26.見過ぎ令嬢は出待ちされる
ダンスを終えた二人は、次の曲がはじまる前にその輪から外れた。
そんな二人に周囲は好奇の目を向けてくる。
特にクラウディアには、フロリスを慕う若い令嬢たちからの鋭い視線が突き刺さってきた。
その状況に居たたまれなくなりうつむくと、突然呼びかけられる。
「クラウディア様!」
顔を上げると、満面の笑みを浮かべた侯爵令嬢のイデアの姿があった。
その瞬間、クラウディアに向けられていた鋭い視線が消える。
どうやらこの一瞬で、令嬢たちは彼女が侯爵令嬢と親しいという状況を認識したらしい。
恐らくイデアは、前回の王太子妃の誕生祝賀会の時のように、クラウディアに嫉妬の目を向けてくる令嬢たちを一瞬で牽制する目的で、敢えて目立つように声をかけてくれたのだろう。
その心強い後ろ盾にクラウディアが安堵する。
「お、お久しぶりでございます。イデア様」
「クラウディア様がお元気そうでよかったわ。今日はフロリス様にエスコートをされていらっしゃるのね」
「は、はい!」
はにかみながらそう答えると、イデアがふわりと笑みを深める。
「実は先ほどアゼリア様にもお会いしたので、クラウディア様も交えて少しお話でもと思ったのだけれど。今お誘いしたら、お二人の邪魔をしてしまうわね……」
「えっ!? あ、あの……それは……」
イデアの申し出にクラウディアの心の中の天秤が大きく揺れ動く。
現状フロリスにエスコートしてもらっている夢のような状況ではあるが、初めてアゼリア以外で親しくなった令嬢たちとの交流も魅力的なので、その二択で葛藤がはじまってしまう。
そんな彼女の心の声が聞こえたのか、フロリスが苦笑しながら間に入った。
「クラウディア嬢、よければご友人方とおしゃべりを楽しんできてもいいよ? その間に僕は、現状の会場警備体制の情報を同僚や後輩たちと共有をしてくるから」
「警備状況の共有……ですか?」
「うん。一応、今回の第二騎士団はゲスト扱いだけれど、『夜会などに参加している時でも常に騎士としての自覚を持て』っていうのが、うちの団長の口癖で……。今回も参加しつつ警備体制に目を光らせろって言われているんだ」
「だ、第二騎士団長様は真面目な方なのですね」
「単純に某問題騎士団が、なにかやらかさないか警戒しているだけなんだけれどね」
そう言ってフロリスは、会場警備している青い騎士服の青年達に目を向ける。
今回の会場警備はゲスト的立場である第二騎士団が使えないため、第三騎士団がメインで行っている。
その状況を改めて認識したクラウディアは、不安から表情を曇らせた。
「大丈夫だよ。警備の人選はセヴァン副団長が采配したらしいから。だから安心してご友人方とおしゃべりを楽しんできて」
「は、はい!」
フロリスに促され、クラウディアはイデアのほうへと向き直る。
「お、お待たせしました! そのお誘い、是非お受けいたします!」
「折角、フロリス様にエスコートいただいているのに……よろしいの?」
そう言ってイデアがチラリとフロリスに視線を向ける。
「構いませんよ。ただし、あとで必ず彼女をお返しくださいね?」
「ふふっ! わかりました。それではクラウディア様を少々お借りいたしますね」
「ええ。それじゃあクラウディア嬢、三十分後に迎えにいくけれど……その前になにかあれば、スイーツコーナー辺りに同僚たちと一緒にいるから声をかけてね」
「わ、わかりました」
そう言ってフロリスがその場を離れた途端、一斉に令嬢たちが彼に群がりだす。
その様子に唖然としていると隣のイデアが苦笑した。
「フロリス様は相変わらず人気でいらっしゃいますわね……。ですが! 彼の心を射とめたのはクラウディア様なのだから自信をお持ちになってね!」
「は、はい……」
自信なさげに返事をしたクラウディアは、イデアの後に続く。
すると、高位貴族専用の休憩スペースにイデアの友人のスフィーダとシャルロット、そしてアゼリアの姿があった。
到着するやいなやクラウディアは三人から質問責めにされた。
「ラディ! 凄いじゃない! 今日はフロリス様にエスコートをされて来場したのでしょう!? 一カ月前に比べたら大進歩だわ!」
「並んで来場されたお二人を目にした際、クラウディア様の思いがやっと通じたと感極まり、わたくし思わず涙ぐんでしまいましたわ……」
「それよりも注目しなければならないのはそのドレスと髪飾りです! そちらはフロリス様から贈られた物ですよね!? 淡い黄色のドレスはフロリス様の髪色ですし、髪飾りのエメラルドは瞳の色ですもの!!」
