第91話「兄の思惑」
いつも通りの朝練と夢から提案された瞑想を終え、俺と夢は食堂で向かい合いながら朝飯をもしゃもしゃと咀嚼に勤しんでいた。
俺は炊きたて炊き込みご飯、サバの味噌煮、ワカメの味噌汁。夢も同じ炊き込みご飯に、主菜だけは鮭の塩焼きとほうれん草のお浸しを付け加えている。味噌汁もワカメじゃなくて、とろろ昆布が浮かんでいる合わせ味噌になっている。
俺よりも、豪華であるのは間違いない。
「兄様、足りますか? 良ければほうれん草食べますか? 良ければ胡麻和えでも追加で買ってきましょうか」
「いや、大丈夫だよ、ありがとう」
甲斐甲斐しくも言ってくれる夢。
心配してくれているのか。いや、そうか。そりゃ心配だよな。昨日ぶっ倒れて今日ピンピンしているのが不思議なくらいだもんな。例え、四季家の人間だろうと大丈夫だと言えないのだ。俺だって、夢が倒れたらそうする。
「今日、夢が一緒に朝の鍛錬に来てくれたのは、俺を心配してくれてか?」
「……そうですよ」
少し無言だったのは、思いのほか鮭の身が硬かったからだろう。苦戦しながら、外していく姿は今までの手つきとは若干荒っぽさが見られる。
対して、サバの味噌煮が乗せられたものを乱雑に切り分け、口に運ぶ。うまい。安定した味噌の甘辛い風味にサバの独特の匂いが食欲をこれでもかと刺激してくれる。
「こうやって、一緒にご飯を食べるのもそうですが。兄様は昨日倒れたことを忘れてはいけませんよ? 私達はとても心配したのですから」
「それはごめんな」
「分かればいいのです。ついでに、頭を撫でてくれれば文句はないです」
言われた通り、透き通る黒髪へ手を伸ばし、わしゃわしゃと撫でる。相変わらず、真っ直ぐな髪だ。手入れが大変そうだと思いながら、それを崩していく若干の罪悪感と優越感を手に、ある程度乱れた髪を整える。
「そんなに目を細めなくても」
「兄様の撫で方は優しくて好きなのです」
そうなんだろうか。他の人に試したことはないから分からない。
まるで猫みたいな夢は、鮭の骨と身を丁寧に剥がしていく。俺も立ち上がった体を戻し、口の中から消えたサバを再び味わう。
「それで、兄様。今日は望ちゃんの戦い方でいかれるのですか?」
「いかれるて?」
「私の前でとぼけようとしないでくださいね。小さい頃、兄様の隠した宝物を見つけた私ですよ」
「確かに、あれはすぐに見つけられて悔しかったけど……」
小さい頃。僅かにできた休憩でも、体を休めるつもりもなかった俺は、数日分のお菓子を小さく可愛い缶へ詰め込んで、隠したことがあった。
それは蔵の奥だったり、天井裏だったり、お祖父さんの机の引き出しだったりと、健気な脳であれこれと考えたのだが、夢はヒントもなしに。それも、まっさきに隠した場所へ向かい、見つけたのだ。
今思い出しても、むず痒い悔しさが喉まで迫り上がる。
「兄様が一戦目では私の戦い方。二戦目では叶ちゃんの戦い方をしていたのは気づいています。気づいていないとすれば、観戦者やLIVE配信の視聴者だったり、そもしも私達と試合をしたこともない人達でしょう」
「ちなみに、夢は誰かと戦ったりしたか?」
「いえ。したことはありませんし、中学生の時に遊び半分のチャンバラごっこくらいしかありません」
「中学生の時て……あれって、体育の時間だろ。チャンバラて」
「専門性もなく、戦略性もない。ただただ、武道の形を学ばせるための授業なんてチャンバラだと思いますよ。兄様も、やったことありませんか?」
「あるけど……」
そこまで思ったことはない。というより、俺の場合はなるべく自我を出さないようにはしていた。
なにせ、チャンバラといっても竹刀を使っての組手だったりもしたのだ。もちろん、剣道の防具を貸してもらって。
そんな中に、いきなり本気で戦うやつがいれば賞賛よりかは恐怖を向けられるのは中学生の俺でもわかっていた。
「まぁ、そういうわけで私達の戦い方を知っているのは兄様とお爺様、お父様にお母様、後は使用人のお姉様でしょうか」
「あー……使用人ね」
四季は曲がりなりにも『鬼族』であること。そして、鬼の呪いが蔓延していることもあって、いつ命が消えてしまうか分からない一家として、壱鬼から使用人こと監視役の人が派遣されてきた。
もちろん、他の『鬼族』も使用人を雇って、亡くなった時のことを託していたりもする。俺達はいつ鬼に殺されるか分からない恐怖を背に、前進しているのだ。
「あまり記憶に残ってないけど、お姉さんだったか」
「はい。兄様好みのお淑やかで笑顔も素敵で、美人のお姉様でしたよ」
え、覚えていなかったことを後悔することになろうとは。……というか、なんで俺の好みを夢は知っているのだろうか?
