20.見過ぎ令嬢は令嬢たちに包囲される
アゼリアがこぼした名前に覚えがなかったクラウディアは首をかしげた。
上質な生地を使用している服装から、その青年が伯爵家以上の生まれなのは予想ができる。だがクラウディアは、同じ年頃の令息で『エレオス』という名を聞いたことがなかった。
すると青年が、ゆっくりと二人のもとへと近づいてくる。
「十日ぶりですね、アゼリア嬢。まさかここであなたとお会いできるとは思いませんでした」
「わたくしも驚きました。もう帰国されたとばかり……」
「実は姉がこの国に留学していた頃、こちらの王太子妃殿下と学友同士でして。当初は義兄がエスコートする予定でしたが都合がつかず、たまたまこの国を訪れていた私にその役が回ってきました」
エレオスが苦笑しながら、二人の視線をある方向へと誘導する。
するとそこには王太子妃を囲むように令嬢と貴婦人の集団が出来上がっていた。
「いくらエスコート役を頼まれたとはいえ、あの集団の中に入る勇気はないので避難してきました……。お二人は、すでに王太子妃殿下にお祝いの言葉を伝えられたのですか?」
「いえ、これからなのですが……しばらく時間を空けてからのほうがよさそうですね」
さらりと返答するアゼリアとは違い、クラウディアはこの正体不明の青年の存在に戸惑う。
すると、なにかに気づいた様子の彼が謝罪してきた。
「これは失礼いたしました。いきなり素性の知らない男に声をかけられたら驚かれますよね……。私はエレオス・ロイエと申します。隣国リグルスの伯爵家の生まれです」
その自己紹介内容から、四日前にアゼリアが見合い相手に隣国の伯爵令息がいたと言っていたことを思い出したクラウディアは、一瞬ポカンとする。
すると、アゼリアが苦笑しながら彼にクラウディアを紹介してくれた。
「失礼いたしました。彼女はクラウディア・エインフィート。わたくしの友人です」
「では彼女が、例の楽しいご友人の方でしょうか?」
「はい。彼女が『奇行が激しい』わたくしの愉快な幼馴染です」
その酷い紹介の仕方にクラウディアは抗議するように親友をジッと見つめた。
すると、アゼリアがニッコリと微笑む。
「本当のことでしょう?」
「アゼリア……酷い……」
そんな二人の会話にエレオスがクスリと笑いをこぼす。
隣国の伯爵家の生まれとのことだが、彼の話し方や仕草はやけに洗練されていた。
「お二人は本当に仲がよろしいのですね。もしよければ、今からアゼリア嬢にダンスのお誘いをしようと思ったのですが……ご友人と一緒では控えたほうがよさそうですね」
その控えめな申し出にアゼリアも苦笑を返した。
そんな二人の様子から、流石のクラウディアも今の自分がお邪魔虫化していることを察する。
「あ、あの! わたくしのことはお気になさらずに! ひ、一人でも問題ないので……」
突然、口を開いたクラウディアの発言内容にアゼリアが驚く。
「なにを言っているの? それではわたくしがこの夜会に参加した意味が……」
「心配しないで! す、少しくらいなら一人でも乗り切れるから……」
「でも……」
「本当は分かっているの。アゼリアに頼りきりじゃダメだって。自分一人で乗り切れるようにならないといけないって……」
「ラディ……」
珍しく前向きな姿勢を見せると、アゼリアが困惑するような表情を向けてくる。
だがこの時のクラウディアは『ここは一人で乗り切るべきだ』と、なぜか強く感じていた。
アゼリアが自分の話をエレオスにしているということは、二人は十日前の顔合わせの際、かなり会話が盛り上がったはずなのだ。
その経緯から、親友は多少なりとも彼に好印象を抱いていると考えられる。
しかしクラウディアを一人にするわけにはいかないと、ダンスの誘いを断ろうとしたのだ。
