24.見過ぎ令嬢はドレスと髪飾りを贈られる
帰宅したクラウディアはそのまま自室に直行し、交際を申し込まれてから今日が何日目なのか確認しようと、机の引き出しから紙とペンを取り出した。
「まず交際を申し込まれたのが第二騎士団の祝賀会だったから……」
そして交際開始日から今日までの日付を書き出し、日数を数える。
すると、今日でちょうど二十五日目であることが判明した。
「ど、どうしよう……。一カ月以内って、あと五日間しかないじゃない……」
現状フロリスと会う約束をしているのは、交際開始から二十八日目にあたる三日後の観劇の予定のみである。
まさかこの日に婚約の申し込むつもりなのだろうか……。
確かに演目はクラウディアがお気に入りのロマンス小説が原作の男女が結ばれる恋愛物なので、流れ的に婚約を申し込む雰囲気に持っていけなくもない。
しかし、どのタイミングで言い出されるのか全く想像がつかない。
「観劇のあとにレストランに行く予定だから、その時かしら……。でもそれだと人目についてしまうのだけれど……」
三日後にフロリスがどのような動きをするか想像してみるが、どうもピンとくるイメージが湧いてこない。
そもそも二人は、交際を開始してから三回しか交流していないのだ。
一度目は、エインフィート邸に彼を招待した時。
二度目は、宝飾品店とレストラン、そしてウィリアーナ庭園を周った日。
三度目は、調香店でフロリスが愛用しているハーブウォーターを手に入れた日だ。
その三度の交流だけで、フロリスは着実にクラウディアの心を捉えた。
それでも婚約を申し込むには、関係醸成のために過ごした時間が少なすぎる。
この状態でフロリスは、三日後に婚約を申し込むつもりなのだろうか……。
受け身でしかいられないクラウディアが彼のためにできることと言えば、婚約を申し込まれたら迷わず首を縦に振ることだけだ。
『ならばせめてフロリスが婚約を申し込みやすい雰囲気作りを心がけよう!』
そんな考えに至ったクラウディアは三日後に備え、気合いを入れた。
◆◆◆
それから、三日後――――。
クラウディアは雰囲気作りどころか、フロリスが差し出したハンカチを涙でビショビショにしていた。
「も、申し訳……ございません……」
えぐえぐ言いながらハンカチに顔を埋めていると、フロリスが頭を撫でてくる。
「最後はなかなか感動的な終わり方だったね。僕も思わず涙ぐんでしまったよ……」
「で、でもわたくし、原作の小説を読んでいるので、お話の結末は知っていて……」
「うん。結末を知っていても、あそこまで熱演されたら登場人物に深く感情移入してしまうよね」
「ず、すびばぜん……」
今度は鼻をグシグシと鳴らしはじめたクラウディアの背中をフロリスは優しくさする。
「次の公演時間まで時間はあるし、少し落ち着いてから外に出ようか」
「は、はい……。ほ、本当に申し訳ございません……」
かなり意気込んで本日に備えたクラウディアだったが……。
公演された演目内容にのめり込みすぎて感極まり、大号泣するという失態を犯していた。
「どうやらクラウディア嬢は、感受性が強すぎるみたいだね」
「ゆ、友人のアゼリアにも同じことを言われました……」
「そんなに落ち込まないで。それは共感力が高いってことだから、僕は長所だと思うよ?」
「で、でも……感情を制御できないことは、淑女としてどうかと思います……」
会話をすることで少しだけ落ち着きを取り戻したクラウディアだが、自分の不甲斐なさから鼻をグズグズいわせる。
そんなクラウディアの背中をさするフロリスは、見守るような温かい笑みを浮かべていた。
「確かに社交場では、ある程度は感情を制御できたほうがいいとは思うけれど……。観劇は色々と感じて楽しむものだから、今回のクラウディア嬢は大満喫していたと思うよ?」
「ですが、お化粧が全部落ちてしまいました……」
「ふふっ! そ、そうだね。でも君は化粧をしていなくても十分可愛いから、気にしなくてもいいと思うよ」
