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第66話「お願いです4」


 服の裾を引っ張って、かろうじて繋がろうとしていた叶は、いつしか俺の小指を掴んでいた。

 もう少しで、目的地となる海岸が近づくほどに、か細い指先はしっかりと離さないようにしていた。

 顔だって、困ったように。困惑と動揺を包み隠さず、漏れ出てしまっている。

 綺麗な眉毛が、八の字になっているのなんて、しばらく見たことはなかった。こればかりは、俺の責任だろう。

 勝手に、自分で解決するか。自分でどうにかするつもりだった気持ちを見透かされてから、たった数時間で妹達を困らせているのだ。

 兄失格だ。妹達を守るために、妹達を離すことは決して同じ場所に置いておくべきじゃない。

 だから、絞られた喉をどうにかこうにか開く。


「叶は、俺が新しい刀を打っているのは知ってるか?」


「なんとなくだけど」


「そうか。いや、なるべく隠れてやってたんだけど、バレてたか」


「というか、侍月大会は不参加にして作刀に没頭するんだと思ってたから、あたしとしては()()()()て思うくらい当然だよ? 兄さんが刀を打つなんて」


 それもそう……なんだろうか?

 そんなに、鍛冶師らしい人間だっただろうか。昔はどうだったかなんて、思い出の引き出しにしまい込んで、開き方を思い出せない。


「俺ってそんなに刀打ってたか?」


「そりゃ、帰ってきたらすぐおじいちゃんに連れて行かれてたじゃん。あたしが遊びに誘っても、やんわり断られてたから悲しかったもん」


 頬を膨らませ、不満げを猛アピールする。

 ジト目がこれ以上ないほどの説得力を持ってしまうと、こうも火力が高くなるものか。思わず、顔を背けてしまう。


「ごめん」


「いいよ。過ぎたことだし、そのお陰で今の兄さんがあるなら、あたしはそれで充分だし」


 なんと健気な妹だろうか。

 さっきまでのふくれっ面がみるみると萎んでいって、最後には天真爛漫な笑顔を咲かせる。

 コロコロと表情がよく変わる。

 その度に、俺がドギマギしなきゃいけないのは運命というやつだろうか。


「だからね、なんとなく離れることには慣れてるつもりなんだけど……。今回のは、なんかそうじゃない気がして」


 百面相のごとき、叶は一度顔を俯かせ、物憂げにする。活発な女子が、一瞬で憂いげな乙女に変わるのだから、兄としては誇らしいよ。

 ただ、同時に申し訳ない。

 こればかりは、俺が起こした悲しみだ。


「兄さんはこの後、ちゃんと言ってくれるんだよね?」


「あぁ、もちろんだよ」


「本当に? 嘘じゃない?」


「嘘じゃない」


 ぎゅっと、小指だけだったはずが右手全てを支配した叶は、今にもこぼれそうな瞳で見てくる。

 あぁ、大した話じゃなかったと思っていたのに。

 大事にならないはずだったのに。


「じゃあ、信じる」


 数分間、見つめ合い。

 こちらも嘘では無いことをひたむきに主張したことで、ようやく叶は納得してくれた。

 いや、理解してくれたんだ。

 そして、彼女が示したということは同時に俺に説明責任が生じるということでもある。

 あいている左手で頭部をポリポリと掻く。あまり掻いちゃいけないことはわかっているけど、どうしても掻きたくなった。痒くなった。


「ごめんな、本当に大した話じゃなかったんだが」


「兄さん。下げた頭にお灸を据えてあげたら、少しでも凝り固まった脳みそは柔らかくなると信じて、説教をしてあげよう」


 強く握りしめられた俺の手は、僅かに震える。

 謝意のこもった声俺の声に反して、叶はとてもお気楽で、空にまで飛んでいきそうな軽さを奏でる。

 いや、本当に飛んでいるような無邪気な顔をして。


「あたし達は、兄さんの妹で、兄さんに迷惑をかける存在だけど。その逆がないのはおかしいと思わない?

 兄さんがあたし達へ迷惑をかけてはいけない、て六法全書か暗黙世界のルールでもあったりするの? それとも、四季家の家訓にでも書いてあったりする?」


「いや……書いてないてか、家訓なんかないよ」


「でしょ。結局、兄さんがあたし達を気遣ってくれるのは嬉しいよ。兄さんに大切にしてもらうってだけで、すごく喜ぶし。でも、兄さん。だけどね、兄さん」


 叶は、ゆっくりと近づいてくる。

 往来の人は朝早くだから、誰もいないのをいいことに、この妹はこれ以上ないほど密着してくる。

 だけど、それが茶化しているものじゃないのは表情を見れば一瞬で分かる。

 真剣なのだ。

 夢や望だけじゃない。叶だって、本気な時はまっすぐとこちらの瞳を捉えて、離さないように見つめてくるのだ。

 だとすれば、姉譲りなんだろう。

 兄じゃなくて、姉の所作を学んだのだろう。

 瞬間的に浮かんできた気恥ずかしさはどこかへ消えていった。


「あたし達は、家族だよ? 一緒に生きるんだよ? ずっと一緒にいるんだから、悩みくらい一緒に解決してもいいでしょ?

 それとも、あたし達じゃ不満だったりする?」


「そんなことないよ」


 一言。たった、一言に本音を載せる。

 それだけで充分だったようで、近づいてきた叶の顔は安堵の笑みを浮かべる。


「じゃ、いいの。兄さんが話してくれるのを信じてるし、みんなでなんとかしようね」


 次には、朗らかな顔をのぞかせる。

 あぁ、やっぱりこの子は笑っていた方が良く似合う。

 だからこそ、あまり暗く沈んだことはないよう、気をつけようと思ったが――ひとつ、気にかかったことがあった。

 そのまま、海岸までの階段へ向かおうとした叶に、未だに手が繋がった存在へ、疑問を投げかける。


「おい、さっき『ずっと一緒にいる』て言ってたけど、お前俺が卒業してからも付いてくるつもりか?」


「え、決まってるでしょ」


 決まってるて、本人の意思は?


「だって、兄さんはあたし達の兄さんなんだよ? 最期まで面倒見てくれなきゃ困るよ」


「いや、困るのは俺だ――って、おい、言うだけ言って逃げようとするな!」


 突如、手を離し駆け出した叶。

 その表情は、綺麗でいたずらっ子で、とても輝いていた。

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