第57話「勝賛」
未だかつて無いほど、どうしようもなく居場所を見失っている状況はない。
何をするべきか分からず、脳内が真っ白な景色を映し出している状態もない。
決死の想いで向かってきた桜坂さんへ。武士道さえも感じる勇ましさに心打たれ、相手の技を受け流しつつ、首を取るように一太刀浴びせたはいいものの。
「……うぅぅ、うあぁぁ……」
振り返ると、膝をつき大粒の涙を流しているのだ。
天井を見上げ、少しでも涙が落ちないように気をつけているのに、とめどなく溢れてしまう。
無情にも掲げられた試合結果のディスプレイは、俺の勝利を映し出している。
負けて泣く人がいることはなんとなく知っていた。
だが、実際に自分がそれを目撃するだけに収まらず、対戦相手だというのは予想していなかった。
する必要もないと、当時周りの話を聞き流していたことを後悔することになるとは思いもよらなかった。
「……あー」
こういう時、教師陣がどうにかしてくれるはずだろうに、一切駆け寄る姿勢すらない。
見えない状態ではないのに、見えているのに、俺と桜坂さんだけを見つめている。
……つまりは、動向を伺っているんだろうか。
「その、えっと、桜坂さん?」
ポリポリと、慣れない頭へ刺激を加え、少しでもいい考えが浮かぶように試行錯誤する。そうでもしないと、こういった経験がない――わけでもなかったか。
一応、あるにはあった。
「…………うう、なに……」
しゃっくりも止まらず、止めたいものが止まらない中、目を合わせられなくても顔を向けてくれる桜坂さん。
その顔は、端正な顔立ちに可愛らしい涙袋が塩辛くなっているようだった。
「その……勝った俺が言うのもなんだけど」
「……なに? 慰め?」
「いや……」
これだけは、ただの自己満足でしかない。
飛び散った刀の破片が、徐々に元の形に戻っていく――集まっていく中でも、勝者が敗者に掛ける言葉は全て残酷でしかない。
ただ……。
どうだろうか。
全てが全て、冷酷無情なわけでないようにも思う。
というか、そうしたいだけなのだ。
「……気を抜いたら負けそうだったとか。危なかったとか、そういう月並みな言葉いらないから。あたし、やってて分かってたから。負けるのが目に見えてたし、本当は立会人さんの開始と同時に負けてたんだろうて、知ってるし」
「……」
「だから、慰めとか。屈辱的だからいらない。あたしだって、負けを知らないわけじゃないし、勝ったことなんかほとんどないけど……。でも、貴方みたいな強い人に情けを掛けられるほど、惨めになりたくない」
キッと、顔を上げ切れ長の大きな瞳は真っ赤に燃えていた。いや、充血していた。
ただ、桜坂さんの努力が染まった瞳だったのは、間違いない。
だから、掛けるべき言葉も最初から変わってなかったし、なにより一番の負けず嫌いを知っている人間だからこそ、情を掛けるつもりなど一寸たりとも思わない。
「わかった。掛ける言葉に間違いがないようで安心した。どうせ、負けず嫌いだろうし、負けるのが分かってても何か得られるものがあるなら得たい、強欲な心構えなのも、知っていたから変に声を掛けるのは違うな、と思ってた」
桜坂さんは、睨みつけてきた瞳が真ん丸としてくる。
まぁ、そうなのか。
というか、そこまで買い被ってくれたのか。それだけ自分のイメージ像が広がっているのか。優しい四季透という風潮でもあるのか。そこら辺はよく分からないし、知りたくもない。
ただ、情けを掛けにきたわけじゃないのは理解してもらいたかっただけだ。
「戦っている最中も、基本の動きで攻撃してきてた。まぁ、構えは最後グダグダだったけど、真正面からぶつかってきて、諦めそうな心に鞭打って走ってた。勇猛果敢で、武士らしさを感じたからこそ、慰めなんかじゃなく――」
妹達、特に叶がよく言っていた。
模擬戦で戦えば、いつも俺が圧勝し妹達は負ける。常に負けていて、ずっと勝てないかもしれないとさえ感じるような、無限に続く敗戦記録。それでもなお、俺に噛み付いてきては、首筋にまで刀を届かせるようになった彼女達は、慰めを嫌って、空気を読んだように優しく扱うことも嫌い、かといって、素っ気なく相手されるのも嫌だから、適度にいい言葉を掛けて欲しいと駄々をこねていた。
いい言葉とは、どういうものかあまりにも曖昧だったからこそ、何度も何度も様々な言葉や、声掛けを試したものの良好な反応を貰えず。
最終的に的を得ない発言に痺れを切らした叶が、大声で言い放った。
それが「賞賛して欲しい」である。
称えて、讃えて、褒め称えて、勝者に負けていてもなお、誇れるものがあると教えて欲しいと。できれば、記憶に残っていて欲しいとさえ、思うのだと。
自分を負かした人が、勝ち続ければ勝ち続けるほど、自分は報われた、認められたような気持ちになるから、と。
「俺は、桜坂さんの諦めない心。そして、勝てない相手にでも正面から向かい、相手へ一太刀でも浴びせる覚悟と自信を学ばせてもらった。今後、九鬼や壱鬼と戦う時、必要になる気持ちを見せてもらった。
だから、勝った俺が言って嫌な気持ちにさせるかもしれないけど。
ありがとうございました」
深々と頭を下げる。
その頃には、刀は全て元通りになっており、桜色の刀身が神々しく輝いている。
桜坂さんの反応は見えなくなってしまったけど。なんとなく、動揺しているのかもしれない。モジモジとした雰囲気を感じる。
「……こちらこそありがとうございました」
掠れた声でも、懸命に――真摯で真っ直ぐな言葉は、涙に隠れないほど、美しいものだった。
「…………後、あたし先輩だから」
「…………え?」
バッと顔をあげると、悪戯っぽく笑う桜坂さんがいた。小悪魔みたいで、でも綺麗なその人は、俺を揶揄うように見上げる。
「今度から、敬語でね?」
俺はどうすればいいのかも分からず、とりあえず誠心誠意、謝罪を続けることにした。
学んだ初戦が、最終的には『勝者が平謝りをする異例の事態』として、様々なところで噂になってしまった。