「そ、そんなことは!」
「あとこんなこと言うのは申し訳ないのだけれど……。グシグシいって涙ぐんでるクラウディア嬢は物凄く可愛いから、僕としては観劇よりもこっちのほうが見れて大満足かな」
「フ、フロリス様ぁー……」
クラウディアが情けない声を上げると、彼女の腹がきゅるるるーと可愛く鳴る。
その瞬間、フロリスは噴き出し、クラウディアは顔を真っ赤にさせた。
「も、申し訳ございません!! 大変失礼いたしました!」
「い、いや、大丈夫。でもたくさん泣いたらお腹も空いちゃうよね……。この後、レストランを予約しているから、すぐに向かおうか」
「……はい」
正直すぎる自身の腹を恨みながら、クラウディアは静かにうなずく。
しゃくり上げも大分治まってきたのを見計らい、二人は劇場を後にした。
「今回予約しているレストランなんだけれど、実はセヴァン先輩のおススメなんだ。なんでも奥様との思い出がある素敵なお店らしくって」
馬車の中でそんな話題を振られたクラウディアは、婚約の申し込みを仄めかされているように感じてしまい、緊張で体を固くする。
「そ、そうなんですね。た、楽しみです!」
「料理も美味しいらしいんだけど、一番の売りは焼きプディングなんだって」
「焼きプディング!」
その反応から、フロリスはその焼きプディングの詳細を口にする。
すると、すっかり焼きプディングに意識を持っていかれたクラウディアは本日の使命を忘れ、いつも通りのデートを楽しみはじめてしまう。
そんな彼女は食後に自身の焼きプディングを堪能したあと、満面の笑みを浮かべたフロリスが差し出してきた分までも平らげた。
そして二人は濃い目の味の茶を飲みながら、先ほどの観劇談議に花を咲かせる。
この時のクラウディアは『婚約を申し込みやすい雰囲気作り』に関しては、すっかり頭の中から抜け落ちており、生き生きとした様子でフロリスとの会話を楽しんでいた。
今のクラウディアには、一カ月前のモジモジしていた様子は見る影もない。
それだけこの一カ月間は、彼女の中でフロリスと過ごす時間を自然なものにさせた。
だが、そのことにクラウディア自身はまったく気づいていない。
そんな楽しい会話時間を満喫していた二人だが、ふとフロリスがポケットから時計を取り出し、時間を確認する。
「そろそろ出ようか。もう二時間近くも居座ってしまっているし」
「まぁ、そんなに時間が経っておりましたか?」
「うん。楽しい時間って、あっという間に過ぎてしまうよね……」
その言葉でフロリスから婚約を申し込まれるような素振りが一切なかったことにクラウディアが気がづく。
しかも本日の交流は、このまま終了になりそうな雰囲気である。
その状況にクラウディアは焦りだした。
すると、フロリスがパチンと時計の蓋を閉じる。
「実はこの後、少し立ち寄りたい店があるのだけれど……いいかな?」
「は、はい!」
どうやら、まだお開きにはならないらしい。
そのことに安堵したクラウディアは、再びフロリスと共に馬車に乗り込む。
「あの、立ち寄りたいお店というのは……」
「その髪飾りを購入した装飾品店だよ」
そういって現在クラウディアが身に着けている髪飾りを指さす。
どうやら馬車はアリーズの店に向かっているらしい。
だが店では、婚約指輪などの特別な贈り物になる商品も扱っている。
そのことを思い出したクラウディアは、再び緊張感に襲われる。
しかし、それは彼女の杞憂に終わった。
「シエル様、お待ちしておりました」
「この間、注文していた品物は入荷していますか?」
「はい。どちらもお渡しすることが可能です」
アリーズに前回と同じサロンに通されたクラウディアは、二人の会話から今回フロリスは純粋に注文品を受け取りに来ただけだと判断する。
ただこの後、フロリスは少し不思議な行動を見せた。
「ご注文品の中身を確認されますか?」
「ええ。ですが、別の部屋で確認したいのですが……」
