第55話「殺気」
厳密に、詳細に言うとすれば、刀道の大会でシールドが付与される瞬間というのは、立会人の腕が挙がった瞬間にである。
それは、生き急ぎ死に急ぎの者達を少しでも咎めるためでもあり、例え知恵のある者だろうと経験豊富な者であろうと、喧嘩や手が出るのも早い者だろうと、全てを等しく信頼していないからに過ぎない。
青白い光が選手二人、そして立会人や監視役の教師を包む。
それを即座、一秒もしない時間に確認した教師は、瞬く間にその場から離脱する。あまりにも俊敏な動きは、忍者の瞬間移動さながらであり、四季透以外は恐らくどうやって体を動かしたのか、去りゆく前にどこを見ていたのか、目が合ったことなど、知りもしないだろう。
なにより奇妙なのは、立会人の姿も一緒になって消えていることであった。
号令と共に、見えない壁が消え対戦相手を視認した四季透は、流れるように立会人も視界に収めていたはずが、これまた教師陣同様に姿形がぱったりと消えていたのだ。
辺りを瞬間的に見回しても、抜刀試験で九鬼と模擬戦をした時と同じな床に壁。防弾ガラス以上の強化ガラス。ひしめき合う見物客。
どこにも、教師陣や立会人などいないようにさえ思うくらいなのだ。
(気配さえ感じられない……。桜坂さんが見えなかった壁とはまた違う技術なんだろうか)
進歩した技術は魔法と変わらず、今まで魔法だったものは未来の科学技術で再現できてしまう。
実現という形を嫌というほど見せられてしまった四季透ではあったが、彼は過去の武士でもなんでもない。
タイムスリップしてきた野武士でも、侍でもなく、今を健やかに生きている現代人である。
(噂には聞いていたけど、これほどなのか。まぁ、余計な目を気にしなくて済むのはありがたいか)
彼にとって、見物客の視線とやらはさして試合に影響しないようであった。
なにせ、辺りを瞬間的に観察し、気配等の情報も収集していながら、対戦相手の機微を伺っている。
とても、試合に慣れた様子ではないものの、初戦でいきなり部屋中をキョロキョロと見回すのは、模擬戦で快勝した者の振る舞いではないのだ。
なので、一瞬で見てしまえばいい。
切り取った情報で最低限の分析だけ行い、後は試合の映像か何か――それこそ、LIVE配信であるなら巻き戻しやアーカイブが残っている。それを見て、知識と経験の紐付けを深めていけばいい。
それが、四季透の侍月大会初戦にするべきことであって、対戦相手の桜坂蘭に勝てるかどうかなんて一抹も思考に組み込まれていない。
圧倒的強者であって。
圧殺的であって。
今なお、四季透と目が合ってしまい震えが止まらなくなっている桜坂蘭に、負けることなど想像などしないのだ。
(三年生なのか)
四季透が、次なる興味が湧いたのは部屋の中央、それもどこからでも見えるよう四面に、同じ画面が載っているディスプレイである。
以前、九鬼との模擬戦で最初に見たままの情報ではあったが、四季透が重要視していたのはあくまでシールド値であって、それ以外はさほど気にしてもいなかった。
故に、今この瞬間に見向きされた情報とやらが、桜坂蘭が高校三年生であるということ。
そう、この大会が最後となるわけだ。
(意図的じゃないにしても、三年生で参加する人は多いだろうけど……。気まずいな)
四季透の目の前には、緊張が溜まりに溜まり、今にも破裂しそうな女生徒。可愛らしい涙袋が、これでもかと溜め込んだ雨粒をダムの放流の如く、堰き止めていた河川が決壊するかのように、溢れ出しそうなほどだ。
それがあまりにも可哀想だとは、四季透であっても思う。
(勝負は非情。武士に情けは無用、とか言うけど。現代に武士どころか侍なんかいない。現に、この大会の参加者は皆等しく『選手』だもんな)
四季透は、右手で支えた刀を改めて持ち直す。
構え直す。
ただの何気ない動作でも、対面の桜坂蘭は、これが開戦の合図かと気構えて驚き、体が大きく跳ねる。
兎のように。今にと脱兎と駆け出したいほどに。
だからこそ、四季透は痛感するのだ。
彼女は選手であって、死地に体を沈める武士でもない。相手の首を証拠がてらに斬り落とすもののふでもない。殺気などとはほぼ無縁。戦いだって、安全が保証された中でのチャンバラ。
それがスポーツであって、選手のあり方なのだ。
(選手の中には、殺気に溢れた人だっているだろうけど、高校生でそんな奴がいるとすればそれはそれで恐ろしい話だ)
だからこそ、四季透は考えるのだ。
四季家の未来――とはいかなくとも、そこまでを見通して行動しているわけでもないが、少なくとも、成り上がりのためには、自分自身が武士として誉れ高い勝利をおさめるというのは、違う。
違う。
全くと言っていいほどに、見当違いも甚だしい。
これはスポーツで、月見高校が専門的に修学させようとしている武術でもあり、国際的にも注目されている種目。
そこに鬼のような形相で、しかも奇妙奇天烈な刀を持って、あまつさえ相手選手との駆け引きや技の読み合い、いかにして出し抜き、劇的な試合を繰り広げることもなく、ただただ圧倒し、圧勝するなど、スポーツとしての面白みに欠けてしまう。
もちろん、それでもいいと自己流を貫くのもいいだろう。それが新しい風だ。新世代はこうあるべきだと、全体の意思表示を勝手に語ってしまうのもいいだろう。
(でも、それだと。四季家じゃなくていい)
彼は名家でもあり、これから成り上がりを目指す落ちぶれた一族。落ちかけた一族。
とすれば、彼の席は刀道にあり。
彼の家は刀道の家であり。
有力選手を育成していく家ともなるわけだ。
(だったら、殺気はいらない。相手の攻撃を受けた上で、問答無用の勝利を飾ろうじゃないか)
そう決め込んだ彼は、フッと息を小さく吐き出す。
たったそれだけのことで、彼の纏っていたおぞましい殺気が、みるみるうちにおさまっていく。
桜坂蘭も、これには動揺を隠しきれないものの、何が起こっているのかどうか気になるものの、混乱しているものの、これを『好機』と捉えたのであった。




