23.見過ぎ令嬢は賭けの対象にされていた
「なんだよ、それ!! まずなんで中央貴族の令嬢との婚約!?」
案内をしてくれた青年の叫びにクラウディアは、カーテン裏で密かに同意する。
すると、もう一人の青年がそのいきさつを説明しはじめた。
「先輩の家の領地って辺境領と隣接してるから、そのまま家督を継いだら、そっちに引きこもっちゃうじゃないか。でも中央貴族の令嬢と結婚すれば、定期的に王都にくる機会があるだろう?」
「確かにそうだけど……それ、なんかメリットあるのか?」
「俺たちや団長には特にない。でも王太子殿下にはある。殿下は第一の一番人気のオルフィスさんが抜けた穴を弟のフロリス先輩で埋めようとしてるんだよ」
「ええっ!? オルフィスさんも退団しちゃうのか!?」
「退団どころか……あの人、隣国に移住する気だ」
「はぁ!?」
クラウディアも声を上げそうになり、慌てて口元を押さえる。
「もしかしてオルフィスさんは、うちへの異動願が通らなかったから、この国に見切りをつけようとしているのか!?」
「そんな理由で隣国に行くわけないだろう!!」
「じゃあ、なんで隣国に行きたがってんだよ……」
「この二年間、オルフィスさんはリグルスの第二王女の護衛を専属で担当してるだろう? どうやらその間に二人は恋仲になったみたいなんだ」
「うわぁー……」
「でも第二王女は半年後に帰国する予定で、しかも侯爵位を叙爵することが決まってんだよ。二人が結ばれるには、オルフィスさんが女侯爵になった王女に婿入りするしかない」
「それで先輩がシエル家を継がなきゃならない状況が出てきたのか……」
まさかフロリスを取り巻く環境がそんなことになっていたとは、まったく知らなかったクラウディアは愕然とする。
同時になぜ自分が、その相手に選ばれたのか疑問を抱く。
先ほど案内をしてくれた青年も同じような疑問を抱いたようだ。
「なら子リス令嬢は、団長が出した退団条件の相手としては打ってつけじゃないか……。それなのになんでお前は、別れる可能性が高いとか言うんだよ!」
すると、相手の青年のものであろう深い溜め息がカーテン越しに聞こえた。
「確かに子リス令嬢なら、団長の条件も王太子殿下の希望も満たしてくれる。でもそれはあくまでも中央貴族の目から見た場合だろう? もしオルフィスさんが第二王女と結ばれたら、辺境領内の貴族たちにとってシエル家は、隣国の王族と繋がりがある魅力的な存在になる。そんな状態で先輩が中央貴族の令嬢を娶るって話に辺境の連中が納得すると思うか?」
その青年の考えにクラウディアはカーテン裏で息をのむ。
案内してくれた青年も落胆するようにポツリとつぶやいた。
「先輩が子リス令嬢を嫁に選びたくても辺境の連中に反対されるってことか……」
「多分な。しかも子リス令嬢は見るからに打たれ弱そうだろう? 辺境の令嬢は中央よりも気が強いっていうから、彼女じゃその環境に耐えられないことも先輩は危惧してると思う……」
クラウディアが悔しそうに唇を噛む。
たしかにフロリスにしか頼れない状況下で、そんな人間が多い場所に一人で嫁げば、弱い自分は確実に潰れてしまう。
「だったら、なんで先輩は条件を満たす相手として彼女を選んだんだよ! 先輩だって子リス令嬢の気持ち、知ってただろう!? いくらそういう事情があるとはいえ、今の状況はずっと先輩を思い続けていた彼女の気持ちを弄んで、最後は捨てるってことじゃないか!」
案内をしてくれた青年の訴えがカーテン裏のクラウディアの心にグサリと突き刺さる。
「お前……フロリス先輩がそんな非道なことをすると思うか?」
「そんなことないって思いたいけど……。でも今の話の流れじゃ、そういうことになるだろう!」
「そこなんだよな……。結局のところ、今フロリス先輩が子リス令嬢のことをどう思っているか分からないから、そういう可能性を考えちゃうんだよなー……」