もし自分が少しだけ勇気を出せば、この令息は親友にとって大切な人になるかもしれない。
アゼリアが側にいない状況は不安でしかないが、自分のせいで親友が好機を潰すような選択をしようとしている状況をクラウディアは、受け入れることができなかった。
「だ、大丈夫! この先、アゼリアに頼れない状況が絶対にくるから、それが少し早まっただけだもの。それよりもわたくしのせいで、ダンスのお誘いを断られるほうが責任を感じてしまうわ……。だから、アゼリアがよければ、エレオス様とのダンスを楽しんできてほしいの」
全く説得力がない青い顔でそう主張すると、アゼリアが苦笑を返してきた。
「わかったわ。ラディがそこまで勇気を出してくれたのなら、わたくしもダンスを楽しんでくるべきよね? でも……本当に大丈夫なの?」
「へ、平気よ! アゼリアと別れたら、すぐに会場の隅に避難するから。わたくし、壁と一体化するのは得意なの!」
「そ、そう……。あなた、この三年間で変な特技ばかり身につけているわね……。まぁ、いいわ。そこまで言ってくれるのであれば、お言葉に甘えるわね」
そう言ってアゼリアがエレオスに向き合う。
「エレオス様、友人もこう言ってくれているので、よろしければダンスのお誘いをお受けしたいのですが、いかがでしょうか?」
「ええ。もし誘いに応じていただけるのであれば、是非一曲お願いしたいです。ですが……」
そう言ってエレオスは、ゆっくりとクラウディアのほうへと視線を向ける。
「クラウディア嬢は……本当によろしいのですか?」
「は、はい! その……アゼリアのことをよろしくお願いいたします!」
その瞬間、アゼリアがプッと噴き出した。
いつもはよろしくお願いされる存在でしかなかったクラウディアから、まさか自分がそんな扱いを受ける日がくるとは思っていなかったからだ。
「アゼリア? なぜ笑いをこらえているの? わたくし、おかしなことを口にしたかしら……」
「ご、ごめんなさい……。まさか自分がラディからそういう扱いをされる日がくるとは、思っていなかったから……」
「そういう扱い?」
クラウディアが不思議そうに首をかしげる。
すると、なぜかアゼリアが慈愛に満ちた笑みを向けてきた。
「なんでもないわ。ラディもちゃんと成長しているんだなって噛み締めていただけ」
「それ……どういう意味?」
不満そうな表情を浮かべる親友を宥めるようにその頭を優しく撫でたアゼリアは、再びエレオスに向き直る。
「それではエレオス様、ダンスフロアまでエスコートをお願いできますか?」
「ええ、よころんで」
アゼリアが差し出した手をエレオスが取る。
その光景を目にしていたクラウディアも一人になることへの覚悟を決める。
「それじゃあ、ラディ。少しの間だけ一人で頑張ってね。でもなにか問題を感じたら、すぐにクレスト様を呼ぶのよ?」
「ええ……。ア、アゼリア! 楽しんできてね!」
やせ我慢しながらそう告げると、アゼリアがふんわりと笑みを返してきた。
「ええ。ありがとう、ラディ」
その言葉に自分の判断は間違っていなかったと、なぜかクラウディアは誇らしい気持ちになる。
そして二人がダンスフロアに向かった瞬間、クラウディアもすぐさま会場の隅にあるスイーツが並んでいるテーブルまで避難しようとした。
しかし、その計画は一瞬で崩れ去る。
なんと、その方向から三人組の令嬢たちが真っ直ぐにクラウディアのほうへと向かってきたのだ。
しかも彼女たちは、前回参加した第二騎士団の祝賀会でクラウディアがフロリスに見惚れている時にクスクスと笑いを漏らしていた令嬢たちである。
友人がアゼリアのみの寂しい交流関係のクラウディアだが、この三人は社交界でも目立つグループなので、流石に全員の名前を知っていた。
その筆頭は侯爵令嬢で、他二人はエインフィート家よりも家格が上の伯爵令嬢である。
