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海という季節に夏という場所で

作者: 千園参

 これは果たして幸か不幸か。

 ある朝のこと、明日から夏休みだという普通なら浮き足立つ朝のこと、下駄箱のロッカーを開けるとそれは入っていた。それが入っていた。

 手紙である。

 淡いピンク、ボクはこれを初心(うぶ)ピンク色と呼んでいるわけだが、初心ピンク色の手紙だったがためにラブレターかと最初は胸を躍らせた。

 しかし、だがしかし、胸が躍ったのは手紙の形を見るまでだった。封を切り、当然のことながら中身を読むわけで、本文はこうだ。

 《放課後、体育館裏に集合。遅れは許さない》

 とだけ、端的に、わかりやすく、要件がまとめられていた。

 初心ピンク色の手紙からは想像できなかった体育館裏に集合というワード。

 ボクの頭をよぎったのは、

「締められる!!」

 だった。

 このご時世に、この多様性と呼ばれる自由度の高い世の中において、体育館裏で締められるなんてことがまだあったのかと衝撃と驚愕と憂鬱とが入り乱れた感情となっている。

 明日から夏休みだというのに。


 こんなことを朝イチでされてしまっては勿論のこと授業にも集中できはしない。集合しなくてはならないのだから、集中なんてしていられない。

 ご飯も喉を通らない、、、ことはなかった。

 美味しくいただいた。しっかりといただいた上で平らげた。

 でも、それでも、これでも、精神的に追い込まれていることに変わりはないのである。

 キンコンカンコン---

 授業の終わりを告げる鐘の音は、ボクの人生の終わりを告げる鐘のようでもあった。

 足取りが重くなる。軽くなるはずもない。

 そんなにも嫌ならば行かなければ良いではないかと思うであろう。

 それは強気な人間の考え方であって、ボクのようなどちらかと言えば弱気、どちらかなんて選べないくらい弱気、気弱な人種はお後が怖いので行かざるを得ないのである。

「オメェ! 昨日なんで来なかったんだよ!!!」

 なんてことになったら、たまったものではない。



 体育館裏で待機すること数分---

「待った?」

 と、女の子の声がした。

「えっ」

 慌てて声のする方に目と鼻と肩と首と身体とを向ける。簡単に言えば、わかりやすく言えば振り向いたのだった。

「なに?」

 目の前に立っていたのは、アニメや漫画でしかあり得ないグルグル眼鏡をかけたおさげ髪の女子生徒だった。

 名前は知っている。

 年齢も知っている。

 隣のクラス、2年4組の神田庵凪(かんだあんな)だ。

「え、この手紙って、神田が書いたの?」

「そうだけど、それが何?」

「いや、いやあー」

 安堵と安心と安全が入り混じった吐息が言葉と共に漏れ出る。

 ということはである。

 この手紙は神田から渡されたものであるということはである。

 つまりこの手紙はラブレターなのではないのかと。

 そういうことにはならないだろうか。

「ならないわよ」

 ならないのであった。

「それで、ボクに何のようだったんだ?」

「同盟を結ぼうと思ったのよ」

「同盟? なんの?」

「夏休み同盟」

「どういう同盟だよ……」

「夏休み暇でしょうどうせ」

「どうせってなんだよ、酷い言われようだな」

「暇じゃないの?」

「いや、暇だけどさ……」

「ほら、暇なんじゃん」

「なんか、癪だよ……」

「ふん、どうせ夏休みが終わるまでの同盟なんだし、いいでしょ」

「まぁいいけどさ、何をするんだその夏休み同盟ってのは?」

「決まっているでしょう夏休みを楽しむのよ」

「なるほど、わかりやすいな」

「でしょう?」

「うん、明日からか?」

「いえ、来週の金曜日からにしよう。それから毎週金曜日に活動します」

「ってことは、夏休み同盟は計5回ってことか」

「そうなるわね」

 ボクは何気なく携帯電話を取り出した。

 深い意味はなく、これから活動するに当たって連絡手段を確保するためだった。

「連絡先、教えてくれよ」

「はあ? なんで?」

「なんでって、連絡先交換しないと毎週金曜日の予定が決められないだろ?」

「嫌よ、気持ち悪い。そうやってすぐに連絡先を手に入れようとしてさ。マジでキモい」

「ええ………」

「これからも手紙でやり取りするのよ」

「手紙ってことは家の住所か?」

「連絡先を教えたくないって言ってるでしょ。家の住所なんて教えるわけがないでしょ。これからもロッカーに詳細を書いた手紙を入れるから、貴方は木曜日に取りに来れば良いのよ」

