18.見過ぎ令嬢は親友に泣きつく
「それで早馬まで使って手紙を寄こして私を呼び出したの?」
アゼリアから呆れ気味な視線を向けられたクラウディアは縮こまる。
「だ、だって! この間、夜会には一緒に参加してくれるって……それで私のことを守ってくれるって言ってくれたでしょう!?」
「突っかかてきそうな令嬢は追い払ってあげるとは言ったけれど、守るとまでは言っていないのだけれど……」
「そ、そんなぁ……」
涙目で訴えてくる親友にアゼリアが盛大に溜め息をつく。
「ラディ。子供の頃からずっと言ってきたけれど……そろそろ自分で戦えるようにならないとダメよ? あなた、一応は伯爵令嬢なのだから。そんな泣き虫では、身分が下の令嬢にも軽く見られてしまうでしょう?」
「『見過ぎ令嬢』なんて陰で呼ばれている時点で、もう軽く見られているわ……」
「なんでそういうことに関しては諦めが早いのよ! 言い返すくらいの気持ちでいなさい!」
「でも実際にフロリス様を見過ぎていたのだから言い返せないのだけれど……」
「…………」
確かにその呼び名に関してはクラウディアの自業自得ではあるので、アゼリアもそれ以上は言葉が出てこない。
すると、クラウディアが後ろめたそうに上目遣いをする。
「いきなり呼び出した上に急なお願いをしてしまって、ごめんなさい……」
「それは別に構わないわ。どうせこの一カ月間は、お見合いの予定がなければ一日中、自室で絵を描いているだけだったし」
「絵は毎日描いているの?」
「ええ。絵って一日でも描かないと、すぐに感覚が鈍ってしまうの。だから一枚でもいいから、なるべく毎日描くようにしているわ」
「毎日も続けられるなんて凄いわね……」
「好きでなければできないけれどね。そういうラディだって、三年間もフロリス様を見続けているじゃない。わたくしからすると、そのほうが凄いと思うわ」
「でも、それはアゼリアのように技術を磨いているわけではないから……。その、自分がフロリス様を好きすぎて見つめてしまっているだから、比べるのは違うと思う……」
なんとなく引け目を感じたクラウディアが、いじけたように呟く。
すると、アゼリアが苦笑を浮かべる。
「そうかしら? 一緒だと思うけれど。だってラディは、フロリス様の素敵なところを一つも見逃したくないから見つめ続けていたのでしょう? 絵も一緒。『この絵をもっと素敵な絵にするには、どうしたらいいのか』って、何度も書き直して見直すの。そうすると、その絵がもっと素敵になれる要素が見えてくるのよ。その要素をつけ足していくと、その絵をもっと好きになれる……。ほら、ラディの見つめ過ぎ行動と一緒でしょ?」
「全然一緒じゃないわ! アゼリアのほうが、とても高尚な思いからの行動だもの!」
「わたくしにしてみれば、会話も左程したことがない相手を三年間も想いつづけられることのほうが高尚だと思うけれど……」
そうこぼすアゼリアから憂鬱そうな印象を感じたクラウディアは、あることに気づく。
「もしかして……お見合いした方の中にいい人がいなかったの?」
たまに勘が鋭くなるクラウディアにアゼリアが一瞬だけ驚く。
「いいえ。一応、三人ほど顔合わせはしてみたけれど、どの方も素敵な貴公子だと感じたわ」
「だったら、なぜそんなに憂鬱そうなの?」
心配そうにジッと見つめてくる親友にアゼリアが困惑気味の笑みを返す。
「なんていうか……。どの男性も確かに素敵だったのだけれど、絵を描くこと以上に夢中になる気持ちが生まれなかったの……。だからラディが長い間、フロリス様を想い続けられているのって凄いなと思って」
「状況によっては訴えられてしまう行動をしてても?」
「でも訴えられていないじゃない」
敢えて冗談めいたことを口にすると、アゼリアも乗ってきた。
それでもまだ婚約者選びに対しては、憂鬱そうな様子である。
「む、無理に急いで婚約しなくてもいいのではないかしら?」
