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第68話「意味」


 侍月大会予選会が始まって二日目ともなると、特に様変わりすることといえば噂の類だろう。

 例えばの話。小耳に挟んだ話。

「四季透だっけ? あの人、めちゃくちゃ早く居合切りしてなかったけ?」

「昨日してなかったのはなにか理由でもあるのか?」

「舐めプじゃないの?」

 みたいな話が、どこからともなく現れてはイタズラのように過ぎ去っていく。

 現実でそうなら、ネット上はもはや阿鼻叫喚な様相を呈しているわけだ。

 叶との鍛錬終わり、「凄いことになってるよ」と珍妙なものでも見つけたように勧めてきたのは、LIVE配信のコメント欄であった。

 チャット欄ではなく、ね。

 そこには多種多様なアイコンと名前が列を成していたわけで、一つ一つを目で追っていくだけでも永遠とも呼べる時間が到来してきては居座ってしまいそうになるほど――つまりは、多くのコメントがきていた。

 いずれも、「四季透の試合は()()()」や「なんで九鬼みたいに倒さない?」とか様々な憶測が満天の空みたいに浮かんでいた。

 それのどこが面白いのか、筆舌に尽くし難い。

 あまりにも、本人達を他所に――中には桜坂さんを非難するようなコメントもあって、憤慨していたわけだけど、叶はすかさず。


「たかだが文字で踊らされるほど、あたし達は踊り上手じゃないからいいじゃない。腹は立つけど、この人達はずっと()()()()()()()()()()()()()()


 と、大人びた発言をするもんだから、自然と怒りが鎮まっていった。心の中から湧き上がる憤怒の炎が決して消えたわけではないけど、確かに小さくなったのを感じた。

 そういう呪い。他者を非難しなければいけない呪い。

 たちが悪く、救いようもない呪いであるからこそ、親近感が湧い――てくるわけないけど。

 ただ、理解はできた気がする。俺以上にネット文化に触れている叶が言っているのだ。そういう人が多いし、特に目がついてしまうのだろう。

 俺も用心しておこう。


 という、顛末があり、朝の食堂も噂で持ちきりだったのは当然の流れでもあって、なるべく人目につかないよう端っこのテーブルを陣地にしていた我らが四季家も、好奇の瞳で見られるようになってしまっているわけで。


「………………」


「望ちゃん、ムスッとしないの。せっかく可愛い顔を皆見てるのにもったいないよ」


 俺の隣でA定食(ほうれん草のおひたし、スクランブルエッグとベーコンにケチャップをかけたもの、炊きたてご飯、ひじきの煮物、わかめの味噌汁)を食べている望は叶の指摘通り、不機嫌を顕にしていたのだ。

 そりゃもう、隣の俺になるべく引っ付くようにしているからわかりやすい。


「だって、見られるのは苦手だから」


 そう、四季家の――主に俺のせいで、噂と視線を集めるようになってしまうとすれば、至る所で目につかれてしまう。俺たちは目に疲れてしまうのは置いておいて。

 げんなりしている望は、対面に座っている叶へ不貞腐れた妹らしい振る舞いをするわけだ。


「ですが、望ちゃん。見られているのは兄様で、私達じゃありませんよ?」


「それが嫌なの」


 俺の前に座っている夢は、至極当然の疑問を投げかける。嗜むように湯気のたつ湯呑みを傾けながら。

 だが、反抗期の子どものような主張をする望が、徐々に上がっていくボルテージを下げることができるはずもなく。


「遠目からジロジロ、ジロジロ、じー、て見てくるくらいなら、こっちに来て話してくればいいのに、そんなことをするだけの勇気も友好関係も築けていないからって、あれやこれやと見ただけの感想しか言わないくせに。少しはこっちの平和を気遣ってくれてもいいでしょ」


 相当お怒りのようで、思わず窘めようとすると夢が抑えるように、湯呑みをわざとらしく置く。しかし、それはあくまで、場を制するための行動ではなく、俺の意識を向けさせるためだったようで、こちらをじっと見ては身を乗り出してくる。ついでに、小動物が首を傾げるように爽やかな手で誘ってくる。

 何か言いたいことでもあるのだろう。

 そう理解して、体を近づける


「望ちゃんは、根も葉もない噂を流されるのを嫌っているのです。例え、それが自分じゃなくても」


 夢が小声で――わざわざ俺を手招いてまで言ったことは、望の心情を察した優しさであった。耳打ちしてきて、柔らかい声が伝えてくれたのは妹思いの言葉。

 それだけを言い切ると、即座に身を離して何事もなかったように振る舞う。

 その間の不満は、叶がしっかりと聞いてくれているのだから、家族愛を垣間見た気もする。

 なにより、望のことだ。


「望が嫌なら、場所を変えることだってできるけど……。例えば、鍛冶場とか」


「……それはそれで嫌」


 適度な小爆発を繰り返したお陰か、幾分か脳内に冷静な部分ができたようで、俺の質問を僅かな時間で答えてくれる。

 望は小さい頬をぷくっと膨らませる。


「なんか、あたし達が居場所を変えるなんて違うでしょ。悪いこともしてないのに、勝手に悪者扱いしてくる奴らを気遣うなんて嫌」


 至極当然のご意見、ご不満だこと。

 ただ、ここで正論を叩きつけるべきかどうかは考える必要がある。

 というより、怒りの矛先は野次馬の人の行動であって、その人達が嫌いになったわけじゃないのだ。()()