「えっ? でも先輩、子リス令嬢のこと、かなり気に入ってるだろう? 毎回『今日も見られちゃった!』って面白がってたし」
「面白がってたからって彼女に好意があるとは限らないだろう?」
「そうだけど……」
すると、室内にどちらかの溜め息が響く。
恐らくクラウディアが顔を合わせていないほうの青年のものだろう。
「嫌な考え方をすれば、子リス令嬢って団長の条件を満たすだけでなく、先輩にとっても好都合な相手なんだよ。あれだけ先輩を慕っている彼女なら、婚約の話を取りつけた後に解消を言い出しても、すんなり受け入れてくれそうだろう?」
「せ、先輩がそんな酷いことするわけ――――」
「でも先輩が家督を継ぐためには退団は必須だ。でないとオルフィスさんたちは引き裂かれる。しかも辺境には、シエル家に嫁ぎたがっている令嬢が待ち構えていて彼女たちの回避は難しい。その状況下で団長の条件を満たす相手として選ぶとしたら、婚約後に解消をすんなり受け入れてくれそうな謙虚で盲目的に自分を慕ってくれている女性を選ぶだろう?」
自分がその選ばれてしまった令嬢であるクラウディアだが、その考えには同意してしまう。
すると、案内をしてくれた青年が心配そうにつぶやいた。
「でも……そんなことをしたら先輩、子リス令嬢に嫌われちゃうんじゃ……」
「もし今の仮説が本当だったとしたら、それも覚悟してるんじゃないか? その場合、先輩は周囲からかなり非難されるだろうけど……それでもお兄さんの幸せを優先したいんだと思う」
フロリスに同情するように二人が押し黙り、室内が静まり返る。
クラウディアもフロリスの性格から、その青年の仮説は当たっているような気がした。
調香店での会話からは、彼は兄のオルフィスをかなり慕っていると感じた。
またオルフィスのほうも弟をとても可愛がっている様子である。
そんな兄が将来の伴侶にしたい女性をやっと見つけたとなれば、兄想いのフロリスは全力で協力しようとするはずだ。
何よりも今の話から以前フロリスが口にしていた言葉がよみがえってくる。
『たとえば……自分の要望を通すために誰かを利用したりとか……』
レストランに向かう馬車の中で、後ろめたそうに口にしていたこの『誰か』というのは、クラウディアのことだったのではないだろうか。
心優しいフロリスにとって騙すようにクラウディアと交際をすることは、常に良心の呵責に耐え続けなければならない辛い状況であるはずだ。
それでもクラウディアから婚約の承諾を得られなければ、騎士団を去れず、兄オルフィスは家督を継ぐことを強要され愛する人との未来を失ってしまう。
騎士団長の条件を満たす相手としてクラウディアを選んだこともそうだ。
最終的に婚約を解消しなければならないのなら、せめて交際期間中だけでも全力で理想的な恋人に徹し、クラウディアを楽しませようという彼なりの優しさのように思えた。
実際に彼と過ごしたこの半月は、クラウディアにとって幸せな時間だった。
たとえその先に別れが待っていたとしても、その時間はクラウディアにとってかけがえのない宝物となることは間違いない。
「先輩は……それでいいのかな……」
案内をしてくれた青年のそのつぶやきが、静まり返った室内にやけに響く。
「いいわけないだろう? でも、その方法しか思いつかなかったんだろうな……。それにこの状況は、先輩とってもある意味、賭けなんだと思う」
「賭け?」
「上手くいっているように見えるけれど、子リス令嬢が一カ月以内に先輩の婚約を受けてくれる確証なんてどこにもない。もし断られたら先輩は退団できず、自分が家督を継ぐとご両親を説得できなくなる。結果、半年後にオルフィスさんたちは引き裂かれることになる」
その話にクラウディアは、今後の自分の身の振り方が重責を担っていることを実感する。
すると、案内をしてくれた青年がなにかに気づいたように「あっ」と声を上げた。
「なぁ。今気づいたんだけれど……今回一番酷いのって、そんな条件を突きつけて先輩を引き止めようとしているうちの団長じゃないか?」
