22.見過ぎ令嬢は兄に届け物をする
王太子妃の誕生日パーティーから二日後の朝、クラウディアは一通の手紙を眺めながらニヤニヤしていた。
差出人は、二日前にフロリスを慕う令嬢たちの魔の手から救ってくれたあのイデアからである。内容は『近々、三人でお茶会を開くのでアゼリアと共に参加可能な日程を教えてほしい』というものだった。
これまでは誰が参加しているかわからないお茶会の招待状は憂鬱なものだった。
しかしこのお茶会は、全員クラウディアに好意的な令嬢ばかりだとわかっている上に、アゼリアも誘われているという安心感しかないお茶会なのだ。
しかもイデアはロマンス小説好きである。
初めて同じ趣味の令嬢と交流できることに浮かれたクラウディアは、お茶会で話題作り用に紹介するお気に入りの小説をどれにするか、何冊か引っ張り出して読み返していた。
すると、部屋の扉が控えめにノックされる。
「ラディ、今ちょっといいかしら……」
ドアの向こうから聞こえた義姉の弱々しい声にクラウディアは慌てて扉を開ける。
「お、お義姉様!? どうされたのですか!?」
「急にごめんなさい……。実はちょっとお願いしたいことがあって……」
「と、とりあえずお座りになってください!」
青い顔をしながら革のファイルを手にしている義姉をクラウディアは、すぐさま長椅子に座らせる。
そしてリリィを呼び、すぐに水を持ってくるように指示した。
「大丈夫ですか……?」
「ええ、ありがとう……。吐き気が少し治まったから大丈夫かと思ったのだけれど、歩いたらまた気持ちが悪くなってしまって……」
現在妊娠四か月のソフィアだが少し前まで悪阻が酷く、今でも吐き気に襲われる。特に匂いに過敏になっている日は、こうして体調不良を起こしてしまうのだ。
「お呼びくだされば、わたくしのほうが出向きましたのに……」
「ごめんなさい……。少し良くなったから大丈夫と思ってしまったの」
リリィが持ってきた水を手渡すと、ソフィアがゆっくりと飲み干す。
すると少し落ち着いたのか、安堵するように深く息を吐いた。
「ありがとう……。実はね、ちょっとお願いしたいことがあって。このファイルを今すぐクレスト様に届けてほしいの」
そう言ってソフィアは、手にしていた革のファイルをクラウディアに差し出す。
「お兄様にということは……第二騎士団の詰所に向かえばいいのでしょうか?」
「ええ。実はこのファイル、今日の午後の会議で使う予定だとおっしゃっていたのにテーブルに置きっぱなしにされていたの」
「お兄様ったら……」
「大切な資料だと思うから直接クレスト様にお渡ししたいのだけれど……。でもあそこは機密情報も取り扱っているから、家族以外は簡単に中へ入れてもらえないでしょう? 本来ならわたくしが届けるべきなのだけれど、今日は体調があまり良くなくて……」
「わかりました! わたくしが責任を持ってお兄様にお渡しいたします!」
「ごめんなさいね……」
「お義姉様が謝ることなどございません! 一番悪いのは資料をお忘れになったお兄様です! そのこともしっかり抗議しておきますね!」
「それよりも……もしクレスト様が、すぐに帰宅しようとしたら全力で止めてちょうだい……」
「……はい」
リリィと共に青い顔のソフィアを寝かしつけたクラウディアは、素早く身支度をして第二騎士団の詰所へと向かった。
エインフィート邸から馬で二十分ほどの場所にある詰所は、馬車だと四十分近くかかってしまう。
なるべく午前中に届けられるよう御者に馬車を急がせたクラウディアは、到着するとすぐに受付で兄との面会手続きを行う。
「それでは面会希望の方のみ、こちらの待合室へどうぞ」
「は、はい! リリィ、あなたは馬車の中で待っていてくれる?」
「かしこまりました。お嬢様、もしフロリス様にお会いしても平常心で! 奇行は控えるように!」
「…………」
どこまでも主人を信用していない侍女に抗議の視線を送りながら、クラウディアは団員と思われる青年に待合室へと案内される。
「すみません。もう少しお待ちいただけますか? すぐに副団長を呼んできますので」
「は、はい」
やけに手際よくお茶を出してくれた青年は、そういって退室していった。
部屋にポツンと残されたクラウディアは、静まり返った室内をぐるりと見回す。
しかしその静寂さに緊張してきた彼女は、手にしていた巾着袋から例の香水瓶を取り出した。
そして蓋を開け、気持ちを落ち着かせるようにその香りを吸い込む。
すると、すぐに扉がノックされた。
慌てて香水瓶を巾着袋にしまって入室を許可をすると、先ほどの青年が入ってくる。