「な、なるほど……」

「それじゃあ、来週の金曜日に会いましょう」

「うん」

 こうしてボクと神田は別れた。

 何だろうか、ヤンキーにボコボコにされると思っていたので、その点に関しては胸を撫で下ろしたわけだが、何か複雑な思いが渦巻いた。



 なんだかしゃんとしないまま、翌週の木曜日を迎える。

 何時に取りに行けばいいのかを聞きそびれたボクは、とりあえず昼過ぎに学校へ赴いた。

 ロッカーを開けると、

「本当に入ってる」

 昼過ぎには既に投函済みになることがわかった。

 《明日はプラネタリウムに行きます。駅前に13時集合》

 と、書かれていた。

「1回目はプラネタリウムなのか」

 こうして迎えた金曜日---

「待った?」

 と、神田。

「いや、今来たところ」

 と、ボク。

「それじゃあ、行こっか」

 ボクは彼女の学校の制服姿しか見たことがなかった。オシャレな私服を纏う彼女に少しだけドキッとしたというのは隠しておこう。それでもグルグル眼鏡は外さない。

 それからプラネタリウムで星を眺めた。

 星を眺めて終わった、今日という日が。

 今までまともに話したことのない神田とのお出かけ、会話なんて弾むはずなんてない。

 ただ、ただただ、無言で星を眺めた。

「それじゃあ、また来週」

「あ、ああ、また来週」



 2週目---

 《明日は映画を観て、その後、ショッピングモールで買い物をします。朝の10時に駅前に集合》

 手紙の通り、5分前に駅に着く。

「待った?」

「いや、今来たところ」

「そう、それじゃあ、行こっか」

 可愛らしい服装に身を包んだ彼女に複雑な想いが溢れる。

 映画は恋愛ものだった。

 上映中、ふと不意に神田がどのような顔で映画を楽しんでいるのか気になったので、盗み見ることにした。

 グルグル眼鏡でこちらから目は見えないが、眼鏡の下から雫が垂れているのが見える。

 彼女は映画を観て感動していた。

 上映が終わり、明かりが灯ると神田が口を開く。

「貴方、さっき私の顔を見たでしょ」

「え、み、見てないっすよ」

 あまりにも咄嗟だったからか、ぎこちない返答をしてしまう。

「嘘つき。きもい」

「ごめんなさい、見ました」

「キモい」

「すいません……」

 こんなテンションではあるが、この場で解散とはならず、予定通りショッピングも執り行われた。

「買い物をする前にお昼にしよう」

「わかった」

 こうしてボクたちはショッピングモール内のフードコートでそれぞれ好きな食べ物を食べることにした。

 ボクは天ぷらうどんを、神田はイカ墨パスタを持ち寄った。彼女のイカ墨パスタが意外なような彼女らしいような、意外なところも含めて結局彼女らしいのかもしれない。

「なに?」

「いや、イカ墨パスタなんだなって」

「悪い?」

「いえ、悪くないです」

「じゃあ、ジロジロ見るな」

「すいません……」

 そんな一幕と共に今日という日を終えた。




 3週目---

 先週の土曜日からというもの、心の中で彼女と会うことが楽しみになっていた。

 会うことが楽しみとなり、次の金曜日が待ち遠しくもあった。

 これではまるで彼女に恋をしているみたいではないか。夏休みが終われば終わる関係だというのに。

 ロッカーを開けると、手紙が入っている。

 《夏休みの課題は順調かしら? 貴方のことだから、終わっていないのでしょうどうせ。だから、明日は図書室に集合よ。一緒に夏休みの課題をやるわよ》

 ため息が出た。

 楽しみにしていてのこれは辛いものがある。

 図書室には当然ながら制服姿の神田がいる。

「まさか、3週目の同盟活動が課題をやるとは」

「今日1日で課題を終わらせて、残りの2週間は思いっきり遊ぶのよ」

「それはとてもいい考えだね」

「私は飴と鞭を使いこなすのが上手いのよ」

「そうかもな」

 これが彼女への恋心なのか、それとも一夏の勘違いなのか、きっと心が、気持ちが、何もかもが夏の暑さで麻痺してしまっているんだ。

 ボクがこれまでの学校生活であまり関わったことのない神田庵凪を好きになるなんてあるはずがない。

 では、それでは、逆に神田はどうしてボクを選んだのだろうか。

 こんなにも多くの生徒がいる中で、どうしてたった1人の相方をボクにしたのだろうか。

「なぁ」

「なに?」

「一つ聞いてもいいか?」

「勉強のことなら一つと言わず」