「ふふ! そうね! そうしたらラディが一緒に老後を過ごしてくれる?」
「え、ええ! もちろん!」
「だめよ。あなたは今、婚約を前提に憧れの男性と付き合っているのでしょう? 将来はちゃんと結婚して」
「で、でもまだ婚約はしていないし……」
「そんな弱気では、一週間後のパーティーでフロリス様の取り巻き令嬢たちに負かされてしまうわよ?」
「へ、平気よ! だってアゼリアが傍にいてくれるもの!」
親友頼みな姿勢を貫こうとしているクラウディアにアゼリアが噴き出す。
「もう! そんなことでどうするの? もしわたくしが隣国に嫁ぐようなことがあれば、あなたは一人でそういう令嬢たちに立ち向かわなければならないのよ?」
「えっ……?」
急に不穏なことを口にしはじめた彼女にクラウディアの動きが止まった。
「ア、アゼリア、隣国の男性と結婚するつもりなの!?」
「どうかしら……。実はお話をいただいている中に隣国の伯爵家の方がいらっしゃるの。もしその方と結婚すれば、今留学しているリグルスで一生絵の勉強ができるとは思ったけれど」
「ダ、ダメよ! 隣国になんてお嫁にいったら、簡単には会えなくなってしまうじゃない!!」
「この三年間だって簡単には会えなかったけれど、わたくしたちの仲は変わらなかったでしょう?」
「留学は期間が終われば帰国できるでしょう!? でも……お嫁に行ったら一生そこで暮らすことになるじゃない!! そ、そんなの寂しすぎるわ……」
グスグス言い始めたクラウディアの頭をアゼリアが苦笑しながら優しく撫でる。
「例えばの話なのに、なぜ泣きそうになっているのよ……。ラディは少し感受性が強すぎるわね」
「だってぇー……」
「仮にわたくしが隣国に嫁ぐことになったら、ラディもフロリス様と結婚すればいいだけのことでしょう?」
「ええっ!?」
「だってフロリス様のご実家って辺境伯領と隣接しているから、リグルスとは目と鼻の先じゃない。ラディがフロリス様と結婚したら簡単に会えるわよ?」
「フロリス様は次男でいらっしゃるから家督は継がないわ。そ、それにそんな夢物語みたいなこと……」
「婚約前提で交際しているのに何を言っているのよ! まぁ……まずは来週の王太子妃殿下のお誕生日パーティーをどうやって乗り切るかが問題なのだけれど」
その問題を思い出したクラウディアの表情が一瞬で曇る。
「ちなみにエスコート役は、もう誰かにお願いしているの?」
「今回もお兄様にお願いしようかと……」
「フロリス様は?」
「フ、フロリス様はお忙しいと思うから、今回はちょっと……」
「確か……明後日にまた会うのでしょう? 一応、頼むだけ頼んでみたら?」
「で、でも……」
「もう! 少しでも可能性があるのであれば、それに賭ける! 何かをしようとする前にウジウジして動けなくなるのは、ラディの悪い癖よ!?」
「はい……。ごめんなさい……」
「とりあえず、話だけでも振ってみなさいね?」
「ええ。わかったわ……」
◆◆◆
それから二日後――――。
フロリスと共に髪飾りを受け取ったクラウディアは、香水などを調香している専門店に足を運んでいた。
ちなみに彼女の髪は、先ほど受け取ったばかりのバレッタでハーフアップにまとめられている。
受け取りの際、アリーズがその場でまとめて留めてくれたのだ。
フロリスの瞳と似た色の石がはめ込まれているそのバレッタが嬉しくて、ふとした時にクラウディアは何度も触れてしまう。
そんな彼女の様子にフロリスが口元を緩める。
あまりに浮かれすぎてる様子を目にされたクラウディアは、誤魔化すように例の件で話題を振った。
「あ、あの! フロリス様は来週開催の王太子妃様のお誕生日パーティーには参加されますか?」
「あー……その日はちょっと先約があるんだよね。予定さえなければ、クラウディア嬢のエスコートを申し出たかったんだけど……」
「そう、でしたか……」
その返答にクラウディアが、わかりやすいほどの落胆の色を見せる。
そのあまりにもしょんぼりした様子にフロリスが苦笑した。