「お待たせしました。大変申し訳ないのですが……副団長は手が離せないとのことで執務室までご足労いただけますか?」
「あの……部外者がそんな内部まで入ってしまってもよろしいのでしょうか」
「副団長の妹さんでしたら問題ないです!」
どうやらこの青年は、初めからクラウディアが上司の妹であることに気づいていたらしい。
面会申請書に名前を書いたのだから当前なのだが、やけにニコニコと笑みを向けられるのは、他にも理由がありそうで、なんとなく恥ずかしい気持ちになる。
そんな居たたまれない気持ちで案内を受けていると、ある部屋の前で青年がピタリと止まり扉をノックする。
「副団長! 妹さんをお連れいたしました!」
「入れ」
なぜか返答が兄ではない声で返ってきたことにクラウディアが首をかしげる。
すると青年が片目をパチリと閉じ、茶目っ気のある様子を見せた。
「中には先客がいらっしゃいますが、お気になさらずに。自分はこれで失礼いたします!」
そう言って最後はニカッと笑みを浮かべた後、キビキビとした様子で去っていった。
来客中なのにいいのだろうかと、クラウディアは恐る恐るドアノブを回す。
だが、扉を開けると予想外の人物が目に入ってきたため唖然としてしまう。
「なっ……!」
「来たな? 噂の子リス令嬢が!」
なんとその人物は、この国の第二王子グランツであった。
そのことを認識した瞬間、クラウディアの頭は大パニックを起こす。
「おおおおおおおお王子殿下におかれましては、ごごごごごごご機嫌、うる……麗しゅう……」
「あ~、そんなに緊張しなくてもいい。もっと気を楽に!」
書類を片手に兄の執務机に足を組んでドカリと座る第二王子は、その気さくな雰囲気とは裏腹に凛とした顔立ちの洗練された美丈夫である。
二十二歳となる彼は艶やかな黒髪を後ろに流し、この国の王族の特徴でもある金にも薄紫にも見える不思議な色の瞳を持つ。
しかし今のクラウディアには、のん気に第二王子の素晴らしい容姿を観察している余裕はない。
日常生活の中で、いきなり王族と遭遇する感覚など持ち合わせていない彼女は、どうしてよいか分からず兄に助けを求めた。
「お、お兄様ぁ……」
「情けない声を出すな!」
「ははっ! 子リス令嬢は小柄な見た目の愛らしさだけでなく、動きや声も可愛いな! なるほど。確かに彼女なら積極的な女性が苦手なフロリスでも受け入れられるということか」
「えっ?」
一瞬、気になることを第二王子が口にしたため、思わず見つめ返してしまう。
すると、執務机から腰を上げたグランツが興味津々という様子で近づいてきた。
「エインフィート嬢、我が騎士団自慢の『第二騎士団の王子様』とは上手くやっているかな?」
「えっ!? あ、あの……」
王族から距離を詰められ戸惑っていると、執務中のクレストが盛大に溜め息をつく。
「本来『第二騎士団の王子様』は殿下ではありませんか……。妹か混乱するのでおやめください」
「私にそんな甘ったるい通り名が似合うと思うか?」
「だからといって『武神殿下』と呼ばれているのは、どうかと思います」
「お前の『鬼畜副団長』よりマシだ」
そう言ってグランツは、おもむろに上着のポケットからなにかを取り出す。
「エインフィート嬢、キャンディーはお好きかな? よければさし上げよう」
そしてクラウディアの手を取り、きれいな包み紙の飴を三個その手に落とす。
そんな第二王子に兄が呆れ果てるような表情を向ける。
「殿下、なぜそのような物をお持ちなのですか……」
「疲れている時は甘い物がほしくなるんだ」
「そもそも妹は、来年成人を迎えます」
「だからなんだ。愛らしいのだから飴くらいあげてもいいだろう?」
「もう幼子ではないと言いたいのですが」
「当たり前だ。だから私はちゃんと彼女をレディとして扱っている」
しかし飴をくれた第二王子はクラウディアの頭を撫で、完全に幼子扱いする。
そのあまりにも恐れ多い状況にクラウディアは、石像のように固まってしまう。
すると、先ほどまでグランツが手にしていた書類の束をクレストが彼に向けて差し出した。
「妹の頭を撫でまわすお時間があるのでしたら、さっさと第三に苦情を入れていただけますか?」
「言っておくが、私が苦情を入れても効果はないぞ? 学生時代シュクリス家のバカ息子を何度か締めたことがあるが……学習能力がないのか、すぐに喧嘩を売ってきたからな。それよりもお前たちが、さっさと不正の証拠を見つけてこい。そうしたら即座にあの無能騎士団を潰してやる」
