第59話「祝勝、敗残会」
「えー、それでは俺の初戦勝利を――」
「乾杯!!!」
「「「乾杯」」」
「おおおい」
鍛冶場に置かれた机で、乾杯の音頭をなぜだか本人がしていたはず。しかし、叶の乱入で先んじられてしまった。
いや、お約束なんだけど……。
なんだけど、なんか。それをしたいだけに俺が音頭をとらされたみたいじゃないか。
「どうした兄さん。もしかして、あたしが乾杯の掛け声を奪うという今更すぎる王道のギャグをしたいがために、兄さんを音頭係にしたみたいな顔をしているじゃない」
「そこまで俺の顔が物語ってたら、それはお前の罪悪感がそう見せてるんだよ。答えまで全部言いやがって、このこの」
隣に座ってウキウキだった叶の首へ腕を回し、こちらへ近づける。椅子が倒れそうになるものの、素晴らしい体幹の叶は為す術なく、俺から首を絞められるわけだ。
「いや、ほら。ちょっとはお気楽モードにしておかないと、そこの人が落ち込んでいて暗くなりそうだったからさ」
叶が視線で訴えた先。
机へ向かって座っている叶、夢、望とは違う場所。鍛冶場でも、休憩室ないしは仮眠室として使われている寂れた畳の一室。
そこの端っこの隅っこで、膝を抱え座りこんでいる、いかにも落ち込んでいる状態の男がいた。
キンキンの赤髪と鍛冶場へわざわざやってくる人というのは、ここ数日で誰だか判別できるほどで、中尼君が漫画でよく落ち込んだキャラクターの感情表現として使われる垂れ線を浮かべていたのだ。
「暗いとか、陰湿だとか、クヨクヨしてネガティブ過ぎて生産性がないとか、失礼ですよ叶ちゃん」
「そこまで言ってないかな!?」
「でも、そう思うわけでしょう? 私達は数え切れないほど負けて、悔しい思いをしてきていますが、たった一回の敗北で『俺はどうしようもなくしんどいんだ』とでも言っているような態度をしているのですから、苛立ちさえ覚えていても仕方ないです」
「夢、俺達は中尼君じゃない。中尼君だって、俺達じゃない。相手は自分と同じ気持ちだなんて理想を押し付けるべきじゃないよ」
憤りを感じているのなら、それは押し付けがましい感情でしかない。中尼君が落ち込んでいて、それを迷惑だと思うのなら、彼の居場所を奪う真似だけはしちゃいけない。
せめて、そんなことを思うくらいなら場所を変える提案をするべきだろうし、負けた人間を指差して嘲笑うべきではない。
――と、思っていたが、どうやら夢はそんなこと毛ほども思っていなかったみたいだ。
「すみませんでした、兄様。以後、叶ちゃん共々留意致します」
「え、あたしも?」
「叶ちゃん、分かりやすい顔してるから。あたしが見てても、あー怒ってるんだ、くらいには気づいたよ」
嘘……?
と、叶は指摘されてもいない頬っぺたをぺたぺたと触る。望に言われた通り、叶の表現は概ね表情に出てくる。
それこそ、人の印象が見た目八割だとすれば、叶の八割は感情表現だと言っても過言じゃない。印象の八割が、喜怒哀楽のいずれか。
なんとも単純で、複雑な妹だろうか。
夢にあえて言われなければ、自分の感情がどのような変遷を辿っているのかなんて把握できていない。
俺達はまだ、子どもだ。
「でも……いや、でもは無し。酷いこと思ってたし、辛い人に石投げてたんだもん。あたしが悪い」
「そうだな。気づくことができただけでも、成長だろうが。……もっと、大きくなりたくないか?」
「おっぱいが?」
違うわ。
なんでここで下ネタをかましてくるんだ。
今までの活発美少女はどこへいった。
「叶ちゃんのサイズは充分大きいですよ。それ以上大きくなると、動くだけでちぎれそうな痛みが襲ってきますし」
「そうなの? 夢ちゃんは大きいもんね。大変なのか」
「大きくありません」
……こういう時、どうすればいいのだろうか。
男の居場所が一瞬で無くなってしまった。
いや、ここで妹達のバストサイズに言及できるほど、興味も関心もない。むしろ、女性が大変というのは理解出来る範疇に留めている程度でしかない。それ以上は、男の入るスペースじゃない気がして……。
どうしようか、このまま話題が盛り上がるのなら俺も中尼君の隣へ行くべきなんだろうか。
そうやって、男だけの居場所を探そうとしていたが。
叶は、夢との会話をハッとした表情で切り上げる。