「本当にごめんね……。その日は身内から頼まれごとをされてしまって……」
「お身内の方からですか?」
「うん。まぁ、兄からなんだけれど」
フロリスの兄は名をオルフィスといい、第一騎士団に所属している。
現在は、この国に留学している隣国リグルスの第二王女の専属護衛を努めていることでも有名だ。
だが、別名『接待騎士団』と呼ばれている第一騎士団に所属している彼の素晴らしい容姿は、一部の高位貴族の令嬢たちの間でしか知られていない。
王族や他国の要人の警護が主流の第一騎士団員たちの評判は、クラウディアのような中流階級の令嬢たちには、あまり情報が落ちてこないのだ。
もちろん夜会や式典などで王族の護衛をしている姿を目にはするが、護衛対象が高貴な身分の人物であるため近寄れず、その姿は遠目でしか確認できない。
それでもオルフィスが凛々しい印象の美丈夫であるという噂は、クラウディアの耳に入ってきた。
どちらも端正な顔立ちをしているシエル兄弟だが、兄のほうは甘さを感じさせる弟とは違う方向で美青年のようだ。
そんな彼が所属している第一騎士団の団員たちは、王族や家格が上の伯爵家以上の令嬢たちからは、その素晴らしさをしっかりと把握されている。
表向きは近衛騎士団のような役割を担っている第一騎士団だが、実際は高位貴族や王族の女性の伴侶候補として選ばれた青年たちで構成された騎士団なのだ。
クラウディアがフロリスの兄が美丈夫であると知っているのは、婦人会などで高位貴族の女性たちと交流がある義姉ソフィアからの情報だ。
そんな高貴な生まれの女性たちの婚約者候補として集めた第一騎士団所属のオルフィスからの頼まれごという状況が、クラウディアに引っ掛かりを感じさせた。
実はフロリスには第一騎士団の総責任者である王太子から何度も引き抜きの声がかかっていると、兄クレストがこぼしていたことがあるのだ。
だが、本人は第二騎士団の残留を強く希望しているため断り続けているらしい。
何よりも彼が抜けてしまうと第二騎士団の戦力が大幅に下がるので、第二王子が頑なに拒否しているそうだ。
それだけ王族が取り合うほどフロリスは見た目の良さだけでなく、騎士としての実力も高い。
その彼が第一騎士団に所属している兄に一体なにを頼まれたのだろうか。
そのことがかなり気になり、クラウディアは思い切って聞いてみた。
「そのお兄様からの頼まれごとというのは……第一騎士団関連の内容でしょうか……」
「多分そうだと思う。実は……詳細は当日に話すと言えわれて、僕もまだなにをやらされるか知らないんだ」
「そうでしたか……」
「クラウディア嬢? 今の話でなにか気になることでもあった?」
急に表情が暗くなったクラウディアを気遣うようにフロリスが顔を覗き込む。
「その……以前、兄からフロリス様が第一騎士団から引き抜きの声をかけられていると聞いたことがあったので……。も、もしかしたら異動されてしまうのではないかと……」
その瞬間、フロリスがプッと噴き出す。
「な、なるほど! 僕が第二を抜けてしまうと勘違いしちゃったのか! いや、それだけは絶対にないから安心して。グランツ殿下が『意地でも第一には渡さない!』って言い切ってくれているから」
「そ、そうなのですね! よ、良かった……」
「そもそも僕が十五で入団試験を受けたのも、それを回避するためだったし……」
「えっ?」
確かにフロリスは入団資格が認められている最年少で試験を受けているが、その理由が第一騎士団であったということにクラウディアは驚く。
「兄がね、成人してからだと僕も第一騎士団に配属されてしまうから、早く入団するように助言してくれたんだ」
「そ、それって……」
「兄は士官学校を卒業してから入団したんだけれど、そうしたら一番希望していなかった第一騎士団に配属されてしまったんだよね……。成人後だと僕も同じ目に遭う可能性があるから、士官学校には行かずにできるだけ早く入団しろって。当時十五歳だった僕は、まだ少年という印象だったから第一に配属される可能性は低いと思っての助言だったみたい」