どうやら現第三騎士団の総責任者代理とは、士官学校時代が重なっているようだ。
ひったくるようにクレストから書類を受け取ったグランツは、そのまま出口へと向かう。
「エインフィート嬢、あなたならいつでも大歓迎だ。また遊びにきなさい」
そして去り際にまたしてもクラウディアを子供扱いして出て行った。
自由奔放な第二王子にポカンとしていると、兄が白い目を向けてくる。
「で? お前は一体ここへ何をしに来たんだ?」
「そ、そうでした! 実はお義姉様からこちらを預かってまいりました! 本日の会議に必要なのですよね?」
そう言って革のファイルを渡すと、なぜか兄が怪訝そうに片眉を上げる。
「その会議は三日後に延期になった。だから家に置いてきたんだが……」
「ええっ!?」
「それよりなぜお前が届けにきた? ソフィーになにかあったのか!?」
「ええと……本日は少々体調がすぐれないとのことで、わたくしが代理で……」
「何だと!? それを早く言え!! すぐに帰宅する!!」
「お義姉様より、もしお兄様がそのようなことを言い出したら全力で止めてほしいと頼まれました」
「ソフィー……」
落胆する兄を目にしながら、的確に夫の行動を予想した義姉は流石だと感心する。
「帰宅後は、お姉様に心労をかけたことを謝罪なさってくださいね」
「ああ……」
「ちなみにわたくしへの労いの言葉と謝罪は……」
「ない」
「……とんだ無駄足でした。わたくしはこれで失礼いたします!」
「寄り道などするなよ?」
「お兄様まで子ども扱いなさらないでください!」
プリプリしながら兄の執務室を出たクラウディアは、先ほど案内されてきた道を戻りながら詰所の出口へと向かう。
しかし、途中で手持ちの巾着袋が軽くなっていることに気づいた。
慌てて中を確認すると、先ほど待合室で取り出した香水瓶が見当たらない。
どうやら取り出した後、巾着袋に入れ損ねてしまったようだ。
恐らく待合室で座っていた長椅子の上に落ちている可能性が高い。
そう思ったクラウディアは、急いで先ほどの待合室に向かう。
初めて訪れた場所だが通路はわかりやすかったので、すぐに到着したクラウディアは念のためノックをしてから入室した。
そして長椅子の上に転がっている香水瓶を見つけ、急いで回収する。
しかし部屋の外から人の声がしてきたので、慌てて室内のカーテン裏に隠れた。
すると、扉が開く音とともに二人の青年が部屋に入ってくる。
「いいよなー。お前、子リス令嬢を副団長の執務室まで案内したんだろう?」
「ああ。初めて近くで見たけれど、小さくて可愛かった!」
「くそぉー……。俺も今日は受付担当だったのに、ちょっと席を外してる間に来るなんて……」
「残念だったな!」
どうやら一人は、案内をしてくれた青年のようだ。
先ほどクラウディアに出してくれた茶器を片付けながら、もう一人と会話をはじめる。
そしてクラウディアの『子リス令嬢』という呼び名だが、イデアたちだけでなく第二騎士団内でも浸透しているらしい。
しかも『可愛かった』と称されたクラウディアは、恥ずかしさのあまりカーテンをギュッと握りしめる。
そんな彼女の存在に気づかない二人は、さらに会話を続けた。
「まぁ、いくら子リス令嬢が可愛くても今はフロリス先輩と交際中だからなー」
「そのことなんだけど……もしかしたらその交際、近々悪い意味で終了するかもしれないぞ?」
なにやら不穏な展開を見せはじめた会話内容にクラウディアが息をのむ。
「はぁ? なんだよ、それ。この間、アランたちが第三ともめた時に仲裁に入ってくれたフロリス先輩が子リス令嬢とデートしてたって言ってたぞ? 二人は上手くいってるんじゃないのか?」
「いや、上手くいってるとかじゃなくて。なんか……フロリス先輩、訳ありで子リス令嬢と交際しているみたいなんだよ……」
「訳あり?」
その話に顔色をなくしたクラウディアが耳をそばだてる。
「先輩が家の事情で退団を希望してるって話、聞いたことあるか?」
「あー……そういえば、お兄さんが家督を継ぎたくないって言いだしたから、自分が家を継ぐかもしれないとか前に先輩、言ってたな」
「でも先輩がいなくなったら、今の第二は確実に崩壊するだろう? だから団長が退団を許可する条件として無理難題を吹っかけたらしんだよ」
「なんだよ? その無理難題な条件って……」
「なんでも……『一カ月以内に中央貴族の令嬢から婚約の承諾がとれたら退団を許可する』って内容らしい」
そのあまりにも衝撃的な話にクラウディアは、手にしていた小瓶を取り落としそうになった。