 だからといって、このままだと望がただの我儘な妹になってしまうのも良くない――いや、我儘なのは我儘なんだけど。


「とぉ兄、失礼なこと思ってたでしょ?」


「そんなことはないぞ」


 こうやって、視線で射殺そうとしてくる望も、結局のところ気にしているのは他者の中でも、身近な他人なんだ。


「望は、俺が根も葉もない噂の対象になってて、しかも評論家でもないのにあれやこれやと批評もどきの悪口を言っているのが気に入らなくて、俺の代わりに怒ってくれているんだろ?

 そんな優しい妹に失礼なことなんか思うわけがないだろ」


「……」


 実際、望の怒りが向いていたのは噂を流していた人間達の言動と行動だ。それも俺以上に。俺達以上に怒っているのだから、きっとLIVE配信のコメント欄も見たのかもしれない。

 気づいたのかもしれない。

 怖いとさえ思ったのかもしれない。

 純粋な悪意とやらに。


「望ちゃんは、あたし達を気遣ってくれるから大事にしたいの。だから、嫌だったら場所を変えてもいいし、あたしと夢ちゃんがあそこにいる人達に突撃してきてもいいし」


「はい。心温かい家族を守るためなら、慈悲深い姉が沙汰を下すことだってしますよ」


 ノリノリの姉二人。

 叶はにこやかに親指を突き立て、夢は静かに緑茶を飲んでいるけど、言っていることは恐ろしいな。

 あそこでヒソヒソ話している奴らに喧嘩吹っかけて、気が済むまでボコボコにすると言っているわけだし。

 だからだろうか。

 本気なのが伝わったからだろうか。

 望は、少しの時間、テーブルの上で鎮座している朝食を眺める。

 そして、顔をあげる。


「……じゃあ――」


「じゃあ、じゃない。駄目だからな。夢も叶も、立ち上がらない。座りなさい行儀が悪い」


 危うくのところで、二人を制することが出来た。

 いや本当に。

 鋭く睨んでいたおかげで、二人の動きが鈍くなったお陰で間に合ったけど、止めなければ二人してあたりかまわず暴れていたに違いない。

 いや、暴動一歩手前だったかもしれないけど。

 不貞腐れるように――露骨に頬を膨らませる叶に、納得いかないけどなるべく表情に出さないようにしている夢は、勢いよく乗り出した体をあるべき場所へと戻す。


「いいかい。ここで暴れたことで意味は無い。無意味に意味はあるとか偉い人だったら言うかもしれないけど、この場合は()()()()()()()()()()()()()()()()()()てことも覚えておきなさい。

 俺達は四季家復活のために動いていて、そこに付随する賛否両論はただの置いてけぼりになった言葉の数々でしかない。後ろに散らばった残骸に気を取られる必要なんかないんだよ」


 血の気が多いからこそ、血の気しかないからこそ。血を抜かなければいけない時がくる。それまで煮立たせるのは簡単でも、無闇矢鱈と闇雲に近くの人々を握り潰すのは、鬼と何一つ変わらない。

 それではいけないのだ。

 ただ、嬉しいことは嬉しいよ。

 俺を気遣ってくれて、心配までしてくれているのは。

 だけど、それはそれ。これはこれだ。


「三人ともありがとう。気遣ってくれて嬉しいよ。だけど、そのために三人が危険な行動に出るのは、俺は嬉しくない」


 しっかり話すことで、三人の中に巡っていた拍動が緩やかになったようだ。

 今まで、きっと我慢してくれていたのかもしれない。

 気にしないようにしてくれていたのかもしれない。

 そんな想いを無下にしていそうで、申し訳ないけども、そのために叶も夢も望も、凶暴で恐ろしい存在だと言われるのは目指すべき未来ではない。


「ごめん、兄さん」

「すみません、兄様」

「とぉ兄、ごめん」


 と三者三様の謝罪を経て、ようやく落ち着いた朝になったわけだけど。別に俺が怒っていないとは言っていない。ちゃんと憤慨している。

 だから、今日の試合はあまり武士らしくないかもしれない。

 そう思いながら、望から「お詫び」とスクランブルエッグをあーんしてもらった。

 ……自然な流れで食べさせられたけど、どういう理由だ?

 疑問に思いながら、隣の望を見ると、キョトンとして次はほうれん草のおひたしを差し出してくる。

 いや、そうじゃないんだって……。まぁ、いいか。


 叶と夢からの視線が若干、心苦しいけども。

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