第71話「侍月大会予選二回戦3」
「ほら、座って座って。ワタシだけが座ってるなんて、お説教してるみたいじゃない」
図貝先生と呼ばれる、屈強な体に負けず劣らずの口調。全てが想像の上をいく人に何度も何度も、催促されてようやく覚悟が決まった。この人も教師だ。悪い人じゃない。少なくとも、榊先生よりかはいい人かもしれないし、なにより、これで俺が図貝先生の申し出を断れば、俺も見た目で判断する奴らと同じになってしまう。
それは避けたいからだろう。その気持ちが頭に浮かんでくると、スムーズに図貝先生から一つ空いた席に座ることができた。
模擬戦会場には、いくつもの試合をするための部屋があり、その手前には大きな通路、更に後ろ側――壁際にはいくつもの椅子と随所にゴミ箱が置かれている。
そこで試合をしている部屋の中の様子を見るもよし、少し上へ視線をズラせば大きなディスプレイがあり、画面を分割して中の様子を映し出してくれるので、それを見ることだってできる。
もちろん、休憩用でもあるし荷物置きでもあったりするこの椅子は、座る度にプラスチックの冷たい感触が伝わってくる。
だから、女子生徒は大変なわけで、妹達も俺に習って座ろうとしたが、夢の制止。ハンカチを取り出すよう促して、それを座面に掛け、そこに座るよう促す。
さすが夢だと、褒めたいところだ。
「さ、透ちゃん」
透ちゃん、て。
そう思ったが、横から見える図貝先生の顔は、今までのおちゃらけた雰囲気からは一変していた。
屈強な肉体には似つかわしくないほど、顔は細く、わざわざ焼いているのだろうか、肌はこんがりと色づいている。睫毛も長く、鼻筋もピシッとスマートに伸びている。
なにより、綺麗な茶褐色の瞳が憂いげにあるのが、似つかわしくないほど、似合っている。
だから、思わず。
ふざけたことなど、思いたくないとさえ真っ先に抱いた。
「貴方、世間の声に気を取られすぎじゃなくって?」
図星……とは違い、的を得たというべきだろうか。
思わず、息を飲んだ。
そして、図貝先生はこちらの様子を横目で確認する。
「もちろん、悪いことじゃないのよ? 貴方達、有名人ですもの。世間の声や風評、はたまた評価、それらを気にしていかなきゃ長生きできないのは、ワタシだって理解しているわ」
だが、図貝先生は足を組み、その膝の上にしなやかな指先を置く。
丁寧に磨かれた爪が、天井の照明を優しく反射している。
「でも、ここは月見高校で、貴方達はここの生徒。学生、青春を謳歌して足りないほどの人生を生きていくの。
そんな子達が、周りの噂に一喜一憂、喜怒哀楽を顕にするのは、ちょっと勿体ないな、とワタシは思うわけ」
四季家全員が静かになったのは、自覚していた感情を言語化してくれている図貝先生の言葉を待っているから。だろうか。
分からない。
ただ、世間の声を風評を、噂を、気にしないで青春を謳歌しなさいと、言っている図貝先生の説得力が気になるからだろうか。
「図貝先生は」
「あら、先生なんて他人行儀はしなくていいわ。図貝ちゃん、と呼んでちょうだい。もしくは、ママでいいわ」
「……図貝先生は、何か周りの人たちに何かされたんですか?」
さすがに、ちゃん付けはできなかったし、聞いてもいいかどうか、考える前に聞いてしまった。
そう、重大な――それこそ、人が一番気にしているかもしれないことを、軽々しく聞いてしまった。
突如、そのことを自覚すると、身を焦がすような後悔が襲ってくる。
あぁ、訂正しなければ。あぁ、謝らなければ。
「す、すみません、いきなり失礼なことを聞いて」
勢いよく頭を下げる。
それまでに見えた図貝先生の顔は、驚いていて、今は硬いコンクリートの無表情しか見えない。
よくない。
本当によくない。
感情に任せていたからだろうか。怒っていたからだろうか。桜坂さんとの試合、あれを外野から好き放題言われるのに腹が立ったからだろうか。
言葉のストッパーが役目を果たさないなんて、なんて、酷い未熟だろうか。
そんな俺ができるのは、頭を下げることと謝罪でしかなかったが。
「あら、顔を上げなさい」
その声は、柔らかく。
自然と、従うように、頭が浮いていく。
「そうそう、貴方は前を見なきゃ格好がつかわないわよ」
そこには、一切気にする様子もなく。
むしろ、向日葵のようににこやかに笑う図貝先生がいた。




