第58話「正解はない」
予選、それも初戦が済んでしばらくの空き時間がやってくる。
午前十時辺りで始まった俺の試合は、終わった時には十一時近くとなっていた。
体感時間ではそんな経っていないと思っていたが、どうやら切り合う時よりも、牽制しあっている時間の方が長かったみたいだ。
終わった時の疲労感。特に精神的疲労が思ったよりもあった。こればかりは予想外で、肉体が感じる重荷は覚悟していたが、それを上回るほどのものが心へのしかかってくるとは思ってもみなかった。
「九鬼とは、『鬼族』とは違うんだな」
「ん? 何がだいお兄様や」
鍛冶場へ帰る途中。わざわざ迎えに来てくれた我が妹筆頭の叶と一緒に、自販機でジュースを買っていた。
もちろん、夢と望の分。後は、中尼君のだ。
「対戦相手のこと。一般の人とやると、なんかドッと疲れた」
「そりゃ、そうでしょ。何を当たり前で今更なことを言っているのさ」
「辛辣だな」
もっと、俺に寄り添ってくれた言葉かと思ったが、叶の返答は幾分か、棘の突き出したものであった。
「辛辣? 違うよ。兄さんが分かっていないだけだよ。理解していないと言うべきかもしれない」
可愛らしい小さな小さな、折りたためる財布から小銭を取り出す。銀色に、茶色。その物的価値に歴史を塗りたくった硬貨が、自販機に一枚一枚、食べられていく。
「そもそも、ここには普通の人が多いんだよ? 『鬼族』なんか九鬼さんと壱鬼さん。後は、どこにいるか分からない人達なくらいで、対戦する人は名家とか一切なくて、家名なんかそもそも個人の称号でしかない人達なんだよ。当たり前のことに、今更――遅すぎるくらいだよ。気づくのがさ」
「そりゃ……そうだけど」
叶が振り向いては、俺へ自販機が吐き出した缶ジュースを渡してくる。
冷たい。渡されたのは、緑茶だ。
「叶だったら、どうする? 負けた相手に声を掛けるとしたら」
「ずっと、気掛かりなのはそれが理由ですかい? 兄さんや」
にんまりと、悪戯っぽく笑う叶。
あー、悪ガキみたいだ。
心が見透かされてなお、意地悪をされているみたいで。
「んー……そうだな。あたしだったら、兄さんと同じようなことしかしないかな」
「同じこと――て、聞こえていたのか」
「そりゃ、LIVE配信だよ。ちゃんと音声まで載ってるに決まってるでしょ」
あー……そういうことか。
だから、叶は笑ったのか。理由が繋がった。
こいつ、俺が慣れないことをしてそれに悩んでいる姿を見て嬉しがっているのだ。
そんなに嬉しいものなのか、楽しいものなのか。
「まぁ、色々な人がいる中で兄さんのしたことは、優しいことだと思うよ。敗者を称えるのは、勝者にしかできないからさ。
敗者が周りの人に何か言われたとしても、それは慰めにしかならないし」
確かにそうか。
自販機の中へ落ちていく硬貨の音が、まるで俺が納得した音にさえ似ていると勘違いする。
そんな核心的な言葉を言い放っておきながら、叶は自慢げにすることもなく、点灯したボタンへ指を一つ一つ添わせていく。
「さっきも言ったけど、ここにいるのは中学生の頃に、部活でやってみていい成績がでたから、ここへ進学してみようと思った人達だよ。もしくは、刀を打ってみたいと思った人か。刀道の仕事がしたいと思った人かもしれない。
その中に、家の名誉を取り戻そうとか。威信を掛けて勝負する人なんか、文字通りひと握りじゃない?
そんな人と模擬戦でも、こういう大きな大会で、それもお客さんがいて、自分の名前が思っている以上に他人へ伝わっていると思わない人が、自分自身の実力を自覚する状況はないわけだし」
ポチッと、叶がこれにしようと決めた。
ガタゴトと忙しくも、呆気なく落ちてきた。
「そこで、勝った兄さんが『いい勝負だった』とか言ってきたら、あたしだったらぶん殴ってるしその家を恨んでいるよ。
あたしが負けたのに『いいもクソもない』むしろ、クソでしかない」
叶は、俺へまた差し出してくる。
冷たい。
次は、コーラだ。
「兄さんは何にするの?」
「カフェオレで」
「好きだね〜、こういう日は毎回カフェオレじゃない? 験担ぎ?」
「いや、糖分が欲しいだけ」
そういうのものか――と、兄貴の想いが想定していた通りの単純さに笑う叶。
ガタンと落ちてきたのを拾い上げ、続けざまにいちごオレのボタンを押す。
ピンク色の缶ジュースを掴むと、それを俺へ手渡してくる。冷たい。
「まぁ、兄さん。今まで兄さんに負け続けたあたしが言うけど、間違ったことはしていない。勘違いだった気持ちでもないよ。勝者としてあるべき堂々たる姿じゃなかったかもしれないけど」
「それは……そうだな」
実際、しどろもどろになっていたのは事実だ。
大会そのものが初めてなのもあるし、威厳なんかなかった。ここから培っていけばいいとは思うものの、難しい話だ。
家族と『鬼族』を除いてしまえば、初めての相手だ。一般生徒との戦いは。
……叶はどうなんだろうか。
家族以外と斬り合ったことがあるのだろうか。
切磋琢磨してきたのだろうか。
月見高校へ進学する前――それも、俺が一年生だった時の妹達がなにをしていたのかはあまり知らない。
もしかしたら、その時に何かあったのかもしれない。
何もなかったかもしれない。
知れないし、知らない。
ただ、叶の言葉に説得力があるということは、そういうことなんだろう。
ガタン、とレモンティーの小さなペットボトルが落ちてくる。
「じゃ、祝勝会でもしますか」
手にしたレモンティーとカフェオレをにこやかに掲げる。
答えがあったわけじゃない。ただ、叶は示してくれた。
これから、俺がしてきたことは正解になるし答えになる。曖昧なものでも、確固たる証明にすればいい。それで間違っていたら、叶や夢や望が教えてくれる。もちろん、そこに頼ってしまうのはよくないし、ちょっとだけ助言を貰う程度がいい。
答えは探していても、正解はない。
正解はあるけど、それが全てじゃない。
結局は、経験に考えを結び付けられるかどうかなんだろうな。
手にした缶ジュースが、少しあったかい。