もし声をかけられたら回避は絶望的であった。
だが、今なら気づかぬふりをして逆方向に逃げられるかもしれない。
瞬時にそう判断したクラウディアは、すぐさまスイーツのテーブルと逆方向に視線を向けた。
だがそちらに目を向けた瞬間、彼女の動きがピシリと止まる。
なんと逆側からも別グループの令嬢三名がクラウディアに迫ってきたのだ。
この三人に関しては名前はうろ覚えだったが、全員クラウディアと同格かそれ以下の家格の令嬢たちである。
だが注目する部分はそこではない。
彼女たちは、よくフロリスに群がっている令嬢たちだったのだ。
もし話しかけられたら確実につるし上げである。
どうやら前回参加した夜会でフロリスに抱きかかえられた状態は、自身が把握しているよりもかなり注目を集めてしまっていたらしい。
もはや八方ふさがりな状態に陥ったクラウディアは、左右から迫りくる両グループの令嬢たちを見比べ、オロオロしはじめる。
右に逃げても左に逃げても絡まれることは、ほぼ確定。
だからといって正面に逃げることは、オロオロした際に両グループの令嬢たちと目が合ってしまったので逃げることは許されない。
この状況であれば侯爵令嬢たちのグループに先に声をかけられたほうが、まだ救いがある。
しかし無情なことにフロリスを慕う令嬢たちのほうが歩みが速い。
この後はフロリスの件でつるし上げられると覚悟したクラウディアは、死刑を宣告された囚人のように両手を胸に当てうつむいた。
だが、その状況は侯爵令嬢側から一人の令嬢が小走りしてきたことで一変する。
「初めまして、クラウディア様! わたくし、プールス家次女のシャルロットと申します!」
昨年社交界デビューをしたばかりであるその令嬢は、よく通る声で元気に挨拶をしてきた。
だが、プールス家は伯爵家の中でも家格はかなり上のほうになる。
淑女教育がしっかりされていそうな家の令嬢が人前で小走りすることはもちろん、大きな声で話かけてくるなど少々信じられない状況である。
彼女が機転を利かせたのか、あるいは侯爵令嬢の指示だったのか……。
シャルロットと名乗った令嬢は、恐らく故意に目立つ声掛けをしたのだろう。
その効果は抜群で、逆方向から迫っていたフロリスを慕う令嬢たちの動きを一瞬で止めた。
「実はわたくしたち、ずっとクラウディア様とお話をしたかったのです。もしご迷惑でなければ、少し雑談におつき合いいただけないでしょうか?」
「ええと……その……」
近づいてきた彼女は、おねだりをするような上目遣いをしながらクラウディアの手を取る。
大胆な彼女の誘い方に戸惑っていると、その背後から侯爵令嬢たちもやってきた。
「いきなりごめんなさい……。実は一番あなたとお話したかったのは、わたくしなの。わたくしのこと、ご存じかしら?」
「え、ええ。もちろんです、イデア様。お隣のスフィーダ様も存じ上げております」
するとシャルロットが、わざとらしく拗ねるような表情を浮かべた。
「もしかして、わたくしだけ覚えていただけていなかったのかしら……」
「も、もちろんシャルロット様のことも以前から存じ上げておりました!」
「良かった! 一人だけ覚えられていなかったら寂しいですもの……。ところで、先ほどのお誘い、いかがでしょうか? もしお受けいただけるのであれば、邪魔者がいないあちらのテラス側の席でお話をしたいのですが」
三人ともにっこりと笑みを浮かべながらも、確実にクラウディアの背後にいる三人組を牽制している。
もちろん、この中で一番家格が低い生まれのクラウディアが彼女たちの誘いを断ることなどできない。
「は、はい! 喜んで……」
精一杯の笑みを浮かべたつもりのクラウディアだが、この後なにが待ち受けているか想像もつかなかったため、その笑みは少し引きつってしまった。





