第85話「鬼の呪い2」
呪い。一言に呪いといっても、多種多様な不運、不幸の形があり、厳密に区分できるようなものではない。
ただ、明らかに人の生命を害するものを呪いとするのなら、四季家を縛り付けるものは確実にそれに該当するだろう。
「生命力て……。じゃあ、透君が試合後に気を失ったのもそれが原因てこと?」
「はい。恐らくは」
ソファーの背もたれに背中をつけ、天を仰ぐ朽木教師。ゆるやかな髪が困り果てたようにも見えるのは、決して気のせいではないだろう。
四季叶も夢も、困っていることに変わりないのだから。
「……その生命力てのも、具体的にどれを指すのか教えてくれる? 例えば、体力とか精神力とかあるでしょ」
「……体力でも、精神力でもありません」
「…………ということは?」
「寿命だね。あたし達から寿命を吸い取ってるんだよ、鬼の呪いは」
特大のため息を吐き出し、朽木教師は広がっていく頭痛に嫌気がさす。その苦悶の表情が見えたからこそ、四季叶も夢も、優れた洞察力と観察眼から気まずい顔になってしまう。
「あの、すみません。こんなこと言ってしまって、嘘だと一蹴してもらって構いませんので」
「はぁ? ……あぁ、いやごめんなさい。別に重い事情を聞いて後悔したとかじゃないのよ。そう思わせてしまったのならごめんなさい。先生が不安になるようなことしちゃいけないのに」
「いえ……」
「でも、ね。嘘だと言ってしまうのは簡単だし、この話を妄想だとか片付けるのは貴女達の悩みに寄り添えていない大人の対応でしょ?」
四季叶も夢も、想像していない言葉に思わず面食らってしまう。というより、信じられないことの方が当たり前なのだ。鬼の呪いだって、寿命が縮むなんて。
「で、でも。鬼の呪いだとか、寿命が縮むとか信じられないことというか、可視化されてもないから信じようがないと思うんですけど……」
「何言ってるの。寿命が縮むとか、普通に生きてるだけで寿命は減っていくのだし。それに過去、それこそ戦国時代というか鎌倉だっけ? それより前なんて神憑り的な力が当たり前にあった世界があったのよ。呪いとか、占いとか、神罰だったり、祟りだって、信じる人がいるのならあると思っているわよ」
ここで煙草でもふかしそうな気だるげでも、はっきりと伝えてくれる朽木教師。そのことに、二人は見惚れる。
信じられないことなのに。
信じる人を信じてくれていることに、今まで話しても結局は与太話だと切り捨てられると覚悟していた二人に、これ以上ないほどの優しさであろう。
心のどこかがほっこりと温かくなる。
しかし、その二人の向かいで座っている朽木教師は、四季叶と夢の表情が機微含め瓜二つであることに関心しているのは、心の内に秘めている。
「で、透君は寿命を奪われてるみたいだけど、それがあの赤い霧だったりするのかしら?」
「朽木先生も見えていたんです? あの、紅い霧が」
「見えていたわよ。というか、LIVE配信だけどね。そこでもモヤモヤした大きいものが透君の背後で付かず離れずいたものだから、そういう神鋼の性質なのかと思っていたけど、今までの話から察するに違いそうだし」
「……ちなみに、形とかは覚えてますか?」
四季夢のおずおずと伺うように問い掛けた姿勢に反して、朽木教師の返答というのは疑問に包まれたもので、綺麗に整った眉が八の字に曲がる。
「形? いいえ、形もなにも、焚き火の煙くらいにしか見えなかったけどね」
その言葉に、四季叶も夢も目配せをすることなく、互いの僅かな雰囲気の違いで通じ合う。
これこそ、双子の為せる技――処世術というものだろう。
「(あれが鬼に見えていないていうことは、あまり気にしなくていいかもね)」
「(そうですね。一応、対戦相手の雨曝さんへも聞いておきましょう)」
と、話してしまえばそのくらいの内容量をたった指先の動きと瞬き、吐く息の長さで通じ合う。双子の共感覚に、暗号技術の成果が目の前で繰り広げられていることを、朽木教師は何一つ勘づく様子は見られない。
どころか、気にしていることが別にあって、原点にあるからこそ、それ以外は目につかないのだろう。
「紅い霧が寿命を奪っているのは先生の仰っている通りです。あれが呪いそのものだと思ってもらっていいです」
「そう。そうなのね。ちなみに、今の透君は気を失っているわけだけど、ちゃんと目を覚ますのよね?」
「はい。今、望ちゃんが一緒にいるから、そのうち目を覚ますはずですよ」
四季叶の自信満々な言葉に、朽木教師は少しばかり疑問を浮かべる。怪訝とは違った、純粋なものだ。
「一緒にいるから目を覚ますてことは、なにかしろの治療方法があるってことかしら?」
――いえね、私も保健医だからある程度の知識はあるから、言うのだけど。と前置きをして、朽木教師は視線を真上の天井へと動かし、誰に向かって言っているわけではないつもりの言葉を明後日へ投げるように言う。
「あの状態、少なくとも入院しなきゃいけないくらいなのよ。というか、意識喪失てそれだけ恐ろしい現象だから、そうするのが一番なのよ。でも、貴女達はそうすることがいいとか思っていそうだし、実際、叶さんは望さんがいるから目を覚ますとか言っていたし。
何より、さっきもその望さんから『あたしがいれば、意識を取り戻すはずなので救急車は大丈夫です』とか言っていたし」
「……それを信じたのですか?」
この四季夢の問い掛けは、朽木教師の面子を心配した言葉である。なにせ、保健医であれば救急車をすぐに呼ぶだろうことを生徒の言葉を信頼したのだから。
「いえ? 信じたわけではないわよ。バイタル測って、呼吸とかも調べて、意識喪失になった以上問答無用で病院に送るつもりだから。救急車は大丈夫です、とは言われたけど、病院は大丈夫ですとは言われてないからね」
全くどころか、そもそも信頼というわけではなかったらしい。当たり前の話ではあるが、四季叶も夢も、豆鉄砲を食らったような素っ頓狂な顔をする。
「ちゃんと検査を受けてもらわないと試合には出せないわよ。当たり前でしょ。心拍数とか血圧とか異常はないし、切迫性のない状態だから寝てもらっているだけ。言ったでしょう? 意識喪失て、気を失うことって、恐ろしいことだってこと」
心底真面目に、いや、恐ろしいほどの真剣な怒りをこめた声は、四季家の双子姉妹を凍りつかせるには充分であった。
「後、貴女達も透君の傍にいたいとか、四季家の名誉とか考えているのなら、ちゃんと考えなさい。ここは貴女達だけの世界じゃないの。倒れた時や意識がない時、それが呪いだからとか、祟りだと思うのは自由よ。だけど、倒れた事実に何も変わりないんだから、しっかりと正しい処置なり、緩和的治療をするべきなの。これからも試合に出たり、自分の道を進みたいと思うのならね。
私は誰の悩みも聞くし、疑うことだってしないけども、冷静に相手のことを真剣に考えてあげないと、他の人は離れて行っちゃうんだから気をつけなさい。貴女達の言葉や行動てのは、色々な人に見られているってことを、お兄さんの向こう側から見ている人がいるってことを」
――説教じみてごめんなさい。
そう、あえて軽く言ったつもりの朽木教師であったが、これがこれが、意外にも双子姉妹に刺さったようで。
何も言えず、唖然とすることもできず。
ただ、言われたことを脳内で反芻し、何度も噛み砕いては震える喉へ押し流すことに必死であった。




