第83話「保健室」
月見高校の保健室。そこはアルコールと薬の匂いが混ざった空間であった。かといって、薬というのも大したものではなく、うがい薬や湿布薬、簡易的な栄養剤など、およそ医学に頼っている空間ではない。そもそもが、救急隊や救急車、ないしは重症ではない症状の生徒を休めるための場所になっている。
できることといえば、骨折の対処や擦り傷切り傷への消毒だろう。
そんな場所で、およそ楽観とは言い難い表情の子達に囲まれた男子生徒がいた。
「…………兄さん、大丈夫かな」
保健室の教師が促してくれたふかふかのソファーに座りながら、四季叶はつぶやく。溜息混じり、不安が入り交じった寂しさの言葉は、隣に座っていたお淑やかな少女も同意見だと言わざるを得ない表情になっていた。
「大丈夫……とは断言できないでしょうね。あれほどに長い時間、鬼の呪いをその身に受けていたのですから、相当の疲労に違いないでしょう。……なにより、生命力を削り取られたのが大きいでしょうけど」
足元までをピッタリと閉じ、膝上で両手を重ねた厳かな姿勢の四季夢は、これまで見てきた中でも類を見ない異例の光景を思い出しながら嘆息混じりに吐き出す。
「だよね……。あたしだって、一分経つと気持ち悪くなって刀を手放しちゃうのに、試合時間だと何分だっけ」
「五分です」
「五分に、試合開始までの燻った状態も含めたら十分以上じゃない? 無理だよ、あたしだったら死んじゃう。死ぬつもりがないのに」
おどけたつもりだったのだろうが、四季叶にとっても、四季に掛けられた鬼の呪いの被害者にとっては、笑えそうで笑えないものであった。故に、二人の間にあった重苦しい空気がより一層、どん底へと沈んでしまう。
そんな時である。
彼女達の後方――三つほどの仕切りようのカーテンを開き、白衣を纏った秀麗な女性が歩み出てくる。
「なに? この重苦しい空気」
真っ黒な髪をポニーテールへと結び、毛先にかけてウェーブを描く女性は、目の前に広がった惨状を嘆くように言う。
童顔で可愛らしい顔には、似合わないうんざりとした顔。
「叶ちゃんが、笑えない冗談を言うものですから」
「ごめんって、本当に。でも空気が重いのは嫌じゃん?」
「気持ちは分かりますけど、言葉は選んでくださいよ」
「貴女達、姉妹喧嘩がしたいなら外でしなさいよ。しないのなら、お兄さんの状態を少しでもいいから先生に教えなさい」
そう言うや否や、四季叶と夢は座り直し、姿勢も正し、真剣な面持ちとなる。
今までのうら若き乙女達がいつの間にか名家の令嬢らしい佇まいとなるのだ。
これには、保健室教師――朽木夕実も面食らったような顔で向かいのソファーに座る。
「あれ、望ちゃんは?」
と言って、教師へ真っ先に問いかける四季叶。
気にしたのは彼女達の妹、四季家の末っ子こと四季望。兄姉達からの無償の愛をその身に余るほど受け、溺愛され、親愛で形作られた平穏にいながらも、兄や姉と一緒にいたい想いで喧騒の中へと乗り込んできた妹のことを、長女である叶は質問したのだ。
「まだお兄さんのところにいるよ。健気よね、あの子も。ずっと手を握って離さないんだから」
ある種の尊敬を抱きながら、朽木は思い出のように語る。しかし、目の前の二人はそうではないようだ。
「どうしたのよ。その顔、仲睦まじい兄妹愛じゃない。誇らしくないの?」
「いえ、誇らしいのは誇らしいです。けど……」
「兄さんを独占されるのは違うっていうか、先越されたなー、ていう感じで」
苦虫を噛み潰したような――どころか、それすらも超えた苦悶の表情を浮かべる二人。先程までの名家の令嬢たる雰囲気は何処へやら。
いるのは嫉妬を抱いた少女である。
「貴女達が仲良いのと、お兄さんを溺愛してるのは充分わかったから。聞かせてもらってもいいかしら? 鬼の呪いがなんなのか」
朽木の促しによって、即座に表情を作り替えたのは流石の所作であろう。しかし、本来であるなら感情の一切を悟られないよう、偽りを浮かべるのだろう。そんなことなど、四季家では教育していないからこそ、必要ないと思っているからこそ。
二人は、重く語る。