「お前なぁ……。団長だって部下と上司の板挟みで辛い状況だってわかってないのか? 団長がそんな条件を出したのは、王太子殿下から先輩の退団を諦めさせてほしいって声が上がったからだ」
まさかフロリスの退団に王太子まで関与しているとは思わなかったクラウディアは、怯えるように再びカーテンを強く握りしめた。
「はぁ!? なんでそこで王太子殿下が出てくんだよ!?」
案内をしてくれた青年がクラウディアと同じ疑問をぶつける。
すると、相手の青年は冷静にその経緯を説明しはじめた。
「殿下は何度もフロリス先輩を第一に引き抜こうと狙ってただろう? でも先輩に退団されたら第一には引き抜けないし、オルフィスさんも家督は先輩が継ぐから隣国に行っちゃうじゃないか」
「だからって、なんで団長はそんな条件を出したんだよ……」
「団長も先輩に賭けてんだよ……。殿下には『無理難題を出して先輩を引き止める』と、この条件をのませたんだ。でも実際は先輩が条件を満たすことを信じて退団を後押ししてくれてるんだ」
「うわぁー……。ってことは、一番酷いのは王太子殿下?」
「まぁ、殿下としても複雑な心境なんじゃないか? 友人のオルフィスさんを生贄にしてまで、効率よく他国との繋がりが作れる第一の存在意義を維持したいと思うのは、為政者として当然だと思うし」
どうやらクラウディアがフロリの婚約を受けるかどうかで、今後の第一騎士団の状況が一変してしまうらしい。
軽い気持ちでフロリスからの交際を受けてしまったが、まさか裏ではそんなことになっているとは知らず、その重圧からクラウディアの顔色はどんどん悪くなる。
そんな彼女を励ますように案内をしてくれた青年があることをポツリと呟く。
「でも俺、先輩には賭けに勝って子リス令嬢と幸せになってもらいたい……」
「お前、それ絶対に先輩よりも子リス令嬢の幸せを願ってるだろう?」
「だってあんなに長い間、先輩のこと想ってたんだぞ!? 彼女は幸せになってもいいと思う!」
案内をしてくれた青年がそう力強く主張すると、なぜか相手の青年がプッと噴き出した。
「じゃあ、お前は『先輩は無事に退団。子リス令嬢とは婚約する』に賭けるってことで!」
「は?」
「今、第二内でフロリス先輩と子リス令嬢がどうなるか、皆で賭けてんだよ。掛け金は六百ダリア。フロリス先輩と今年入った新人以外は全員強制参加だ」
「はぁ!?」
「ちなみに他には『期限切れで子リス令嬢と婚約できず先輩は第二に残留』と『先輩は無事に退団。でも子リス令嬢とは婚約解消』がある」
自分が第二騎士団内で、そんな賭けの対象にされていることにクラウディアは唖然とする。
「ちょ、ちょっと待て! 団内での賭け事は禁止だろう!? なのに全員強制参加って……」
「安心しろ。掛け金は次回の慰労会に回される。ちなみに完璧に当てた奴は豪華なコース料理で酒は飲み放題。婚約解消は、退団まで当てたら酒は飲み放題だけど料理は普通。完全に外した奴は一番安いコース料理と足が出た分を出すってことになっている」
「じょ、状況は……?」
「お前に勧めた『退団して婚約もする』は、今のところ団長と副団長……あとアランしか賭けていない。一番多いのは『期限切れで先輩が第二に残留』ってやつだ。ちなみに俺は現実的に考えて『退団はできるが婚約は解消』に賭けた」
どうやらこの賭けには兄クレストも参加しているようだ。
そのことにショックを受けつつも、一番よい展開に賭けてくれているところに少しだけ兄心を感じた。
すると、案内をしてくれた青年が落胆ぎみに呟く。
「嘘だろう……? なんで一番幸せそうな展開に賭けているのが三人だけなんだよ……」
「団長とジェイクさんがいる限り、必ず酒代で足が出るからな。皆、確実に当てようと守勢に立っている……」
「くっ……。俺この間、やっと給料が上がったばっかりなのに……」
