女は、すぐに会場へと戻ろうとした。
だが突然、仄かに甘い不思議な香りが彼女の鼻をつく。
なにかを燻すような馴染みのない香り。
以前、フロリスとウィリアーナ庭園を訪れた際に感じた香りである。
けして良い香りではないのだが、なぜかその正体が気になったクラウディアは、会場から遠ざかるようにその香りがするほうへと歩き出す。
「一体、なんの香りなのかしら……。東の大陸で香木という香りのする貴重な木があると聞いたことがあるけれど……もしかして、その香り?」
謎の香りに誘われるようにクラウディアは、鼻をクンクンさせて通路を進む。
どうやらその香りは、一番奥まった場所の屋から強く漂ってきている様子だ。
それを確かめようと顔を近づけた瞬間、目の前の扉が開く。
「おっと! なにか御用ですか? お嬢さん」
すると、中からフロリスと同じくらいの身長の青年が出てきた。
「た、大変失礼いたしました! その……夜会に疲れたので、未使用のお部屋であれば休憩しようかと思っていたのですが……」
「なるほど」
そう言って青年はニッコリと笑みを浮かべる。
しかしクラウディアには、その笑みがとても邪悪なものに見えた。
なぜならその青年は、第三騎士団の青い騎士服を着ていたからだ。
「し……使用中のようなので別の部屋を探しますね! 失礼いたしました!」
危機感を抱いた彼女はペコリと頭を下げ、脱兎のごとく立ち去ろうとした。
しかし、青年は素早くクラウディアの腕を掴み、自分のほうへと引き寄せる。
「そんなに急がなくてもいいではありませんか。休憩なら我々とご一緒にいかがですか?」
「い、いえ! 結構です! は、離してください!」
背後から拘束されるような状態になったクラウディアは、青年から逃れようと必死で抵抗する。
すると、部屋の奥から別の青年の声がした。
「おい、レゾ! なにやってんだよ! 早く扉を閉めろ! 煙が漏れるだろう!?」
その瞬間、クラウディアの顔から一気に血の気が引く。
なぜならその声は、二週間前にフロリスと揉めたアロガンと同じものだったからだ。





