第94話「両手に花」
各々が堪能したお膳を返却口まで持っていくと、さりげなく望の手が左腕に絡まる。
「望?」
「なに? 鍛冶場行くんでしょ?」
何事も起こっていない顔をした望。うん、気にしないでおくか。
「兄様、中尼さんと叶ちゃんは何をしていると思いますか?」
と言いながら、俺の右手小指を優しく掴んでくるのは夢。なんだろう……この状況。やけに繊細で、ガラス細工のような細い指が時折、力強く時にただ触っているだけの力加減で繋がれる。
本当に、どういう状況だ。
「んー、中尼君と会ったのは確か、一昨日だっけか」
「そうですね。壱鬼さんと対戦し、負けてしまった中尼さんへ試合映像を見ながら反省会をしました」
用意周到な夢がタブレットを持ち出してきて、それを俺と叶、夢に望、そして中尼君の五人でこの動きはあーだ、こーだの押し問答をしていた。
といっても、解決策というのも明確には存在せず、中尼君への反省会としては非常に申し訳ないほどの結論に終着したのは、記憶に新しい。
「結局、『相手がミスするのを祈って、ワンチャンスに賭けて動くしかない』が最適解だったから、反省会というよりかは慰労会に近いんじゃないかな」
「確かにそうだけど、大事な話もしたはずだったよな」
「基本を忠実に。基礎を徹底的に。そう言ってましたね」
望が腕に頬を擦り寄せてくる。……そういえば、望は今朝も化粧をしていたっけか。いや、最近はしていなかったような。
どうだろう。制服にファンデがつくとちょっと面倒なんだけど……。
そう思いながら、望のふにゃけた横顔を眺めていると、目が合った。
「どうしたの? あたしの顔に何かついている?」
「いや、望て化粧してるのかなって」
なんでそんなことを聞いてくるのか、とでも言いたげな怪訝な表情。透き通った肌は綺麗だし、唇も艶やかなピンク色。目立った箇所は見えないから、化粧はしていないと思うが。
「してたらどうするの? とぉ兄褒めてくれたりする?」
「そりゃ、褒めるけど。でもいつも綺麗だから、化粧していても気づかないかもなって」
こればかりは、俺の目が悪いとしか言えない。なにせ、制服に化粧がつくことを少しだけ嫌がっているのを隠すために、嘘をついているのだから。
しかし、望は俺からの言葉を真に受けたのか、ポッと頬がさくらんぼ色に染まる。
「化粧は、してないよ。した方がいい?」
「どうだろ……。夢はどっちがいい」
「そこで私に聞くのはいけませんよ兄様」
え、ダメなのか。キョトンとした俺に向かって、夢は軽く息を吐き出すと、少しばかり身を預けてくる。小さな負担が、ある意味心地よい。
「兄様、そういう時は素直に言ってあげるのが男らしさというものです」
「なるほど。男らしく、ね」
ここまでの会話を望は聞いているだろうに、聞こえていない振りをして前髪をいじっている。俺からの返答待ちなのは明白だ。
「化粧した姿は見たことないから判断できないな」
――両方の腕を思いっきり摘まれた。
◆
鍛冶場までの道中が珍道中であり、すれ違う人の誰もが二度見してしまうものではあったけど、寮を出てしまえば後はまばらな人しかいない。
グラウンドの横を通り、遠くから見える朝練の部活生。行ったり来たりのランニング。その端っこには野球部が駆け出しては砂へと飛び込んでいる。
青春だ。
正しく、清々しい朝だ。
「兄様も、部活はされないのですか?」
「部活ね……。家があるから」
「でも、お父さんお母さんも自由にしてなさいて言ってなかったけ?」
望が俺の顔を覗き込みながら、昔の思い出を話してくれる。グラウンドから上がる土煙が、自分の心を映しているような気がした。
「自由にしなさい、とは言ってたな。家のことは気にしなくていいって」
名家だから刀の世界にいなくてもいい。
刀道をして、怪我をして欲しくない。
そう言っていた母さんの顔は、苦しんでいた。今でも思い出す度、胸が締め付けられる。怒りも湧いてくる。
「でもさ、家のこととか今でも考えたらよく分からなくてさ」
「……それは、成り上がりの方面ですか?」
「うん」
たまに考えては、その時が来たら考えよう、と引き出しにしまっていた。いや、押し込んでいた。
「だってさ。成り上がりとか、ただ漠然と勝てばいいとか、優勝すればいい。全国に行って、実績さえあればいい。とか思ってた」
でも違う。