興奮気味の三人の様子にクラウディアが戸惑いの表情を浮かべる。
すると、すぐにイデアが三人をやんわりと窘める。
「皆様、クラウディア様が困惑されているわ。少し落ち着きましょう?」
その一言で三人は我に返り、三人は気まずそうに苦笑を浮かべる。
「それで……結局のところ、お二人の仲はどのような進展を見せているのでしょうか? もしやすでに婚約を交わされたのでは!?」
しかしイデアも三人と同様に興奮気味でクラウディアに核心に迫る質問をしてきた。
「えっと、その……はい……。じ、実は先ほど、婚約の申し出を受け入れると返事をさせていただき――――」
「「「きゃぁぁぁぁぁー!!」」」
クラウディアが言い終わらぬうちにイデアたち三人が令嬢らしからぬ歓喜の声を上げる。
しかしアゼリアだけは、唖然とした様子で驚いたままだった。
「ど、どのようにフロリス様は婚約を申し込まれたのですか!?」
「ええと……二日前にこのドレスと髪飾りを贈られて……。もし婚約を受けてくれるのであれば、本日の祝賀会に着てきてほしいと……」
「まぁ! なんて素敵な演出の返答の確認のされ方なの!」
「ですがその二日間、フロリス様はクラウディア様がどのように返答なさるか、不安な時を過ごされていたのでしょうね……。でもそれはそれで切なくて素敵!」
「そ、それで? 今のお姿を目にしたフロリス様は、どのような反応をされたのですか? やはり満面の笑みを浮かべていらっしゃったのでは!?」
イデア、スフィーダ、シャルロットの順でグイグイとこられたクラウディアは、その勢いに圧倒されアワアワしてしまう。
しかしその中で、なぜかアゼリアだけは気遣うような様子を見せる。
「ラディ……もしかして、あまり話したくない内容?」
「えっ……?」
その瞬間、興奮気味だった三人が我に返る。
「そ、そうですわよね! やっと思いが通じ合ったのですもの!」
「まずはお二人だけの秘密にして、じっくりその幸福感を噛み締めたいですわよね!」
「ごめんなさい……。あまりにも喜ばしい状況だったので、ついはしゃぎすぎてしまいました」
「い、いえ。その、皆様にも喜んでいただけて、とても嬉しいです」
背景には複雑な事情がある婚約だが、まるで自分のことのように喜んでくれる彼女たちの様子は、とても嬉しいものだった。
だが同時に早々に解消されるかもしれない婚約であることに罪悪感も抱いてしまう。
それが表情に出てしまっていたのだろう。
イデアが気遣うように別の話題を振ってきた。
「そういえばアゼリア様もご婚約のお話が進んでいらっしゃるのよね」
「ええ。まだ正式に婚約は交わしておりませんが……」
その話に今度はクラウディアが驚きの表情を浮かべる。
「もしかして……この間、お会いしたエレオス様と?」
「そうよ。一応、父と兄にも相談したら二人ともいいんじゃないかって。ただ……まだどんな方なのか分からないから、最低でも半年は交流してから婚約にいたると思うけれど」
「よろしければ、アゼリア様のお相手の方のお話も教えてくださらない?」
「構いませんが……わたくしの場合、ラディと違って何の面白みもございませんよ?」
「今はそうでも、そこから情熱的な恋が始まるかもしれないでしょう?」
「そ、それは何とも言えませんが、話すだけなら……」
「「「是非!」」」
どうやら彼女たちの興味は、アゼリアとエレオスの馴れ初め話に変わったようだ。
そのことに安心するも、これ以上フロリスのことを聞かれてしまうと心苦しくなりそうだとクラウディアは感じる。
そのため一度、気持ちを落ち着かせようと思った彼女は、少し席を立つことにした。
「あ、あの……わたくし、少々お化粧室に行ってきてもよろしいでしょうか……。先ほどのダンスで少し汗ばんでしまったので」
「でしたら、わたくしもついでにお化粧直しを」
すると、なぜかシャルロットも同行しようとする。
それを慌ててクラウディアが制した。
「で、ですが、これからアゼリアが婚約者候の方との馴れ初め話をはじめてしまいますよ?」
「そ、そうでしたわね……」
その反応から、彼女もアゼリアの話に興味津々なのが伝わってくる。
どうやらイデアたち三人は、フロリスの件で嫉妬されやすい状況のクラウディアを守ろうとしてくれているようだ。
「お、お気遣い、とても感謝しております。ですが、先ほどイデア様にお声掛けいただいたお陰で、周囲のかたも落ち着かれたかと思います。ですので、皆様にはこのまま彼女の話を楽しんでいただきたいです……」