確かに入団したばかりの頃のフロリスは今よりも線が細く、身長も伸び盛りであどけない少年という印象が強かった。もしその状態で第一騎士団に配属されていたら確実に浮いていただろう。
だが、一般的な基準で考えれば第一騎士団は、大変魅力的な騎士団である。
「で、ですが、第一騎士団への配属は出世が約束されると言われているので、配属された場合は大変喜ばしいことになるのでは?」
「まぁ。野心ある若者にとってはそうだけれど……。第一って国の要人や王族の接待騎士団という感じだから、武芸よりも社交スキルのほうが重要になってくるんだよね……。だから僕や兄のように騎士としての実力を活かしたい人間からすると、一番配属されたくない騎士団なんだ」
どうやらシエル兄弟にとって一番人気の第一騎士団は、もっとも配属されたくない騎士団であるらしい。
苦笑しながら語るフロリスにクラウディアも何とも言えない微妙な笑みを返す。
「兄も当時は自分が第一に配属されたことに納得がいかなくて、入団後の一年間くらいは王太子殿下に何度も異動願を打診したらしい」
「そ、それでも受け入れていただけなかったんですね……」
「うん。兄は入団した当初から一番の人気騎士だったからね。でも異動願を受理してもらえない腹いせに、縁談の声がかかると容赦なく全て断っているみたいだけれど……」
「せ、先方は全て他国の王族や高位貴族の方では? よ、よくお断りできてますね……」
「『強引に話を進めたら即退団してやる!』って王太子殿下を脅しているそうだよ……。あの二人、士官学校時代からの学友だから、兄がそういう態度でも許されるみたい」
「そ、それはある意味、凄いですね……」
どうやらフロリスの兄は、見た目だけでなく中身も弟とは真逆のタイプのようだ。
周囲の印象を壊さぬように気遣うフロリスと違い、周囲はどうあれ『我が道を行く』というタイプらしい。
血の繋がった兄弟でも内面部分はまったくの逆という関係性は、少しだけ自分と兄クレストに似ているとクラウディアは親近感を覚える。
そんなことを考えていたら、再びフロリスが顔を覗き込んできた。
「それで……一週間後のクラウディア嬢のエスコート役は結局、誰になる予定なのかな?」
「えっと、今回も兄にお願いしようかと……」
「そっか! うん。クレスト副団長なら安心だね!」
なぜか安心した様子のフロリスにクラウディアが不思議そうに首をかしげる。
すると、目の前に花のような香りを放つ小瓶が差し出された。
「ところでクラウディア嬢は、どれか気になる香りのブレンドはあった? 僕として君はこの香りとか好きそうかなっと思ったんだけど……」
その小瓶からは、確かにクラウディアが好きそうな柔らかい花の香りがした。
よく見ると小瓶のラベルには『小花』と記されている。
「優しい香り……。このくらいのほんのりした香りであれば、わたくしにも使えそうです」
「じゃあ、この香りをベースにして君専用の香水を調香してもらおうか」
「あ、あの! でしたらもう一種類、調香していただきたい香りがあるのですが!」
今まであまり自己主張をすることがなかったクラウディアの変化にフロリスがニッコリと笑みを浮かべる。
「どんな香りかな?」
「その……フ、フロリス様が普段使われている消臭用のハーブウォーターも……お、お願いしたいのです……」
最後は蚊の鳴くような小さな声で告げられたその要望にフロリスがクスリと笑みをこぼす。
「それじゃあ、うちがいつも依頼している調香師にこの小花の香りのブレンドと、僕が使っているハーブウォーターと同じものを用意してもらおうか」
「は、はい……。是非、お願いいたします……」
間接的に『あなたと同じ香りをまといたい』という要望をしてしまったクラウディアは、恥ずかしさのあまり真っ赤な顔でうつむいた。