そう言って彼は、なぜかチラリとクラウディアに視線を向けたのだ。
するとアリーズが何かを察したように「では、こちらで」とフロリスを別室に案内しはじめる。
クラウディアもそれに続こうとしたのだが、なぜかフロリスに手で制される。
「ごめんね、クラウディア嬢。ちょっとここで待っててもらえるかな。実は今から確認する品は、内密に発注した特別な品なんだ…」
「は、はい! わかりました」
気まずそうにやんわりと同行を断られたクラウディアは、一人ポツンとサロンに残される。
一瞬、『フロリスの瞳の色の宝石があしらわれた宝飾品を贈られるのでは?』と身構えていたクラウディアだったが、どうやら違ったようだ。
では、一体フロリスが特注した品物はなんだったのだろうか。
そのことに考えを巡らせていたら、少し前に兄のクレストが義姉と共に二日後に行われる第二王子の叙勲式で身につける装飾品を選んでいたことを思い出す。
もしかしたらフロリスも、その時に身につける装飾品を特注していたのかもしれない。
そんな推察をしながら出された茶菓子を頬張っていると、二人が戻ってきた。
「待たせちゃって、ごめんね」
「いいえ。お品物の確認はもうよろしいのですか?」
「うん。凄く満足のいく仕上がりだった」
「それは良かったです」
なにを購入したか不明だが、それは完全にオーダーメイドの品らしい。
やはり二日後に出席する第二王子の叙勲式に身につける物だと、クラウディアは勝手に確信する。
すると、アリーズがフロリスに声をかけてきた。
「お品物は先に馬車のほうへ運んでおきました」
「ありがとうございます。内金の残りは後日使用人が支払いにまいりますので、よろしくお願いします」
「かしこまりました。本日は他にもなにかご覧になられますか?」
その瞬間、再びクラウディアに緊張が走る。
「いえ。今日はもうこれで失礼いたします」
「ではお出口まで、お見送りを」
どうやらこの店に立ち寄ったのは、本当に注文品を受け取るためだけだったようだ。
変に身構えてしまった自分にクラウディアは羞恥心を覚える。
そんな彼女が馬車に乗り込むと、向かい側の席で大きな白い箱がその存在を主張していた。
「ごめんね。さっき購入した品物なんだけれど、かなりサイズが大きくて……。申し訳ないのだけれど、帰りはクラウディア嬢のお隣を失礼してもいいかな?」
「は、はい! もちろんです」
行きとは違い、フロリスが横並びするようにクラウディアの隣に腰かける。
今までなかった距離感が新鮮で彼をこっそり見上げると、柔らかな笑みを返された。
その恥ずかしさで慌てて正面を向くと、白い箱が再び目に入る。
よく見るとギフト用の飾りリボンがついている箱は、どうやら贈り物のようだ。
一体誰への贈り物なのか気になるが、フロリスがその話題を口にしないので、結局は聞けずじまいの状態で馬車はエインフィート邸に到着してしまった。
フロリスにエスコートされながら馬車から降りると、リリィとラウールが出迎えてくれる。
「フロリス様、本日は主とおつき合いいただき、ありがとうございました」
「よろしければ、お帰り前にお茶でもいかがですか?」
前回と同じようにラウールが社交辞令で声をかけた。
すると、今回のフロリスはその申し出を素直に受ける。
「ではお言葉に甘えて一杯だけ」
「ではサロンにご案内いたし……」
「図々しいお願いなのだけれど、もし可能ならクラウディア嬢のお部屋でというのは……難しいかな?」
その要望にクラウディアだけでなく、リリィも驚きの表情を浮かべる。
「やっぱりダメ……かな?」
「い、いえ。問題ないです! リリィ! すぐにお茶の用意を!」
「は、はい。かしこまりました……」
クラウディアの指示で、すぐにリリィとラウールが動く。
「そ、それでは部屋にご案内いたし……」
そういってフロリスのほうを振り返ると、なぜか彼は先程の大きな白い箱を抱えていた。
