第64話「お願いです2」
「兄様、箸が進んでいませんよ?」
「あ、あぁ……すまない」
寮に併設された食堂。いくつもの長い机に、たくさんの椅子が並んでいるのに、空いているものは僅かばかりなほど多くの生徒が座っている。
そんな中でも端っこを選び取っては、夢を前にしながら、考えにふけっていると、時間をかけ過ぎてしまったようで、呆れたように指摘されてしまった。
「考え事ですか? 兄様は、いつも大変なことを一人で抱えすぎです」
「いつも、て……。そんなことは無いだろう」
ようやく、最初の一口で食べるのは堅焼きの目玉焼き。白目部分の焦げ付いた苦味とほのかな甘みを口へ広げていると、対面の夢はほうれん草のおひたしを上品に食していく。
品があるというか。小鉢ひとつとっても、はんなりと食べられるなんて自慢の妹だ。俺には到底できそうにない。
「例えば、四季家の名誉復活とか」
「うぐっ」
「例えば、『春刀』の作刀とか」
「うっ……」
「例えば、『壱鬼』様のこととか」
「…………」
正しく、図星である。
申し訳ない気持ちと、どうにか妹を巻き込まずにいられる方法はないものかと考えていたのだが、思い通りにはいかない。腹立たしいほどに。
決して、甘くはない。
そんな俺とは対照的に、夢はほっけの塩焼きを丁寧にほぐしていく。ホクホクの身から立ち上る湯気は、旨みの具現化だろう。
背骨についた肉をこれでもかと剥がしていく。
手馴れた――大いに、慣れ親しんだ手つきだ。
「私は四季家次女の四季夢です。それは四季家の人間である以上に、兄様の妹なのです。守ってもらうのも、助けてもらうのも、私は大変喜びますけど、一番嫌うことを聡明な兄様はご存知だと思います」
「…………仲間はずれにされることか」
「はい」
淡々とした声だ。冷静で、鎮静効果のあるようなゆったりとした声。母性的だと言うべきか。はたまた、女神のようだと形容すべきか。
なにせ、ここで俺が妹へ秘密にしていたことを、夢は責め立てるつもりが一切ないのだ。気配もない。雰囲気もない。
「ですが、兄様の気持ちも分からないでもないです。私だって、兄様を巻き込むくらいなら一人で大荷物を抱えて生きていくつもりですし、そうはならないように善処するつもりですけど、きっと兄様もその心持ちだったのではないかと、推し量ることはできます」
「夢は、すごいんだな」
「いえ、兄様と私達は凄いのです」
自信満々に言っている感じではない。
当然のことを、当たり前のように言っているのだ。
あぁ、そんな満ち足りた瞳はかっこいいとさえ思ってしまう。
おかしいな、俺がその立場にあるべきだろうに。
「ですので、そんな凄い四季家は例え不可能だと言われたことさえ、成し得るだけの絆と結束と、蛮勇が羨むほどの勇猛さえ備えているのです。だから、兄様が差し支えないと判断してくださったら、教えてください」
真剣だ。
まっすぐと、こちらを見てきて、心から向き合っている。
いつの間にか、ほっけは骨だけ残し、こんもりと蓄えていた肉を盛られていた。早すぎじゃないか。
だが、それを口へ運ぶつもりはないようで、それは俺へ向けられた時間制限のような気もした。
何分か唸り。
奥歯が違和感でヒリヒリとする。
決して、目玉焼きのせいではない。こればかりは、俺の問題だ。目下成長中の青年の、社会的問題。社会への適合を果たすための問題だ。
「……………………」
互いに無言。
周りの喧騒が、嫌に急かされた気もしてくるし、遠くなっていく感覚もある。
だが、夢と目が合う度、ずっと――変わらず、熱意のこもった想いがちらつく。
『壱鬼』との戦いに『防刀』を出すかどうかの問題。これを夢に相談したとしても、いい。
問題は無い。
ただ、それより前からの接触は伝えていない。
夢だけじゃない。叶や望にだって言っていない。
遅すぎる相談に妹達は俺へ怒る可能性だってあるし、天井裏に不法侵入してくる輩に憤る可能性もある。
どちらにせよ、ここまでお膳立てされておきながら、言わないのも男らしくない。
うん。言おう。でも、今じゃない。
「…………明日、皆の前で言うから、今は言わなくていいか?」
「はい。では明日、叶ちゃんも望ちゃんも、中尼さんも一緒に話し合いましょう」
そこまで、重大なことではないような気もしていたのに、大事になっていた。妹達だけならまだしも、中尼君もだなんて聞いていないが、ようやくの決断に安堵した夢がほっけをちょぼちょぼと食べ始めてしまった。
あー、くそう。
ここで止めたら可哀想じゃないか。ほんわか、にっこりとした笑顔を浮かべながら、焼き魚を食べてるんだぞ。中断させるほど、鬼になったつもりはない。
……腹を括ろう。
そう思っていると、突如、ほっけを摘んだ箸が突き出される。
「はい、兄様。あーん、です」
「いや、恥ずかしいて……」
「あーん、です」
「…………」
「あーん、ですよ。あーん」
なんで、夢は恥ずかしいという感情すら感じさせずにこうまでしてくるのだろうか。
不思議だ。
俺は公衆の面前で、妹から箸渡しでほっけを食べさせられるのなんて、恥ずかしすぎて火照ってしまう。
いや、でも……。
こうも、頑なに突き出してきているのを無下にしてしまうのは簡単だ。だけど、夢の気持ちをないがしろにしていい理由にはならない。
……はぁ。
頑として開かずの口を、仕方なく開けば、ホクホクとしたあまじょっぱくて、柔らかい食感の魚が飛び込んでくる。
うん、美味しいよ。
うん……恥ずかしさを度外視すれば、天国のようだ。
そう思い、自分の食事に集中しようとした瞬間、またもや差し出されるほっけ。
「はい、兄様。あーん、してください」
「俺を子ども扱いしないでくれよ」
「していませんよ? 最近、あまり兄様と二人きりになれなかった私のささやかな喜びなのです」
そう言われると、抵抗するのも可哀想に思えてくる。
仕方ない。妹から甘えてくる? のを受け止めるも兄の役目だろう。
そうやって、結局、解したほっけの山の半分ほどを「あーん」された俺は、文字通り、一杯になってしまった。そして、妹は大変満足気におりましたとさ。




