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第96話「椅子取り」


 まず、一つ目に文句がある。

 俺達の居場所こと校舎という華やかな舞台から離れた鍛冶場には、長年の煤がこびりついた机。そして、椅子だってクッション性なんか消え失せて、のっぺりとしたものしかない。

 これでも居座るようになってから、(さかき)先生へ要望を出しているのに、改善される気配が見えない。というか、絶対あの人忘れてるだろ。もう一回言わなきゃいけないな。

 そう思っていて改めて座っている人を見る。椅子は中尼君、叶、桜坂さん、雨曝君を支えており、残りは一つだけ。この間、中尼君が弟子になったということで意気揚々と叶が持ってきて以来増えていない。

 つまり、俺、夢、望の全員分はないのだ。

 はて、どうしようか。


「兄様、是非とも座ってください」


 と、妹にどうやって座らせるか考えていた俺へ、上目遣いで促してくる夢。

 身を乗り出した動きに合わせて、フワッと金木犀の香りがしてくる。


「いいのか? 望の方がいいんじゃ――」


「とぉ兄、座って」


 そう俺が促すことに被せてきた望は、夢と同じように上目遣いで覗き込んでくる。んー、可愛い。

 でも、俺が座っていいのだろうか。こういうのは、レディーファーストというやつがある。それを提案してみようか。


「でも、レディーファーストがあるだろ? 望か夢が座った方が」


「四季家の長男は兄様です。そして、この鍛冶場の使用者は兄様です」


 その理屈でいくと、あそこで飲み干した午後ティーを切なそうに見ている叶はどうなんだろうか。長女だけど、俺より年下だし。

 そんな俺の視線を同じように辿った夢は、表情の一切を変えず囁く。


「叶ちゃんはそういったのが苦手です」


「いや、知ってるよ」


「何か失礼なこと言ってない?」


「言ってない言ってない」


 とんだ地獄耳だこと。しかし、こういった場所でそんなマナーだとか、所作とか、配慮とか、結局必要なのかの疑問に至るわけで。

 疑惑を多分に含んだ叶からのジト目を無視しつつ、夢へまたも提案する。


「ここって、別に四季の家でもないだろ? そんな堅苦しいのなんか必要ないだろ。気楽にやろう」


「では、私達が気楽になるために兄様は座ってください」


 そうきたか。

 いや、椅子の譲り合いで桜坂さんと雨曝君を待たせるのは忍びないけど、仕方ないのだ。うん、仕方ない。なにせ、俺の気楽に関わっている。


「じゃあ、レディーファーストじゃなくてシスターファーストでどうだ」


「とぉ兄」


 俺の渾身の言葉を、望は名前を呼ぶことでやんわりと流す。兄さん、悲しいぞ。結構良さげだと思ったんだが。

 そんな望は俺を呼んだ後、何も言わずニコッと微笑む。ん? なんだ。俺も笑えばいいのか。


 そう思っていると、カクンと膝を無理やりに曲げられる。崩れたバランスに戸惑う暇もなく、両肩には優しく手が添えられ、腰を落とされる。

 そして、俺の臀部が着陸したのは地面でもなく、椅子の冷たく硬い座面であった。

 不意を突かれ、せめて犯人が誰か見ようとしたらそこにはドヤ顔の夢がいた。


「兄様、四季家らしく腰を据え、不動のごとく姿勢を正してください」


「…………はいはい」


 仕方なく、甘んじて受け入れよう。俺は美人のドヤ顔に弱いのだ。美少女である妹に言われるのなら、気楽を通り越して心地よいのだ。

 しかし、俺が座ったとなれば夢や望はどうするのだろう、と問い掛けようとすると。


「では、とぉ兄足借りるよ」

「失礼します」


 俺の右膝へ夢がちょこんと座ってくる。背筋がピシッと伸び、俺の肩から太ももまでを長くて爽やかな髪が撫でる。くすぐったい思いと同時に、金木犀の香りがさっきよりも鼻を喜ばせてくる。

 そういえば、昔はこうやって一緒に座ったこともあったけ。確か、二人でバスに乗って出掛けた時だ。

 そんな夢は、少しだけ恥ずかしそうでなるべく顔に出さないようにしているが、頬が薄らと桃を実らせている。そう見惚れていると、突如顔の前に望の綺麗な瞳がやってくる。

 望の左腕は俺の右肩から首までを囲うように回され、離さないようにがっしりと固定される。逃げられないように、逃がさないように。

 ぱっちりとした瞳は、少しムッとしていて、さくらんぼ色をした唇が不満を形作っている。


「とぉ兄、どこ見てたの」


「ん? 二人共膝に乗るからびっくりしたんだって」


「嘘でしょ、夢姉さんに見惚れてたでしょ」


 はい、嘘です。だけどね、望さんや。こうやって、近くに妹がいるというのも昔懐かしむ人間にとっては、感慨深いものがあるのですよ。

 そんな心を見透かしたのか、望は小さく息を吐き出すと、カシスのさっぱりとした香りをさせながら身を寄せてくる。


「まぁ、いいや」


 いいのか。というか、いいのか。

 茶髪の髪の毛は、ふわふわとしていて、制服越しに感じるくすぐったさは、普段の手入れが行き届いている成果だろうか。ヘアケアとかよく分からないけど、やっぱりこだわった方がいいんだろうか。この煤だらけの頭に必要だろうか?


