25.見過ぎ令嬢は全身で婚約を受け入れる
フロリスからドレスと髪飾りを贈られてから二日後――――。
それらを身につけたクラウディアは、一人馬車に揺られていた。
午前中に行われた第二王子の叙勲式には第二騎士団員たちは強制参加だったため、兄やフロリスはすでに登城している。
そのため夕方から行われる祝賀会には、クラウディアは一人で向かわなくてはならなかった。
一応、フロリスから婚約の申し入れをされた経緯を兄のクレストには説明し、馬車が到着した直後だけエスコートを頼んだ。
その際、第二騎士団内で行われている賭けについて抗議してみたが「ただの遊びだ」と軽く流されてしまった。
どうやら兄は、フロリスが退団したがっている本当の理由を知らないらしい。
もし事情を知っていれば、流石の兄でもそんな賭けには参加しないはずだ。
そんな兄が今のクラウディアの姿を見れば、やっと妹のエスコート役から解放されたと大喜びするだろう。
今回どのドレスを着て参加するかは、兄にも伝えていない。
だが、光り輝くような薄黄色のドレスとエメラルドの髪飾りで着飾ったクラウディアは、全身でフロリスからの婚約を受け入れることを主張していた。
この二日間、彼女は婚約を受けることに関して真剣に考えてみたが、気持ちは一切変わることはなかった。
それはフロリスに対する献身的な想いからではなく、純粋に彼との婚約を強く望んだゆえの選択だった。
たとえすぐに解消される可能性が高くても、クラウディアはフロリスの婚約者になりたかったのだ。
だが、フロリスは違う。
彼は兄オルフィスのために早急に中央貴族の令嬢と婚約する必要がある。
家督を継ぐためには在籍している騎士団の退団は必須だ。
それには団長のガイルズが出した『一カ月以内に中央貴族の令嬢と婚約』という条件を達成しなければならない。
条件を達成し、無事に退団できたとしても交わされた婚約は辺境領の貴族たちに反対され、解消せざるを得ない可能性が高いことも彼は頭に入っているはずだ。
それでもフロリスは、可能な限りクラウディアを妻に迎え入れるために尽力してくれるだろう。
だが、それはあくまでも自分の都合で婚約を申し込んだ責任をとるためだ。
そこに彼の気持ちがあるかは、また別問題となってくる。
この一カ月間の交流でクラウディアは、フロリスが自分に抱く感情は恋愛的なものではなく、愛玩対象としての好意しか抱けないのではないかと感じている。
そのことを踏まえ、婚約を受け入れるかどうかをよく考えてほしいと、最後までクラウディアの意志を尊重してくれているように思えた。
またこんなまどろっこしい方法で婚約への意思表示を頼んできたことにも、彼の気遣いを感じた。
この方法であれば、クラウディアは断る選択をしても違うドレスを着て祝賀会に参加するだけでいい。
敢えて断りの言葉を口にしなくてもいいようにフロリスは配慮してくれたように思えた。
しかし、どんなに考え直してもクラウディアの選択は『婚約を受け入れる』の一択だった。
たとえ兄オルフィスのために恋心を利用されて申し込まれた婚約だったとしても、それでフロリスの望みが叶うのであれば、喜んで受け入れようと決めていたからだ。
だが、今着ているドレスと高価な髪飾りを贈られたことを考えると、フロリスは本気で婚約を申し込んだ責任を取ろうとしている。
辺境領の貴族たちに反対され、解消される可能性が高い婚約だが、彼の性格を考えると、クラウディアの経歴を守るために全力で抗い、婚約解消を回避しようと努めてくれるはずだ。
しかし、それは愛玩対象でしかないクラウディアを妻として迎えることも意味していた。
果たしてそこにフロリスの幸せはあるのだろうか……。
できれば彼にはペットのような愛玩対象でしかない自分ではなく、愛する女性と幸せになってもらいたい。
周囲の反対で婚約が解消されるのであれば、それでいい。
だが、周囲の反対を押し切ってクラウディアを妻にした場合、彼を一番不幸にしてしまうのは自分ではないだろうか。
そんな考えに至ってしまった彼女は、婚約後に自分がどう立ち回ればいいか酷く悩んでいた。
すると、馬車が大きく旋回し城内の敷地に入ったことを告げてくる。
窓の外に目を向ければ、仄かな明かりと祝賀会に参加する貴族たち、そして自身のパートナーを待ちわびている黒い騎士服を着た第二騎士団員たちの姿も目につく。
他の来場者達と同じように、クラウディアの乗った馬車も順々に停車スペースに入っていく道の列に入り、少しずつ進んでいった。
その度に彼女の緊張感は高まっていく。
すると明るさを一番感じる場所で馬車は停車し、いきなり扉が開かれる。
そこから不機嫌そうな兄が片足を乗り上げ、クラウディアに手を差しだしてきた。
「なぜ私がお前を出迎えなければならないんだ……」