「兄様、今激しく後悔していませんか? 私が宝物をあっけなく見つけた時よりも」
「そ、そんなことはないぞ」
ジト目の夢からの視線を避ける。まるで心の中を透かされている気がしてならないほど、夢の追及は背中へ冷や汗を流すに充分であった。
やっぱり、炊き込みご飯の椎茸は脇役でありながら、大黒柱のような存在だよな。うんうん。なんとか視線を逸らしながらいると、夢はふぅと溜息を吐き出す。
「兄様、私はどなたを好きになろうと構いませんけど、嘘の隠し方は上手になりましょう。少なくとも、私に見つからないように」
「それは無理難題というやつだな」
どこに隠しても見つける夢なんだから、嘘かどうかなんか一瞬で見抜かれる。だったら、いっそ白々しくいるべきだとは思う。
「……まぁ、いいでしょう。お姉様が綺麗だったのは言うまでもありませんし、自分の好みの女性を気になるのは男性の心理でしょうし」
「そうだそうだ。気にしない方がいいぞ」
すまない男性諸君。俺は自分の身可愛さに君達を巻き込みました。
まぁ、それで言えば。
「夢だって、お淑やかで綺麗で美人だから、色んな人に好かれるんじゃないか」
「兄様に好かれるだけで充分です」
「なんだ、可愛い妹め」
献身的というか、なんというか。危うい意識ではあるけど、夢がそう言うってことは俺のことを好いてくれているのだろう。兄としては、それだけで充分だ。
いや、嫌われていると思ったことなんかないけど。
この溶けたような笑顔で充分だ。
「さて、兄様。話を戻しましょう。次の試合、望ちゃんの戦い方でいかれるのでしょうか」
「……そうだな。そのつもりだが」
何度も何度も話が脱線しているから、ここで更に脱線するのも良くない。かといって、見抜かれた恥ずかしさもあるし、思惑を読み取ってくれた嬉しさもある。
どちらにせよ、鮭の身を丁寧に解し終えた夢をからかい続けると大変なことになる。
「そうですか。それは、四季家のためですか?」
「……どうだろ」
今一度、なんでそんなことしたのか心の動きを覚えているわけじゃない。むしろ、何も思わなかった、が正解だろう。何も考えず、何も思わず、そうなったから後付けで理由をつけた。
これに尽きる。だが、目の前に差し出された鮭のピンク色を帯びたオレンジ色の肉。適度に脂が天井の照明を反射しており、ふわっと醤油の匂いがしてくる。
「これは?」
「兄様へ」
たったそれだけ。
それだけで意図が分かるのもある意味おかしいのだろうか。それとも、慣れたからだろうか。箸の先に摘まれた魚肉を頬張る。
「うまい」
「良かったです」
こういった公然の面前ですることじゃないだろうけど、夢の要求を断る気持ちはない。一切ない。
うまいし。サバよりも慣れ親しんだ味。味の上振れ下振れが限りなく狭い存在は、炊き込みご飯とよく合う。
……いっそ、鮭フレークみたいに炊き込みご飯へ掛けて食べてしまうのもいいかもしれない。
「――あ、とぉ兄。夢姉さんおはよう」
「おはよう」
「おはようございます、望ちゃん」
そんな俺と夢の元へトテトテとおぼつかない足取り、手にしたトレイには小さなお椀と、茶碗の二つだけ。中は……うどんと炊き込みご飯だ。
それを持ってきたのは、末っ子である望。彼女は大欠伸をしながら、俺の隣へ当たり前のように座ったのであった。