「兄さん……?」


 そういえば、我が妹は椅子に座っていたな。

 呼ばれたので叶の方を見ると、笑っている。そして、怒っている。おいおい、そんな怖い顔をしちゃいけませんよ。中尼君も、雨曝君も怯えて身をちぢこませているじゃないか。

 ……桜坂さんはこっちをキラキラの目で見ているけど。どうして。


「なんだい、叶」


「狡いと思いませんか? あたしが座れないじゃん」


「座ってるじゃん」


 そう、椅子に。いつも通り、自分の特等席に。しかし、そうじゃないと言いたげに首を横へ振ると、立ち上がって、こっちへずんずん歩いてくる。


「そういう意味じゃないの」


「膝に座りたいとかだったら、もう空いてないぞ」


「じゃあ、足を増やして」


「無茶を言わないで」


 兄さんの足は二本しかありません。だけど、叶はこっちにやってくると、望と何やらアイコンタクトをとる。

 無言のやり取りに、望は頷くと俺の首元に回していた腕を離し、少しだけ距離を置く。

 え、どういうこと。

 疑問に思って、叶の方を見る。


「兄さん、前を見てて、こっち向いたら危ないよ」


「危ないことするの……?」


 しかし、言われたものは仕方ない。従わないと本当に危ないだろうな。怖い。

 真っ直ぐ、鍛冶場の壁を見る。相変わらず、煤汚れているな……。大掃除しなきゃかな。あんま放っておくと良くないし。

 そんなことを思っていると、タンッと地面を蹴る音がして肩にズシンと衝撃が――いや、重量がのしかかってくる。


「うぉ」


 叶が俺の肩に飛び乗ってきたのだ。小さい子ならまだしも、うら若き少女が大ジャンプをかまして肩車されにきたのだ。

 無謀だろって。


「兄さん、肩大丈夫?」


 肩の上でフラフラと揺れる叶は、手頃な場所にある俺の頭を優しく撫でる。

 なんてやつだ。


「飛び乗ってから言わない。後、はしたないからやめなさい」


「えー? でも、これならあたしも兄さんに座っていることになるでしょ。賢くない?」


 賢いどうとかじゃなく。……そう、文句があったけど、頭上の存在は久しぶりの肩車にすこぶる感動して興奮している。雰囲気から伝わってくる緊張となにか。

 まぁ、喜んでいるならいいか。


「賢い叶さんは、次から肩車してもいいか聞こうな? 俺の肩も頑丈じゃないから」


「でも外れてないでしょ」


「外れることはないけど、一応そういうやり取りをしましょうねってこと。コミュニュケーションは大事だぞ」


 家族間で阿吽の呼吸があったとしても、それを言語化することは大切だ。いざという時、自分の行動、感情、感動、思考を相手へ伝えるのに困惑することが無くなる。減る。そういうの大事だと兄は思います。


「ほんじゃ、お詫びの印にお汁粉ソーダをどうぞ」


「お返しすることはできないんだろうか」


「できないね。まぁ、飲んでみましょうや兄さん。皆さん待ってるよ」


 待ってるのは俺が飲むかどうかじゃなくて、いつ頃になったら集められた理由を話してくれるか待っているんだと思うが。

 ……だけど、このままあーだこーだ言ってたら叶はしつこいぐらい急かしてくるし、そうなると困る。この後、試合もあるんだ。

 ……試合前にとんでもない飲み物差し入れしてくるなよ、刺客か。


「……わかったよ。飲むよ飲みますよ」


 大人しく、夢の背後から手を伸ばしお汁粉ソーダと書かれた缶ジュースを手にする。相変わらず、冷たい。これで冷たいのは救いだろうか。いや、飲まされる時点で救いじゃない。

 皆の期待――というより、妹達からは期待の眼差し。中尼君達からは心配と不安の視線。それらを受け、プルタブを開ける。

 ふんわりとお汁粉特有の小豆が煮込まれた甘い香りと、炭酸のしゅわしゅわと弾ける耳触りのいい音が聞こえてくる。

 もう既に開けたことを後悔している。

 ……でも、飲まなきゃいけないんだ。そう覚悟を決め、グイッと勢いよく喉へと流し込む。


「……どう?」


「………………激甘」


 吹き出さなかったことを褒めて欲しい。こんなところで盛大にぶちまければ公衆衛生はあってないようなものになる。口周衛生は最悪になったが、少なくとも、不穏な空気にならなくて済んだと思えばいい。

 俺は叶のふくらはぎをつまみながら、口の中に広がる生々しい甘味を必死に喉奥へ押し込んでいた。

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