「どうして同盟をボクにしたんだ?」

「勉強のことじゃないなら、答えないわ」

「そっか」

 彼女は黙々と課題に向き合っていた。




 4週目---

 《先週は課題、お疲れ様。ご褒美に海へ行きます。朝の8時に駅前に集合。ちゃんと水着を買うように。学校指定の水着で来たら殺す》

「怖すぎるだろ……」

 そして当日の朝。

「待った?」

「いや、今来たところ」

「そっか、それじゃあ、行こっか」

 電車に揺られ、海を目指す。

 海に着くと、街では感じたことのない湿気の効いた暑さと街よりも近くに感じる日差しの熱が身体を焼いた。

 けれど、どうしてだろうか、この暑さが嫌ではない。これが海というやつなのか。

 脱衣所で水着に着替える。

「待った?」

「いや、今着替え終わったところ」

「そう」

 グルグル眼鏡を遂に外した水着姿の彼女は誰もが立ち止まってしまうほどの美少女であり、神田であって神田じゃない誰かであった。

「何、ジロジロ見てんのよ」

「ごめん、あまりにもあれだから」

「何よ?」

「か、可愛いから」

「可愛い言うな!」

「ごめん……」

 彼女は耳を真っ赤にしていた。

 日が傾くまで海で遊んだ。

 もうすぐ今日も終わろうかというその時、寂しそうに海を眺めながら神田は呟くような小さな声で

「来週は花火大会で花火を見るよ。浴衣を着て……それから……」

 と、話し始めた。

「来週の予定は手紙で出すんだろ?」

「そうだった、そうだったね。私らしくなかったね。帰ろうか」

「うん、帰ろう」

 今になって思えば学校は金曜日から始まってしまう。

 故に来週の金曜日はないのである。

 来週の花火大会とはいつのこと言っているのだろうか。

「なあ?」

「なに?」

「来週の花火大会っていつだっけ?」

「木曜日」

「なるほど、夏休みの最終日ってわけか」

「うん、だから、手紙は水曜日に出すから、忘れずに取りなよ」

「わかった。楽しみにしてる」

「楽しみにすんな」

「ごめん、でも無理だよ。神田との夏休みがあまりにも楽しいものだから、楽しみにするななんて言われても無理だよ」

「………」

 彼女は何か言いたげに黙った。



 5週目---

 昼過ぎに見に行った時、ロッカーに手紙が入っていなかった。

 遅れているのかもしれないと、夕方、学校が閉まるギリギリまで待ったが彼女は現れなかった。

 家に帰ると母さんからこう告げられた。

「学校からね、連絡があって、貴方の同級生の神田庵凪さんが亡くなったって。それで金曜日にお葬式があるからそのつもりで通学してくださいって」

「はあ……?」

 何を言われたのか全くわからなかった。

 母さんの口からハッキリと神田庵凪と告げられた。

 何かの間違いだと自分にそう言い聞かせた。

 母さんもいい歳になったし、きっと聞き間違えたのだろうと。

 でも、心のどこかでそんな不謹慎な聞き間違えを、そんな大事なタイミングでするだろうかと。聞き間違えのないように聞き返すのではないだろうかと。

 聞き間違えではないのかもしれないと。



 金曜日、葬儀場に行くと神田の遺影があった。

 あんなにも元気そうだった彼女が一体どうして。

「病気だったんだって」

「でも、学校に来てたじゃない」

「もう最期だからって無理して来てたみたい」

「どうしてそんなこと」

「さあ?」

 遺影の神田はグルグル眼鏡を外した可愛らしい笑顔でこちらを見ている。

「なんだよ、あんな可愛い顔してたのかよ。もっと仲良くしとくんだったぜ」

「だな」

 そんな無粋な声があちらこちらの男子生徒から聞こえてくる。

 一人一人、焼香をあげていく。

 ボクの番が回ってくる。

「なあ? 4回も遊んだのにボクは君のことを何も知らないのはなんでなんだ? どうして病気のこと黙ってたんだ? どうしてボクだったんだ? なあ?」

 惜しむ言葉よりも疑問の言葉が多く浮かぶ。

「あなた」

「はい?」

「庵凪と遊んでた子よね?」

 神田の母親に声をかけられた。

「これ、娘があなたに渡してって」

「ありがとうございます」

 初心ピンク色の手紙だった。

 《好きよ、大好き》

 それだけ。

 これだけ。




 どこか遠くで花火の音が聞こえる。

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