19.見過ぎ令嬢は夜会に参戦する
フロリスと共に香水の調香店に行ってから四日後。
クラウディアは、王太子妃の誕生日パーティーに参加するため着飾っていた。
だが、エスコート役の兄がなかなか二階から降りてこない。
その間、クラウディアはバルブ式の香水瓶に移し替えたフロリス愛用のハーブウォーターをプシュプシュと自身に吹きかけていた。
「お嬢様……ドレスが染みだらけになりますので、あまりたくさん吹きつけないでくださいませ」
「でもこれ、透明だから平気じゃない?」
「平気ではありません! 一瞬の香りづけのために高級なドレスを染みだらけにしないでください!!」
リリィに叱られ香水瓶を取り上げられてしまったクラウディアが、不服そうな表情をする。
「わたくし、これから戦場に赴くのよ? 少しでも守護効果がありそうなこのハーブウォーターに頼りたいのだけれど……」
「王太子妃殿下のお誕生日パーティーを『戦場』などと称さないでください! そもそもアゼリア様という素晴らしい護衛がついてくださるのですから、これは必要ござい……って、もう半分も減っているではありませんか!!」
「大丈夫よ。調香師の方からお名刺をいただいたから。お父様とお母様も今までお洒落に興味がなかったわたくしが、急に香水に興味を持ちだしたことを喜ばれていたから、すぐに補充分を購入してくださると思うわ!」
クラウディアの言い分にリリィが盛大に溜め息をつく。
「旦那様も奥様も、どうして昔からお嬢様に甘いのかしら……」
「リリィにも吹きかけてあげるわねー」
いつの間にか香水瓶を奪いとったクラウディアが、リリィに向かってプシュプシュしはじめる。
その香水瓶を再びリリィが取り上げた。
「仕事中です! おやめください!」
すると、やっと二階から降りてきた兄が呆れた表情を二人に向けてきた。
「ラディ、いい歳をして水遊びか?」
「違います!」
「ではリリィに何を吹きかけているんだ……。もう子供ではないのだから、侍女に手間をかけさせるな」
「これはフロリス様からご紹介いただいたハーブウォーターです。お兄様にもおかけいたしましょうか?」
「やめろ! 部下と同じ香りなんて漂わせたくない!」
そう叫んだクレストは目だけで指示を出し、香水瓶を手にしているリリィを下らせた。
「まったくお前は……。自分の周囲の人間をフロリス臭だらけにするつもりか!」
「せ、せめて『フロリス様の香り』と言ってください!」
「なぜ訂正する必要がある? 同じ意味だろう」
「『臭』と『香り』ではニュアンスが全く違います!」
変なところにこだわる妹を無視し、クレストはさっさと馬車に乗り込む。
「お兄様! ちゃんとエスコートをしてください!」
「会場に着いたらしてやる。だが、その後は、すぐにアゼリア嬢にお前の子守は託すからな」
「酷い……」
兄に抗議の声を上げながらクラウディアも馬車に乗り込んだ。
そんなクラウディアの本日のドレスの色は、明るめな黄緑色である。
実はこのドレスに決まるまで彼女とリリィの間で、かなりの論争があった。
今回またしてもクラウディアは、濃い緑色のドレスを選ぼうとしていたからだ。
それを最終的には同系色ではあるスプリンググリーン色のドレスで納得させたリリィは、かなりの功労者である。
それでもクラウディアは、まだ濃い緑色のドレスに未練があった。
彼女がフロリスの瞳と同じ色のドレスを着ることにこだわるのは、少しだけ自分が強くなれるような気がするからだ。
たが今回は、いつもと違う色のドレスを着ている。
そのことに不安を感じていると、兄が話しかけてきた。
「なぜ今回フロリスにエスコート役を頼まなかったんだ?」
「い、一応お願いしようとは思っておりました。ただ……フロリス様には、すでに別の方とのご予定があったのです」
「あいつが誰かと予定があるとは珍しいな」
「何でもお兄様のオルフィス様より頼まれごとをされたとか」
「なるほど」
なぜか納得するような反応をした兄にクラウディアが首をかしげる。
「なにが『なるほど』なのですか?」
「本日の王太子妃殿下の誕生祝賀会の警備は、第一騎士団がメインで行っている。おそらくフロリスはオルフィス殿にその手伝いで駆り出されたのだろう」
「ええ!? その仕事は本来第三騎士団が担うのでは!?」
