15.見過ぎ令嬢は食事を堪能する
アリーズの店まで戻った二人は、馬車に乗り込みフロリスが予約してくれているというレストランに向かった。
「待たせてしまって、本当にごめんね……」
「い、いえ」
「それと……その、ちょっと僕の粗暴な面も見せてしまって……本当にごめん!」
「粗暴? あの、特にそのように感じなかったのですが……」
「でも、いきなり相手の腕をねじり上げる乱暴な人間なんて、クラウディア嬢の周囲にはいないよね?」
そこでフロリスが何を懸念しているのか、クラウディアは察する。
「た、確かにそういう状況を目にする機会はないですが、兄が騎士なので、仕事上どうしても武力で対応しなければならない状況があることは理解しております!」
「でも君の中で、僕はがあんな行動をとるイメージはなかったよね……」
「それは……そうなのですが……。で、ですが、粗暴とは感じませんでした! むしろフロリス様の毅然とした振る舞いが素敵……って、あの! ち、違うのです! そういうことを言いたいのではなくて! その、お、お仕事をされている男性の姿って素敵……ではなくて!」
先ほどのフロリスの行動は正当なものだと言いたいだけなのだが……どうも『素敵だった』という個人的な感想が溢れでてしまい、上手く言葉にできないことにクラウディアがあたふたしはじめる。
すると、フロリスが安堵するような苦笑を浮かべた。
「クラウディア嬢にとって僕はなにをやっても『素敵』という扱いをしてもらるのかな? それはとても光栄なことだけれど……。でも道理に反した行動をした時もそう思われそうなのは、ちょっと複雑だなぁー」
「フ、フロリス様はそのような行動は、なさらないと思います!」
「わからないよ? 僕だって人間だ。非道なことをするかもしれないし、選択を間違うことだってある」
「そう、でしょうか……」
「うん。たとえば……自分の要望を通すために誰かを利用したりとか……」
急に表情を曇らせたフロリスにクライディアが不思議そうに首をかしげる。
「フロリス様?」
「あーっと、急にごめんね! なんでもないから! それよりもこれから行くレストラン、オレンジタルトだけでなく料理も凄く美味しいんだって。普段は無表情で愛想がない後輩が、珍しく嬉々とした様子で教えてくれたお店だから期待しててね」
「は、はい!」
なにやら後ろめたそうな様子を一瞬だけ見せたフロリスだが、すぐにレストランの話題に切り替え、いつもの朗らかな雰囲気を見せる。
だがクラウディアには先ほどのフロリスが口にした言葉が、やけに引っかかった。
『たとえば……自分の要望を通すために誰かを利用したりとか……』
誠実な印象が強いフロリスでも、そのような考えを抱くことがあるのだろうかと。
仮にフロリスがそのような行動をしたとしても、そこにはきっと彼なりの譲れない何かがある時だけだと思ってしまう。
まだ交流の浅いクラウディアだが、どうしてもフロリスが利己的な理由だけで人を利用するという状況が想像できなかった。
そのことに少しモヤっとしたが、レストランに到着して料理を口にした瞬間、どうでもよくなる。
フロリスの後輩が絶賛していただけあって、そのレストランの料理は、どれも美味しかったのだ。
前菜として出されたサラダは、甘味の強い野菜に癖になりそうなドレッシングがかかっており、一瞬で食べ終わってしまった。
その後に出されたスープはトマト風味の濃厚なクリームスープにフワフワしたエビのすり身が浮かんでおり、それがまた大変美味だった。
なによりもメインで出されたカモ肉のとろけるような柔らかさは、クラウディアの舌を唸らせた。
食事に関しては小食気味のクラウディアだが程よい量だったため、この後に出されるオレンジタルトにも大きな期待がかかる。
それが表情に出てしまっていたのだろう。
瞳をキラキラさせながらタルトを待つクラウディアの様子にフロリスがクスリと笑みをこぼした。
「後輩がね、ここのコース料理は女性でも無理なく食べられる量だって言っていたんだ。彼の婚約者もクラウディア嬢のように小食らしいんだけど、ちょうどよい量だったらしいよ」
「あ、あの……なぜわたくしが小食なことをご存知なのですか?」
「えーっと、実はこの件でもクレスト副団長を質問責めにしたんだ。ついでにクラウディア嬢は、小食でも甘い物は別腹だとも聞いたよ?」
「お、お兄様……」
確かにクラウディアは食事に関しては小食だがケーキやタルト、甘いお菓子などは大好きで、いくらでも食べれる自信がある。
だが、なにもフロリスにそのことを暴露しなくていいのではと、今この場にいない兄を恨めしく思う。
「これから出されるオレンジタルトも絶品だと思うけれど、他のデザートも美味しいって聞いたから、もしクラウディア嬢のお腹に余裕があったら遠慮なく頼んでね。その為に敢えて少なめのコース料理のお店を選んでから」
「さ、流石にタルトのあとにデザートをもう一つというのは……」
「でも夜会に参加しているときは、よくスイーツのテーブルで瞳をキラキラさせてるよね?」
「な、なぜご存じなのですか!?」
「だって僕はクラウディア嬢に見られていない時でしか、君を観察することが出来ないから……。君は僕と目が合うと、すぐに逃げてしまっていただろう?」
「そ、それは……」
よくよく考えると、その行動はフロリスに対して失礼であったと、今さらながら気づいたクラウディアは気まずそうに視線を逸らす。
