3話 泣き虫ヒーロー その一
人の波をかき分けて、進み続けて。
途中からぽっかりと穴が開いたように人はいなくなり。
それでも止まることなく足を進ませて。
次第にはっきりと聞こえる何人もの叫び声や悲鳴と、何度も揺れる地面の感覚と様々な衝撃音を聞きながら、息を切らして入り口に辿り付いてみれば。
そこはもう、俺が知っている場所ではなかった。
「……」
安全の為に設置された外壁はボロボロ。
いくつもの壁が壊され、むき出しの状態になり。地面は、いくつもの場所が抉りとられて、まるで、ここで戦争でも起きたかのような有様。
それだけじゃない。
そこには、何人もの人間が倒れている。
街の入り口を守る守衛達。
この街を拠点に活動している何人もの冒険者達。
みんながみんな、ボロボロの姿。
倒れているもの、蹲り、震えているもの。立ち上がり、けれど戦意を喪失したモノ。
ほとんどの人間が蹂躙されていた。
「……」
その先には。
巨大な体躯。
緑の鱗で覆われて、暗く光るそれは、金属でできているのではと思わせる。
実際、俺が来るまで様々な攻撃を受けてきたであろうその体には、小さな傷一つついていなかった。
「……」
あれが、エメラルドドラゴン。
魔物の中でも最上級と位置づけられた存在。
俺が、今まで出会ってきたどの魔物より、その存在は圧倒的で。
思わず頭が真っ白になる。
そんな時に。
「おいビビリッ!」
俺に向かって叫ぶ声が。
声がした方を向けば。
「あれは、お前が敵う相手じゃねぇ! そこの隅で隠れている嬢ちゃんと一緒に隠れてろ! 何故か知らねぇが、あれは嬢ちゃんを狙っているっ」
俺を馬鹿にし、エリーに激昂され、ルナさんに諭された、あの日ギルドで揉めた男が、鎧が半壊し、折れた大剣を杖代わりにして、膝をついた状態で俺を見て叫んでいた。
「あんた……」
「それぐらいだったら、ビビリもお前に出来るだろうがっ。そんな所でビビッて立ち竦んでいるくらいなら、とっとと嬢ちゃんの傍にいてやれ! 」
ペっと血が混じった唾を地面に吐き出して、立ち上がる。
「おい、やめろっ。それ以上やったら死ぬぞっ」
そんな男に声をかけるのは、ギルドで男を宥めていた人間。
男と同じようにボロボロで、戦意は喪失し、それでも仲間が死地に行く事を止めようとしていた。
「るせー! 俺はルナの姉御に言ったんだっ。「ヤツを倒せる人間が来るまで時間を稼ぐ」ってなぁ! てめぇが自分で吐いた言葉だっ。 俺は一度ルナの姉御にみっともねぇ姿晒してんだよっ! だから二度はねぇ! 俺は自分が冒険者をやっている事に誇りを持ってるっ。だから、今度こそルナの姉御に胸を張って言えるように、自分の言葉を貫き通すっ」
仲間の手を振り払い、エメラルドドラゴンに立ち向かおうとするが、体は揺れ、足が膝折れし、その場に座り込む。
戦意は全く失っていないが、体はついていかないのだろう。
再度立ち上がろうとしても、足が動いていない。
その事に「くそ、くそ、くそったれが!」と吐き捨てて、地面を何度も殴る。
その光景に。
様々な感情が生まれ、零れた言葉は。
「ありがとう」
だった。
「はぁ!? お前恐怖で頭が可笑しくなっちまってわけのわからないこと言ってんじゃねえよ!?」
唐突の俺の言葉に、怒鳴り散らす男。
無理もない。
男からすれば、戦おうと必死になっている所に、「ありがとう」などと言われても何の事かさっぱりわからないに違いない。
けれど。
俺の言葉は嘘偽りのないもの。
「エリーを、守ろうとしてくれて、ありがとう」
ここは、日本ではない。
様々なモノで守られている場所ではなく。
日夜魔物の脅威に晒されている所だ。
魔法があって、現代の日本より身体能力が高い『冒険者』が何人もいて。