「そうじゃなくて。呼ばなきゃだよね」
「忘れていたんですか?」
「夢ちゃんがあたしのボケを拾ったからでしょ。ツッコミがあったら終わってたのに、繋いじゃったから……ていう他責思考もいけないんだけど」
言い残して去っていくように、立ち上がっては中尼君の元へと歩いていく。
その後ろ姿が、中尼君に近づいていくほど緊張感が伴っていく。纏っていく。なんだ、顔だけじゃなくても背中でも分かるのか。
背中が語ってるよ。
「……あの、中尼さん」
きっと、しおれた犬みたいだろうな。
悪戯したけど、叱られたから機嫌直して欲しい、みたいな表情しているんだろうな。
よく分からないが、きっとそうだろう。
ゆっくり顔を上げた中尼君しか、見えないが。
「その、酷いこと言ってすみませんでした。きっと、聞こえていたでしょうし、気分が悪くなったと思います。ごめんなさい、あんなことは二度と言いません」
「……」
おや? 中尼君の表情だけは見えるが、彼、キョトンとしているぞ。何も聞こえていないから、よく分かっていない顔をしている。
……いや、聞こえないわけがない。
聞こえるはずだ。
鍛冶場なんぞ、稼働していなければ静かな場所だ。校舎からも、生徒の通り道にあるわけでもない、離れた場所にあるから、叶の不躾な感情を聞かなかったわけじゃない。
聞こえていない振りをしたのだろうか。
それとも、本当に聞こえなかったのか。
「その、こっちで一緒に話しませんか? 兄さんが勝つのはあたし達も信じていたので、驚きませんでしたけど、中尼さんがいないと反省会ができませんし……」
チラッと、こちらを横目に見てくる。
竹を割ったような見た目だとか、快活な少女だとか、活発が服を着て歩いているだとか、様々な明るい言葉が彼女を表現するものの、厳密に言えばそれは勘違いだと訂正したくもなる。
明るいのは当然として、他人を元気づけるのが得意なわけじゃない。むしろ、そこら辺苦手なのだ。
感情を表に出して失敗してきた対人関係が、ここへきて今までの負債として清算してくる。
なんと誘えばいいのか、分からないのだ。
どうやって、誘えばいいのか。
まだ、成長途中だから。どれ、兄貴が手助けしましょうか。
「中尼君。一人で抱え込んでるのは駄目だよ。そういう時こそ、皆で一緒に抱え込まなきゃ。少なくとも、俺の弟子なんだから、ここで悔しさを吐き出さなきゃ、破門にするよ」
テーブルの、それも中尼君が座るために空いている椅子を指差す。それを見て、何度も感情が――心情が、揺れ動き、幾重にも往復して、ようやく中尼君は立ち上がる。
少し、照れて恥ずかしそうな顔をしている。頭だって、ポリポリと掻くし、叶も同じ動きをしている。仲がいいのか。いや、本質的に似ているからなのか。
どうかは分からないものの、勧誘に成功したらしく、中尼君は俺の目の前、空いている席に座ってくれる。
その顔には、恥ずかしさと後悔が僅かに滲んでいるものの、沈んでいる考えが見え隠れしている。そこら辺も、叶に似ているのか。
「その……ありがとうございます」
「どういたしまして。といっても、叶や夢が失礼なことを言ったから、あまり堂々とした言葉じゃないけどね」
「いや、申し訳ないんですけど、聞こえなくて……。何か言ってたんですか?」
「聞こえてないのなら、気にしなくていいよ。それより、反省会をしよう」
安堵したのは言うまでもない。
もちろん、それが嘘だとしてもいい。気にしないで欲しいし、こっちはずっと気にしなきゃいけないことだ。
それが罪への意識だろうし。
といった、ところで反省会を始めようとしたものの、中尼君の表情は晴れない。
どうしたのだろう、と聞きそうになった口は、別の言葉を紡ぐこととなる。
「あの……透さんへ最初に、聞いておきたいんですけど」
「うん、なんだい?」
「…………………………その、こんなこと聞くのは本人にも失礼だなって思うし、怒ってもらっていいんですけど……。多分、透さんとは知り合いだろうし」
知り合い……なんて、本州にいる中学時代の友達くらい。この月見高校、月見島の知り合いはクラスメイトか食堂のおば様くらいだ。
……交友関係が些か、狭いかもしれない。
ただ、中尼君の言っている人物は俺が想像している人は違うようだ。
「…………えっと、壱鬼さんて目が見えないんですか?」