10.見過ぎ令嬢は友人に確認される
「なんで……そんなことを言うの?」
茶菓子を取り落としたクラウディアの瞳にブワリと涙が溜まりだす。
「ああー! 違うの! 別に意地悪で言ったわけではないのよ!? ただその……もしそうじゃなかったら、ラディが傷ついてしまうと思って……」
弁解しながらクラウディアを宥めるアゼリアだが、最後は気まずさから尻すぼみになる。
「ごめんなさい……。厳しいことを確認をしたと自覚はしているのだけれど、それ以上にラディが騙されでもしてたら、そのほうが許せなくて……」
ハンカチを取り出し、目の端の涙を拭うクラウディアの頭をアゼリアが優しく撫でる。
すると、クラウディアが静かに首を振った。
「アゼリアが心配して言ってくれた言葉だって分かっているわ……。だって自分でも交際を申し込まれた時は、同じことを思ってしまったから……」
「ラディ……」
「普通なら三年間も自分を見つめてくる女性なんて、気持ちが悪いはずでしょう? そんな女性に交際を申し込むなんて……なにか罰ゲームでもさせられているんじゃないかって思ってしまうわ……」
「そ、それはちょっと悪いほうに考えすぎではないかしら?」
「だったらアゼリアはどう!? まともに会話をしたことがない男性に三年間も見つめられ続けたら!」
「とりあえず、その男性を問い詰めて内容によっては訴えるわね……」
「ほら! 普通は犯罪者扱いされる行動なのよぉぉぉー!」
ワッと泣きだし、ハンカチに顔を埋める友人にアゼリアが何とも言えない表情を向ける。
「でも、わかっていて三年間も見続けていたのでしょう?」
「だ、だって……フロリス様が素敵すぎるからぁー……」
グシグシ言いながら乱暴に涙を拭うクラウディアから、アゼリアがハンカチを奪い取る。
「もう! そんなに強くこすったら赤くなってしまうでしょう!? 三日後、そのフロリス様と出かけるのではなくて!?」
「自分なんかが一緒にお出かけしてもいいのかしら……」
「少し前に浮かれた様子でデートの相談の手紙を送ってきたのは、どこの誰だったかしら? まぁ、一番悪いのは、あなたを傷つけてしまうような質問をしたわたくしなのだけれど……」
アゼリアが心苦しそうに呟きながら、奪ったハンカチで優しくクラウディアの目元を拭いはじめる。
すると、それを甘んじて受けていたクラウディアが、ゆっくりと顔を上げた。
「泣いてしまったのは……アゼリアのせいではないの。ただ、それはずっと自分の中で不安に思っていたことだったから……」
「それをわたくしが、的確に問い詰めてしまったということね……。やっぱりあなたが泣いてしまったのは、わたくしのせいじゃない」
「違うわ! だって自分でも心のどこかで、なぜフロリス様が交際を申し込んできたのか不思議でしかたなかったのだもの! でも……途中からおつき合いができるのが嬉しすぎて、なるべく考えないようにしていたの……」
自身の胸の内をこぼしたクラウディアは、再びシュンとうつむく。
するとアゼリアが、深い溜め息をついた。
「とりあえず、三日後の外出時にフロリス様のお気持ちが、本心かどうか見極めるしかないわね」
「どうやって?」
「例えば……ラディに甘い言葉や表情を向けてくる頻度とか?」
「フロリス様は、いつでも朗らかな雰囲気だから、その判断は難しいのだけれど……」
「それじゃあ、ラディと接する時に照れたり頬を赤らめる反応がないかとか?」
「フロリス様は、普段でも照れたり頬を赤らめたりすることが多くて、それがとても可愛らしいの!」
「…………だったら最終手段よ。デート中にフロリス様の瞳の色のアクセサリーをあなたが、おねだりしなさい! それをプレゼントしてくれたら、確実にあなたのことが好きってことになるでしょ!」
なにを言っても惚気のような返しをされるので、苛立ったアゼリアが敢えて無茶な提案をする。
しかしクラウディアは怯むどころか、その内容に目を輝かせた。
「それ、素敵! はぁー……フロリス様の瞳の色だとエメラルドのアクセサ……ってダメよ! そんな高価な物はいただけないわ! そうだわ! 濃厚なエメラルド色のハンカチなんてどうかしら? お値段も高くないし、いつでも持ち歩けるもの!」
「ラディ……。そんなどきつい色のハンカチを使っていたら、淑女としてのセンスを問われるわ……」
「大丈夫よ! 持ち歩くだけだから。フロリス様から頂いた物だもの……。恐れ多くて使えないわ。それにわたくし、ここ三年間はその色のドレスしか着ていなかったから、まったく抵抗がないの!」
「なんですってぇー!? それ、今すぐやめなさい!!」