魔物に対抗する手段が用意されているからといって、決して安全な所ではない。
だから、自分の命が危険晒されて、それでも他者に手を差し伸べる事ができる人間なんて、早々いやしないだろう。
それがどんなに正しくて、綺麗ものであっても。
実際に、やれなんて言われてできる人間がどれだけいるのか。
「別にお前の為じゃねぇ!」
「わかっている。それでもエリーは、俺にとって大事な妹分だから。だからありがとう」
男にとって譲れない理由が何であれ、その思いと行動のおかげで、俺が来るまでの間エリーが無事だったから。
俺は男に感謝を述べた。
そして。
「後は、俺がやる」
「はっ?」
「時間稼ぎ、だろ? あんたはもうボロボロみたいだし、だからその役目は、俺が引き継ぐよ」
俺は、正面を見る。
エメラルドドラゴンがうなり声を上げていた。
先ほどから、静かにしているのが不思議でならなかったが、なるほど。
エメラルドドラゴンの下に魔方陣が敷かれており。
それが動きを阻害しているから動けなかったのだと理解する。
恐らく何人もの魔法使いが、協力して作った魔法で。
傷を負わす事ができなくても、時間を稼ぐ事に成功したのだろう。
だが、その魔法もエメラレルドドラゴンに破られつつあるようで。
地面に敷かれた魔法陣が徐々に薄くなっていくのが遠目からも見えた。
もう、拘束も解かれるのならばと、俺は相対するため、足を進めて行く。
「馬鹿っ! 戻れっ! てめぇが普通より強いからって、それだけだっ。テメェより強い魔物なんていくらでもいるっ。それにギルドが試験に用意した下級の魔物、ゴブリンですらガタガタ震えて、泣き叫びながら、狂ったように剣を振るう事しかできなかったお前がっ、最上級のエメラルドドラゴンに立ち向かえるわけがねぇ! 現にお前。今だって泣いて震えているじゃねーかっ」
男の言葉にピタリと止まる。
言われて気付いた。
先ほどから、何故か視界が滲んでいるかと思えば。
それは俺が知らず知らずに涙を零しているからで。
カチカチカチと自分の近くで音が鳴って煩いと思っていたが。
何のことはない。
俺の歯が小刻みに震えぶつかりあって鳴らしていたからだ。
「……」
全身が震えている事を意識して、改めてエメラルドドラゴンを見た。
俺とエメラレルドドラゴンの距離は数十メートル離れている。
だから、直接相対しているわけではない。
けれど。
俺の「目」には離れた場所からでも、鮮明に見えていた。
【殺意】
あの夜に会話を交わした三人のように、内に秘めるものではなく。
相手に叩きつけるむき出しの激情。
色に実体はなく、それだけでどうにかなるわけでもないというのに、それを見ただけで、俺は恐怖し、心が折れていた。
怖い、怖い、怖い。
意識すれば、頭に浮かぶのはそれのみで、立ち向かうのは勿論の事。
この場に居る事すら、耐えられそうにない。
圧倒的な存在感を放ち、周りに映る全てを殺しつくそうしているのが、この場にいる誰よりも俺がわかっている。
そう、わかっているのだ。
「……」
だから「戻れ戻れ戻れ」と本能が連呼し続け。
「……さい」
それに従うように、足が一歩下がって、「それでいいと」本能が告げる。
お前は勇者でも、勇敢でもない。
「……るさい」
魔物どころか、人間に怒鳴られただけで、縮こまる、情けない人間だ。
「……うるさい」
だから、お前は今すぐにでも、この場を立ち去るべき――
「うるさいって言ってるだろ、くそったれ!」
恐怖だの、情けないだの、逃げろなんだのと。
さっきから頭の中でごちゃごちゃとわかりきった事を。わめき散らすな。
そんな事は、わかりきっている。
俺は自分が強いから、ここにいるのか?