「今回は女性の参加者が多い。第三はつい最近、団員が女性に対して不埒な行いをしようとした人間がいたため、王太子殿下が敢えて彼らに警備を依頼しなかったそうだ。ちなみにうちからも何人か駆り出されている」
「その際、第二騎士団経由でフロリス様にお声はかからなかったのですか?」
「恐らくオルフィス殿が直接頼むと言って、うちを通さなかったんじゃないか?」
兄の話にクラウディアは、なぜか不安を抱く。
第二騎士団を通さなかったということは、今回はフロリスのみ第一騎士団の管轄下で会場警備を行うということだ。
この機に乗じて王太子が彼を第一騎士団に引き抜いてしまうのでは……と考えてしまったのだ。
すると妹の心を読んだのか、兄が呆れ気味な顔で補足してきた。
「安心しろ。フロリスの異動に関しては、グランツ殿下が断固として首を縦に振らない」
「本当……ですか?」
「少しでも第二の負担を減らすために第三と兼業した業務を奴らはまったくこなしていないんだぞ? そんな人手不足な状態で使い勝手のいいフロリスを取られたら第二が崩壊する」
そう言ってクレストは深い溜め息をついたあと、窓の外に目を向けた。
兄の行動から会話の打ち切りを感じたクラウディアは、レースとリボンが施された巾着袋からハーブウォーターの入った小瓶を取り出し、会場に到着するまでそれを眺めて時間をやり過ごす。
しばらくすると城内の敷地に馬車が入ったようで、ゆっくりと旋回をはじめた。
すると、窓の外からは他の来場者の声が聞こえてきた。
「フロリスの姿があってもいつもの奇行は控えろよ」
馬車が止まり、降車する際のエスコート時に兄から釘を刺される。
ムッとした表情を浮かべながら兄のエスコートを受け、二人もパーティー会場へと足を踏み入れた。
すると、二人の来場にすぐに気づいたアゼリアが声をかけてきた。
「ラディ!」
「アゼリア! 良かった! すぐに会えて!」
二人が感動の再会のように手に手を取り合っていると、アゼリアの兄が口を開く。
「副団長、お疲れ様です」
「ラントか。お前も今日の会場警備に駆り出されたのか?」
「ええ、まぁ。妹のエスコートで休暇願を申請したら、団長から『エスコートがてら会場の安全も確認しろ』って言われちゃって……」
「私と同じ状況か……」
「副団長の場合、妹さんのエスコ-トをしたくないと通常出勤を希望したら、団長に怒られてこちらに回されたのでは?」
その話にクラウディアは、抗議の意味を込めて真顔で兄クレストをジッと見つめる。
その視線をはじき飛ばすようにクレストが鼻で笑った。
「当たり前だろう。こんな奇行が酷い妹のエスコートなど願い下げだ。今回やっとフロリスに押しつけられると思っていたのだがな」
「フロリスなら、さっき会いましたよ。なぜか第一騎士団のほうに駆り出されてましたが」
「やはりそうか……」
どうやら本当にフロリスは、この会場内にいるらしい。
二人の会話内容から彼に会えるという期待でクラウディアの瞳が輝く。
すると、なぜか兄にアゼリアのほうへ背中から押し出された。
「だが、今から妹をアゼリア嬢にお任せできるので一安心だ。アゼリア嬢、お願いしても?」
「ええ、もちろん。そのつもりで先程、彼女に声をかけたので」
「それは頼もしい。ラディ、アゼリア嬢に迷惑をかけるなよ。私はラントと共に一度会場内にいる団長に警備状況を確認してくる」
「はい……」
まるで幼子のようにアゼリアに預けられたクラウディアが不服そうな表情を浮かべたが、それをサラリと流した兄はラントと共にその場を離れて行った。
「ほら、ラディ! フロリス様がいらっしゃうかもしれないのだから、そんな不貞腐れた顔をしないの! もし今の顔を見られたら恥ずかしいわよ?」
「平気よ……。どうせ、もともと見栄えする顔をしているわけでもないのだし」
「またそうやって自分を卑下して……」
呆れ気味な表情を浮かべたアゼリアだが、なぜか急に驚くような様子を見せる。
「アゼリア? どうしたの?」
「ええっと……」
「クラウディア嬢!」
戸惑うような反応の親友に不思議がっていると背後から名前を呼ばれた。
驚きながら振り返ると、真っ白な騎士服を着たフロリスの姿が目に入る。
その瞬間、クラウディアは口に手を当てるふりをして慌てて鼻を中心に押さえた。
