21.見過ぎ令嬢は恋バナを要求される
案内されたテラス席は、高位貴族のために用意された休憩スペースだった。
だが今は使用しているの人間は、クラウディアたち四人のみのようだ。
そんな特別席に案内されたクラウディアは、フカフカの長椅子に恐る恐る腰を下ろすが、あまりの座り心地の良さにさらに委縮してしまう。
「そんなに緊張なさらないで。わたくしたちは、ただ少しお話をしたいだけなの」
イデアの気遣いに感謝するようにクラウディアが、そっと彼女に会釈をする。
だが、次に彼女が発した言葉で再び頭の中が真っ白になった。
「特にフロリス様とのお話を伺いたいわ」
「そ、その……フロリス様のお話というのは……一体何のことでしょうか?」
「もうおとぼけにならないで! 少し前に開催された第二騎士団の祝賀パーティーで、気絶されたクラウディア様はフロリス様に抱きかかえられていたではありませんか!」
「それで!? あの時、どういう経緯であのような状況になられたの!?」
スフィーダとシャルロットの勢いにクラウディアが圧倒される。
だが、どうもこの流れは責め立てられているという感じではない。
例えるなら、年頃の少女たちが他人の恋愛話を興味津々に聞きたがっているという状況だ。
三人とも期待に満ちたキラキラした瞳を向けてくる。
しかしクラウディアは、フロリスに交際を申し込まれた経緯を彼女たちに話してよいのか迷いはじめる。
もしこの話が変に広がった場合、彼の醜聞に繋がる可能性を懸念したからだ。
フロリスを好きになったのは、あくまでも自分が先である。
しかも三年間も彼を見続けるという奇行で、その恋心をだだ漏れにしていた。
現状フロリスが、その奇行をどこまで寛大に受け止めてくれたかは分からない。
それでも周囲には、クラウディアからの偏執的な愛情を彼が受け入れるしかなかったと解釈する人間が、どうしても出てくるだろう。
それはフロリスの精神が弱いという誤解を周囲に与えてしまうかもしれない。
なによりも自分より格上の彼女たちの質問には答えなければならない。
だが真実を伝えた際、彼女たちが不快感を抱く可能性も捨てきれなかった。
フロリスのような人気の騎士と自分が交際をしていると知った彼女たちの反応が怖かったのだ。
それでも嘘をつくことはできない。
そんな追い詰められた状況にクラウディアは、ある条件を出してから語ることにした。
「こ、ここだけのお話にしていただけますでしょうか……」
すると、三人はズイッと顔を近づけてきて何度も大きく頷いた。
その圧力にクラウディアは少しだけ怯むが、なんとか続きを口にする。
「じ、実はあの日、わたくしは気絶する直前にフロリス様から婚約を前提に交際を申し込まれるという奇跡的な機会に恵まれまして……」
恐る恐るそう伝えると、三人は大きく目を見開いたまま固まった。
その反応から彼女たちに話してしまったことをすぐに後悔する。
しかし次の瞬間、シャルロットがテーブルに両手を突き、興奮しながら叫んだ。
「やはりフロリス様がクラウディア様との交際宣言をされたというのは、本当のお話でしたのね!」
「シャロ! はなたなくてよ!」
「ですが、このお話に興奮せずにはいられませんわ!! しかもフロリス様から交際を申し込まれたのですよ!?」
スフィーダに窘められるもシャルロットの興奮は収まらない。
彼女はテーブル越しにクラウディアに詰め寄ってきた。
「そ、それで? その後はどうなったのです!? もちろんその申し出は受けられたのですよね!?」
「は、はい……」
「きゃぁぁぁぁぁー!! イデア様! お聞きになりましたか!?」
「ええ、しっかりと。とりあえずシャロは少し落ち着きましょうね?」
「も、申し訳ございません! つい取り乱してしまいました……」
ここまで大興奮されるとは思っていなかったクラウディアは、この状況に戸惑いはじめる。
するとイデアが、安心させるように優しい口調で話しかけてきた。
「ごめんなさいね。いきなり取り乱してしまって……。わたくしたち、ずっとクラウディア様の恋を陰ながら応援していたものだから、つい……」
「えっ!?」
その予想外の内容に今度はクラウディアが驚きの声をあげる。
今までイデアたちからは、フロリスに見入っている際に奇異の目を向けられることが多かったのだ。
だが今の話では、まるで見守っていたような言い方である。
「あ、あの……皆様は、わたくしがフロリス様に過剰に見入っている様子を滑稽だと感じられなかったのですか?」
「「「えっ?」」」
クラウディアの質問に今度は三人のほうがポカンとした表情を浮かべた。
だが、それはすぐに青ざめたものへと変わる。
「まさか……わたくしたちの様子は、クラウディア様にはからかっているように映っていたのですか!?」