どうやら後ろに控えていた御者が馬車を降りた際に箱を抱えていたようで、それを受け取ったらしい。
だが、なぜそれをクラウディアの部屋まで持ちこもうとしているのかが分からない。
「あ、あの……その箱は……」
「ああ、気にしないで。大切な物だから、側に置いておきたいんだ」
「そう、ですか……。では、ご案内を……」
フロリスの行動に疑問を感じつつも、クラウディアは自室に彼を案内する。
入室後、長椅子を勧めると彼はまず最初に白い箱を置き、その隣に腰かけた。
その箱の存在に気を取られていると、リリィがティーセットを乗せたワゴンを運び入れ、あっという間に二人分のお茶を用意してくれる。
すると、なぜかフロリスはリリィに目配せをした。
「お嬢様、私は一度下がります。御用の際は、ベルでお知らせくださいませ」
「え、ええ……。わかったわ」
いつものリリィであれば、男性と二人っきりの空間にクラウディアを残すようなことはしない。
だが、この時の彼女はフロリスの目配せでなにかを察したのだろう。
そのことを不思議に思っていると、フロリスが例の白い箱の蓋を手に取り持ち上げた。
そこには淡く優しい色味の薄黄色のドレスがふんわりと収められていた。
「きれいなドレス……」
「うん。僕もこの仕上がりには大満足だ」
そう言ってフロリスは、ドレスと共に入っている小さな小箱をとりだす。
それをテーブルの上に置いてパカリと開いた瞬間、クラウディアは息をのんだ。
そこには濃厚な色味のエメラルドがほどこされた金の髪飾りが入っていたのだ
「ええと、これらは一体……」
「交際を申し込んだ時、婚約を前提に一カ月間お試しで付き合って検討してほしいとお願いしたのだけれど……覚えているかな?」
「は、はい……」
「そろそろその一カ月になるのだけれど、クラウディア嬢の気持ちを知りたくて……」
その瞬間、クラウディアの中で一気に緊張感が走る。
「あ、あの! わたくし―――」
「待って。今すぐ返事を聞きたいわけではないから」
「えっ……?」
「婚約を受けるかどうかの返答は、二日後に開かれるグランツ殿下の叙勲祝賀会の時に聞かせてほしい」
「で、ですが、わたくしの気持ちは、もう決まって……」
「クラウディア嬢」
急に低い声で名前を呼ばれ、クラウディアがビクリと肩を震わせる。
「僕は今回、かなり強引な手順で君に婚約を受け入れてもらおうとしているんだ」
その言い分に彼が第二騎士団長から出されている条件が、クラウディアの頭の中をよぎる。
同時に今のフロリスが、かなり焦っている様子であることも感じた。
「それでも……君の意志は尊重したい。ありがたいことに君は僕に対して好印象しか抱いていないようだけれど、婚約に関しては、よく考えてほしいんだ……。たった一カ月の交流だけで、婚約を受け入れるかどうか決めてほしいと迫る男が、婚約者として誠実かどうかを……」
そう言ってフロリスは、ドレスが入った白い箱をクラウディアに見せるように持ち上げる。
「もし婚約を受け入れてくれるなら、二日後の殿下の叙勲祝賀会にこのドレスと髪飾りで参加してほしい。その場合、是非エスコートもしたい。でも婚約を断る場合は……違うドレスで参加してくれないかな。そうすれば一目で君の気持ちがわかるから。その時は僕も無言で立ち去るよ……」
「ですが、わたくしは、もう――――」
「二日間しか悩む時間を君にあげられないのは心苦しいけれど……その間、じっくり考えてほしい。本当に僕との婚約を受けていいかを」
少し厳しめな口調で言い放ったフロリスは、ドレスの入った箱の蓋を閉める。
「それと、もし婚約を断る場合でも、このドレスと髪飾りは受け取ってほしい。この一カ月間、僕に付き合ってくれたお礼として」
まるでこれが最後の別れのような言い方をしたフロリスは、そのまま部屋の出口へと真っ直ぐ向かう。
「クラウディア嬢。二日後にこのドレスを着るかどうかは、よく考えて」
そう言い残したフロリスは、静かな足取りで部屋を出て行った。