遠慮がちにクラウディアが伝えると、イデアが苦笑する。
「確かに今のクラウディア様であれば、フロリス様とは相思相愛なのは誰が見ても明白ですものね。でも……もし絡んでくる方がいらしたら、すぐにわたくしの名前を出してね。大抵の令嬢であれば、わたくしとの付き合いがあることを知れば、すぐに引いてくださると思うから」
「はい。お気遣い、本当にありがとうございます」
そう言ってクラウディアは、足早に化粧室へと向かう。
その間、彼女は誰にも興味を示されなかったので、イデアの取り越し苦労だったようだ。
すんなりと化粧室に到着したクラウディアは、一応化粧が崩れていないか確認する。
侍女リリィの素晴らしい化粧技術と、負担の少ないダンスリードをしてくれたフロリスのお陰で、化粧は崩れていなかった。
そのことに安堵した彼女は、大きく深呼吸をしてから化粧室を出た。
しかし通路へ出ると、見覚えのある三人組の令嬢が彼女を待ち構えていた。
真ん中のリーダー格の令嬢が、人形のような整った顔立ちで黄色味の強い見事な巻き髪の金髪を揺らしながら、挑戦的な笑みを向けてくる。
その瞬間、クラウディアの頭の中に『キャロライン』という令嬢の名が浮かび上がる。
「ごきげんよう。クラウディア様。少しお話をしたいのだけれど……よろしいかしら?」
にっこりと口元に笑みをうかべているキャロラインだが、その目元は一切笑っていない。
そのことに怯えを感じつつも断ることができそうにないので、クラウディアは観念するように受け入れる。
「はい……」
「ではここではなんですので、我が家が予約しているゲストルームでお話をいたしましょうか」
「い、いえ! ここでお願いいたします!」
キャロラインの申し出にクラウディアは間髪を容れずに辞退を申し出た。
気弱そうなクラウディアのその返しにキャロラインが驚きの表情を浮かべる。
「ですが……少々長くなるかと」
「で、では一度イデア様方に長く席を外すとお声がけしてきてもよろしいでしょうか!」
怯えながらも全力で防御に徹するクラウディアにキャロラインが呆れるように半目になる。
彼女の取り巻きらしき令嬢二名は、その様子にクスクスと笑いをこぼした。
「わかりました。では手短にですが、あなたにとって重大な情報をお伝えいたしますね」
「重大な情報……ですか?」
「ええ。あなた、一カ月前からフロリス様と婚約を前提におつき合いをされているそうですね」
指摘されたクラウディアがビクリと肩を震わせる。
「しかも今のあなたはフロリス様の髪色と瞳の色の衣装を身にまとっている。つまり交際期間は終了し、婚約を申し込まれたと解釈してよろしいかしら?」
「そ、それは……」
「悪いことは言いません。今すぐその婚約をご辞退されたほうがよろしいですわよ」
「えっ……?」
「実はわたくしの従兄が第二騎士団に所属しているのですが……現在騎士団では、ある内容で団員の方々が賭け事されて楽しまれているという話を小耳に挟みまして」
含みのある話の切り方をされ、クラウディアは警戒心から表情を強張らせる。
「その賭けの内容というのが、フロリス様がご家庭の事情で退団を希望された際、ガイルズ騎士団長様より中央貴族の令嬢と婚約をしないと認めないと言われ、それが成功するかどうかの結果を団員の方々が面白がって賭けに興じているそうなのです」
その話にクラウディアは、ひゅうっと息をのんだ。
「フロリス様のお兄様であるオルフィス様が、隣国の第二王女殿下と想い合っているというお話はご存じ? フロリス様は、ご自身が家督を継がなければお兄様たちが引き裂かれてしまうから、それで退団を強く希望されているの」
その話はクラウディアも詰所で耳にしたので知っている。
改めてフロリスの置かれている状況を思い、うつむいた。
「あなたはね、退団するための条件を満たす相手に選ばれただけなの。しかも辺境領の貴族たちは中央貴族に対してあまりと良い印象を持っていない。隣国の王家との繋がりがある家に中央貴族の令嬢が嫁ごうとすれば周囲から反対されるから、この婚約は解消することが前提で申し込まれた可能性が高いの」
いたぶるようにゆっくりとした口調で語るキャロラインの話の内容にクラウディアは、背中に冷や汗が流れるのを感じた。
「はっきりと申し上げますね。クラウディア様。あなた、退団を希望されているフロリス様にいいように利用されておりますわよ」
その瞬間、クラウディアはグッと唇を引き結び、さらに深くうつむいた。