「ご、誤解です! むしろ微笑ましい気持ちで見守っておりました!」
「毎回『ああ、今日も話かけられないのね……』と、もどかしさを感じながらも陰ながら応援していたのです!」
必死に弁明してくる三人に驚きながらも、社交界で自分がなんと呼ばれているか知っているクラウディアは、その話が自分の中にすんなりとは入ってこない。
「で、ですが、社交界でのわたくしは『見過ぎ令嬢』と揶揄されておりますよね?」
「確かにそのようにクラウディア様を呼ばれる方もいらっしゃいますが……」
「わたくしたちは、その呼び名は一度も使ったことはございませんね」
「いつも『見過ぎ令嬢』ではなく、『子リス令嬢』とお呼びしていたので」
「こ、子リス令嬢っ!?」
「「シャロ!」」
シャルロットが余計なことを口にしてしまったようで、二人から厳しめに窘められる。
一方、クラウディアは、新たに発覚した自身の変な通り名に愕然とする。
するとイデアが、慌てて補足をしてきた。
「あの……子リス令嬢というのは、小柄で動きの可愛らしいクラウディア様を愛らしい子リスに見立てていただけで、けしてからかう意味合いでお呼びしていたわけではございませんよ?」
以前フロリスにも同じようなことを言われたクラウディアだが。
それは焦りや羞恥心などが大爆発しての動きなので、可愛い動きと称されても、あまりピンとこない。
それが表情に出ていたのだろう。
イデアが申し訳なさそうに謝罪してきた。
「配慮がなくて、本当にごめんなさい……。確かに視線を向けられ、ヒソヒソと会話をされたら陰口を叩かれていると勘違いしてしまいますわよね。ですが、クラウディア様の恋を応援していたのは本当です。わたくしたちは、幼少期の頃より政略的な婚約を親に決められてしまっているので、恋の話に飢えているというか……」
寂しげな笑みを浮かべるイデアの言い分にクラウディアが押し黙る。
彼女の婚約者は一回り以上も歳上の西側一帯を治める辺境伯である。
半年後に領地に嫁ぐとのことだが、武骨な三十代男性と雪の妖精のような銀髪の美女である彼女の組み合わせに社交界では『美女が野獣に嫁ぐ』と悲観的に捉えられている。
すると、スフィーダとシャルロットも似たようなことを口にしはじめた。
「わたくしたちは、自身が恋する気持ちを経験できない可能性があるので、クラウディア様を通して恋する気持ちを疑似体験をしたかったのかもしれませんね……。わたくしの婚約者はとても紳士的な方なのですが、あくまでも領地経営上協力していくパートナーという感覚が強いのです」
「わたくしの場合は、物心がついた頃からすでに婚約が成立していたので、恋愛感情よりも家族愛が強くて……。クラウディア様のようなときめきを彼に抱けるか、あまり自信がありません……」
高貴な生まれの彼女たちの婚約は、親によって勝手に決められることが多い。
それも当人同士の相性は二の次で、家同士の都合に特化した条件で交わされる。
改めて彼女たちが置かれている状況を認識したクラウディアが顔をが曇らせる。
するとイデアが、訂正するように取り繕いだした。
「まぁ! そんなお顔をなさらないで? 確かにわたくしの婚姻は社交界では悲観的な目で見られておりますが……わたくし自身は早く辺境伯家に嫁ぎたいほど、お相手の方をお慕いしております」
「そ、そうなのですか……?」
「はい。でも、こんなにも歳が離れていたら、先方がわたくしに恋愛感情を抱くことは難しいでしょう? だから恋愛をすることに関しては、ある程度は諦めているの……」
寂しげにそう口にするイデアにクラウディアが同情心を抱く。
だが、彼女はとても前向きな女性だった。
「それでもわたくしは、ロマンス小説のような素敵な恋のお話が大好きなの。自分ではそういう経験をすることは難しいけれど……だったら他の方の恋を見守ろうと思って。それでついフロリス様に対するクラウディア様の動きを観察するような真似をしてしまったの……。でも不快な思いをさせてしまったようで、本当にごめんなさい……」
「あ、頭を上げてくださいませ! わたくしも勝手に被害者意識を抱いてしまい、申し訳ありませんでした……」
互いに謝罪をし、今まで誤解があったことを確認し合う。
現状クラウディアのことを『見過ぎ令嬢』と揶揄する人間は多いが、そこまで非難される行動と捉えている人間は少ないのかもしれない。
現にその行動を微笑ましく感じていたイデアたちのような人間もいる。
なによりも被害に遭っていたフロリスから、やめてほしいという訴えは一切なかった。
それどころか、見つめてくるクラウディアの反応を面白がっていた様子だ。
彼を見過ぎてしまう行動を一番非難していたのは、実はクラウディア自身なのだ。
そのことでずっと後ろめたさを感じていたが、今イデアたちの話から少しだけ気持ちが軽くなる。