「子リス令嬢を応援したいんだろう? 後輩のアランを見習って男を見せろ!」
「わかったよ!! 俺も……子リス令嬢の幸せに希望を込めて賭ける!」
「じゃあ、俺から幹事のオーランさんにそう伝えておくな。あとで金払っておけよー」
「俺は先輩を信じる!」
そんな会話をしながら、二人は部屋を出て行った。
そのことを確認したクラウディアも恐る恐るカーテンの裏から抜けでる。
「まさかフロリス様がそんな事情で交際を申し込んでいたなんて……」
手にしている香水瓶をジッと見つめながら、フロリスのことを考える。
先ほどの話が本当ならば、クラウディアは近々フロリスから婚約を申し込まれるはずだ。
もちろん、その時は快く受けようと思っている。
たとえその後、辺境領の貴族から反対されてフロリスとの婚約が解消されたとしても……彼の人生で少しでも自分が役に立てたという実感が得られるだけで満足だ。
だが、そうなると第一騎士団の今後に影響を与えてしまう。
一番人気のオルフィスを失う第一騎士団は一時的に華がなくなるだろう。
ましてやその後にクラウディアとの婚約が解消されたら、フロリスは完全に辺境領に引きこもることになる。
それは王太子が一番望まない展開であり、クラウディア自身も第一騎士団の衰退に繋がるような選択はしたくない。
ならば自分はどのように行動するのが正解なのか……。
そんなことを考えながら、クラウディアは待合室を後にする。
全てが丸く収まるのは自分が本当にフロリスと婚約し、そのまま結婚に至ることだ。
だが、それは気弱なクラウディアがたった一人で辺境領へ嫁ぐことを意味する。
果たして頼れる相手がフロリスしかいない状況下で、自分はその環境に耐えられるのだろうか。
訪れるかもわからない未来の自分の立場を心配するしていた彼女だったが。
ふとあることに気づき、立ち止まる。
『オルフィスの件がなければ、フロリスに交際を申し込まれることはなかったのでは?』
交際を申し込んできた時、フロリスは『ずっと気持ちを言い出せなかった』と言っていた。
しかし甘い接し方を平然とやってのける彼が、三年間も行動を起こせなかったという状況は、少々無理があるように思える。
同時に気になるのが、彼が常にクラウディアに対して冷静すぎることだ。
動揺や赤面することが多いクラウディアに比べ、フロリスは常に平常心である。
子供から庇ってもらった時も密着した状況にもかかわらず、彼は顔色一つ変えていなかった。
何度も「可愛い」と口にしてくれるが、それは先ほどの第二王子の接し方と似ている。
すなわち、フロリスの『可愛い』は幼子を愛でる感覚に近いと思われる。
恐らくオルフィスの件がなければ、彼が交際を申し込んでくることはなかっただろう。
それを悲しいと感じるか、今の幸運な状況に感謝するかはクラウディア次第である。
もちろんクラウディアの場合、『今の状況に感謝する』の一択だ。
たとえ自分がフロリスに女性として見られていないとしても。
敬愛する兄オルフィスのために婚約を申し込まれたとしても。
クラウディアには、フロリスの願いを叶えたいという気持ちしかない。
その気持ちが確認できた彼女は、今後どう自分は動くべきかを考える。
『彼が無事に退団できるように婚約の申し入れをされたら必ず受ける!』
心根の優しい彼が自分を利用するような選択をしたのには、それなりの覚悟があったはずだ。
ならば自分も同じ覚悟を持って、全力で彼が願いを叶えられるように協力したい。
これまでなぜ自分がフロリスに交際を申し込まれたのか分からずに戸惑っていたが、その理由が明確になった今、彼女の中の迷いは完全に消え去る。
「王太子殿下には申し訳ないけれど、これだけは譲れない……」
呟くように自分に決意表明をしたクラウディアは、力強い足取りでリリィの待つ馬車へと戻った。
※【1ダリア】=【5円】のイメージなので掛け金は日本円で3,000円くらいです。





