第63話「お願いです」
夕暮れ時の鍛冶場でのこと。
予選もつつがなく進み、それとなく問題が起きては解決して、結果的に時間を押せや押せやの始末が終わってからのこと。
そういえば、飲み残したジュースが冷蔵庫に入れたままだったなと、くたびれた畳へ靴を脱ぎ捨てては踏み入った時。
「快勝、おめでとうですます」
突如、頭上から聞きたくもない声が聞こえてくる。思わず、眉間に皺が寄ってしまう。あぁ、強烈な怒りが脳内を支配しては体を温める。
「ありがとう……。二度とその揶揄うような声は聞きたくなかったんだが」
「くひひ。人生など、嫌なことは些細な程度しか起こりませんですます」
――まぁ、嫌なことはずっと記憶にこびりつきですます。
とか、ふざけた口調で素っ頓狂なことを言う『鬼族』の誰か。頭上なのだから、今から天井をぶち抜けるほどジャンプすれば、驚いた顔くらいは見えるかもしれない。
するつもりはない。
今から、天体観測する気分ではない。上など見たくもない。
「で、嫌がらせ野郎は何しにきた。あいにく、『防刀』はないぞ」
そう、以前ここへやって来ては、神鋼を隠した奴は俺のつくる『防刀』を文字通り防ぎに来た。
誰の差し金かは分からないが、失敗に終わったのだからそのまま一生顔――どころか、声すら鳴らさず消えてくれたら良かったのに。
いや、あっけなく帰ったところを見るに、狙いは別だったのだろうか。
「おやおやおやおやおや。『防刀』の作刀阻止が狙いだとすれば、見当違いですます。どうせ、作るのですますから、止めたところで意味はないのですます」
「よく分かってるじゃないか」
頭上の存在が、どんな姿で、どんな格好をしていて、どんな姿勢で天井裏に居座っているのか知らないが、確実なことがあるとすれば、ふざけた様子を一切感じなくなったことだ。
正座した武士と対面した時のような。
礼儀と相手へ敬意を表した姿。
見てはいないが、気配から察するに、真上の存在は真剣さを作り出している。
もちろん、それがまやかしかもしれないが。
「ここへやって来たのは、お願いがあって来たのですます」
「なんだ、真面目な雰囲気だから何かと思ったら。せめて、顔でも見せてくれれば聞いてやらないことはないが」
「それは……できないことですます」
頑なに、自分自身が誰なのかを明かさない。
そこまで秘匿しなければいけない、国家機密的存在なのだろうか。
だとしてもだ。
「失礼だとは思わないのか。顔だけじゃない、誠意を示す方法がただの声だけでいいなら、録音した音声を流すだけで充分だろ」
真上の気配が狼狽した。
痛いところでもつかれたのだろう。そりゃそうだ。謝罪だけじゃない。頼み方というのは、文字にしてしまえば楽だ。簡潔に済む。
だが、そこへ敬意や誠意や感情やらを込めなければいけない。そこだけは、例え文明が発展したとしても、失ってはいけない社会性というやつだ。
簡潔に済ませていいことはないし、簡単にするべきことしかないのだ。
「……本当に、それだけは申し訳ないのですます。我が一族は、人目に触れてはいけない存在なのですます」
申し訳なさそうに、心底、苦しみながら謝罪している気がする。いや、声が少しだけ近くなった気がするから、きっと……土下座しているのだろう。
なんだろう……。頬をかいてしまう。
彼が『鬼族』の一員だとすれば、呪いを持っているのかもしれない。だとすれば、真上の存在が意固地なほど姿も見せない理由に、説明ができる。
ただ、あくまでの推測でしかない。
ただ、だからといって、俺の憤りが間違っていたわけでは決してない。そこだけは違う。
ただ、説明しなければ、分からないのだから俺が気にする理由にはならないだろう。そうしよう。『壱鬼』だって、本当は戦闘中でも目が見えているかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
「……まぁ、聞くだけ聞いてやる。ただ、頼み方はしっかり考えてくれ。この間みたいな、不躾なやり方をすれば鼠の餌にしてやるからな」
我ながら、短気すぎるかも。
沸点が低いのだろうか。
……いつもは、そうじゃないんだが、なんだろうか。頭をポリポリと掻くも、そこから理由が出てくるわけもない。それでも、何とか答えを見つけようと首を傾げていると、頭上の存在は何度かの深呼吸をして、ようやく切り出した。
「頼み、というのは他でもありませんですます。『防刀』を『壱鬼』様との対決時に、使用しないでもらいたいのですます」
と、震わせた空気で――懇願してきた。