「でもスイーツ選びをしている時の君は、そちらに気を取られているようで観察し放題だったんだよね」
「うぅ……。は、恥ずかしいのですが……」
「瞳とキラキラさせながら、スイーツのテーブルをチョコチョコと回っている君の動きは、ものすごく可愛かったよ?」
「も、もうお許しください!」
「えー? 可愛かったって言ってるだけなのにぃー」
明らかにクラウディアの反応を楽しんでいる様子のフロリスが満面の笑みを浮かべる。
先ほど『反応を楽しむ時はある程度、配慮する』と言っていたのは、聞き間違いだったのかもしれないとクラウディアは思った。
同時に誰かに見られているというのは、こんな気持ちになるのだと反省もしはじめる。
すると、給仕の男性が二人の前に待望のオレンジタルトを運んできた。
「あっほら、クラウディア嬢! お待ちかねの別腹オレンジタルトだよ? どうぞ召し上がれ」
「は、はい……」
上手く誤魔化されてしまったと思いつつも、目の前のオレンジタルトを口にすると、オレンジの爽やかさと甘い生クリームが口の中で絶妙なハーモニーを奏ではじめる。
その美味しさにクラウディアは、片頬を押さえながら簡単に絆されてしまった。
「この後、クラウディア嬢が希望していたウィリアーナ庭園に向かおうと思っているけれど……他に立ち寄りたいところは大丈夫かな?」
食後のお茶を口にするフロリスの優美さに目を奪われていたクラウディアだが、慌てて行きたい場所がないか考えてみる。
「ええと、今は特に思いつかないです」
「じゃあ、今日はそこを回って終了って感じかな。三日後の髪飾りを受け取る時にも色んな場所を回れるから楽しみは、とっておかないとね。もしまた行きたい場所があったら、その時に教えてくれるかな?」
「は、はい!」
いつの間にか次回会う予定まで組まれていたことをクラウディアが思い出す。
確かにその日は空いている日だと伝えてあるので、まったく問題はないのだが……この短期間で、こんなにもフロリスと共に過ごせる時間を得ている自分の状況に改めて驚いてしまう。
同時に先ほどの第三騎士団の青年とのやりとりも思い出してしまい、現状のフロリスは多忙なのではないかという懸念も抱く。
だが上司である兄クレストが彼の有休を認めているので、フロリスが不在でも通常業務に支障はでない状況なのだろう。
そんな推察をしながらお茶をコクコクと飲んでいると、フロリスが内ポケットから時計を取り出した。
「そろそろ庭園に向かったほうがいいかも……。クラウディア嬢、タルトのおかわりは大丈夫?」
「さ、流石にもうお腹いっぱいです……」
「それはよかった。それじゃあ、そろそろ店を出ようか」
「はい」
フロリスが片手を上げると、すぐに給仕が気づき会計を始める。
その様子をぼーっと眺めていたクラウディアだが、ふと自分の分までも支払われていることに気づき慌てだす。
「あ、あの! フロリス様!」
「クラウディア嬢。こういう時は素直に受け取ってくれると男性としては嬉しいのだけれど?」
「あ……う……。は、い……。ご、ごちそうになります」
素直に厚意に甘んじる意志を示すと、フロリスがふわりと笑みを返してきた。
すると、会計を行っていた給仕がペコリとお辞儀をし、下がっていく。
恐らく返金分はチップとして渡したのだろう。
「それじゃ、行こうか」
「は、はい」
フロリスにエスコートされながら馬車に乗り込む。
偶然にも目的の庭園は、レストランとは目と鼻の先だったようで、あっという間に到着した。
この場所を提案してくれたアゼリアの話では、二十年ほど前にある地方領の侯爵夫妻がタウンハウスとして使用していた邸の跡地らしい。
その後、夫妻は自領に戻り、邸は売りに出されたのだが、夫人が管理していた薔薇園があまりにも見事だったため、買い取った地主が有料庭園として手を加えたそうだ。
現在でも見事な薔薇が咲き誇るこの庭園は、恋人たちの憩いの場となっている。
中でも侯爵夫人が品種改良に力を入れていた大輪のピンクの薔薇は大変美しく、意中の相手と一緒に見ると恋が芽生えるという噂が一人歩きするほど見事らしい。
今回クラウディアがこの庭園を希望したのは、実はこの噂が決め手だった。
信憑性がないのはわかってはいるが、クラウディアも世のうら若き乙女たちと同じようにロマンティックな噂を信じたい年頃である。
侯爵邸の名残を感じさせる大きな門を馬車に乗ったままくぐり、停車場所に到着すると瞳をキラキラさせながら、そのピンクの薔薇の情報をフロリスに伝える。
「フロリス様! こちらの庭園は、以前お住まいだった侯爵夫人が品種改良した大輪のピンクの薔薇がちょうど見頃だそうです!」
「へぇー、そんな薔薇が咲いているんだ。それは是非、見ておかないとね」
少し前まで緊張気味だったクラウディアだが、噂の薔薇のことで頭がいっぱいになり、本来の彼女らしさが前面に出てしまっていることに気づいていない。
そんな彼女の様子にフロリスの口元が自然とほころぶ。
「それじゃあ、早く見に行こうか。クラウディア嬢、お手をどうぞ」
「はい!」
そんな浮かれ状態だったクラウディアだが……。
庭園に一歩足を踏み入れた瞬間、その気持ちはすぐに萎んでしまう。
入場料さえ払えば誰でも入れるこの庭園の見学者には、なぜか勤務時間中であるはずの青い騎士服を着た青年たちの姿が多かったのだ。





