第90話「瞑想」
刀というのは、非常に繊細で可憐な乙女のように扱わなければいけない。
とは、俺のお祖父さんが言っていたことだ。口酸っぱく、言い聞かせてきたのはそういう一つでも妥協すれば、全て上手くいかない扱いの難しさであった。
それは例え機械化されてきて、ある程度の質であれば問題なく戦えるような時代に逆行。いや、寧ろ反抗していることではあったが。
俺自身、それを最初のうちは慣れないながらでも楽しむ余裕はあった。打つのが楽しいというよりは、どんな結果を生み出せるのかにワクワクしていた。
だからお祖父さん。俺は難しいと思うのは、例えに出した女性関係の方だと思うのです。
「兄様は非常に短気だと思います」
早朝からの日課である素振りと走り込みを済ませた海岸沿い。朝日が僅かに顔を覗かせた時間。座禅を組み、瞑想していただろう夢から言われたのは、精神状態が穏やかにしては些か厳しい一言であった。
「これでも我慢強い方だぞ」
「いえ、感情の溜め込みではなく、爆発力の方です」
「……そんなに、激しいのかね」
夢の隣へ座り、予め買っておいたスポーツ飲料を飲み込む。甘い。
「例えば、今までの試合。対戦相手へ敬意のある戦いだったと思います」
「敬意、かな。どっちかというと、礼儀というか」
夢の肩へカモメがとまる。え、そんな自然に人へ近づくものかね。
「礼儀だとしましょう。しかし、兄様はそんな方たちと試合が終わってなお、その方達を思いやるあまり、意識消失まで呪いが進行しました」
「うん。確かにそうだけど」
また一羽、飛んできては夢のあいている肩へ羽を休めにくる。対して、俺には一羽もやってこない。おかしい。同じように座禅を組めばいいのか。
「これは由々しき事態だと思います」
「俺もそう思う」
夢の肩が由々しき事態だ。また二羽増えた。
「でも、夢も怒髪天を衝くとか言ってなかったか?」
「我慢できた人と、辛抱堪らず噴火した人とでは、歴然たる結果が生まれていませんか?」
「まぁ、そうだけど」
俺は辛抱堪らず大爆発した。そのことと、我慢して我慢して、今では鳥達に囲まれるほどの平穏な状態を維持している夢とでは、圧倒的差がある。精神的だけじゃない。現実で第三者が視認できたのだから、俺の方が由々しき事態を生み出している。
「兄様も瞑想してみませんか? 落ち着きますよ」
「今の夢の状況は羨ましい限りだけど……」
鳥達に囲まれる生活というのも面白そうだとは思っていたのだ。昔、アニメ映画をちらっと見ることができた時、動物達と仲良く過ごしていながら、その子達と戦うヒロインがいた。それに多少なりともの憧れがあったのは他でもない。
「大変じゃないか。重そうだし」
現実的な意識を向け始めるのが思春期全盛期だと思う。現実と理想を溶け合わせるんじゃなく、それぞれを乖離させる時期。だから今の夢を羨ましいと思う反面、重そうだし野鳥て臭そうというイメージが付き纏う。
「重いですし、臭いです」
「えらく直球で言うのな。勧めてきた割に」
「実際、あまり野鳥に好かれるのはオススメしません。遠目から見るからこそ、輝くのです」
「じゃあ、なんで勧めてきたんだよ……」
それでも夢は――そんな好ましくない状況にも関わらず、瞑想を続けている。いや、瞑想て喋ってもいいんだっけ。いけないんじゃないか。
「よく言いませんか? 動物に好かれる武士というのは、素晴らしい武士だと」
「ん、まぁ、そんな話もあるような気はするが」
かつて、馬に好かれた武士というのは戦場においては類まれなる才を発揮し、戦場を縦横無尽に駆け抜けたという。馬を愛し、馬と共に過ごした。そういう話があるのだから、あながち間違いではないようにも思える。
「なにより、動物――特に鳥類は殺気や気配に敏感です。私がこうしていて、喋っていても逃げないのは、私の存在が止まり木の役目を果たしているからです。樹木を目指すのも、瞑想の一つと言えます」
「じゃあ、ここで俺が憤怒に塗れたら鳥は逃げちゃうのか」
「はい。そんなことをすれば私は悲しくなるのと引き換えになりますが、兄様のしていることを否定するつもりはありませんので、ご自由に」
「そこまで言われてするつもりはないって」
なにより、瞑想に興味が出てきた。
夢を目指すのもある意味俺の精神を穏やかにする近道かもしれない。特に短気だと言われるのは、兄として不甲斐ない。甲斐性もない。
感情に任せてもいい場面はあれど、飲まれる場面はない。飲まれてはいけないのだ。酒と、怒りと、欲にのまれてはいけない。
「ちなみに、瞑想って俺も座禅を組めばいいのか?」
「いえ、自分がリラックスできる体勢であればなんでもいいですが……横になるのはやめておいた方がいいと先に言っておきます」
「なんで? 形式的にタブーだったりするのか?」
そこら辺の事情は知らないが、マナー的に良くなかったりするのだろうか。というか、やり方としては座った状態がいいとか、そういうのだろうか。
と、思っていたが夢はゆっくりと俺の方へと顔を向ける。伸びた睫毛が可愛らしく、きめ細やかな肌は朝焼け空に照らされ、まるで雪のようだ。
「横になると寝てしまいます。私はそれで何度も寝てしまいました。なので、座った状態がいいです」
「至極真っ当な意見だった……」
その忠告を受け、俺も夢と同じように座禅を組む。
……少しばかり、感情への向き合い方が透明になったような気がした。