「でも今日は思い切ってお声がけして本当によかったわ! あの後、クラウディア様たちがどうなられたのか凄く気になっていたから……」
「お、お気遣いいただき、ありがとうございます」
「ついでにキャロライン様たちからもお守りすることができたし」
「キャロライン様?」
イデアからこぼされた令嬢の名前に心当たりがなかったクラウディアが首をかしげる。
「先ほどわたくしたちとは逆側からクラウディア様に迫ってきた令嬢方がいらしたでしょう? その中心にいた方よ」
「あの方、二年前からずっとフロリス様につきまとっていらっしゃるでしょう?」
「その間に何人かの令嬢にフロリス様を諦めるようにと圧力をかけたらしいの……」
イデアに続き、シャルロットとスフィーダが『キャロライン』という令嬢について補足する。
その内容はクラウディアの顔色を青くさせた。
「クラウディア様も気をつけられたほうがよろしいわ。先ほどのようにアゼリア様がお近くにいらっしゃれば問題はないと思うけれど……。彼女と別れた隙を狙って、お声がけされる可能性があるから」
「こ、心に留めておきます……」
「ちなみに化粧室に行かれる際は――――」
そうイデアが言いかけた時、クラウディアはいきなり背後から肩を捕まれた。
「ラディ!! あなた、こんなところで何を――――っ」
驚いて振り返ると、そこには血相を変えたアゼリアの姿があった。
だが、クラウディアが対面している三人が誰であるかに気づくと即座に淑女の礼をとる。
「イデア様、スフィーダ様、そしてシャルロット様、突然大声を出してしまい、大変失礼いたしました……。わたくしはアゼリア・ピスティスと申します」
「ごきげんよう、アゼリア様。気になさらないで。ご友人が心配だったのでしょう?」
「はい……。急に彼女の姿が消えたので、つい取り乱してしまって……」
「ごめんなさいね。わたくしがどうしても彼女とお話をしたくて、おつき合いいただいていたの」
「そう……だったのですね」
そう答えたアゼリアは、チラリとクラウディアの無事を確認をする。
するとイデアがニッコリと笑みを向けてきた。
「心配なさらないで。クラウディア様とは少しだけ恋のお話で盛り上がっていただけだから」
「そうなのですね……。その、友人はなにか無礼なことを口走ったりいたしませんでしたか?」
「いいえ。代わりにフロリス様との素敵なお話を聞かせていただいたわ」
イデアがフロリスの件に寛容であることを知ったアゼリアが安堵するような様子を見せる。
すると、場の緊張感が一気に和らいだ。
「でも良かったわ。アゼリア様がご一緒であれば、会場に戻られも大丈夫そうね」
「えっ?」
「クラウディア様、先ほどお伝えした要注意人物、本当にお気をつけくださいね」
そう言ってイデアたちは一斉に席を立つ。
「実はまだ挨拶回りをしていない方々がいるの。なので今日はこれで失礼させていただくわね」
イデアの一言から、先ほどキャロラインという令嬢たちから庇う目的で声をかけられたのだと、ようやくクラウディアは気づく。
「イ、イデア様! 本当にありがとうございました!」
「次にお会いする時もフロリス様との素敵なお話を聞かせてね」
ふわりと微笑んで颯爽と去っていく彼女にクラウディアは、深々と頭を下げて見送った。
そしてアゼリアにこれまでの経緯を話すと、彼女はダンスの誘いを受けたことを後悔しはじめる。
だがそのお陰で、イデアという強力な味方がいることが知れたので結果的には良かったとクラウディアは思っている。
だが問題は、キャロラインという令嬢の存在だ。
しかし警戒しながら二人が会場に戻ると、彼女たちの姿はすでになかった。
その後、無事に王太子妃へ誕生祝いの言葉を告げたクラウディアは、アゼリアによって兄のクレストのもとへと返還される。
そんなクラウディアにとって今回の夜会は、友人の婚約者候補を確認できただけでなく、新しい交友関係を築くこともできた大変優位意義な夜会だった。
生まれて初めて達成感のある夜会を体験した彼女は、帰りの馬車の中で兄クレストに誇らしげにあることを報告する。
「お兄様。どうやら今までのフロリス様に対するわたくしの奇行は、周囲には愛らしい動きとして映っていたようです」
真顔でそんなことを言い出した妹を兄が険しい表情でジッと見つめる。
「それを自分で口にして虚しさはないのか? 今のお前は痛々しい人間にしか見えないぞ?」
「…………」
兄には理解してもらえなかったが、イデアたちの存在で今までフロリスを見つめ続けていたことへの罪悪感が少しだけ軽くなったクラウディアは、この日は珍しく晴れ晴れとした気持ちで夜会から帰宅した。
そんな彼女は翌朝になると、今回発覚した要注意人物の存在をすっかり忘れ去っていた。