「ラディ……。ハンカチを貸しましょうか?」
「もし危なそうだったら、お願い!」
「わかったわ……」
冗談を真面目に返されてしまったアゼリアが何とも言えない表情をする。
その間にフロリスは長い足であっという間に二人のもとへやってきた。
「会えて良かった……。一瞬だけ護衛役を代ってもらって探してたから、このまま見つけられなかったら諦めてたよ……」
「フ、フロリス様!? な、なぜ第一騎士団の騎士服をお召しに!?」
「あー……これね。なんか待ち合わせ場所に行ったら有無も言わさないという感じで、兄からこの騎士服を着るように言われて……。あっ、ちなみに僕の護衛対象は西隣の国の侯爵だから男性だよ」
安心させるように笑顔で補足するフロリスだが、クラウディアはそれどころではない。
『真っ白な騎士服! まるで王子様みたい! カッコいい! 素敵すぎる!』
頭の中で歓喜の叫びを上げた彼女は、そのままフロリスを鑑賞する体勢に入ってしまう。
そんな思考能力が停止してしまった親友に呆れ果てたアゼリアが、その場を取り繕うようにフロリスに話しかけた。
「フロリス様、お初にお目にかかります。わたくし、アゼリア・ピスティスと申します。クラウディア嬢とは幼少期の頃からの付き合いになります」
「ピスティス……もしかしてラントさんの妹さん?」
「はい。兄がいつもお世話になっております」
「お世話になっているのは僕のほうです」
初対面のアゼリアにも即座に対応できるフロリスの対人スキルの高さにもウットリしていると、アゼリアが扇子の先でクラウディアを突いてきた。
『早く戻ってきなさい!』
そう言われている気がしたクラウディアは、慌てて我に返る。
「あ、あの、お仕事中なのにわざわざ探していただき、ありがとうございます!」
「気にしないで。僕がクラウディア嬢に会いたかっただけだから」
「えっ?」
「今日は何色のドレスを着て参加しているのかなって」
その瞬間、クラウディアの顔が一瞬で真っ赤になる。
アゼリアのほうは、フロリスの言葉から親友が社交場に参加する際に濃い緑のドレスばかりを着ていたことを彼も把握していると気づいた。
ならばフロリスを利用し、親友の濃い緑色に対する執着心を改めさせようとあることを思いつく。
「ちなみにフロリス様は、彼女には何色のドレスが似合うと思いますか?」
「そうですね……。クラウディア嬢は小柄で可憐な印象が強いので、濃い色よりも淡くて可愛らしい色が似合うと思います。例えば……以前会った時に着ていたピンクや水色とか? あっ、でも濃い色でも青なら大人っぽさが増して、また違った魅力があるかも……」
そのフロリスの意見を聞いたクライディアは、『次の夜会は絶対に青いドレスを着る!』と心の中で決意する。
すると、フロリスが「あっ」と小さな声を上げた。
「ごめん、クラウディア嬢。時間切れみたいだ……。また次のプライベートで会うときにゆっくり話をしようね……」
残念そうな様子を見せた彼は、足早に四十代ほどの紳士のもとへ戻っていった。
クラウディアも名残惜しそうに彼の貴重な白い騎士服姿を目に焼きつける。
その隣ではアゼリアが呆れ果てていた。
「ラディ……。クレスト様が懸念されていた奇行癖が出ているわよ?」
「い、嫌だわ、わたくしったら……。またフロリス様を見つめすぎていた?」
「ええ……。穴が空くほど見つめていたわ……。手紙で聞いてはいたけれど、実際に目にすると何とも言えない気持ちになるわね……」
「アゼリア、お願い! こんなわたくしだけれど親友をやめないで……」
「やめはしないけれど、その奇行を目にする度にしつこく注意はさせてもらうわ」
「はい……。よろしくお願いします」
親友に深いため息を吐かれたクラウディアは、シュンとしながら萎縮する。
だが、ふと顔を上げると驚いた表情でこちらを見つめている青年と目が合った。
癖のあるミルクティーのような薄茶の髪に淡い水色の瞳をした繊細そうな雰囲気をまとった青年である。
しかし、彼が驚いた表情で目にしていたのはクラウディアではなかった。
「アゼリア嬢……?」
その呟きにアゼリアも彼の視線に気づく。
「エレオス様?」
その瞬間、なぜかクラウディアは、アゼリアたちが二人だけの世界に入ってしまったような疎外感を抱いた。