「お兄様たちがなさっている『賭け』の結果が分かりやすいようにフロリス様が配慮してくださった方法なのですから、我慢なさってください」
「フロリスは自分がそんな賭けの対象にされていることなど知らない!」
そう言ってクラウディアの腕を掴み、引っ張り出すように馬車から降ろす。
兄の言い分に妹が驚きの表情を浮かべた。
「フロリス様は……ご自身が賭けの対象にされていることをご存じないのですか?」
「本人に知られたら賭けにならんだろうが……」
「ですが、団員の皆様はフロリス様が騎士団長様から出されている退団条件の内容をご存知なのですよね?」
「一カ月以内に婚約できなければ退団させないという条件か? 賭けのネタにしているのだから、皆も知っている」
呆れ気味にそう言われたクラウディアは、怪訝そうに首をかしげる。
第二騎士団内でのフロリスは、後輩だけでなく先輩や上司からも慕われている。
だが今の兄の話からだと、深刻な事情で退団を交渉している彼の状況を殆どの団員たちが、軽く捉えているように感じた。
この状況から兄も含め、殆どの団員たちがフロリスが退団を希望する本当の理由を知らないのではないかとクラウディアは考える。
その中で一部の団員たちが、なぜ彼が退団を希望しているのかを兄オルフィスの件から察したのだろう。
それが五日前に詰所で耳にした団員たちの会話内容である。
フロリスは本当の退団理由を誰にも告げず、静かに第二騎士団を去ろうとしているのだ。
そんな彼の状況にクラウディアは同情せずにはいられなかった。
すると、自分達のほうへゆっくりと近づいてくる人の気配を感じた。
「クラウディア嬢……。贈ったドレス、着てくれたんだね……」
振り返ると、切なそうな笑みを浮かべたフロリスがいた。
そのなんとも言えない表情を目にしたクラウディアも同じような笑みを返す。
「はい。よく考えてみましたが、気持ちは変わりませんでした」
「そのドレス、思った通り凄く似合っているね……」
「ありがとうございます。とても素敵なドレスなので、本日着れることを楽しみにしておりました」
どこか切なそうな雰囲気の彼にクラウディアは平静を装い対応する。
すると、兄に掴まれていた腕をそのままフロリスに突きだされた。
「お前が用意したドレスを着ているのだから、エスコートするのに問題はないだろう? さっさとこの愚妹を引き取ってくれ」
「副団長……妹さんの扱いが酷すぎませんか?」
「お前たちが面倒すぎるんだ!」
そういってクレストは妹を部下のほうに押しやり、足早に会場へと戻っていった。
そんな兄の仕打ちに唖然としていると、フロリスが苦笑を浮かべながら手を差し出してくる。
「クラウディア嬢。本日は私がエスコート役を努めてもよろしいですか?」
「はい……。是非お願いいたします」
手を取ると、フロリスがふわりと微笑んだ。
そして二人は、すでに盛り上がりをみせている会場に足を踏み入れる。
すると一部の若い令嬢たちが大きく反応し、クラウディアはビクリと肩を震わせた。
その視線をさえぎるようにフロリスが顔を覗き込んできた。
「よろしければ一曲、踊っていただけませんか?」
一瞬、なにを言われたか分からなかったクラウディアはポカンとする。
だが、すぐにダンスを申し込まれたのだと理解して慌てだした。
「あ、あの! わたくし、兄以外と踊ったことがなくて……。しかも毎回足を踏んで怒られてしまう状態なのですが……」
「構いまわないよ。いくらでも踏んで」
「ええっ!? そ、そういうわけには……」
「騎士たちに支給されているブーツは、上からの衝撃に備えて丈夫に作られているから安心していいよ」
どうやらクラウディアが足を踏むことは想定済みだったようだ。
そのことに安堵するべきなのか、複雑な気持ちを抱く。
それでもフロリスからのダンスの誘いは魅力的すぎた。
「で、ではお受けいたします」
返答と同時に腰からグッと引き寄せられ、そのままダンスフロアまで誘導される。
驚いて声をあげると、フロリスが楽しそうに笑いをこぼした。
「以前抱きかかえた時も感じたけれど、君は本当に羽のように軽いね」
その感想から交際を申し込まれた日の失態を思い出したクラウディアは、顔を真っ赤にさせた。
「そ、その節は大変お手数をおかけいたしました……」
「気にしないで。僕にとっては役得だったから」
「うぅ……」
一カ月前の失態を反省していると、あっという間にダンスフロアに到着する。
すると、フロリスはそのままの流れでダンスを始めてしまう。
いきなり開始されたダンスにクラウディアは頭の中を真っ白にさせた。
「あ、あの! わたくし、本当にダンスは苦手で!」
「大丈夫。君はただ力を抜いて僕に身を任せればいいから」
そういってフロリスは、負担がかからない範囲でクラウディアを優雅に躍らせる。
この時、彼女は人生で初めて相手の足を一度も踏まずに踊り切る経験をした。