例え、刀道の世界にいたとしても部活をやっている人がいるように。俺とは別の世界から来た人は、もっとたくさんの世界に触れている。
あそこでバットを振っている人が全国を目指しているかは分からない。ただ、楽しいからしているだけかもしれない。でも、もし、勝ちたいと思っているのなら。
「……俺は別に、勝とうとは思ってなかったんじゃないかなって」
スランプとはまた違う。
独白にしては、独りよがり。俺の目標は四季家の名誉復活。ただそれだけで、勝ち進めば良かった。
だが、現実は違った。
俺が過ごしてきた高校生活の一年間は、ただの一年間ではなかった。
「桜坂さんと雨曝君と戦って思った。最初、絶対勝ち目がないだろうって絶望していたのに、試合が始まったら勝ちたいて顔になってた」
今でも思い出す。いや、ずっと忘れないだろう。
あの時、桜坂さんも一矢報いる方法を模索して行動していた。雨曝君も、なんとか打開策を探していた。
その瞬間も、勝とうとしていた。
「兄様、あの……」
「ナイーブにはなっていないよ。俺だって勝ちたいし、優勝だってしたい」
ただ、桜坂さんと雨曝君。なにより、中尼君とは明確に違う。あの時、試合の中での温度差は違った。
明確なほど。俺は冷たく、彼女達は熱い。
「俺は勝ちたいて気持ちで負けてるのかなって」
言ってしまい、僅かな後悔が襲ってくる。だが、ここで吐き出さないといけない気もした。
モヤモヤして、このまま三回戦に挑むのは少し気後れしていたのだ。なんとはなしの悩みと疑問。それがふとした瞬間に爆発してしまいそうで、手に余っている。
そんな俺の気持ちが見透かされたのか、二人の瞳は至極真面目な色をする。
「兄様。……いえ、望ちゃんから言ってもらいましょうか」
「え、あたし?」
自分が指名されるとは思っていなかったのだろう。真ん丸と目を開いては、夢へ理由の問いただしを行っている。
「はい。望ちゃんは私達の中で、とりわけ勝ちたい気持ちが強いので」
望が? そこまで切望している姿は見たこともないが。いや、夢が言っているのならそうだろう。
確かに、ここ最近は鍛錬にも顔を出している。素振りくらいしか一緒にできないが、それでも参加してくれている。以前まで、サボり魔だった子がここまで積極的になっているのは気持ちの変化に他ならない。
とすれば、何らかの答えが聞けるのは間違いないだろう。
俺からの希望の眼差しを受けてか、顎に人差し指を添え、少し考える望。そして、口を開く。
「あたしが思うに勝ちたいて気持ちに優劣なんかないと思う。誰かが切実に思っているから勝ったとか、気持ちで負けたから負けた、なんてそんなの今までの自分に失礼だと思うの。
努力してきたことが、そんな簡単な言葉で片付けていいなんて、あたしは思わないから」
ポツリ、ポツリ。望が紡いでいるのは確かな自分自身の言葉。心から思って、頭で文章を作って、それを不安に思いながら形にしている。
「だったら、とぉ兄に負けた桜坂さんは気持ちで負けたから試合でも惨敗したのか、とか言われたらそうじゃない。結果は確かにそうだけど、そこに感情を持ち込むのは優劣以前に、相手へは失礼じゃないかなって」
確かにそうだ。
気持ちで負けた、勝った、なんて当事者だけで決められることじゃない。もちろん、第三者が決めつけるものじゃない。
「それに、四季家だからとか。家柄とか、名家とか。そういうのも関係ないと思う。どれだけ練習して、鍛錬して、考えて、足りないものを見つけて、時間をかけたか。ただ、それだけだと思う」
腑に落ちた。
というより、納得する一つの考えを得た気がした。
「確かに、そうだな。うん、ありがとう望」
そう言って、わしゃわしゃと望の頭を撫でる。突然の出来事に驚くも、すぐに目を細めながら身を委ねてくる。……猫みたいだな。
そう思っていると、右手小指にささやかな刺激が伝わってくる。
「兄様。私も」
「はい」
撫でるためにあいた左手で夢の頭も撫でる。
サラサラとして、指触りのいい髪を堪能していると、望がこっちも構えと頭を擦り寄せてくる。
なんたるハーレムだろうか。妹なんだけどな。
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後、ここ最近、書き方を変えたという意識でやっていますが、もしアドバイス等あれば感想とかで教えてくださると嬉しいです。