この後リリィを呼びつけたアゼリアは、二人でクラウディアを衣装部屋に連行し、三日後のアドバイスと共に外出時の衣装合わせを強制的に行った。
◆◆◆
三日後、アゼリアとリリィによるコーディネート姿のクラウディアは、エインフィート邸のエントランスをウロウロしながら、フロリスの迎えを待っていた。
本日の彼女の服装は、前回リリィが宣言していた水色を基調とした外出用のドレスだ。
見た目だけであれば、清楚で落ち着いた雰囲気だが、中身はいつものクラウディアなので先ほどからリリィの目の前をチョコチョコと行ったり来たりしている。
そんな落ち着きのない様子の主にリリィが呆れながら声をかける。
「お嬢様……。少し落ち着かれてはいかがですか? そんなにウロウロなさったら髪型が乱れてしまいます」
「だ、だって……今日はフロリス様と狭い馬車の中で二人きりの状態で移動するのよ!? そんな夢みたいな状況がこれからはじまると思うと……落ち着くなんで無理だわ!」
この日のクラウディアは、水色のフリルがたくさんついたボンネットを被ってはいるが、その下はシンプルにカチューシャに見立てた編み込みのみだ。ボンネットを被っている状態では、清楚で可愛らしい深窓の令嬢のようだが、ボンネットを外すと知的な大人っぽさを感じさせる……という演出をリリィなりに考えてくれたらしい。
だが、クラウディアがウロウロするたびにボンネットのつばの部分が、彼女の心の動揺と連動するように揺れている。
その為、前髪の乱れをリリィは気にしているようだが、幸いなことに髪型はまだ乱れていないようだ。
そんな興奮気味な主に有能侍女は、嫌味ともとれるアドバイスをしてみた。
「お嬢様、鼻血を出されてもいいようにハンカチは、数枚お持ちになられたほうがよろしいのでは?」
「一応、三枚は用意したわ! でも足りなくなりそうで心配よ……」
「…………」
まさかの返し内容にリリィは完全に呆れ、口を閉ざした。
対するクラウディアは興奮が不安に変わったようで、なぜか祈るように両手を組みはじめる。
「どうしたらいいの……? もし馬車の中であまりにもフロリス様との距離が近かったら、息をするのが恐れ多くて窒息死してしまうかも……」
「もしそうなったら、応急措置的な心肺蘇生法を僕ができるから安心して」
背後から急に声をかけられたクラウディアが、驚きながら振り返る。
すると、いつの間にかフロリスがラウールによって、エントランスまで案内されていた。
「こんにちは、クラウディア嬢。今日も元気いっぱいだね!」
クラウディアは、そのまま壊れた玩具のようにギギギと顔だけを執事に向ける。
すると、彼が申し訳なさそうに頭を下げた。
「申し訳ございません、お嬢様……。お声がけしようとは思ったのですが、かなり興奮されているご様子でしたので……」
「あまりにも可愛い動きをしていたから、僕が声をかけるのを止めたんだ」
バツが悪そうにフロリスが白状すると、『可愛い動き』という言葉に反応したクラウディアが、興奮しながらリリィの袖を掴もうとした。
しかしリリィも対応を心得ており、その手を華麗に躱す。
そして小声でクラウディアの耳元に囁いた。
「お嬢様、今の『可愛い動き』は『面白い動き』という意味です」
「……わかっているわ」
優秀な侍女のお陰で、平常心を取り戻したクラウディアは改めてフロリスに向き合うと、モジモジしながら外出用のドレスの裾を摘まんで挨拶をする。
「フ、フロリス様。本日はお誘いいただき、ありがとうございます」
「こちらこそ、誘いを受けてくれてありがとう」
ニコリと笑みを返されたクラウディアは恥じらいながら、そっと本日のフロリスを観察する。前回は白を基調とした服装だったが、今日の彼は濃紺のジャケットに黒のトラウザーズ姿である。
シックで大人っぽい雰囲気に心を打ち抜かれたクラウディアは、口元を手で隠しながら悶えはじめる。
その反応を目にしたフロリスは、はにかむように目を細めた。
「今日はいっぱい楽しもうね!」
「は、はい!」
気合いの入った返事をすると、フロリスがスッと手を差し出してくれた。
その手を恐る恐る取ると、玄関前に止まっているシエル家の紋章が入った馬車までエスコートされる。
「クラウディア嬢。足元に気をつけて」
そういってフロリスから乗車を促される。
いよいよ出発だと実感したクラウディアは緊張から、乗り込む直前にリリィとラウールのほうへと振り返る。
「いってらっしゃいませ、お嬢様」
「フロリス様、主のことをよろしくお願いいたします」
深々と頭をさげて見送ってくれるラウールと違い、リリィは『とにかく落ち着いて!』と念を押すように目で訴えてくる。
そんな二人に見送られながら乗り込むと、馬車はゆっくりと走りだした。