違う。
俺は自分が勇敢だから、ここにいるのか?
違うっ。
では、何故俺はここにいるんだ?
「守りたいものが、あるからに決まってんだろっ」
再度本能の問いかけに、そう答えて。
退いた足を、一歩前へと進ませた。
「お兄ちゃん……」
そんな時に声をかけてきたのはエリー。
「エリー?」
「わたし、わたし、こんな事になるなんて思ってなくて」
壊れた外壁の隅で隠れていたであろうエリーが、いつのまにか自分のすぐ近くに来ていた。
腕には今日のために用意された荷袋を抱きかかえており、その中に魔物の子供――エメラルドドラゴンの子供が入っているのだろう。
その袋をぎゅっと抱きかかえ俯き涙をこぼす。
目に映る色は。
【恐怖】と【後悔】
「お兄ちゃんが、来るのをまっていたら、空からあのドラゴンが現れて【子供を帰せ】って襲いかかってきて、それで憲兵のおじさんや、冒険者のオジちゃん達が、私を守ろうとしてくれたけど、みんなあのドラゴンに倒されて……ルナさんが、一緒に逃げようって言ってくれたけど、でも、あのドラゴンが怒っている相手が私だったら、私が逃げたら、もっと沢山の人たちが襲われちゃうと思ったら、逃げちゃだめだと思って、でも、どうしたら、いいのか、全然わからなくて……」
エリーはたどたどしく、今まで遭った出来事を語っていく。
それを聞いて、一つわかった。
ルナさんが助けを求める時、エリーを連れていなかった事を。
多分本当なら、ここから連れ出したかったに違いない。
守られているからと言って、危険な場所であることは変わりないのだから。
けれど、ドラゴンの標的にされているエリーが動けばどうなるのか。
それを考え、戸惑って。「ここに残る」とエリーが言ったとしても納得する事なんてできるわけもなく。
焦燥感にかられ、決断できなかった時に、あの男が言ったのだろう。
『俺に任せろ』
そう言って、渋るルナさんを送りだして。その約束を果たすために奮闘し。
ルナさんはその思いに応える為に、ギルドへと向かって走っていったのだ。
「私は、ただこの子が一人ぼっちで、心細いと思ったから、それをなんとかしてあげたくて、ただそれだけしか、考えて、なくて、だから、ちがう、こんな、こんな大勢の人が、ケガをしてほしいとか、そんなこと、ぜんぜん思ってない」
嗚咽を交えながらも、あのエメラルドドラゴンに恐怖し、自分の行った事の結果で、様々人間が重症を負ったことに後悔している。
その感情に囚われた状態で、自分の思いを吐き出していた。
エリーのそんな姿に、俺はぽんと頭に触れて言った。
「知ってる」
「おにいちゃん」
顔を挙げ、大粒の涙を零すエリー。
そんなエリーに俺は言った。
「お前がやった事は何も間違っていないし、誰にも間違っていたなんて言わせない」
そうこの子はただ、あの子供を助けたかっただけだ。
例え、魔物が人に脅威であるということが正しかったとしても。
それでも、助けを求める声に応えたこの子の優しさが間違っているなんてこと。
絶対に俺は認めない。
「でも、みんな、みんな私のせいで」
「怪我したのは、お前のせいじゃない。あいつがやったんだ」
自分のせいだというエリーに、首を振る。
この子の思いは間違っていない。
けれど、実際に大勢の人が傷ついている。
どうすればいいか?
決まっている。
「だから、俺は今から止めに行く。これ以上誰も傷つかなくていいように」
もう、これ以上。
この子が自分を責める事のないように。
「エリーは危ないから、離れてろ」
一度だけ、エリーに笑いかけたあと、俺は再度エメラルドドラゴンに向き合う。
「お兄ちゃんっ!」
俺に向かって声を上げるエリーに「大丈夫」だと言葉を返して。
今度こそ、俺はエメラルドドラゴンに向かっていった。